■3-2 スサノオ神とイナダ姫は新しい宮殿を探す

 スサノオは人身御供になりかかったイナダ姫を助け、嫁にする。出雲の姫を嫁にしてスサノオ神はこの国の盟主になり、新しい宮を作り始めた。その時作ったのがこの歌である。
「八雲立つ 出雲八重垣妻込みに 八重垣造る その八重垣を」
なんだかよくわからないが、日本の和歌のはじめとして知られている。

意宇にはスサノオとイナダ姫の新宮殿と言われる場所がいくつかある。まず八重垣神社にいった。二人の新居は縁結びの神社として名高い。イナダ姫が隠れていた「鏡の池」に占いの紙を浮かべている女性を見た。真剣に紙が沈むのを見つめている。速く沈んだ方が速く縁づくという縁結びの占いだ。その女性は紙の上に百円玉を載せている。重い方が速く沈むので、みな百円を載せるそうだ。占いに没頭している女性を見ると、
「出雲の縁結びの話は室町時代にできた俗信ですよ!」
などとは言えない気持ちになった。

スサノオとイナダ姫が歌った「八雲立つ出雲八重垣・・・」の歌の後、
「ここは清々しい場所だ、ここを宮殿にしよう!」
と言ったという。その地に須我神社が作られている。
神話の話なので新居はどちらでもいいが、須我神社で聞いた磐座(いわくら)の話はおもしろかった。三輪山でも見たように「磐座」(いわくら)に神が降臨するという信仰がある。自然崇拝、特に大きな岩を神聖視する信仰だ。
須我神社の社殿から1キロほど離れた山の中に磐座がある。意宇地方を歩き回って疲れてはいたが、磐座好きの私には魅力的な話だった。山へ続く長い階段を上ったら、「しめ縄」をめぐらしたすばらしい岩があった。私的にはこの磐座がスサノオ夫妻の新居だったような気がしている。

しかしさらに新しい話を聞いた。出雲一宮、すなわち一番由緒ある神社は意宇の奥の雲南市にある熊野大社だそうだ。雲南と言っても中国の少数民族の住む地方ではなく、出雲の南という意味でつけられた名前である。
なぜ出雲に熊野神社なのか? 熊野といえば紀伊半島の熊野大社だろうに。熊野古道歩きを趣味としている私は当然紀州の熊野が本家かと思っている。しかし出雲の熊野神社は出雲一宮であり由緒も正しい。どちらとも言い難いようだ。ついでながら「クマ」は天照の5人の息子の末弟の名前である。南九州の球磨(くま)地方、あるいは熊襲(クマソ)などと関連がありそうだ。

さらについでに、熊野神社を含め意宇にある「狛犬」は尻尾を逆立てて威嚇するような形であることを指摘しておこう。私は逆立ち狛犬と呼んでいる。穏やかな姿ではなく、敵に対抗威嚇するような感じである。抗争の地なので狛犬にも影響しているのかなと思う。もちろん狛犬の歴史はそんなに古いものではない。

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