総理を辞めるそうだ!

何はともあれ日本の道徳的危機が取り除かれたことに喝采を上げなければいけない。去る者に礫を浴びせるのは好みではないが、総理の重責に耐えることができない体なら、議員もやめなければダメだろう。議員に居座って後任ににらみを利かせようとするのは大変迷惑だ。後任の人は乱れきった政治道徳をもとに戻すのに大変苦労する。お目付け役がいたら改革はできない。

安倍総理は自分が傷つかないよう辞めることができるように周到に用意したらしい。その中に「コロナも終息し始めたから」という理由も述べられていた。私たちは、まだまだ大変だと思わされているが、巷に流される情報よりも何千倍も正確な情報を持っている権力者が言うことだから、たぶんまもなくコロナも終息するだろう。その時には称賛されるという道筋もつけられている。

三密を避ければ感染しない、ということはすでにはっきりしている。密になりそうだったらマスクをすればいい。昨日のNHKでもかなりはっきりと示していた。それを守らなくて感染すればそれは自己責任というにされそうだ。夏のコロナウィルスは弱毒化しているので、今のうちに多くの人が感染して、集団免疫をえれば、冬に強毒化したウィルスにかからないという説があるそうだ。嘘くさいが、現在の政府の政策はこれに近い。

たぶん冬には世界の貧困層の多い国々で獰猛なコロナウィルスが再び猛威を振るうだろう。しかし日本は安倍さんのおかげで、軽くすんだ、という希望的筋書きができているのだろう。そして日本はアンダーコントロールのもとにあるのでオリンピックは可能という筋書きだ。しかしWHOやIOCは、もう一年延期を提案するだろう。

もしトランプ大統領が再選されたら、オリンピック実施可能になっても「中国を排除しろ!」と無理難題を吹っかけるだろう。安倍総理ではこれを断ることはできない。今辞めておけばアベのび太はジャイアントランプの無理難題の被害を受けないですむ。まさに「辞める時期はいまでしょう!」だったのだろう。

高尾山は遠かった!

 東京都民は都外へ出ることは自粛という。なので都内にある高尾山や御岳山に繰り返し通っている。今回は高尾山口の駅からすぐに川を渡って有喜堂のすぐ裏から草戸山への山稜に入った。
この道は城山ダムに続く尾根道だが、今回は草戸山(365m)から城山ダムに降りないでそのまま三沢峠へ向かい、さらに大垂水峠に降りてから、高尾山に上り返すというコースをとった。

このコースは東京都と神奈川県の県境を行くのだが時々神奈川県側にはいるので、正確に言えば東京都外に出たことになるが、まあこれぐらいはお見逃しを! 昔はこのコースは4時間かからなかったが、後期高齢者にとってはさすがに長くきつい。草戸山から景色はいいがその後は林の中。日影があっていいのだが蒸し暑く汗びっしょりになる。見晴台で初めて景色が開ける。ここから見えるのは相模原の千木良あたり。あとから地図を見たらあの「やまゆり園」のある場所だった。2016年7月26日、事件の日、私は友人の車で通行止めの中央高速道路から目の下で起こっている事件の様子をラジオで聞いていた。今回反対側の山の上からみて、あの凄惨な事件を思い出ししばらく頭を垂れた。

大垂水峠の歩道橋の上では、バスで下ろうかと考えたが、ここまで来たのだから頑張ってみようかという気持ちになり登り返した。

暑い一日だったが高尾山に上り始めるといくつかの沢を横切る。ここで水浴び、水分補給ができ気分は良は回復。しばらく林道を行き稲荷山コースの途中にでる。稲荷山コースは下山路。そのまま下った方が楽だったが、ここまで来たのだからと山頂に向かう。我が頭は、「もういいよ、下ろう!」と言うのだが、足は勝手に登り始めた。長い階段を上ると高雄山頂。ペットボトルの飲料は210円だったので、さっき汲んだ沢水で補給。

そのまま薬王院、権現堂を経てビヤマウントを横目で見て高尾山口の駅への急坂を下る。この急坂は疲れた足にくる。

 朝子どもたちが水浴びをしていた河原で私も水浴びをして着替える。そばにある温泉に行けばいいのに、ケチな年寄りだ。こんな客ばかりだと地元はちっとも潤わないだろうな。申し訳ない。夕闇迫るころ。歩行時間はほぼ6時時間。

コロナ渦の中、大塚山へ

連日東京都の感染者は400人を超え、小池都知事は自粛自粛を要請しています。しかし政府はGoToを推進中。安倍総理も広島の原爆慰霊に訪れてGoToを続けると宣言している。どちらをとったらいいのか素人にはわからない。都内から出ることは避け、GoToの精神をもって、換気のいい場所に行くことにした。奥多摩の御岳山に向かった。ところが我が同志は大勢いるようで、ケーブルカーに向かうバスは超満員、まさに「密」になっている。

