麻布十番周辺の狛犬

15日となっているが、書いているのは18日である。腰痛治療のために高尾山に行ってから3日間歩き続けた。やはり逆療法は年寄りにはムリみたいで一向に腰痛は良くならない。16日の峠楽会の引率ができなくなったら大変なので14日、15日は家でおとなしくしていたので、なにも書くことが亡くなって空欄になった。そこに18日の行動を書いたということだ。

18日には港区の狛犬探索に大江戸線で麻布十番駅に行った。駅を出たところに十番稲荷という神社がある。石段を上るとブロンズの狛犬が両側にある。この狛犬はコロンビアレコードの歌手音丸が奉納したものだそうだ。私は「コロンビアのマークは犬だったよな!」と勝手に感心した。あとで調べたら犬のマークは日本ビクターだった。音丸さんは自社もマークを意識したのだろうと勝手に思っていたが、私の考え違い。最近はこんな早とちりがしばしばある。

猿ヶ京のわらアート

前橋の小林さんの高級車で猿ヶ京を通過してきた。昨日は湯沢の温泉でのんびり。朝は東京マラソンを見てから新幹線で戻るつもりだったが「苗場を通ってみましょうよ!」という誘いにのって三国トンネルを超えて猿ヶ京に降りてきた。久々にキュウリの漬物が名物の蕎麦屋に行ってみたが、5年くらいまえに閉店していた。

後期高齢者になるので、私は車を処分した。昔は自分で運転しで猿ヶ京に来て、永井宿、三国旧街道あたりを、小栗上野介の埋蔵金を探して歩き回っていたことがある。懐かしいところだ。  猿ヶ京には関東から越後に向かう街道の関所があった。その関所跡になんやらヘンテコな藁人形があった。今年の干支のイノシシ。車を降りて解説を読むと「わらアート」だとある。もともと下流の「たくみの里」に展示されていたが、人気が高かったのでこちらに移動して展示されているのだという。 勢至菩薩を載せたゾウ  真ん中は釈迦如来像、 右は文殊菩薩をのせた獅子

阿吽の獅子のうち阿形の獅子、インド由来の仏教だからゾウ
馬車を引く馬  一番人気だったイヌワシ 馬
昨年の12月28日(金)から猿ヶ京関所跡展示されており31年3月末まで。
夜はライトアップしてるようだ。
地元愛の強い小林さんは、ぜひ来てくださいとアピールしていた。

峠楽会第一回 日本橋から四谷方面

19年の最初の歩きだが、昨年から4回変わらず日本橋からの出発となった。これはどんな旅でも日本橋からという賀曽利隆さんに対抗の意味もある。といっても対抗するほどの旅力はないけど。まあそんな気持ち。 今回は日本橋を出て箱根駅伝のゴールへの1キロを歩いて、大手町からは東京メトロに乗って半蔵門に行き、そこから四谷見附、内藤新宿というコースの予定。箱根駅伝最後の走者は3分ほどで走るが、我らは常盤橋の工事の進捗状況を見たり、一石橋にある明治の水準測量の几号(きごう)標識を見たりしていたので、40分もかかった。 読売新聞社の前がスタートゴール地点。箱根駅伝は金栗四三らが始めたとあった。NHKの大河ドラマ「韋駄天」の主人公のモデルである。実は金栗さんは、わが竹早高校の前身の府立第二高女の地理の先生だった。一昨年にNHKの方から私も資料提供を求められていた。秘密にしておいてくださいと言われたが、どんどんしゃべってはいたけど。第1回を見たがどこにも資料提供・竹早高校というのがなかった。残念!

将門塚を見て電車で半蔵門駅へ。4番出口にはすばらしい美術館があった。無料で国宝級の仏像などを見ることができる。さる宗教団体提供だ。こんな文化活動を他の宗教団体でもやるべきだよな。無料でお茶までいただいたので、ちょっとほめておかなければ。・・・ここでゆっくりまったりしたら、もう先に進む気はなくなった。本日の歩行距離は2キロ、歩数は5000歩ほどだった。とてもお散歩の会とは言えなくなってきた。まあいいか!

