そろそろ都心も紅葉。格差社会のたわごと

  午後から散歩に出かけた。池袋まではバスで、そこから雑司ヶ谷墓地、護国寺、音羽富士、旧弦巻川跡、大鳥神社、鬼子母神をとおってサンシャイン前のバス停から戻った。

おやつを食べようと池袋公園にできた新しいカフェに入ってみた。どうやって注文するのか、教えてくれない。渡されたメニューも文字だけで、どんなものかわからない。作っているところは見えない。何があるのか?と聞いてもメニューの通りという。年寄りには親切ではない。というか、周りを見たら年寄りは誰もいない。向こうも相手にしていないみたいだ。昔なら怒ったが、今は寂しく引き下がる。注文の方法が分からないまま、外へ出た。ちょっと寂しい感じ。

16日からお遍路さんに行くのだが、最近これと同じような感じを持つことがある。私はお経も読めないし、お遍路制服も着ていない。菅笠もかぶっていない。みなさん何か冷たい目で見るし、お接待もしてもらえない。まあお遍路さんのルールにのっとっていないから邪険にされるのはしょうがないと思っているのだが、ちょっと寂しい。

あるグループには暗黙の了解があるのだろう。それぞれお互いに忖度をしてそのグループができている。そのためにほかの人はなかなか入りづらいということがある。きっと私もそんな中にいたので、気が付かなかったのだろう。その中に入れない人はきっとさみしく、つらい思いをしていたのだろう。

今になってやっと気が付いたが、見まわしてみると世の中はいろいろに分断されているのが分かる。格差社会というが、経済格差だけでなく年代、人種、文化、宗派格差・・・ とてつもなく様々な格差がある社会なのだ。前はよく見えなかったが、近年よく見えるようになった。私の年のせいなのか、社会全体が年をとったせいなのか・・