ぶらリバー 井草川探索 午後大雨!

昨日は錦織選手がテニスの全米オープンで準優勝だった。試合前は準決勝でランキング1位のジョコビッチ選手を破ったのだから、優勝間違いなしなどと言われていた。錦織は準決勝で4時間を越える接戦を戦った。しかし相手のチリッチ先週はフェデラーをストレートで破って決勝に進出した。勢いはチリッチの方にあった。残念だけど、冷静に見れば決勝の結果は予想できたろう。

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ところで本日は「ぶらリバー」の秋講座のはじまり。西荻窪駅に集合。本日は大人数だった。ハラさん宅に居候のフランス人のお兄さんも参加。前回の隅田川ではカナダ人の土壌学者さんが参加と、ぶらりばも国際的になってきた。ニコタマのかっちゃんやエビスさん、ちっちご夫妻も参加。うるさ型のTさんがスペインの巡礼に行って、いないことを知って集まってきたのかもしれない。さらにさんちゃんの旦那は会社をサボって井草八幡から走って追いかけてきた。終点の近くでやっと追い付いたけど、涼しいのに汗だくだった。

写真:上は井草八幡の灯篭(超巨大)と下は狛犬(なんとなくさびしそう)
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井荻の駅前の環八通りまで、旧井草川の流路を楽しくたどりながらやってきたが、杉並工業高校のところで、流路は途絶えた。学校の校庭がもとの川底だった。100mmを越すような大雨が降ったら、きっと校庭は水浸しになるだろうな。

井荻の駅前に近づいてきたところで、ビニール傘が植え込みの中に捨ててあった。もしかすると雨かもしれないので、私が拾った。オリーブさんが、恨めしそうに見ていたが、「私の方が先に見つけたもんね!」 ほんの5分もしないうちに雨がぽつんぽつんと降り出した。高架橋の下で解散。オリーブさんは大急ぎで荻窪行きのバスに駆け出して間にあった。私はさんちゃん旦那と荻窪まで歩こうか!と10歩ほど行ったが、どしゃ! という大雨が降ってきたので、井荻駅に戻る。高田馬場に行く途中は、まさに豪雨。東京にもいよいよ豪雨がやってきたか!

歯が欠けた!カップの耳も欠けた!

 下の前歯が欠けた。急いで池袋の歯医者さんに行った。「年だもんな、欠けるのもしょうがないよ!」とのこと。麻酔をして神経を抜いて、欠けた部分を補修してもらった。まだ口の中がマヒして動かない。今日は夕食は抜きかな?? 確かに年をとると、体中のあちこちにガタがくる。まあしょうがないな。

 昼間、お茶碗を洗っていたら、コーヒーカップの耳がポロっと欠けた。奥さまのお気に入りなので、見つからないように瞬間接着剤でくっつけた。うまくくっついたが、小さなかけらが見つからず、ちょっと穴があいている。見つかりそうだな。

 昨日西荻窪を歩いていると、トルコタイルのお店を見つけた。いいタイルなので、ぜひ買いたいと思ったが、買わなくて良かった。今の私だとすぐに壊してしまいそう。でもなかなか良かった。でもけっこう高いな!140909turk decor

井草川・化石川 岩石が並んでた!

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10日にぶらリバークラブがあるので、その下見に井草川を歩いてみた。もとい!病み上がりなので、ちょっと楽して自転車で通ってみた。我が家から千川通りをとおって、井荻駅へ。そこからさらに西荻窪まで行った。西荻窪がぶらリバー探索隊のスタート地点だからだ。
 
そのコースは10日に行くし、ぶらリバークラブのブログに入れてある。http://blog.sakura.ne.jp/cms/article/edit/input?id=103373992
井草川・化石川はけっこう面白い場所だ。さらに100mm/時間 の雨が降ったら、浸水する場所ははっきりわかる単純地形だった。

