2006年01月05日

ホームペ-ジを更新すべく、写真の整理を始めたのだが、パソコンが不安定になってきたので、バックアップ先にやることにした。250ギガの外付けHDに3台のパソコンのバックアップをしたら、1日かかってしまった。運動不足だ。
何の関係もないが、先日富岡八幡宮で見た伊能忠敬の像があった。じいさんになってからの大事業だった。見習わなければと思う反面、もういいのにとも思う。
2006年01月05日
ホームペ-ジを更新すべく、写真の整理を始めたのだが、パソコンが不安定になってきたので、バックアップ先にやることにした。250ギガの外付けHDに3台のパソコンのバックアップをしたら、1日かかってしまった。運動不足だ。
何の関係もないが、先日富岡八幡宮で見た伊能忠敬の像があった。じいさんになってからの大事業だった。見習わなければと思う反面、もういいのにとも思う。
2006年01月04日
近所においしい中華料理屋ができた。先日関根さんご夫妻と一緒に行ったが、あまりお客は入っていない。なんとか持ちこたえて欲しいので、今年のお正月の料理は中華料理の出前にした。皆さんに好評だった。
2024年現在:関根さんと行ったすぐあとにつぶれた。
その後何代も変わったがすべて潰れた。
2006年01月03日
箱根の山登りが強い大学が往路を制覇することはわかっていた。花の2区ではなく花の5区になった。順天の優勝はもう確実だった。しかし8区なんてことだ。3分の差があったのに最後は歩いてしまった。それなら駒沢の優勝は95%ぐらい確実になったのだが、なんと伏兵の亜細亜大学が優勝をさらってしまった。1日の実業団駅伝を見た後の箱根駅伝はまだまだ素人の集まりだという感じがした。だからおもしろいのだが。
2006年01月02日
東京十社を走ってまわってきた。36kmほどあるそうだ。
2006年01月01日
日付、いや年付が代わる時にここにいた。
豊洲のタワマンの高層階に住む知り合いがいる。ここからの夜景!富士山に日が落ちるダイヤモンド富士をいつか見に来よう!
忘年会でビンゴが行われることが多いのだが、私はいつもいいとこまで行くのだがその先はだめ。こんなのありかな!
我が家の奥さんは古道具屋巡りが大好きで、時々掘り出し物を見つけてくる。これがすばらしいものなのか、審美眼のない私にはわからない。
ということでブログの開始! これまでのものはワードで保管しております。
3月31日(水)
今日で3月も終わり。明日からフリーター生活2年目だ。
この一年はなかなかおもしろい年だった。半分本気で、半分冗談ではじめた「みわ塾」は、やってみると緊張感もあり、古い友人がまた集まってきてくれたりしてなかなかおもしろかった。
今年はさらにパワーアップして月一回の授業のほかに、「旅するみわ塾」と称して、月に一回都内の地形と暮らしの見学、とか城ヶ島地層見学、丹那断層地形見学、モンゴルの草原で地平線を見る、ミャンマーかベトナムでマングローブの復元とクリークを手こぎの小舟でツーリングをするなどをしようと考えている。
向後さんのおかげで、ミャンマーでマングローブ植林作業にも3回も参加させてもらった。なかなか行くことはできない場所だった。何回か行き来している間に、多くのミャンマーの人々とも仲良くなった。私のモットーは「できるだけ余計なお世話はしない」なのだが、なにかこの地の人の役に立つことができないかと考えるようになっている。といっても物資の援助というのではなく、ここでも「みわ塾」ミャンマー版をやれないかと思っている。ミャンマーの村の学校の先生に集まってもらって、論議を交わすのはなかなかいい。
