先日、NHKの歴史秘話ヒストリアで井上あさひさんが、京都の大仏さんを取り上げていた。あさひさんFANの私は先日は群馬の古墳を見に行ったりしている。今回京都に来た機会に京都大仏と秀吉の廟を見るために、奥さまの仕舞いの合間を縫って「方広寺」を目指した。10月なのに暑い日で、豊国廟への上りはきつかった。 上の写真は方広寺の梵鐘であるが、ここに書かれた「国家安康」の文字が不吉だと家康が難癖をつけて、豊臣秀頼は亡くなった。秀頼は高さ19mもある巨大大仏を作ったが、開眼供養もできず放置された。1662年地震で壊れ、銅製の大仏は「寛永通宝」に鋳造さえた。方広寺の梵鐘は豊国神社の脇に残されている。 京都大仏は秀頼が最初に建てたものではなく、秀吉が金ピカの木製漆塗りの大仏を最初に立てた。そのときの大仏殿の敷地は現在の京都博物館までも広がっていたそうだ。現在も正面通りという広い通りが昔の大仏殿の方向を示している。ところが1596年に慶長伏見地震で大仏が破壊された。激怒した秀吉は「自分の身も守れない大仏に用はない」と大仏の眉間に矢を射た。仏罰のためか、秀吉はその後すぐに亡くなったので大仏は復元されなかった。
秀吉の墓は方広寺の裏手の東山の途中にある。ここをあさひさんも登っていたので、私も上がってみた。石段維持のための寄付100円を納めて登り始める。550段の石段は遥か彼方まで伸びている。すでに方広寺から100段ぐらいは上っているので合計すると650段ぐらいになると、一緒のおじさんが教えてくれる。地元のおじさんは元気であっという間に行ってしまった。昔は私も・・・! 廟に参って下りにかかる。しかし上りよりも下りの方が恐ろしい。廟の脇に山道があるので、そちらを降りることにした。山道は私の得意とするところ。快調に下ったら、先ほどの元気おじさんがやっと降りてきた。元気でもくだりは大変そうだった。
NHKの歴史秘話ヒストリア見ました。
ちょうどPHP文庫「京都人が書いた京都の本」で
京都の大仏のことを知ったばかりだったので、興味深かったです。
14,15日と奈良、京都に行くので、奈良では若草山、大仏、
京都ではみわさんのコースを行ってみようと思います。