壱岐国国府総社島分寺


壱岐には2012年、一宮巡りのために行った。その時国片主神社に国府の碑と国分寺跡があったので、国府国分寺巡りもしたつもりだった。しかしWikipediaや「国府物語」を見ると、壱岐一宮天手長男神社の近くにある興神社に国府(こう)があったという説が書いてある。その説の方が説得性があると思っている。

壱岐島には縄文時代から人が住み、弥生時代には「原の辻遺跡」など大きな集落ができていた。原の辻遺跡は一支国(いきこく)の跡だと言われる。壱岐島はやまと政権の下で一国とされ国府(島府)がおかれ国分寺(島分寺)が作られた。現在博多港からフェリーやジェットホイルが出ているが、福岡県ではなく長崎県に所属している。

国府1
芦辺港から西に歩くと石段の上に月讀神社がある。さらに国分郵便局に向かうと道路際に国片主神社がある。この神社が国府の跡であると石碑に書かれている。またこの場所の地名は国分であることも国府の証拠だと私は思っていた。

国分寺跡
国片主神社の裏手に国分寺の跡が残っている。島にあるので島分寺と呼ぶこともあるそうだ。残念ながら写真は2枚しかない!跡を継ぐ現在の国分寺が近くにある。

国府 総社
実は国片主神社の南にある「興(こう)神社」が「国府(こう)神社」であるという説の方が有力であることをWikipediaで知った。興神社の西南の森の中に小さな総社があるそうだ。興神社の前を通ったが写真は撮っていない。Wikipedia の写真を借ります。後で賀曽利さんが写真を送ってくれるでしょう。・・・すぐに送ってくれたので全部入れ替え。

壱岐一宮 天手長男(あまのたながお)神社

興神社の西の方にある。江戸時代に壱岐一宮とされたが、本来の一宮は興神社であったかもしれない。2012年私は壱岐一宮として参拝した。小高い鉢形山上にある神社で、対岸の森には姫宮(天手長比米神社)の鳥居がある。

天手長比米神社

原の辻遺跡
2012年は一宮と原の辻遺跡を見るために壱岐島にやってきた。吉野ケ里遺跡と同じような復元がなされている。壱岐国は先進国だったことがよくわかる場所だった。とりあえずは写真だけ入れておきます。

今回は、2012年の訪問の時の写真を見ながら壱岐国の国府、国分寺を考えてみた。今になって思えば、レンタカーを借りて何回も行き来したの、なんで興神社の写真がないのか?やはり歩き回らねばならないな。でももう行けないので賀曽利さん、写真よろしく!   ・・・早速送ってくれた。ありがとうございます。これで何とか格好がつきました。

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