水仙忌 その前に快気祝い

 夕方から宮本常一先生の水仙忌(37回忌)が、西国分寺の東福寺で行われた。37年前の葬儀の日は寒い日だった。北海道で牧場をやっているT君たちが提灯を持って交差点で道案内をしていたことを思い出す。彼らも今年はもう定年になる年だ。今年は異常なくらい暖かい。世の中も異常なくらい変化していることを感じる2017年かな。
 先生がなくなったのは73歳、集まったかなりの人が先生の年齢を超えた。私もそろそろかな。お目にかかったころには年配の感じがしていたが、まだ今の私よりもずいぶん若かったのだ。逆に言えば、私もずいぶん年配の人と思われているのだろうな。
 島根県に住む曹洞宗の僧侶であるYAMASAKIさんが毎年上京しお経をあげ、ありがたいお説教をしてくださる。今回は人間はどうボケていくのか、体験を通して話してくださった。納得すること多々あり。

 水仙忌の前に、西国分寺に住むSHIMOJJIMAさんの快気祝いに呼ばれたので、そちらにも伺った。昨年暮れに胃や腸からの出血で倒れ、救急車で運ばれ入院した。もうほとんど黄泉津比良坂を下りきる寸前で奇跡的に回復したそうだ。マロワリ何とかという聞いたことがないような病気だったと、入院書類を見せながら説明してくれた。後の仲間もみなかなり重大な病気や手術を受けた人ばかり。2016年はみなにとって結構大変な年だった。今年は回復の年と祈念しながら分かれて、水仙忌に向かった。
 

地球永住計画

武蔵野美術大学の関野吉晴さんらが「地球永住計画」というとんでもなく大きなスケールのプロジェクトを始めた。本日はその最初(?)のトークで  「玉川上水を探検する」と称して小泉武栄さんがお話し下さった。

いつものように国分寺のジャズ吉のシモジイが教えてくれたので、早速飛んで行った。関野さんの発想はいつもとび跳ねている。このプロジェクトは火星移住を前に、まず地球永住を確実なものにしておくために、科学、芸術、地域があいまって話し合っておこうというものらしい。

今回は地域ということでGeo ecology を提唱をする小泉先生がお話し下さった。小泉さんは学芸大の名誉教授で日本の山はなぜ美しいなどの著作があるすごい自然地理の学者さんだ。5月には次には生命学者の中村桂子さんも来られるとか。これはおもしろくなりそうだ。毎月ムサビに行かなければ。

主催 武蔵野美術大学共同研究・地球永住計画実行委員会
協力 ちいさな虫や草やいきものたちを支える会

プロジェクトのリンク

木穂り・満丸展 ペンギン!

高城満丸さんからこんな案内が来ました。京都洛北の松が崎にそびえていた楠がペンギンに変身。高城さんは彫刻家、ランナー。私は1983年ごろからの知り合いで、実は彫刻家とは知らずに一緒に走っていた。先日の石神井川のお花見でもご一緒した。160415kibori

ところでこの案内はがきの文字、イラスト、どこかで見たような! 我が著書「ちょっとそこまで走り旅」で見たような・・・・

 

 

北海道から野菜が!

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北海道の北の端に住む雄次郎君から大量の枝豆とジャガイモ、タマネギなど野菜が送られてきた。野菜の値段が高いこのごろ、我が家にとっては大変ありがたいことだ。

雄次郎君は20歳のころ、宗谷岬から佐多岬まで日本縦断徒歩旅行をやった。植村直己さんが日本縦断をやったころだ。雄次郎君は4万円で2カ月かけて歩いた。当時だってこれで食費、宿泊費を賄うことなどできるはずはない。基本的には野宿、農家の手伝いをしたりして食事を得たりしており、スポンサー付きの植村さんとはだいぶ違っていた。

縦断旅行の後、「あるくみるきく」という雑誌に旅行記を書いた。それを読んだ宮本常一さんが自書の「民俗学の旅」に「当時の日本の人々をこんなにうまく表現した若者はいない」と絶賛してくれた。この旅行記は「宮本常一とあるいた昭和の日本」(農文協)の第25巻の中に、細貝栄さんの「限りなき山行」と並んで再録されている。

手紙の一部:今朝は4℃まで下がりました。樹々の葉は紅葉の準備をしています。大豆は根粒菌利用栽培です。作物の間に大豆を作付け、ほかに一切の農薬、肥料も使用せず野菜を育てています。・・・・野菜栽培がだんだん面白くなっています。牛は体が大変なので野菜農家になって稚内に売り歩こうか!なんて考えています。売れなきゃ自給自足。・・・・牛の方はだんだん規模を小さくし経費を抑えるやりかたで、豊富でも1,2を争う小規模農家になっています。どうせなら北海道でダントツの小規模酪農家になろうと思っています。・・・・

