北勢線の終点である阿下喜。私には懐かしい街だ。我が父親はここからさらに山奥に入った相場という集落で生まれ育った。私は住んだことはないが長い間本籍地を置いていたので、員弁郡という名前は懐かしい。今は員弁を読める人がいなくなったのでひらがなで「いなべ」となった。相場の山の中からは員弁の中心であった阿下喜はまぶしい大都市だったが、いまでも穏やかに豊かな街を保っている。
今時、昔栄えた街はたいていさびれているのに、阿下喜では豊かな文化を残している。軽便鉄道を地元の人たちの熱意で残している文化レベルは大変高い。小さな町だが、医者は何軒もあり、大病院も2か所ある。桑名、四日市よりも医療環境はいい。仏壇やも何軒もあった。3月には町中でお雛さんを飾るそうだ。どの家にも立派な雛がある。たいしたもんだ。街角にはいくつも小さな博物館がある。街を大切にしようというボランティアの方々が各地から集まって活動している。うらやましい限りの街だ。