竹寺から子の権現、浅見茶屋へ

今年になって西武線二回目。本日は池袋8時半の特急で飯能まで行き、9時35分発の名郷行きのバスで小殿まで行った。日経新聞やテレビで有名になった浅見茶屋で新名物のうどんを食べようと思ったからだ。吾野駅から5キロほどあるが舗装路があるので車でも入れる。しかし私はなるべく苦労をした方が感激も深いし、おいしいだろうと考えているので、7キロほど山を越え行くことにした。 飯能では若者で満席だったが、飯能第二小学校のバス停でほぼ全員が下りた。何かの施設があるようだ。(帰ってから地図を見ると自由の森学園があった)小殿バス停で降りたのは私一人。竹寺と子の権現へ初詣する人がいるだろうと思ったが、一人もいないなんてちょっと驚いた。小殿バス停からすぐに急登になる。風が強いので杉の木がこすれあって不気味な音がする。誰もいないので気持ちが悪い。

昨日の鎌倉天園コースとは大違い。でもコースタイムと同じ1時間で竹寺に。神仏混交の寺で、なかなかいい狛犬がいる。牛頭天皇を祀る社もある。藁ぶきのなかなかいい寺だが、誰もいない。子の権現への道で人がいない原因が分かった。山道が崩れて通行止めになっているのだ。早く言ってくれよ! でも私のこれまでの経験では、責任回避のために立札を立てているだけで、ちょっと迂回すれば歩けるはずだと、突き進んだ。予想通りで大した崩れではない。人が通った跡もあった。

豆口峠には二重の通行止めの標識があった。もう通ってきた後だ。しばらくすると何かわけのわからない白いおおきな掌がおいてある。気持ち悪い。子の権現は金の大草鞋のある寺だ。足腰の守護をしてくれるありがたい天台宗のお寺だ。私もこれまでに何回もお参りをしてきた。今はトレイルランのコースになっており、大勢のランナーが通り抜けていく。

子の権現から浅見茶屋まで25分と書いてあったが、下り得意の私は20分で到着。昔と同じ外観だが何やら活気がありそうな感じ。中に入ると平日というのに大勢のお客がいる。私も皆さんと同じ肉汁釜揚げうどんを注文する850円と高くはない。となりに座ったおじさんは正月5日に来たが満員で3時間待ちだったので出直ししてきたとのこと。今日は待ち時間なしでよかったとのこと。

満足して吾野駅まで下った。5キロの距離だったが満腹の身では結構長かった。帰りは特別快速で4時には家に着いた。5時半に孫のお迎えに行くように言われて、休む間もなく学童クラブへ。本日の歩いた歩数は3万歩をだいぶ超えた。

明月院から鎌倉アルプス瑞泉寺へ

久々に山歩き! 鎌倉アルプスに行ってみた。このコースは私のお気に入りのランニングコースだったが、今はおとなしくとろとろと歩いてみた。昔の私のようにランニングの人に何人も追い越されたが、どうぞどうぞ! と道を譲る。昔なら、俺を追い越すとは失礼な奴とばかり、競争をしていたが、今は円熟の境地。寅さんのセリフじゃないが、「寒い中、労働者諸君!しっかりがんばりなさい!」  北鎌倉明月院の脇から上がっていく。建長寺の上から富士山を眺め、横浜のランドマークを見ながら天園につく。お弁当を食べている人もいるが、その先に茶店があるのでそこで一休みと思っていたら、更地になっていた。2、3年前に取り壊されたよ! とのこと。あら残念。うどんでも食べて金沢文庫に降りようと思っていたら当てが外れたので瑞泉寺に降りた。