井荻駅で解散なのだが、その先井草化石川は暗渠のまま続いており、妙正寺池で、妙正寺川に合流している。今回は自転車なのでいくらでも行くことができる。その途中に、石の公園があった。これはなかなかいい。いままでいろんな公園を見たが、石だけを解説したのは全くなかった。さすが杉並区は格調が高い??「石の展示をしたらなんで格調が高いのか?」と言われそうだが、私の地域の文化度の高さ基準は良いランニングコースがあるか、環境問題に配慮があるかどうかだ。環境問題のうちで岩石に注目したのは良い。

大昔私は英国のアバディーンという町に行った。そこの町では子どもたちでもOld Red Sandstone(旧赤色砂岩)などと言っていた。さすが世界の石の町だが、そこの人たちの教養深さ、石だけではなく地史など日本ではだれも話題にしない事項を日常的に話している教養に驚いた。しかし北海油田の町になってからは、お金の話が多くなったとアバディーンを訪問した人に聞いたが。それはそれ、日本でも少しぐらい石の話で盛り上がってもいいじゃないかと思うのだが。・・・・広島の土砂崩れ以来、花崗岩とか真砂土などの言葉が行きかうようになっているよ! とお指摘あり

ご近所会かな??

140906hana1我が家は大山地区に60年近く住んでいる。近隣にまだ幼稚園や小学校の同級生たちが何人か住んでいる。商店街では時々顔を見ることもあるが、ゆっくり話すことはめったにない。そんな話を先日行った高坂のお蕎麦屋さん(中学校の同級生だが)に誘ってくれたテルちゃんに話すと、「そんなら集まろうか!」と近隣の同級生に声をかけてくれた。

集まったのは我が家から5分ぐらいのWさん宅。家の前は何回も通っているのだが、お邪魔したの初めて。テルちゃんたちも「どの角曲がるんだっけ!」というぐらいだ。時々顔を見る仲間だが、中学校卒業以来何をしていたのかほとんど知らない。「そうだったんだ!」「あいつは元気かな!」「知らないの?亡くなっちゃたよ」・・・・そんな話で2時ごろから9時過ぎまで盛り上がった。

段取りしてくれたテルちゃん、お宅提供、豪華お料理のWさん、どうもありがとうございました。Aさん、Sくん あいかわらずだな。元気でよかったよ。もうちょっと拡大できそうだということになり、次回開催も決定。

横浜でサッカー 暑かったが点を入れた!

140905soccor自分のチームの試合をまったく組めていないので、別の団体に入れてもらっている。8月は暑い中3試合した。9月も1週間に1回は芝の上を走り回ろうと思っている。

まだ咳は出るし、熱はちょっとある。でも今日のように暑い日だと、外が暑いのか、体の中が熱いのかは、私の脳みそは判断できない。グランドで走っていれば、体中暑くなり、試合が終わってシャワーを浴びれば、体は自分が暑かったことを忘れて、そのまま平熱になるはずだという理論のもとに、横浜マリノスの練習グランドよこの人工芝グランドに行った。

我が家から横浜駅まで1時間以内で行くことができるようになった。それもJR線、地下鉄の副都心線、ともに池袋から乗り換えなしで行くことができる。行きは湘南ライナー、帰りは東横線副都心線で戻った。JRは35分640円、副都心線は40分470円。

試合は暑くみんなほとんど歩いている。私は咳がぜいぜいしていたが、1歩先んじて、点をとることができた。久々かな。ところで咳も軽くなったし、熱は平熱にもどった。私の理論は正しかった。

60万歩 到達できなかった!

6月、7月、8月は携帯電話についた万歩計の記録をエクセルに移して、いろいろ遊んでいた。6月は月間30万歩で、1日に10,000歩、歩いた。7月初めに気がついて、「ちゃんと歩くとどれぐらいになるか?」を意識しだした。7月の結果は49万6千歩、一日換算16000歩、」あと4千歩で50万の大台だったのに。

8月はかなり意識して50万越えを目標に歩き始めた。朝8千歩、夕方1万2千歩という感じで、けっこう順調に来ていた。8月後半まではかなり暑かったが、熱中症をものともせず歩きまわった。24日までは「60万歩越えは見えたな!我が足は偉大だ!」とわが身をほめたたえていたのだが、「ジジイの分際で1日2万歩などおこがましい!」と神さまが判断されたようで、26日から突然全身倦怠、38.5℃の熱、咳と鼻水に見舞われた。