道ゆく芸能研究会 お猿の学校

3月18日(木)
「道ゆく芸能研究会」という名前の会がある。猿舞座をやっている村崎修二さんが主催し、各地のお祭りなどで大道芸をやっている人たちの伝統文化を伝えていこうという趣旨の会である。村崎さんは宮本常一先生の意をうけて周防で猿回しを復活した人で、自身も猿回しを昔ながらにやっていた。アトム(安登夢だったかなあ、ちょと忘れた)と組んでやっていたころ何回かみたことがある。テレビには出なかったので有名ではなかったが、昔ながら大道で演じている姿はみごとだった。お猿のアトムくんの毛並みがものすごくきれいだったことが印象的だった。太郎、ジローはテレビで有名だったので、アトムもテレビに出ないの?と聞いたら、猿でも(?)テレビに出るのは大変なストレスがかかり、毛が抜けたりするんですよと聞かせれ、なるほどと感心したものだ。

私は30年ほど前に宮本千晴さんに「お猿の学校」の東京PTAをやれと言われて、村崎さんとは何回も会ったことがある。3年前「宮本常一没20年記念 まつりはエエもんじゃ」佐渡芸能大学に誘われて、佐渡で道ゆく芸能を楽しんだ。
1ヶ月間佐渡の各地の神社、公民館などで大道芸を演じていた。大勢の芸能人を集め、演じた祭りだったが、昔のように神社いっぱいの人が集まるわけではなく、投げ銭もそんなにはないので、主催者は大変だったろうと心配だった。佐渡には米山俊直先生や高石ともやさんなどが応援に駆けつけていた。

その村崎さんが、昨年10月に安登夢の公演で倒れたという。長嶋監督と同じような病気だったようだ。今年は年賀状が来ないので、どうしたのかとは思っていたのだ。なんとかリハビリの結果回復をしてきているという便りをもらったが、心配事が残っているようだ。

投げ銭で生計を立てている「道ゆく芸能」家たちは倒れると直ちに生活に響くのでしょう。人伝てによると一昨年の佐渡芸能大学の芸能人の宿泊代などの残務が残っているのだそうだ。急いで些少のカンパをしたところ、筆書きのお礼状が来た。ちゃんと字が書けるのだと少々安心した。
実は今年から始める「旅するみわ塾」の名前は「道ゆく芸能大学」のパクリみたいなものだ。本家「道ゆく芸能」がふたたび活動できることを念じているところです。

右の写真は「人形劇団くぐつ」のホームページにのっていた写真で、今年の1月「安登夢の公演」とありました。今は回復して、活動を再開されているようで、安心しました。(この写真は大きくなりません))

何だかわからない集まり!

2月24日(火)
昨日の晩と今日の晩は銀座と上野に出かけた。昨日は小林番長の集まりだった。前橋に住む小林さんは我が家にいたネコの実家だ。バンにいたから番長だったのだが、辞めてしまって、今は私と同じフリーターだそうだ。

阿部さんも実は今年初め転職したんですとのはなし。星野さんも・・・・と言うが彼はズーと昔からフリーターみたいな写真家だ。30歳代、40歳代(私は50歳代だが)が8人いてフリーター的なのが4人というのは現代社会の縮図みたいだ。

ところで、このメンバーはどういうつながりかあんまりよく分からないのだ。昔玉原高原でキャンプをしていたのは分かっているんだが、そこに来たこともない人もいる。なんだか分からないが小林番長が前橋から出てくることになると、メールが入ってきて、それぞれが「参加します」などの返事が飛び交う。銀座三越のライオンの前というのに日本橋三越のライオンの前で待っていたり、ハチ公の前に行くのかととんでもないことを言う人がいる。
小林番長がフリーターになると出張のチャンスがなくなる。どうぞ自前で出張して来てくだされ。そうでないとなんだか分からない集まりがなくなってしまうから!

今日の夕方は昔の教え子が集まった。武蔵美の大学生になった野沢さんに、教授連にボクの知り合いが沢山いるよ。と威張っておいた。教授様の1人関野さんの「探検資料館」が28日墨田区にオープンするという案内を受けた。我が板橋区には植村直己冒険館がある。それに匹敵するすごいことだ。橋場さんは芸術大学生だ。これもなかなかすごい。

杉浦くんは名門W大学に入ったのに辞めちゃった。何でと言ったら「この前会ったとき辞めちゃえって言ったじゃないか」と言われた。酔っぱらっていたので覚えていないと逃げをうったが、そんなこと言ったような気がする。服部くん、Hくん辞めないように!責任を逃れるためにここで表明しておく。