瑞泉寺の門前を通り鎌倉宮、荏原天神を経て鶴岡八幡宮へ。鎌倉宮には狛犬なし、荏原天神の前の白幡神社には小さな狛犬、鶴岡八幡宮は公暁のイチョウがあった石段の登り口にもあったので二つを載せておきます。

寒い寒い日で、山歩きをしたのに汗もかかなかった。湘南ライナーを使えば池袋駅まで乗り換えなし。大変便利になった感じがする。我が家まで1時間ちょうどだった。

伯耆の国一宮:倭文(しとり)神社

  朝7時の山陰線で倉吉に向かった。ローカル線だが高校生の通学で満員。倉吉手前の松崎で降りる。倭文神社まではほぼ4キロ、まだ暑くないので歩けるだろうと判断した。駅前は東郷湖、ここは温泉地で湯気の立つ小さな池があった。手を入れるとやけどしそうな暑さ。

湖の周りをあるき、山に入る道しるべがあった。梨の畑に向かう軽トラ用の舗装道があるが、大変な急坂。小さな峠を越えると集落が出てくる。さらに上るとやっと表示がでてきた。夫婦岩があるが大きなの石と下に敷かれた小さな石。今の時代なら大きいのが奥さん、しかれて小さくなっているのがダンナということになるかな?

朝早かったのでまだ扉が開いておらず、社務所の朱印もないので待っている人が数人いた。私は朱印の趣味はないので、立派な逆立狛犬の写真を撮ってから、経塚まで上った。ここにあったお経は国宝になって博物館に納められているそうだ。ほかにもお宝があるので、夜間は社殿は閉められているのだろう。

神仏混淆の神社なので鳥居の後ろに神門(寺なら仁王門)がある。ここの彫刻もおもしろい。インドの象の神さまかもしれない。仁王門の前の狛犬は新しいので面白くないが拝殿前の逆立狛犬はいい。こんな巨大なものは今まで見たことがない。私の中では日本最大逆立狛犬だ。 ■本殿は何造りかわからないが千木は立削ぎ、鰹木は3本。出雲大社と同じだ。倭文(しずおり)氏が織物の神である建葉槌(たけはづち)命を祀っていたが、大正時代までは下照姫(したてるひめ)命も主祭神であると考えられていた。いまは女神ということから安産の神となっている。

経塚から降りてきたら、9時前だが社務所の方々も来られて拝殿の扉があけられた。建葉槌命よりも下照姫命の方が人気のようだ。下照姫は大国主命の娘と言われている。

帰りは山道は避けて湖のほとりを下った。東郷温泉の向こうに昨日山開きをした大山が見えた。

この辺りは神話の郷、なかなか楽しい一之宮めぐりになった。一緒にお参りした人は、出雲に行くぞ!と去っていった。私はすでに参拝済みだ。

 

峠楽会 報告!

  19日に峠楽会で、霞峠を命名しました。しかし19日には7名の参加で、いつもよりだいぶ少なかったので、全体で峠の命名をすることができませんでした。当日の様子は原さんが詳しく描いてくれました。勝手に引用しておきます。原さん、事後承認ですが、よろしいですか?

19日の峠楽会の様子

 

霞岳峠 国立競技場の近く!

19日(土)には峠楽会は霞岳峠に行きます。信濃町の慶応大学病院があるのは霞岳町です。ここにある峠なので勝手に霞岳峠にしました。峠の反対側は霞ヶ丘町で、そこには国立霞ヶ丘競技場がありました。現在は新国立競技場が建設中です。

霞ヶ丘峠でも霞岳峠でもいいのですが、なんとなく山みたいで立派かなと思って霞岳町の名前にしました。いかがでしょうか。現在峠の上には歩道橋が通っていますが、その橋は「無名橋」となっていますので、将来は霞岳橋にしてもらいたいなと思っています。

