越前国府 総社 国分寺

 源氏物語の紫式部は生涯一度だけ都を離れた。その場所は越前太介不(たけふ)今の武生である。藤原為時が越前守に任じられたので、父に連れられて20歳のころに越前の国府に来た。住んだのは今の京町のあたりだったようだ。
国府 総社 
国府跡は現在の越前市役所、昔の城府城の場所と考えられている。城の西にある総社の境内に「越前国府」の石碑が立っている。「武生」の名前はJR武生駅に残るが市の名前は越前市になった。地元民の選択だが、歴史、地理好きの人間にとってはかなり寂しいものだ。国府遺跡はこの辺りで一部発掘がなされているが市街地に覆われているのであまり進んでいない。総社は国府跡に城を作った時に現在の地に移動したことが分かっている。

国分寺
国分寺は総社と細い路地を挟んだ場所にある。周りにある多くの寺と比べると小さい。総社と同じく武生国府内にあったようだが、現在の地に移って昔の国分寺の法灯を守っている。しかし国分寺は大虫寺に移ったとの記録もある。

大虫廃寺跡
地図を頼りに大虫寺跡に向かった。近くまで来たがどうしてもみつからない。史跡であるからどこかに案内があるはずと探し回ると、あった!なんと新しくできた大きな工場の中だ。史跡をこんな感じに私物化していいのか。守衛所で許可を得て中に入って写真を撮るが、なにか釈然としない。しかし大企業に守ってもらうからまあいいのか?

朝早いので出勤者の車の渋滞に出会った。その中に制服姿で歩いてくる一団があった。外国人労働者だ。群馬県の太田や三重県の亀山でも大企業に向かう制服の外国人労働者に出会った。地方都市では普通の光景だが、これもなにか釈然としない感覚になった。
30分ほどかけて町中にもどり少し歩く。お寺も多く、いい感じの街並みがある。ギャラリーの看板のネコは本物。2か所の国分寺は新と旧の場所にあった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です