昼に友人にあったら、明治大学のホームカミングデーに行くと言っていた。私もHCDに行くのだと言ったら、どこの大学だっけ? と聞かれた。「大学じゃないよ、高校だよ」と言ったら、「高校でHCDなんかやるの?」と言われた。HCDというのは大学で、が常識のようだ。
しかし我が戸山高校では13年前からHCDをやっている。私は自分が勤務した年代が当番の年から出席している。戸山高校では卒業から30年後の学年が当番になり、同期会も兼ねたHCDをやっている。通常はその学年の担任団がゲストとして呼ばれるのだが、3年前に委員から手紙が届いたので私は出席し、花束などもらった。しかし「なんで担任じゃないのに来たのか?」とその学年の担任に言われた。
でも呼んでくれたのだからいいじゃないかなあ!と昨年も嫌味を気にしながら出席した。卒業後も付き合っている連中がいるので、彼らが「担任じゃないけど来てくださいよ!」と言ってくれたからだ。ついに今年は堂々と自分の学年なので担任団として花束を受け取った。150人もの同期生が来ていた。私のクラスの生徒は30人近く来ていた。これはすごいことだ。私のことを嫌がっていた生徒は、たぶんクラスの半分ぐらいはいたと思っていたので、少々驚いた。年月はいやな記憶は薄め、懐かしさは増幅させてくれるようだ。
私にとっては彼、彼女らはまだまだ高校生の延長のように思っていたが、卒業30年というのは当時の私の年齢をだいぶ上回っている。今の社会を動かす中枢にいる連中もかなりいた。もう彼らにとっては先生というのはもう敵対するものではないのだろう。みな妙にやさしくいたわりを持ってくれた。ありがたいのか、寂しいのか。高校生の時のように「そうじゃないだろう!」などと言い合ってみたいが、もう簡単にかわされてしまうだろうな。
大変うれしい一日であったが、反面もう世の中から「いい人だった!」と祭り上げられた存在になっているのだと感じた。「あの野郎め!」と言われるようなエネルギーはもうない。静かに余生を生きていこうか。それはそれでいいのだが、でもほんのちょっとだけ寂しさも感じた一日であった。