「峠」地形は東京凸凹地図を参考にして、探しています。東京の台地は開析が進み、小さな谷が沢山入り込んでいます。両側から谷と谷が合わさったところが「峠」です。峠という漢字は、実は日本で作った漢字=国字です。山を上がって下るというのはイメージが合います。苦労して峠に立つと向こう側に新しい世界が開ける、峠にはそんなイメージがあります。

本日その場所を下見してきました。国立競技場の工事はじゅんちょうに進んでいるようです。そのわきに立派なホテルができていました。中に入ってみると、昔の日本青年館でした。9回に眺めのいいCafeがありました。土曜日、雨が降ったらここでお茶するのもいいなと思っています。下見の成果です。

鶴見:めがね橋峠 峠楽会テキスト

◆3月の1週間の四国遍路の疲れが癒えないまま、4月4日からの上海旅行では、かなり疲れました。もう年ですね。
上海では地下鉄に乗ると必ず席を譲られました。東京ではあまり譲られることはないのですが、よほど年寄りに見えたのでしょう。喜んでいいのか、ちょっと複雑な心境です。

上海は未来都市でした。街並みは渋谷駅どころではないくらいきれいに整備され、超高層が並んでいます。浦東地区はディズニーランドかと思うほどです。
まあハード面には対処できるのですが、ホテルの予約、支払い、街での買い物、お茶飲み、などなどスマホ操作にはついていけません。なんでもQRコードが付いていて、それを読み込ませて支払い完了。お金のやり取りはまったくないのです。

スマホの使えない年寄りはどうするのか見たかったのですが、私たちが泊まった地区に年寄りは出歩いていません。たぶんで歩けないのだろうと思います。
古い建物は全部ぶっ壊して道路を作り、高層ビルを作る。邪魔ものは有無を言わさず排除する。ものすごい圧力を感じます。
若い人たちには未来が見えるでしょうが、排除された人々はどうしているのでしょうか、私には見えませんでした。

むかし北京で、通勤時間には大通りいっぱいの自転車列を見ました。いま自転車はすべてレンタサイクルで乗り捨て自由。さらに電気バイクがたくさん走っています。これは恐ろしい。全く音を立てずに接近してくるのでハッとします。
街は驚くほど静か、地下鉄内でも大声で話すおばちゃんたちはいません。ほぼ全員がスマホにむかっている日本の電車風景と同じです。スマホを持っていないので年寄りと認定されて席を譲られるのかもしれません。

まだ興奮状態が続いているので、前置きが長くなりました。本日の峠探索です。● 鶴見へ
本日は鶴見のめがね橋峠探索がメインですが、集合場所鶴見についてすこし述べておきます。
品川から電車に乗ると、多摩川を越えてさらに鶴見川を渡ります。JR京浜東北線と京浜急行どちらを使ってもいいのですが、私は京浜急行を使うことが多いです。なぜなら昭和38年の鶴見事故の記憶が私の頭の中にあるからです。

昭和38年という年は三八豪雪で愛知大学生が13人亡くなり、11月には鶴見の横須賀線の脱線衝突事故で161名もの人が亡くなるという大事故の年でした。鶴見事故と同じ日、九州の大牟田では三井三池炭鉱で爆発事故があり458人もの方が亡くなった。昭和38年私が大学に入った年でした。オリンピックを控えて急速な発展のヒズミが各所に出た時代でした。見てきたばかりの上海、外見は未来都市になりましたが、私たちの見えないところにヒズミが出ているのだろうと思います。

■総持寺
鶴見といえば総持寺、曹洞宗の大本山です。曹洞宗というのは禅宗の一派で、道元禅師が中国から伝えたもので、大本山は永平寺と、ここ総持寺です。

同じ禅宗の臨済宗は鎌倉武士に信仰されましたが、曹洞宗は地方豪族、農民らに信仰されたようです。

総本山が福井県の山の中にあるのはそのためでしょう。実は総持寺も石川県の能登にありました。明治31年の大火で焼失したので、現在の鶴見に移転したそうです。
鶴見の総持寺は1911年明治44年に遷祖したものだそうです。どおりで古びた感じがしないはずです。能登の総持寺は再建されましたが、いまは総持寺祖院と呼ばれています。