そこでバスには乗らず多摩川の川辺の遊歩道を行くことにした。川には大勢のカヌーの客など川遊び。ここも三密はなくOK。私はケーブル道を避けて、古里の丹三郎から大塚山へ登るコースに変更した。川沿い遊歩道はすぐに通行止め。しかたなくバス道を4キロ歩き丹生(たんせい)神社を経て山に入る。丹生都比米を祀る神社なので「にう」神社だと思っていたが地元の人はたんせい神社と呼んでいる。

先日歩いたしか道とは違い里道なので緩やかなジグザグ登り。私の実力でもあんがい楽に登ることができる。御岳山へのまき道もあるが、私はゆっくりと大塚山頂上へ。荒れ果てた休み場があるが手入れができないなら撤去してもらいたい。大塚山を下ると見慣れた御嶽神社への参道に続く道になる。けっこう人が多い。目的の紅葉屋は大勢が並んでいる。

私が作った紅葉屋の90周年記念動画が影響したのかもと思ったが、youtubeの視聴者はまだ95回、そのうちの半分は紅葉屋のおやじさんが見ているというから、この宣伝動画の影響ではないようだ。でもこの不況の中、行列ができる店になっているのはうれし事だ。ここで若い山ガールのMAEDAさん一行に会い、天然かき氷を食べる。涼しい山で体が冷え冷えになる。

ここで別れる予定だったが、ケーブル駅は混雑していそうなの山ガールについて日出山からツルツル温泉にいく。入場制限をしているが、夕方近くになってきたのですんなり入ることができた。久しぶりのツルツルの湯。皆さんの美人度がさらに増したようだ。彼女たちはみっちゃんたちとは違って飲んべいではないので、すんなり拝島で別れ、西武線で帰宅。温泉に入ったのに8時には家に着いた。

 

神長官守矢史料館:空飛ぶ泥船


諏訪上社の近くにこの史料館がある。建物は建築家の藤森照信が手掛けたもので、1991年に開館した。藤森はこの地の出身で守矢家の第78代当主守矢早苗氏と幼馴染であったことから依頼を受けて、ちょっと奇抜な建物を建てた。博物館なのでコンクリート造りだが外観は様々な細工が施され、地元の風景になじんでいる。

屋根を貫く木材は諏訪の御柱を意識している。内部に入ると壁面にシカの頭部、ウサギの串刺し、何十ものイノシシの頭部が展示されている。かなりグロテスクな感じがするが、昔の「御頭祭」の神事の時に行われたものを復元したのだ。1784年菅江真澄は御頭祭を見聞し、そのスケッチを残した。それをもとに復元したものだそうだ。

諏訪神社の祭神は出雲から逃れてきた大国主の息子のタケミナカタである。天照大神が派遣したタケミカズチ軍との戦いに負けて姫川を経由して逃げてくる。諏訪にはすでにミシャグシ神を祀る勢力があったが、タケミナカタに負けた。しかし諏訪上社の神事は昔のまま取り仕切ることになった。大祝は諏訪の現人神で、神事は守矢家が取り仕切った。守矢氏は縄文の昔からの神事を受け継いできたんだろう。実は守矢氏は近くにある守屋山の名前から推定されるように物部守屋と関係があるといわれている。こうなると古代史好きの人間にとっては想像がどんどん広がっていく。

藤森さんはこの建物を建てた後、背後にヘンテコな建物を建てた。高過庵(たかすぎあん)・低過庵(ひくすぎあん)・空飛ぶ泥舟(そらとぶどろぶね )である。高いのは茶室であるが実際に使われることはないようだ。

中央構造線 がけ崩れ!

  長野県の大鹿村を日本で一番規模の大きな大断層である中央構造線が通っている。構造線というのはプレートが押し合って地層が割れたりずれたりしたものだ。上の地図を見ると四国紀伊半島ではほぼ東西に延びているが、静岡県に入ると急に曲がって諏訪湖に北上している。曲がっているのはフィリピン海プレートが北向きに突っ込んできたからだ。

いずれにしても構造線は地層が壊れているので雨が降りこんでくるとグズグズになり、長い間に構造線に沿って谷ができる。ここ大鹿村を流れる川はみなグズグズで崖くずれ、土砂崩れが起こる。

中央構造線博物館から見える大崩れは「大西山崩れ」で昭和36年の集中豪雨で崩壊した。村民42名が亡くなる大災害だった。いま桜山になっている台地は山体が崩れた土砂でできている。当時の集落はこの土砂の下にあり、川の流れは大きく迂回している。 大西山の崩れよりもまだ大きな崩れは鳶ケ巣崩壊地で砂防工事をしているがあまり意味ない感じだ。ここは蛇紋岩(かんらん岩)地域で特に崩れやすい。

しかし地滑り、土砂崩れの地では土地が肥えていることが多いので古くから人が住んでいる。南北朝時代、後醍醐天皇の皇子の宗良親王は上蔵集落に流された。ここには福徳寺や松川家住宅など由緒ある文化財もある。こんな危ういところだが人々の営みは続いている。

HANAOKAさんは砂防の専門官、砂防ダムの見学にも行って来た。