お富士さんの山開き

7月3日(木)
●7月1日は富士山の山開き。この日にあわせて都内の富士山も山開きをする。「都内の富士山ってなんだ?」と言われるかもしれませんが、江戸の時代には八百八講と言われるほどたくさんの富士講があった。講の人たちは、本物の富士山に行けない人たちのために、ミニ富士山をつくって、そこへお参りをしたのだ。

 現在、都内に残っているミニ富士あるいは富士塚は60個ほどであるが、大きなもので標高10m、小さなものは1mにも満たない。大きなものは昔は子どもの遊び場だったが、いまは柵で囲んで入れないようになっている。豊島区の長崎富士などは重要文化財に指定されており、厳重に囲われており、山開きの日でも入れないが、江古田の浅間神社などの富士塚は山開きの日にだけはお参りができる。

●日本百名山に全部登るのそれほど難しくないが、都内富士山に登るのはなかなか大変だ。1年に1回、7月1日しか登れないのだから、その日をのがすと翌年まで待たなければならない。それと高田富士のように1日ではなく23日が登山の日と決められている富士山もあるから、事前に十分情報を仕入れてから行かなければならない。

 私は6月の30日の宵宮から自転車で懸命に駆け回って、24カ所の富士山をめぐった。超忙しい登山だ。そのうちの半数以上は講が廃れているのでなんの行事も行われていなかった。しかしはじめて登って、感激した富士山もあった。以下におすすめ富士山ベスト5。

池袋富士 上の写真はその頂上である。ふだんは入れない。東上線北池袋から近い氷川神社にある。頂上でお経を上げているのはこの日にあわせて高野山からやってきたお坊さんのM島さん。富士講の創始者は角行で、富士の八合目にある人穴で修行をしたという。神道でも仏教でもない新しい世界観をもった新宗教であり、江戸の時代にもしばしば取り締まりを受けた。明治にはいると神道の一派になったが、弾圧をうけその後は廃れたという。なんで高野山のお坊さんがと思うが、江戸時代の富士講は仏教的色彩がかなり強かったようだ。
現在も、音羽富士のようにお寺の中に富士塚がある場合もある。

▲西向天神富士塚 新宿文化センターの裏手にある西向天神にある塚である。私が到着した11時に神主さんが奥さんと二人で祝詞をあげていた。お参りは私一人で、汗だらけで手を合わせた。神社の側からは2mほどの高さしかないが、道路から見上げると10mほどある立派な富士塚である。ここに参ったらついでに花園神社の富士塚を見るのもおもしろい。花園神社のどこにあると聞かれることが多い。明治通から入ったら右手に1.5mほどの小さな塚がある。藤圭子(昨日は藤純子と間違えて書いた)の歌碑が建てられていて、たのしい。新宿にはもう一つ鬼王稲荷に崩れた富士塚がある。マニアックな人しか知らない穴場である。

▲千駄ヶ谷富士 JR線代々木から国立競技場へ行く途中の鳩森八幡にある大きな富士塚である。ここはいつでも登れる。当日は入り口に一軒だけ屋台が出ていたが、なんだか寂しい山開きだった。立派な富士塚があるのだだからもっと盛大に山開きをすればいいのに。

▲駒込富士 これは本富士という場所、不忍通りと本郷通りの交差点にちかい場所にある。もともとは東大校内にあったものらしいが、ここに移転してから長い年月がたち、地元にもなじまれている。ここの山開きにはたくさんの屋台がでて賑わう。今年は雨で気の毒だった。急な階段を上ると上には浅間神社がある。ここではまだ講が盛んで、いまでも富士登山は続いている。ここにお参りしたら、本郷方面にすすむと名刹の吉祥寺があり、通りをわたると「目赤不動」がある。目黒、目白は山手線の駅名にあるが、目赤、目青、目黄、はどこにあるか知らないでしょう。赤は道坂(もともとは目赤不動坂)にあるのです。

▲十条富士 お富士さんと言ったら、ここが一番人気で、縁日は脇の道路はすべて閉鎖され、屋台はズラーと並び、埼京線の線路をこえて十条銀座まで続く。大勢の浴衣姿の女の子が屋台を眺めて回っている。一番目立つのは選挙のたすきみたいなのしたお母さんたち、たすきにはナントカ中学PTAと書いてある。お母さんたちの活躍の場だ。夜までにぎやかな明かりが輝いていた。日本の夏、お富士さ~んって感じだ。

●この他にも、江古田、小野照、品川、成子、練馬中里、などいい富士山があるのだが、それはまたの機会にして、今日の報告を終えます。都内くまなく富士登山はなかなか大変です。

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