■ 月見峠
総持寺をでてバス通り(見返り坂)を上っていきます。都区内の台地と違って、横浜の台地は一段高くなっているので上るのは大変です。月見ヶ丘というバス停があるところが一番高い、すなわち峠と言うことになります。よってここを月見峠としました。両側が高台になっており、立派な峠地形です。

■ めがね橋(響き橋)峠

響橋の上から下の道路を見ます。これは国道一号線です。鶴見川からかなりの傾斜で上っていることが分かります。(なまえ確かめなかった・坂)
反対側国道はほとんど傾斜がなく子安の方につながっているので、峠に見えないかもしれません。橋の西側にお地蔵さんがあります。これが峠の地蔵でした。ここから古い道が急傾斜で下っています。これが本来の道路で、国道一号はかなり深く切通しになっているのです。今は橋の下が峠になっています。
ここを、「めがね橋峠」としたいのですが、よろしいでしょうか?? 「片めがね」の方がいい。との意見もありますので、検討が必要ですね。
川崎支部長の清水さんがお遍路の途中です。(現在第40番観自在寺)地元人ですから帰ってから再検討しましょう。

■もう一つ峠
めがね橋を越えた国道は、ほぼ平坦に進んでいきますが、古い道はいったんさがってまた上っています。子安に向かって左がわに新しい大きなトンネルがありますが、国道はその先を子安に向かって下がっていきます。この坂は・・・・坂です。雨が降ってきたので、この先には進めませんでした。
坂の名前も峠の名前も次に回します。

事前にわかりやすいように模式図を作ってみました。今回予定のコースには峠が二つあります。国道1号線は二つの峠越えは面倒なので盛り土をして平らにして二つの峠をつないでしまったのです。国道を歩いたら気が付きませんが、本日は短い間に峠二つを歩くことになっていました。

峠を越えたら再び低地に出ます。台地のふちを京浜東北線、京浜急行線、東海道線が通っています。
地形的には上野から赤羽にかけて台地と低地の境に似ています。大昔の海食崖をたどっているのです。

※ 次回は 5月は19日(土)です。都内に戻ります。場所未定!

白子峠と熊野神社

東京峠楽会
東京都からちょっとだけ離れて、埼玉県に行きました。東京と埼玉の境に白子川が流れています。そこにかかる橋は「東埼橋」です。橋を渡ると川越街道旧道は急坂(大坂)を上っていきます。笹目通を越えたら今度は暗闇坂を下ります。まさに峠。白子峠となずけました。

そこから和光市方面行くと浅久保の公民館の裏に立派な富士塚がありました。ともかくたくさんの富士講の石碑があります。それらを載せておきます。

その後は川越街道を戻って熊野神社に行き、有名な富士塚に登っておやつを食べて、胎内めぐりをして本日終了。[

18年:第3回峠楽会 白子峠

すでに終わっている探索会ですが資料として残しておきます。

◆まえがき
一昨日四国遍路から戻りました。今回は65番の三角寺から76番の金倉寺まで歩きました。ほとんど雨の中でかなり疲労がたまりました。65番の三角寺は愛媛県、伊予の国にあります。そこから66番に行くには66番の雲辺寺(991m)に続く山脈の「峠」を超えなければなりません。そこは「境目峠」という名前が付いています。それまで阿波国、土佐国、伊予国の三国を経て、いよいよ最後の讃岐の国(香川県)に入ると思っていました。ところが峠を越えてその日の宿泊所の民宿岡田についたら、そこは徳島県でした。この民宿は歩き遍路のほぼ全員がとおる有名な場所です。

