斑鳩は「いかるが」と読む。どう読んでも「いかるが」にはならないが、法隆寺があることから、まあ私は読むことができる。聖徳太子のゆかりの寺だが、けっこう謎の多い場所だ。聖徳太子は日本歴史の中では最大の偉人だったと言われている。しかしその子供たちは「アッツ」という間に滅ぼされてしまった。それだけの偉人で、氏素性も高貴な方だったのに、なぜその一族は殺害されてしまったのか。私は古代の渡来人の勢力いが原因だったと思っている。今回何年かぶりの訪れてみて、百済観音を安置するお堂が平成になってやっと完成したとのこと。百済観音は長いこと法隆寺には居場所がなかった。それは百済からの渡来人があがめた仏像だったからだ。聖徳太子は親百済だった。それを面白くない勢力があった。そのあたりの説はいろいろあるが、今回百済観音を見て、渡来人勢力争いは根深いものだったことを確信した。時間があったので、そのあと法輪寺、法起寺をまわった。斑鳩の風景に三つの五重塔(三重もあるが)がとけこんでいた。