27日は300歩、28日は2000歩程度になった。とても2万歩にはいかないし、気力もない。健康があってこそ、万歩計を楽しむことができるのだということを改めて感じた。万歩計に歩かされるのは止めた。結局8月は50万歩越えは達成したものの60万にははるかに遠かった。私の限界は1日2万歩だということが分かった。1万5千歩程度に抑えていれば、たぶん故障をしないで、快適に行くだろう。9月はあんまり歩数計は持たないようにしよう。歩数計に歩かされるのは、気分が悪いから。

9月になった。涼しい! でも熱は下がらない!

oze-inagawa015 代々木公園で蚊に刺された人がデング熱になったと騒いでいる。デング熱ってのは、かなり重病だと思っていたが、今の報道では夏カゼとあまり変わりがないように思う。本当にデング熱なのかな? 1型とか2型があるそうだが、今回は軽症のデング熱なのだろう。

一昨日伊南川から戻ったが、私の調子はいまいち。熱は38℃ぐらいだが、咳がひどくて、デング熱より重症かも。先週の火曜日から熱が出たので、ほぼ1週間。私にしては珍しく長引いている。

午前中はおばあさんを練馬の私設ディサービスに送る。午前中のお遊びなので、2時間ほど近くのファミレスでパソコン作業をしながら待つ。この間に伊南川の画像を編集して動画を作る。雨がだったので古いカメラを持って行った。映りはいまいち。でも伊南川の添田さんがいいのを撮ってくれたので合成する。まあまあかな。youtube にも入れた(8月30日ブログ)が、以下の方がきれい。でも重たいかな?

できた動画は  http://kazmiwa.sakura.ne.jp/kaz-movie/140830oze-inagawa.wmv 

 

海宝ロードランニング 夏物語 in 伊南川

夕方までに旧伊南村の民宿に到着。赤岩温泉と宴会に合流して夏物語の参加。途中参加というのはないのだろうが、私は前から尾瀬を通る沼田街道に興味があり、一度通ってみたかった。なにせ今の時代東京から檜枝岐や伊南村に行くには日光から山王峠をこえるか、高速道路からは塩原温泉経由、野岩鉄道尾瀬口から中山峠を越えて入るか、とおく新潟県魚沼から枝折峠を越え奥只見湖を通って御池にでるコースの二つしかない。

昔は沼山峠を越え尾瀬沼を経由して三平峠から片品村に出て、沼田に抜ける沼田街道があった。一時期この沼田街道を広げて車を通す計画があり、檜枝岐から御池、沼山峠まで舗装道路が通った。しかし平野長英さんをはじめとする自然保護の波が大きくなり、ついに環境庁は道路計画にストップをかけた。道路は沼山峠でストップしたままだ。しかし群馬県側の大清水付近では、三平峠の下まで自動車を通そうとしているのではという動きがみられる。我々ミーハーはつい「ラッキー」と言って載せてもらったが、これからどうなるか。

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それはさておき、夏物語2日目は田吾作のすぐ裏にある久川城跡の散策。田舎の城だがなかなかのもので、かの伊達正宗も落とせなかったという。もちろん大阪城や江戸城に比べようもないが八王子城などの山城に比べれば規模も大きく、よく計画されている。しかしまあ、ここを攻め落としたところでどうなるってものでもないので、蒲生氏が建てた後しばらくして廃城になり、この地から戦乱が消えた。今も昔も武器を持たなければ戦乱は起きないのだ。

そんな思いをしながら、青柳の集落におりてくる。昨日同様トマトハウスへ寄る。この辺りはトマトの名産地。新鮮なトマトはおいしいこと。今回訪れた農家はいろいろな品種を育てている。我が介護者は本来の仕事を忘れて、われoze-inagawa053 oze-inagawa052先のハウスに入りおいしそうなトマトを集めている。珍しいブラックトマトを見た。

満足満足。昼前に民宿に帰りシャワーを浴びてお昼をいただいて解散。我らは無視ヤリ主催者の車に便乗して東京まで運んでもらった。ありがと言うございました。

動画作りました。クリックして!

