5-2 桃太郎とモモソ姫の鬼退治

夏の暑い日私はJR吉備線(いまは桃太郎線という)の足守駅から鬼ノ城(きのじょう)への長い道を上った。やっと登った鬼ノ城は再建中だった。この城の主は温羅(うら)という朝鮮からの侵入者だった。温羅はこの鬼ノ城を起点にして大和を狙っていた。大和から吉備津彦(きびつひこ)が温羅退治に派遣された。吉備津彦の矢に当たった温羅はキジに姿を変えて逃げ、吉備津彦は鷹に変身して追った。温羅は鯉に身を変えて逃げたが、鵜に変身した吉備津彦に討たれた。
温羅の首は吉備津神社の釜殿の地中深く埋められたが13年間うなり声は止まなかった。これが吉備津神社の鳴釜(なるかま)神事の起源で、いまでも湯を沸かした釜の発する音でその年の吉凶を占っている。

ワカミケヌ(これ以降神武とする)軍も温羅と同じ勢力とみられ、大和行を阻まれて、15年間吉備の地に留まらざるを得なかった。神武がとどまった高島宮を訪れてみたがこれも「神武創業の始め」事業として明治時代に作られたものだった。ともかく長年頑張って神武軍は吉備の勢力と同盟を結ぶことができたのだろう。神話の時代だから時間を勝手に移動すれば神武軍と吉備津彦軍が和睦したということだろう。神武軍は吉備津彦軍の了解のもとに大和に向かった。

温羅退治は吉備(岡山県)の話であるが、鬼退治の話は讃岐(香川県)の方が有力かもしれない。今は香川県の女木島が鬼ヶ島として観光地になっている。讃岐一宮の田村神社には桃太郎が猿キジ犬(申酉戌)をお供にして鬼ヶ島に進軍している様子を描いた像がある。よくみると私の知識とは違って指揮を執っているのは幼い桃太郎の後ろにいる気丈な女性である。神社の方に説明を聞くとこの女性は倭迹迹日百襲姫命だという。
「エエーッ、なんで箸墓の主のモモソ姫が出てくるの!」
私はこの石碑の前で呆然とした。
桃太郎にはモモソ姫という姉がいたのだ。知らなかった!

吉備津彦は第七代孝霊天皇の息子で、姉は箸墓の主である倭迹迹日百襲姫命(モモソ姫)である。吉備津彦は桃太郎(モモタロウ)のモデルである。吉備津彦がモモタロウならその姉はモモソ姫である。讃岐にモモソ姫がいるのは不思議でも何でもない。

神武軍と吉備津彦・モモソ姫軍が出会ったというのはちょっと不自然な設定ではある。しかし話としてはおもしろいのではないかな。私はさらに、神武天皇はここでモモソ姫に出会って、大和で即位した後におこった重大事件の解決をしてもらうために彼女を呼び寄せたとというシナリオを考えている。

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