ということは歩きで行くと、伊予国から再び阿波国に入り、66番の雲辺寺に行くことになります。66番は阿波と讃岐の境の尾根上にあります。歩き遍路の人はほぼ1%ぐらいで、あとはみな車、バス遍路です。その人たちは境目峠を越えないで讃岐側からロープウェーで上り下りします。なので伊予から峠越をせずに直接讃岐の国に行きます。したがってガイドブックも伊予から、いよいよ最後の讃岐国となっています。しかし私たち歩き遍路は伊予国から阿波再入国して、そのあと讃岐国の雲辺寺ということになります。四国遍路と峠道、ちょっとおもしろい優越感(?)に浸れる経験をしました。

●本日のコース
■ 東武東上線 成増駅集合
東上線と東京メトロの駅があります。次の和光市で合流しますが、ここでは少し離れています。東京メトロの駅は川越街道の地下にあります。東京メトロで来た人は申し訳ありませんが、東上線の成増駅改札に来てください。
成増商店街を抜けて川越街道に出ます。ここから白子川に下ります。切り通しをしばらく行くと旧道との分岐に出ます。そこには小さな八坂神社があります。八坂神社の祭神は牛頭天王(スサノオ命)です。祇園さんで有名なのは京都の八坂神社が本社です。このあたりは新田宿と呼ばれたそうです。なので新田坂です。 旧道を行くと昔の街並みが少し残っています。 ■旧道 大阪へ
旧道は白子川を渡ります。ここは白子橋。、「くつがなる」の童謡を作詞した清水かつらが住んでいたそうだ。
▲お手々 つないで 野道をゆけば
みんな かわいい 小鳥になって
歌を歌えば くつが鳴る
晴れた みそらに くつが鳴る
道が突き当たるりまっすぐ進むと熊野神社に出ますが、それより先に左折して白子宿に回ります。川越街道の十字路に出ると立派なお屋敷があります。昔の代官屋敷です。ここは埼玉県側の白子宿、東京側が新田宿(しんでんしゅく)です。

 白子(しらこ)は新羅(しらぎ)からの渡来人の住む場所という意味だったようです。川越街道をこの先に進むと新座市に出ますが、こちらも新羅系なのだそうです。十字路で旧川越街道をこえて登り始めた急坂が旧旧街道の「大坂」です。今でもかなりの急坂です。途中には諏訪神社があります。諏訪神社は大国主命の次男のタケミナカタ命を祀っています。さっき前を通った熊野神社の祭神もスサノオ命を祀っています。このあたり出雲系の神社だらけです。出雲の神様は渡来系の神様と言われています。 ■ 白子のお富士山
笹目通りを歩道橋で渡ります。このあたりが峠なのですが、道路が作られており、はっきり分かりませんが、歩道橋を降りると下り坂になります。この下り坂は「くらやみ坂」と呼ばれていました。このあたりに、お富士山があったのですが!昔探しに来たことがあります。ちょっと探してみましょう。

■白子峠
お富士山を見つけたら、川越街道に戻ります。川越街道は切り通しになっています。上を笹目通りが通っています。
本当の白子峠はまえに通った滝坂を上り、くらやみ坂を下る場所です。しかし笹目通りができて地形が変わったので、いまは川越街道の切り通しの方が「峠地形」になっています。峠楽会ではこちらの方を白子峠としようと思っていますが、よろしいでしょうか!■湧水 峠の下には豊かな湧水が今も出ています。切通しの崖面から湧水が出ているのが見えます。よく見ると関東ロームの中をとおった地下水が粘土層の上から湧き出しています。昔はこんな湧水が切り通しの場所にはいくつもあったのですが。今は少なくなりました。
> ■熊野神社
峠を下りきったところが白子川ですが、その手前に左に入る道があります。熊野神社ですが、真正面に白子富士があります。登ることが可能です。熊野神社は熊野にある神社を勧請したのですが、もともと熊野大社は出雲の一宮です。そこの祭神はスサノオですが、和歌山県(紀州)の熊野にある熊野神社は出雲の熊野との関係がよくわかりません。
紀州の熊野神社はイザナギ命、イザナミ命を祀っています。日本の国土、神様を生み出した一番根源のかみさまです。一番偉い天照大神の親です。スサノオ命は天照大神の弟ですが、天照に逆らった反逆神ということになっています。
天照系が天津神、スサノオの出雲系が国津神という区分があります。
白子の熊野神社、どっち系なのかよく分かりません。。頂上に立ってみましょう。ここには胎内巡りもあります。