 

 

 

 

雨の尾瀬沼 でもいい感じだったよ!

東京は雨は降っていなかった。新幹線、上越線も大丈夫。尾瀬戸倉でバスを降りた時には青空が見えてきた。ラッキー。さらにラッキーは大清水から一ノ瀬休憩所まで電気自動車が試験運行をしている。歩くと1時かかるところを無料で送迎してくれる。よいよいの体にとっては最高にラッキー!

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バス停の人に聞いたら、今は花もないし天気も悪いのでほとんど人はいませんよ! あんなに賑わう尾瀬も今は「静かな尾瀬・・・」になっている。3時間の登りは2時間に短縮。のんびりと登っていくと、予想通り雨が降ってきた。合羽を着て歩くが、涼しいので不快ではない。三平峠で休憩と思っていたが、雨がひどいので、木(もく)道をもくもくと歩く。予定通り2時間で長蔵小屋に着く。

尾瀬を開いた平野長蔵さんの小屋が原型で、いまは立派な建物だ。二代目平野長英・靖子さんが後を継ぎ、三代目の息子が継いだが、彼は36歳の冬に三平峠遭難して亡くなった。平野家三代が尾瀬の自然保護の原点と言われているが、その後は会社の経営となっている。会社経営になってから、ゴミの不法投棄で大問題になり。しばらく経営を自粛していたこともある。自然保護の神さまの平野さんはあの世で聞いて、きっと嘆いたことだろう。

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雨なので木道は滑りやすい。介護者は「滑らないように!」と後ろを向いて注意してくれたが、自身が踏み外してベチャと木道に抱きついていた。あんまり頼りにならない介護者だった・・・・そんなこと言ったらもう二度と付き合ってもらえない。「けがなかった?大丈夫?」と笑いをこらえながら、心配そうに問いかけた。「肩が痛い!」

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予定よりも早いバスに乗れそうなので、ちょっと急いで大江湿原を歩く。沼山峠に登り返して少し下ると、沼山峠の休憩所。14時10分発のバスに乗ることができた。乗ったとたんにバケツをひっくり返したような雨。朝のうちに電気自動車で1時間短縮したおかげで、大雨に会わずに済んだ。よかった。旧伊南村の民宿田吾作で、皆さんに合流。宴会!

御徒町でおそばにお酒!

三田さんのお誘いで御徒町でおそばの会。サンタは三人の田さんの略。田口、田村、田中の三人が言いだしっぺ。今回は中さんからのさそいで口さんがモンゴルで勲章をもらったから、そのお祝いをしようかとのこと。7個目か8個目の勲章だそうだ。すごいね。こんな偉い人と知り合いだったとは。少しは敬意を払わなければ・・・・

我が家の奥さんの旧姓は村さんと同じで、この会には必ず参加している。ふだんはお酒を飲むことはないが、三人の田さんの会の時だけは少しだけたしなんで、「ちょっとこっちの方が深い味だね」などとわかったようなことを言っている。時々は飲んでへろへろになるという経験をした方がいいのだが、古希のばあさんではもう遅いか。

ところで、私の方は、体調はだいぶ回復してきたので、明日朝早く出かけることにした。予定通り尾瀬越えで、新幹線高崎から上越線で沼田。バスで片品村へいき、大清水まで入って、三平峠経由尾瀬沼。さらに大江湿原を通って沼山峠に上がり、そこから七入りに下って、後はバスで檜枝岐集落、旧伊南村役場まで行こうというもの。

雨ならかなり大変だが、降らなければ歩くだけ。今回は介護者がついてくれるとになったので、安心している。遅くならないうちに失礼して明日に備えることにした。map21

 

 

風邪かな? 熱が出てきた! 無理は禁物

朝起きたら寒かった。急激に気温が下がったらしく、9月下旬の気候だとテレビでは言っている。私の気分はそんなものではなくガタガタ震えるぐらいの寒さだった。これはおかしい。体温計で計ると 38.5℃ もある。私の平熱は 35℃ だから、これはかなりの高熱だ。先週は孫が風邪をひいて、熱を出していた。きっとそれがうつったのだろ。

日曜、月曜の動きがかなりハードで、疲労が蓄積したところで、潜んでいた風邪の病原菌、ウィルスが発現したのだろう。もうこの年ではむりな動きはしてはいけない、と言うことを再確認。しかしどのくらいやると無理なのかは、ときどきは確かめなければいけない。今週の土日は南会津の伊南川での海宝さんのランニング講座に行くが、そこでちょっと確かめてみようか。と思ったが、この熱では行くことも無理かも!!

