ウズベキスタン旅行6:サマルカンド

今回の旅のハイライト「青の都」サマルカンドである。吉田拓郎の曲に
サマルカンドブルー」ってのがある。私たちの時代シルクロードとか胡人なんてのが人々の会話の中にも上がっていたのだ。青くなっているところをクリックするとサマルカンドの音が聞こえてきますよ!この地図を見てもサマルカンドは天山山脈の支尾根から流れ出る川に沿いブハラの間にある砂漠との間と言う好位置にあることがわかる。中央アジアの乾燥地帯にありながら水には恵まれていたのだろう。中国のオアシス都市を結んできたシルクロードはサマルカンドでイラントルコに続く平原に出るのだ。この地はソグド人(胡人)の商人たちが都市を作り貿易で大いに栄えていた。
紀元前4世紀マケドニアからやってきたアレキサンダー大王に支配されたこともある。この地に中央アジア人とギリシャ人文化が融合したへレニズム文化が花開いた。しかし大いに繁栄したソグドの国は13世紀モンゴルからやってきたチンギスハンによって何物も残らない廃墟になりソグドの人々は殺された。ほんの数%の人が各地に散らばって行った。その後ティムールによって町は再建されたがその時にはすでにソグド人はおらずゾロアスター教もなくなり、チュルク系のイスラム教徒が支配することになった。この3つの建物が「青のサマルカンド」を象徴している。真ん中の広場はレギスタン広場と呼ばれている。私は「レジスタン」だとばかり思っていたが「砂の土地」と言う意味だそうだ。昔のサマルカンドは少し離れた土の高台にあったが、ティムールのサマルカンドは川が運んだ砂のある低地だったということらしい。

ウルグベク・メドレッセこれは360度カメラで撮ったウルグベク神学校(正面左)のは内部の博物館だ。ウルグベクはティムールの孫でサマルカンドの繁栄を築いた。さらに彼は世界でも例のない大きさの天文台を作った学者でもあった。この建物の天井には彼らの星座が描かれている。

左上の写真が今回のもの。後は古い写真と絵画である。ちょっと短めのミナレットは本来もっと高かったことが絵画からわかる。倒れそうだったミナレットを縄で引っ張って元の位置に直したこともわかる。現在でもそれぞれの塔はまっすぐ立っているわけではない。

シェルドル メドレッセ

右側のシェルドル神学校(メドレッセ)の内部である。まさに宝石をちりばめたような美しさ。ずっと眺めていたい感じである。この部屋ごとにイスラムの神学生が住んで学んでいたのだ。しかしソ連のころは神学校はすべて廃止され現在は土産物店が内部にひしめいている。

この広場はシルクロードを行く隊商が通っていた。その様子が描かれている。広場の真ん中には昔は池があったらしい。ところでこの門の上にライオン?トラ?が描かれている。イスラム教は生きているものを描くことはご法度である。アラブ人が入ってきたときに教義に反すると怒った。しかしトラの首は切り離されており、人の顔に見えるのは太陽である、と抗弁した。太陽はゾロアスター教の影響を残そうとした職人の仕業であったというが真相はわからない。しかし偶像を描いた門はここだけだという。ティムール朝のイスラムとアラブのイスラムの違いは今も残っているようだ。

ティラカリメドレッセこれは正面に立つティラカリメドレッセの内部の黄金の間を360度カメラで撮ったものだ。このメドレッセは変な門を作ったことを詫びて王様が謝罪のために作ったものだそうだ。今では正面にあり中心建物のようだが一番最後にできた神学校である。

現在は建物の左手に緑色のネギ坊主(ドーム)があるは古い写真には青いドームはない。最近作ったことがわかる。ここも隊商の宿になっていた時期もあるらしい。いまは建物内まで土産物屋である。ところで横から見るとミナレットはだいぶ傾いているなぁ!「サマルカンドの斜塔」で売り出すといいかも!

ビビハヌム モスク
サマルカンドはティムールの帝国の首都である。ここに彼を象徴する巨大なモスクが建設された。彼がインドに遠征している間に第一夫人のビビハヌム妃が指揮をして建てたと言われるモスクだ。レギスタン広場と旧サマルカンドのシャーヒズンダ廟の間にある。このモスクの中は広くすばらしいがまだ復元工事中である。

グリアミール廟
まだまだ見どころがあるけど、もう一つだけ。それはティムールの墓所、グリアミール廟である。彼は故郷に埋葬されたかったが1405年に急死したため、戦死した孫のために作った墓所に秘密裏に埋葬された。私が見たサマルカンドの廟、神学校、モスクの中で最も青が美しい場所だった。バザールなど
サマルカンドではイスラム建築だけの写真を撮っていたわけではないが結果的には、ほとんどがメドレッセやモスク、廟の写真だった。人の写真もバザールの写真も撮っている。ほんの少し載せておこう。

サマルカンドで秋を見た!
明日はタシケント、もうイスラム建築は見ることができないが、まあ十分に堪能した。あまり気にしていなかったが木々の葉は紅葉していた。2023年の黄葉はサマルカンドだと記憶に残るだろうな。

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