池月と磨墨(するすみ)

   池月と磨墨(するすみ)って何のことかわからないだろうが、爺さんになるとこれぐらいのことはわかるのだ。次の峠学会の下見調査に洗足池に出かけた。池の周りをまわっていると千束八幡神社があった。今回は神社はパスするつもりで、石段を上がらずに池之端をめぐると、台の上の境内に馬の銅像が目に入った。名馬「池月」とあった。平家物語に出てくる宇治川の争いで、名馬二頭が先陣を争って急流を渡る話である。私が知っているのは「平家物語」ではなく、日本昔話のような子供向けの本だったと記憶している。

池月と磨墨の名馬は二頭とも源頼朝の馬だったが、池月は佐々木高綱に、磨墨は梶原景季に与えられた。再起した源頼朝は宇治川で木曽義仲と戦うが、その時に急流を馬で渡ろうとした。梶原と佐々木は先陣を争って川に入った。梶原のほうが先行したが、佐々木は磨墨の腹帯が緩んでいると指摘した。梶原がそれを直している間に佐々木と池月は川を渡ってしまった。子ども心に佐々木高綱って人はズルイと思ったことを覚えている。

その池月の銅像が洗足池にはあったが、梶原景季の磨墨の塚も見たような気がしてきて、昔のブログを探してみたら、大田区の郷土博物館の近くの万福寺で梶原家の墓を見たことが記されていた。行ったことを思い出した。名馬は二頭とも洗足池近くにいたのだ。そんなことで感心していたら、肝心の峠を歩くのが遅くなった。でもまあいいか。