中国で大火球

テレビで、4日の中秋の名月のときに中国のシャングリラの街に大火球、たぶん隕石が落ちたとの報道があった。そのあとどうなったのかインターネットで見ているがまったく続報がない。どうも報道規制がなされているようだ。とすると何か大被害があったのかもしれないし、ミサイルかもしれないし・・・ どうなっているのだろうか??

どこのテレビだったかな??

またまた野川!

また野川の写真です。本日は小田急狛江駅から歩き、慈恵医大をとおって、イトーヨーカ堂で買い物をして、品川街道を歩いて青木屋でどら焼きを買って京王線つつじが丘に出ました。これだけ歩いたのに9000歩にならなかった。1万歩を達成するのは大変になってきた。今年前半の四国お遍路では3万歩を歩いていたのに。

伊賀の一宮 敢国神社

一宮めぐりのページを作っている。
摂津一宮:坐摩(いかすり)神社
近江一宮:建部(たけべ)大社
伊賀一宮:敢国(あえくに)神社

先日行った3つの神社のページを作った。
まあ絵日記のようなものですが、
お暇があったら見てください。

100ヵ所以上の一宮があり、ほとんどは参拝しているが
昔のことなので忘れているのもあります。
今回からしっかりと記録しておこうと思っていますが、
まだほんの少しだけ。

今年中に100ぐらいは報告を作ろうと思っています。

上の青いところをクリックするとページを見ることができます。

一宮めぐり:旧国とは

奈良時代の律令制に基づいて置かれた五畿七道にあった行政区分を旧国という。五畿は都の範囲にあった特別な国、山城、大和、河内、和泉、摂津の五国であり、その他は東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道の七道だった。七道にはそれぞれ伊勢国、武蔵国などがあり、六十八国があった。

北海道はまだなかったし、白河の関以北は全部ひっくるめて陸奥国一国だった。奄美や琉球もなかったが、日本海側の島、佐渡、隠岐、壱岐、対馬などは一国を成していた。陸奥の国が磐城、陸前、陸中、陸奥、羽前、羽後に分かれたのは明治時代になってからである。

その旧国にはそれぞれ一宮が置かれていた。しかし様々な経緯があり、一国に二、三の一宮があるところもある。なので現在一宮と名乗っているのは100以上もある。

数年前には全国ほぼまわったと思っていたが、いくつかはまだ行っていなかったり、記憶が薄れていたりだったので、2011年から再び再確認の旅を始めた。初めてだと思ったら、昔撮った写真が出てきたりしたこともあるので、今回はきっちり日時を入れたデジカメ写真を残すことにした。そして私なりの一宮のページを作成することにした。まだ1/10 程度しかアップしていないが、今年中には全部上げるぞ!と意気込んでいる。

とりあえず本日の報告。摂津一宮坐間神社、近江一宮建部大社、伊賀一宮敢國神社をまわった。雨の中だったのでかなり苦労をした。摂津一宮でとったカメラを大阪の宿に忘れてしまった。ほとんどぼけている! 草津線の油日駅でホテルに電話をかけたら、とってあるという。大阪のアパホテルは親切です。宅急便で送ってもらうことにした。よかった。建部、敢国は別カメラで撮った。予備は必要ですね。

大江能楽堂 京都

  今年も京都の大江能楽堂で、我が奥さまが仕舞を舞うのにビデオ係としてつきあってきた。前日に兵庫県の豊岡で植村直己冒険賞の授賞式があったので、そちらに参列して、お昼ごろに京都に戻った。

大江能楽堂は京都市役所のすぐわきにある100年の歴史を持つすばらしい能楽堂でここで舞うことができるのは、我が奥さんのようなものにとっては大変な光栄。さらに謡は満次郎先生とあれば、緊張しないわけにはいかない。今回は東京からも何人かが見に来て下さったので、いつもより硬い感じがしました。でも今回もよくできました。

来年もこの舞台に立てるよう、これからも励むようです。私もビデオ係として頑張ららねば。小さな目標でも、それがあるというのは我々年寄りには生きがいになりますね。そうだ!もう機材が古いのであたらしいのにしなければ・・・

神鍋火山の噴火口

神鍋高原のホテルに来ることは何回かあったが、これまで目の前にある小さな火山に登る機会がなかった。今回ほんのちょっとの時間があったので自転車を借りて登ってきた。登り自転車を押して20分、下りジェットコースター並みの「人生下り坂最高」で5分。いい眺めと、噴火口の確認。最近玄武洞と一緒にジオパークになったとか。いいことだ。