ミャンマーという国は仏教徒が大部分なのだが、村々には多くの「ナッ」という土着の神がまつられている。日本の「八百万の神」のような精霊信仰だ。お寺の中にさえ「ナッ」がまつられている。キリスト教やイスラムの国では、こういう訳のわからない信仰は許されないだろう。しかし私たち日本人にはよくわかる。ミャンマーは世界最貧国の一つだが、人々の心はゆったりと豊かだ。これからの日本人はこの国から学ぶことが多いのではないかと思っている。
日本の「一宮」は千年以上も続く文化だ。ほかの世界に現在まで伝統を千年以上も保っているいうものはあるか? と言うのは賀曽利くんだ。彼は全国の一宮をすべて、何回も巡っている。
昨日夜は雨が降って寒い日だったが、秋葉原で久々に懐かしい人々とあい、あつい会話を交わした。賀曽利くん、神埼さん、観文研の仲間だ。3人で賤ヶ岳を駆け下り競争をしたのは30年も前のことだったが、つい最近のことのように感じたのは、我々が年をとったせいなのだろうか。
3月28日(日)
今日は柳瀬川の土手にヨモギ摘みに行った。水曜日にも行ったが、かなり摘んだつもりだったが、草餅を作ったら、すぐになくなったので、またまた摘みに来た。
先日は人出はなかったが、今日は桜が満開になっているので、ものすごい花見客だ。ブルーシートを敷いてカラオケがかかった定番花見がそこここで盛り上がっている。子供たちはに土手では草滑りをして喚声を上げている。われわれは土手にはいつくばって、ハサミでヨモギの柔らかそうなところを摘んでいる。ヒマそうな人が、「何をやっているんですか?」と聞きにくる。だんだんあほらしくなってきたので、近くでやっていたフリーマーケットの出店で焼きそばとうどんを買ってきて、我々もお花見に参加!
午後、家に帰ると 姫孫がやってきた。奥さんの実家から今日帰ってきたところだ。私が抱いてやると、おとなしく寝始めた。何十年ぶりかで赤ん坊をだっこしたが、あやし方を忘れてはいなかったのだ!
3月27日(土)
久しぶりに抜けるような青空だった。市ヶ谷の亀岡八幡宮の石段はすごい急坂だ。しかし目を上にあげると満開の桜が白い雲のように広がっていた。
本日は宇井くんと三大寺さんの結婚式だ。最近にはめずらしく、古式にのっとった式で、披露宴も新郎新婦は和服で、座敷で行われた。この二人を結びつけたのは、私だと言うことになっている。司会者の紹介では、教育実習に来ているときに、地学準備室で二人を引き合わせたとのことだったが、私は面倒なので「あとは頼むな!」と言って先に帰ったので、二人が残されただけのことだ。
披露宴で主賓の方が「宿命」と言われていたように、私は何もしていないのだ。でも義理堅い二人は、わざわざ招待状をもって我が家に来た。今どきは直接招待状を送ってきたり、メールだったりする。この二人は、なんか十数年前に戻ったようなカップルだ。いい感じの結婚式、披露宴だった。義理ではない挨拶が多く寄せられた。気分良く一日を終えた。
宇井くんのお父上は、我らが青春時代に目を覚まさせてくれた論客だった。記憶は定かではないが、公害原論の自主講座を聞きにいった覚えがある。病気をされたようだが、現在はお元気だった。
3月25日(木)
今日は1日中、DELLのコンピュータと中原さんのところで直してもらった牛丼パソコンを手なずける作業をしていた。一応両者とも前のように使えるようになった。前にはLANの設定が面倒だったが、こんどはただ差し込むだけで大丈夫だった。中原さんのおかげだ!
そのDELL のコンピュータの写真、液晶は19インチだ。となりの液晶が小さく見えます。DVDも見れるので、これを見始めるとまた時間があっという間にたってしまう。パソコンは高齢者のお守りには最適遊具だ。
今年はパソコンと液晶プロジェクターを使って、年寄りホームを訪問して、押し掛けホームシアターをやろうかと思っている。DVDかデジタルビデオで「寅さんシリーズ」をやろうか。
ところで、たとえば「寅さんシリーズ」を老人ホームで上映すると、お金を払わなければいけないのだろうが、どこへいくら払えばいいの?どなたか知っていたら教えてくれませんか?
