坂出の東には300mを超す溶岩台地が広がっています。溶岩はカンカン石と言われる固い安山岩です。この溶岩は古い時代に噴出したもので、現在知られる火山由来ではない。溶岩は長い間に侵食され、谷がいくつも刻まれ、いくつかのブロックに分かれています。そのなかで目立つ峰に青峰、黄峰、赤峰、白峰、黒峰の五色の名前が付けられています。
白峰に81番白峰寺、青峰に82番根香寺がある。その2寺の間には讃岐遍路道が残っており、重要文化財として保存整備が進んでいる。これはなかなかいい道で、歩いてよかったと思っている。地元の中学生も授業の一環として歩いているようで、今回多くの生徒たちに追い越された。
■815年に弘法大師空海が白峰山頂(337m)に上った。その後空海の妹の子である智証大師がここに寺を創建した。智証大師は、山の神である白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観音像を彫造し本尊にしたという。■白峯寺の中には「頓証寺殿」という建物もある。後鳥羽天皇と戦った保元の乱で負けた崇徳上皇は讃岐に流され、都へ戻れないまま流刑地で没した。白峰山に陵墓が造られた。崇徳院と親しかった西行法師が詣で法楽を行った。その後慰霊のため陵墓近くに、崩御までの6年間を過ごした木の丸殿をここに移した。現在の頓証寺殿がそれである。四国88カ所霊場の白峯寺に詣でる人は多いが、実はこの崇徳天皇の御陵に詣でる人も多い。私が訪れた時も、駐車場にいたタクシーの運転手さんは「みなさん御陵にこられています」と教えてくれた。お遍路さんは御陵を素通りして、遍路道に入っていく。お遍路さんは途中にある寺や神社、御陵にはあまり目を向けない。私は歩き旅であるから途中の興味深いところには寄り道をするので予定時間を過ぎることが多い。これもまあいいか! である。
崇徳上皇がなくなってしばらくして西行法師が慰霊の旅をした。五色台の下にある・・神社から急な坂を上ってここまでやってきた。その道を今は「西行道」として参拝の人がとおる。私も知っていれば79番から80番を後回しにしてこの道を上ったのだが・・・、ここから下る気はなく、白峰寺をゆっくり参拝して、讃岐へんろ道を82番根香寺に向かった。
門を入って正面に護摩堂がある。左に曲がって正面に頓証寺殿がある。本堂大師堂は右手にある急な石段を上がった上にある。途中に立派なお堂がある。
昨日参った79番天皇寺が崇徳天皇の配流地の御所だった。81番は御陵だ。天皇関連とすれば79番から80番を飛ばして81番へ行くのが自然だ。昔のへんろ道もそうなっていたらしい。しかし札所めぐりは順番どおりに行くようだ。合理的な考えをする人たちは79⇒81⇒82⇒80⇒83 とめぐるようだ。