■4-2 日向二代目は竜宮城に行く! 

日向二代目は高千穂から離れて「竜宮城」に行く。
コノハナサクヤ姫が火の中で産んだ三人の息子の長男は山幸彦、三男は海幸彦と呼ばれる。本名は火照命(ホデリノミコト)火遠理命(ホオリノミコト)で、「火」の兄弟であるがあるが、なぜか山と海の関係になる。
海幸彦は漁師、山幸彦は山仕事をしていた。ある時山幸彦は兄の海幸彦に仕事道具を取り換えっこしてみないかと提案した。兄は大事な釣り針を貸すのは嫌だったが、山幸彦がしつこく頼むのでしかたなく貸してやった。ところが山幸彦は慣れない仕事のために大事な釣り針を魚に取られてしまった。

兄はそれ見たことかと怒った。山幸彦は十握の剣から500本の釣り針を作って兄に返すが、海幸彦は「もとの釣り針を返さないと許さない!」
と言った。
弟は塩椎神(しおつみのかみ)の勧めで、竜宮城に行った。
山幸彦が竜宮城の門の前にいると豊玉姫(トヨタマ姫)が出てきてひとめぼれをする。その時の様子を描いたのが青木繁の「「わだつみいろこの宮」の絵だ。宮崎県の青島の海岸を走っているときに写真のようなモニュメントを見つけた。青島の「鬼の洗濯板」の地層は竜宮城へ下る階段なのかもしれない。

竜宮城でトヨタマ姫から飲めや歌えの歓待を受け山幸彦は三年も過ごした。
ある日彼が「フーッ」とため息をついたのを見てトヨタマ姫は
「なにか心配事があるのですか?」
とたずねる。釣り針を探していることを告げるとトヨタマ姫は海の中の魚を集めて尋ねた。
「釣り針のありかを知らないか?」
すると釣り針は赤鯛ののどにかかっていることが分かった。

その釣り針を持って故郷に帰り、兄に返すことにした。
帰り際に綿津見(わたつみ)神は、山幸彦に言った。
「きっとお兄さんはあなたが成功したことをねたみ、恨んで攻めてきます。その時にはこの『塩満玉』を出して兄さんを溺れさせなさい。許してくれと言ったら『塩乾玉』を出して生かしてやりなさい」、
実際にその通りになり、お兄さんの海幸彦は
「これ以降、あなたの守り人になります」
と謝った。

この話も現代風に考えるとよくわからない。なぜ釣り針を貸した海幸彦が誅せられて、借りた釣り針を無くした山幸彦の方が栄えるのか?

海幸彦の子孫が南九州の「隼人」(はやと)族で、いまも溺れたときの仕態(隼人舞)をして天皇にお仕えしていると古事記には書いてある。古事記の時代から21世紀の現代でも隼人の子孫は天皇にお仕えしている。山幸彦の子孫が天皇に、海幸彦の子孫が隼人として天皇に仕えているのだ。

韓国岳付近から流れ出す天降川(あもり)は国分で錦江湾にそそぐ。天孫の「天降り」にちなんだ名前だが昭和になってからつけられた名前らしい。その川の近くに日豊本線の隼人駅があり、さらに隼人塚がある。いまも薩摩隼人、大隅隼人などと呼ばれることがあるが海幸彦の末裔なのだ。

 隼人の近くの国分に「上野原縄文の森」という遺跡がある。南九州に珍しい縄文遺跡で定着した海洋民族がつくった集落があった。珍しいというのは、7300年前の鬼界カルデラの大噴火で南九州の縄文人はほとんど絶滅したからである。ごく少数の生き延びた人々はカルデラ噴火による津波で溺れた記憶がのこっていたかもしれない。上野原縄文人の脳の中に刻まれた洪水記憶が隼人舞として伝えられのではないかと考えている。

鬼界カルデラからの火山灰はアカホヤと呼ばれている。この火山灰は関東地方まで飛んでいる。この火山灰を研究したのがわが恩師の町田洋さんだ。大学時代にフラフラ遊んでいないで町田先生にくっついて研究していれば、こんな遺跡の発見ができたかもしれない。いまさら何を言っているのか・・・!

 

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