3月24日(水)
昨日は新宿山吹高校の卒業式だった。学校とはもう縁がなくなったはずだったが、まだ私が教えたり、遊んだりしていた生徒が何人かいる。彼らがみんな卒業するまでは、卒業式に出席しよう。
先生たちは指定席に座らされており、最後列には「先生一人一人起立しているか、君が代を声を出して歌っているか」を監視する教育委員会の、まさに小役人が2名陣取っている。先生たちには職務命令がでているので、それに逆らったら、命令違反で処分される。本来なら私もそこにいるはずだったのだが、一年前逃げだしてしまった。みんなには申し訳ない。どうにも重たい気持ちになる。
なにがなんでも、命令には従わせるというのがお上の態度だ。しかし学校でそんな方法をとっていいのだろうか。何が何でも命令をして従わせるという教育は、学校ではもっともまずい方法だ。先生に対しても同じことだ。先生たちのやる気はどんどん失われている。「もういいや!命令されたことだけしかやらないから!」 そんな気になるのも仕方がない。このさき日本の教育はどうなるのだろうか?
今日は雨が降っていたが、荒川の土手へヨモギ摘みに行った。スーパーのレジ袋にいっぱいなるほど摘んだ。枯れ草が混じっているのでよく洗って、ゆでて、刻み、すり鉢でよく擦ってペースト状にする。蒸した上新粉の団子とペーストヨモギを混ぜて、餅つきのようについて草餅にした。草のいい香りが、と思ったが匂いはほとんどなかったが、緑の草餅は春の到来を感じさせてくれた。
修理中のパソコンがなおった。さらに新しく買ったDELLの高級機がやってきた。どのパソコンをどこにおいて、どれをメイン機にするか思案中。この日記は新しいDELLのパソコンから発信している。また2,3日パソコンと格闘する日々が続くだろう。
3月22日(月)
雪が降りそうだというので、先日手入れをした植木の様子を見に行く。この時期の雪は重たいので、すぐに枝が折れる。枝に雪がついたらほうきで払ってやろうと手ぐすねを引いていたのだが。
しばらく待っていたがなかなか雪にははならない。近所のロジャースに行って、雪見酒の用意をしたのだが、まだ雨が降り続いている。しょうがないからまずビールを飲んでしまった。雪になったら熱燗をと思っていたが夜になっても雪にならない。
こんな一日を送ってしまったので、昨日の疲れはすっかりとれた。「さあ明日からがんばって働こう」と思ったが、行き先はないのだ。
あすは新宿山吹高校の卒業式だ。最後に担任をした子が一人だけ卒業する。本当は5人ぐらいは卒業してもおかしくないのだが、みんなのんびりしているというか・・・・・来年も私が出席できるように配慮してくれているのかもしれないなあ。でも、・・・・・君が代が終わってから(別に私が歌っているかどうかチェックされるわけではないが)参加するつもりだ。
3月21日(日)
昨日は山登り、今日は荒川マラソン。リタイヤおじさんは体力派だ。朝9時にスタートだったが、昨日の雪の名残か、少々寒い。今年は1万7千人も走るので、スタート地点に行くまでに8分かかった。まあ時間を気にする分けではないので、まあいいか?
最近マラソンの練習はしていないので5キロを30分のペースでもなかなか厳しい。荒川のコースはいつも走っているので、よく分かっているからよけいにきつい。そんな気分でいたら、なんと5キロ近い重さのザックを背負って走っている女性がいる。あほな人だと思っていたら、山岳耐久レースの時にズート私をリードしてくれた馬杉裕子さんだった。これぐらいの負荷をかけた方が走りやすのだそうだ。すごい人がいるものだ。
私の走りは可もなく不可もなく、淡々と終わった。タイムは4時間20分ぐらい。もう3時間台はムリになってきた。でも完走できただけでも喜ばなければ。ちょっと前になんとフルマラソン10年ぶりという中山嘉太郎さんがいた。沖山健司さんはゆっくり楽しんでますよと言いながら2時間台だった。