■東埼橋
先程は白子橋を渡りましたが、帰りは車の道を戻ます。東京と埼玉の境にある橋なので「東埼橋」というようです。
坂を登っていくと東京メトロの成増駅の入口です。ここで解散。東横線方面に直通で、横浜中華街にまで行きます。あるいは有楽町線にも行くことができます。

池上梅園から六郷用水

本日は今年第2回目の峠楽会! 15人もの人が来てくれた。今回も都内の峠は大坊峠だけ。それよりも梅園見学。まだ4分咲きでしたがまあまあ。

大坊をとおって大坊坂。途中に多宝塔がありました。峠上のお堂を見学。すばらしい紙の形代がありました。

正面石段の脇にはもう桜が咲いていました。河津桜ですね。インコが桜の花を散らしていました。

解散後、清水さんの案内で、六郷用水を歩きました。

東京タワーへ上った!

峠楽会の例会。足立支部長からの提案で、新年だから高いところへ登って、大所高所からものを考えようということになった。それには東京タワーがいい。スカイツリーは高いが値段も高い。こちらも3月から2900円になるそうだが、まだ今は900円。

しかし峠楽会なので、国道一号線にある飯倉峠にもう一度行き、その峠から東京タワーへ歩くことにした。集合場所は神谷町。今回は暮れにお餅をいただいたSさんも参加してくれた。

あまりいい天気ではなく、富士山方面は見えなかった。しかし眼下の増上寺などはよく見える。やはり高いところに登ると、気分は壮大になる。あとで六本木のNさん宅に伺うことにしていたので、道筋を確かめようとしたが、平地から見るのとは違い、なかなか見つからなかった。

峠道 国道一号線

2月の東京峠楽会の探索会は都内を出てみようということになっている。googlemapの凸凹ちずから、国道1号線(第二京浜国道)の鶴見と新子安の間には峠越えがありそうだと見当をつけて行ってみた。鶴見川を上がって1号線に出た。天然温泉が数軒ある。鶴見川の地中には、荒川低地と同じような厚い沖積層があって天然ガスや温水が含まれているのだろうと推定する。

温泉センターから正面には高台が続いている。この台地は都区内の武蔵野台地よりも一段高い下末吉台地だ。国道1号は徐々に登っている。聖ヨセフ学園の先に大きな陸橋が見える。国道は大きな切通し(峠)を越えている。陸橋の先は下り道と思っていたら、ほぼ水平な道になっている。

これじゃ「峠」とは言えないと思ったが、横浜方面に向かって右側に大きな谷が続いている。明らかに峠地形だが、国道は次の峠に上り下りをしないように山側を削って作られている。もともとの道路は2か所の峠越えをしていた。

私は最初の「響橋峠」をくだり、途中からまた国道に上がり新子安方面に下った。この付近には新しい道が作られておりトンネルを越えると生麦のICで首都高速とつながっている。高速道路は高架橋の上に作られているが、国道1号からのトンネルをでると下り道で合流する。ということは国道1号が通る下末吉台地はかなり高い。トンネル入り口には海抜30mとあった。下末吉台地は武蔵野台地よりもかなり高いことが分かった。
 カメラが不調だったので、写真はほとんどgoogleのストリートビューから。近々に入れ替えます。