薩摩国府国分寺は薩摩川内市に!


薩摩一宮新田神社と薩摩国分寺は島津氏と縁が深い。新田神社は延喜式内社ではないが、もう一つの薩摩一宮牧聞神社よりも優遇された。全国の国分寺も鎌倉時代には衰退するがここでは長く続いていたのは島津氏の威力である。

薩摩国府
資料館でみると国府の位置が示されていたが、発掘調査は行われていない。この国府に大伴家持が国司として赴任していた。薩摩川内駅の前に像が立っていた。大伴家持は多賀城、越中、因幡でも見かけた。何か所で国司をしていたのだろう?

大伴家持は万葉集を編纂した歌人だが政治家としても大きな力を持っていた。しかしなんとかの乱に関連したとして中央から左遷され薩摩の守になって赴任した。その後復活して最後は多賀城の陸奥守となり、陸奥の地で亡くなった。

薩摩の総社
薩摩総社は新田神社の大鳥居のそぐそばにある九樓(楼)守公神社だとされている。しかしちょっと規模が小さすぎる。新田神社の末社ということだが、薩摩の総社は新田神社とする方が合理的であると思うのだが? この神社の祭神は九樓社は甕速日(みかはやひ)神、守公社は「ひの」速日(ひのはやみ)神ということになっている。しかし他の資料では饒速日(にぎはやひ)神となっている。饒速日神は大阪の石切劔箭命神社に祭られている。神武天皇を大和へ招いた神である

薩摩国分寺跡
大隅国分寺とは違ってずいぶんきれいに整備されている。国分寺跡の下に歴史博物館があり、七重の塔の図が飾られている。国分寺跡の一角に大隅国府近くの隼人塚で見たような3つの層塔があった。こちらの方が規模は小さいが似た構造である。ほんとうは何なのだろうか。


国分寺跡の崖下に薩摩川内市の歴史資料館がある。階段脇に七重の塔の写真があった。賀曽利さんが早速その写真を送ってくれた。ありがとう!

薩摩一宮 新田神社 もしかすると薩摩の総社?

薩摩一宮は開聞岳の下の牧開神社とここ薩摩川内市の新田神社の二か所である。新田神社は可愛(えの)山の上にある。ここの子を抱いている狛犬がよかった。

神社の奥には天孫ニニギノミコトの可愛山陵(御陵)がある。天孫は高千穂に降臨し、コノハナサクヤ姫と結婚し、ここ可愛山に葬られたということになっている。

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