今月の歩行数は60万歩に達しそうだと、20日ごろには思っていたが、水曜日から1ケタずつ減っている。この分では50万ちょっとしか行かないだろう。これも無理しちゃいけない! の一連の動きだ。目標を立ててそれに向けて努力を積み重ねるということをしてはいけないということだろう。頑張らない、努力をしない、無理しない が今の3ない運動。

オートバイ三ない運動ってのが、私の清瀬時代にあったなあ! 「運転させない」「買わせない」「免許を取らせない」 かなり無理があったなあ。バイク王・賀曽利さんはすべてに違反していたから大成したのだ。そういえば私と付き合いのある清瀬時代の生徒はすべて三ない運動に違反していた連中だ。三ない運動なんか、よけいなお世話だな。

熱に浮かされてよけいなことをかいてしまった。

腰痛ぶり返し 神の手にお願い

日曜日のサッカーの後、腰が痛くなってきたが、それはクーリングダウンが足りなかったせいだろうと、昨日は城北公園でしばらく走った。近年は人間ができてきたので、だれに追い越されても、追いかけるようなことはしなくなった。ところが私よりも高齢そうなおばあさんがトコトコと同じペースで歩いてきた。並んだと思ったらあっという間に追い越された。

私は走っているつもり、向こうは歩いている。なのに追い越されるとは、かなりのショック。ついついスピードを上げて、追いつき、追い越した。これは今の私にとってはかなり無理があったらしく、5分ぐらいそのペースを持続したら、腰がさらに痛くなってきた。やはりまだ円熟の境地に達していない。無理したら、あとでしっぺ返しが来ることを頭で理解はしていたが、体はまだ理解していなかった。

本日朝起きたら腰痛がさらにひどくなっていた。腰痛などの救いの手は、私にとって「神の手」である文寿さま(要町の文寿整骨院)にお願いするしかない。いつもは特別治療で一回で直してもらうのだが、現在は高齢者なので保険でお願いする。これから何回か通わなければならないだろう。

本日はあとつぎの息子さんの治療だったので、神の手の威力は半分くらいだったが、腰痛はだいぶ回復。来るときにはガニマタだったが家に帰るときには、真っすぐサッサと歩けるようになった。さすが神の手一家だ。

今週もサッカー 巣鴨までウォーミングアップ

今週もサッカー。本日は三菱養和会の人工芝グランド。我が家からは5キロぐらいだから、ちょうどウォーミングアップによい。ついでにクー-リングダウンで走って帰るのもよいかな。本日は24日、4の日は巣鴨のお地蔵様の縁日。まさにじじばばの原宿のようで、都電の庚申塚から巣鴨駅まで延々と人の波。

私もじじばば仲間だが、青果市場の方に移動してサッカー場に行く。結構暑いのに、元気なジジババがすでに大勢待機している。交通の便がいいせいか、巣鴨の時には参加者は多い。本日も15分を5回やったので、1時間15分。ちょっと動きすぎた感じで、背中が痛い。

それでも整理体操はきちんとやらなければ、ということで歩いて帰宅。シャワーを浴びて、しばらく昼寝してからビール。背中がよけい痛くなってきた。こりゃまずい。奥さんに知られると、サッカー・ビール禁止になるから。

広島の災害は救援がなかなか進まない。なんであの地域だけに雨が降るのだろう。東京は予報では時々雨だが、ちっとも降らない。半分ぐらい引き受けてもいいのに。

広島 巨岩がゴロゴロ

広島の土石龍災害の映像を見るのは心が痛む。遠くにいて何もできない。しかし近くにいる消防、警察、自衛隊もしばしば作業を中断している様子だ。早く何とかしてほしいと思うが、どうにもならないのだろう。 どうしてこんな人い災害になったのか、さまざまなところで原因追究がなされている。決定的なのはとてつもない大雨、1時間に100mmというのは、誰も経験したことがないほどの雨だろう。

