白山神社と根津神社

日時 9月14日(土)1:30
場所 都営三田線 白山駅(春日側改札口)
第五回目の狛犬楽会です。白山神社と根津神社です。
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白山神社は加賀の白山から神さまを勧請してきた神社です。本家の白山(2,702m)は日本三霊山のひとつです。ふもとに白山神社があるのですが、文京区にある白山神社は白山比咩神社(加賀一宮)から菊理媛神(くくりひめ)に来ていただいた神社で、縁結びの神として知られています。CIMG0024.JPG

なんと中国革命の父「孫文」と日本の同志を結び付けた神社でもあります。孫文がどんな人であったかは、座石に詳しく書いてあります。hakusan-koma2.jpg

白山神社が台地のふちにあることは高い石段からもわかります。神社境内には富士塚もあります。ついでですが富士講の創始者である食行身禄行者の墓が根津神社へ行く途中にあることを知っている人は少ないようです。

その前に白山下から上る道の途中には八百屋お七の墓がありました。最近見えないなと思っていたら立派なビルのお寺の前に引っ越していました。それも見学してから行きましょう。CIMG0104.JPG

根津神社は台地の崖を下ったところにあります。白山神社に比べるととても華やかです。徳川綱吉が寄進をした建物がたくさんあります。つつじ祭りでにぎわう寺ですが、建物自体も見ものです。ここの狛犬がいいのです。お犬様の綱吉と何らかの関連があるのか?nedu-koma9.jpg

■ 孫文のこと

明治43年(1910年)孫文は当時、白山神社の近くの宮崎滔天宅にかくまわれていた。2人はこの座石に腰掛け語り合った。その時、夜空にはハレー彗星が夜空いっぱいに輝いていたという。孫文はこの奇跡的天体を見て「革命が成功する兆しだよ」と語ったという。宮崎滔天の次男龍介は、「花子とアン」にでてきた柳原白蓮(本名・宮崎燁子)と駆け落ちした革命家の帝大生だそうだ。

孫文は祖国の革命を心に誓い、翌年の明治44年(1911年)10月10日清朝を倒した辛亥革命の最高指導者となり、中国国民党の創設者になった。孫文は東京で26歳年下で英文秘書をだった宋慶齢と結婚した。国民党は清朝を倒したが中国国内は混迷を極めた。1925年孫文は「革命いまだならず」の言葉を残し没した。南京市の「中山陵」がお墓。

後継者蒋介石(妻は宋美齡〔慶齢の姉〕は中国国土を制圧するも毛沢東の共産党に敗れ、1949年に台湾に逃れた。宋慶齢は姉とたもとを分かち中国大陸に残った。中華人民共和国成立後は中央人民政府副主席を務めた。1981年没。中華人民共和国名誉主席の称号あたえられた。

孫文の革命は妻の宋慶齢を通して中華人民共和国として成し遂げられたというののだろうか??中国の歴史というのは三国志の時代からなかなか理解しがたい。
おまけの情報。孫文はロンドンに亡命中に大英博物館にいた南方熊楠と友人になっている。日本亡命中にはわざわざ和歌山に熊楠に会うためだけに訪れている。お互いに尊敬する間柄だった。

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