諏訪上社の近くにこの史料館がある。建物は建築家の藤森照信が手掛けたもので、1991年に開館した。藤森はこの地の出身で守矢家の第78代当主守矢早苗氏と幼馴染であったことから依頼を受けて、ちょっと奇抜な建物を建てた。博物館なのでコンクリート造りだが外観は様々な細工が施され、地元の風景になじんでいる。
屋根を貫く木材は諏訪の御柱を意識している。内部に入ると壁面にシカの頭部、ウサギの串刺し、何十ものイノシシの頭部が展示されている。かなりグロテスクな感じがするが、昔の「御頭祭」の神事の時に行われたものを復元したのだ。1784年菅江真澄は御頭祭を見聞し、そのスケッチを残した。それをもとに復元したものだそうだ。
諏訪神社の祭神は出雲から逃れてきた大国主の息子のタケミナカタである。天照大神が派遣したタケミカズチ軍との戦いに負けて姫川を経由して逃げてくる。諏訪にはすでにミシャグシ神を祀る勢力があったが、タケミナカタに負けた。しかし諏訪上社の神事は昔のまま取り仕切ることになった。大祝は諏訪の現人神で、神事は守矢家が取り仕切った。守矢氏は縄文の昔からの神事を受け継いできたんだろう。実は守矢氏は近くにある守屋山の名前から推定されるように物部守屋と関係があるといわれている。こうなると古代史好きの人間にとっては想像がどんどん広がっていく。
藤森さんはこの建物を建てた後、背後にヘンテコな建物を建てた。高過庵(たかすぎあん)・低過庵(ひくすぎあん)・空飛ぶ泥舟(そらとぶどろぶね )である。高いのは茶室であるが実際に使われることはないようだ。