そしてこの地の地質。広島県は島々も含んでほとんどの地域が花崗岩でできている。関東東北の人たちは、あまり白砂青松の海岸を見たことは少ないかもしれない。 瀬戸内海の白砂は、真砂 なのだ。花崗岩は石英、長石、黒雲母などの結晶が地下深くで組み合わさったものだ。石に近寄ってみればすぐにわかる。石英というのはガラスのようで固いので、長石が粘土に変化した後に残る。石英がたくさんある白っぽい砂が真砂である。 この真砂の中には砂鉄がけっこうたくさん含まれている。

昔々出雲の方では、真砂に含まれる砂鉄をとるために山を削って水で流して比重の大きな鉄をより分け、たたら(ふいご)で溶かして製鉄をした。そのため出雲地方の山々は崩れ、木も生えなくなった。たたら製鉄の範囲は広がり、広島県の太田川の上流部分にも大きな製鉄所が造られ、山ははげ山になってきた。 花崗岩は地下深くでできた岩石だから、地表付近の圧力の弱い所に出てくると、崩壊が激しくなる。これが風化である。かたい岩石だが、むき出しになると風香は進む。こんど崩れた場所は、たぶんむかし製鉄がおこなわれ、いったんはげ山になって、風化が進んだ。その真砂土に松が生え、風化層は見えなくなっていたのだろう。

厳島 弥山 頂上の巨岩

厳島 弥山 頂上の巨岩

ところで、土石流の跡をみると、とてつもなく大きな岩がいくつも転がっている。今回の土石流ではこの巨大な岩が、あたりかまわずなぎ倒していったのだろう。ふだんチョロチョロとしか流れていない沢の水ではこんな石は流れない。あの大きな岩を流した水流というのはどんなだったのだろう。 ところで上の写真は広島県の厳島神社の奥社がある弥山(みせん)の頂上である。花崗岩はさいころ型にひびが入ることが多い。この岩の根元が水流で流されると、こんな大きな岩でも転がり落ちる。真砂土だけなら、こんなひどい破壊にはならなかったろうが、ダンプカーの何十倍の岩が襲ってきては、避けることはできない。

わが故郷 広島では大変なことが!

広島県では大変なことになっている。とんでもない量の雨が降ったらしい。すでに緩んでいた斜面の土砂が崩れ落ち、土石流として家屋に流れ落ちて来た。避難勧告は土砂が崩れた後だったとのこと。勧告を受けても、バケツを何杯もひっくり返したような雨だったので、逃げたくても逃げられない状態だったようだ。

それにつけても、昨年の伊豆大島の土石流など斜面の崩壊での事故は痛々しい。しかしそれでも、「なんでこんな場所に家を建てたのか」と言いたい。この付近は以前にも土石流が発生した場所で、危険地域であることは、誰が見ても明らかだ。でもみんなが家を建てているから大丈夫という、根拠のない安心感があったのだろう。

私は広島県の出身で、今回の事故があった可部町辺りには何回か行ったことがある。30年前ごろには、こんな上まで家は登っていなかった。テレビ画面で見るとほとんどが新築家屋で、古い家は少ない。ヘリコプターからの映像をみると、家々はまさに新しい扇状地の上に乗っかっている。扇状地というのは繰り返し土石流が流れる場所だ。こんなところに家を建ててはいけない。そんなことは市役所の人たちも知っていた。しかし宅地造成や建築業者はどんどん造成していった。これはある意味では人災だよ。

造成した業者、認可した役所、それぞれに責任がある。「扇状地に住んではいけない!」という声を発しなかったということでは、私ら地学の教師にも、少しは責任があることは、私も自覚している。土木、建築の人たちは技術におぼれて、大局を見ていなかったという責任もある。私たちは、原発事故で、技術が進んでも自然をなめてはいけないという教訓を得た。皆で自分の住む地のことを見直さなければいけないと思った。