■1-4 三輪山の神々は国津神!


狭井神社で聞いてみると、三輪山の中には磐座がいくつかあり、そこに次のような神さまが祀られているということだった。
●辺津(へつ)磐座(標高100m)山の辺の道に沿った場所ある。祭神:少彦名(すくなひこな)神
●中津(なかつ)磐座(標高300m)には大国主神の別名である大己貴(おおなむち)神を祀られている。
●頂上の奥津(おきつ)磐座(標高467m)には大物主(おおものぬし)神が祀られている。
この三柱の神さまは出雲の地方で活躍した神様である。
少彦名(すくなひこな)神は一寸法師のモデル。海の彼方から小さな船でやってきた。なんでも知っている山田の案山子(知恵の神で久延毘古神社の祭神)に聞くと「少彦名神である」という。少彦名は出雲の国で大国主神と一緒に国を作りはじめた神だが、途中で「ふっ」といなくなり常世の国に行ってしまう。
少彦名の神がいなくなり大国主神が困っていると、
「私を大和の三輪山に祀れば、国造りを手伝う」
海のかなたから光り輝いて大物主神があらわれて、そう言った。
出雲の国を作るためになんで大和の三輪山に祭らなければいけないのか、かなり不思議なことだ。しかし神話の上では出雲と大和はつながっていたのだ。

日本書紀には三輪山神話が書かれている。
・・・・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)は大物主神(おほものぬしのかみ)の妻と為る。しかし其の神は昼は来ないで、夜にだけやって来る。倭迹迹日百襲姫命は、夫に、
「あなたは夜しか来ないので顔を見ることができない。たまにはゆっくりして美麗しき姿を見せてほしい」
「それはもっともだ。明日朝あなたの櫛笥(くしげ)に入っている。でも私の姿を見て驚くなよ」
倭迹迹日百襲姫命は心の内で密かに怪しんだが、朝になって櫛笥(くしげ)を開けたら、まことに美麗な小蛇(こおろち)がいた。それに驚いて倭迹迹日百襲姫命叫んだ。

この姫様の名前はとても長い。大変申し訳ないが以降は「モモソ姫」と略させてもらう。モモソ姫は第7代孝霊天皇の娘で、巫女として過ごした女性である。巫女は独身でなければならないが、神様と結婚する場合は「神婚」であって一般の結婚とはちがうのである。
話はここで終わりではなくモモソ姫は三輪の神に恥をかかせたとしてホトをついて自ら死んでしまう。そのあと昼間は人々が、夜間には神々が働いて大きな墓を作ったということになっている。恥をかかせた巫女(モモソ姫)を追悼して箸墓を作ったというのは何にしても解せない。亡くなる前に何か重要な仕事をしたのだろうが、日本神話にはあまりよくわからないことがしばしば現れる。原著を読まないで、地元の看板や解説を読むだけで判断したからそんなことになるのだろう。
しかし巫女さんが何か重要な役割を持っていたことは感じられる。もうちょっと探ってみることにする。

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