雨が岳 おじさんたちの登山

3月20日(土)
昨日の夕方から、久々に山登りに出かけた。場所は本栖湖のさきにある毛無山から雨が岳へ。一行は都立大学山岳部OBの6人組。ほとんどがリタイヤ組だ。今から20年近く前、私はこの付近をとおる東海自然歩道を走ったことがある。そのときに本栖湖、上九一色村、割石峠をとおりA沢貯水池などをとおった記憶がある。

その時は、富士吉田からずーと走ってきたが、今回は車2台で、登山口と下山口においた。麓という集落は昔は千軒の家があったという。武田信玄の発掘した金山があったのだ。近世まで掘られていたそうで、鉄製の機械がまだ放置されている。竹川家という庄屋さんがこの地を仕切っていたらしい。この前来たときにも立派な門構えの家があった。今回再見。昔のままだった。

朝6時45分からから登山開始。最初は不動の滝を見学する余裕もあったが、だんだんと雪が舞いだして、冷え込んできた。天気が悪そうだとは思っていたが、まさか雪とは!おじさんたちは装備は完璧。ゴアテックスの雨具を取り出す。私は短パンで駆け抜けるぐらいのつもりでいたが、そうも行かない。三ピッチで1900mほどの頂上へ。吹雪いており、寒い。コンロでお湯を沸かし、卵スープとおにぎりおじやの昼食。

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アイゼンをつけて下りにかかる。私はアイゼンなど持ってこなかったのでW部さんの四本爪を借りる。これはなかなか快適。他の人たちは6本爪か8本爪。このくらいの雪では4本爪の方が威力がある。雪まみれになりながら、雨が岳へ。そこでアイゼンをはずしたのが失敗だった。雨が岳の下りは急坂でおまけに雪の下が凍っている。滑る滑る。もう一度つけるのは面倒なので尻で滑り落ちる。久々の尻セードだ。他の人たちは面倒がらずに、アイゼンをつけ直す。

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私はそのまま転がり滑りしながら下ったので、渡部さんと最初に車のところに到着。2人で登山口においた車をとりにいく。ちょうど他の人たちが下山してきた時間に車が到着。私と北島さんはそのまま東京へ。他の人は温泉へ。私は明21日に荒川マラソンだ。

道ゆく芸能研究会 お猿の学校

3月18日(木)
「道ゆく芸能研究会」という名前の会がある。猿舞座をやっている村崎修二さんが主催し、各地のお祭りなどで大道芸をやっている人たちの伝統文化を伝えていこうという趣旨の会である。村崎さんは宮本常一先生の意をうけて周防で猿回しを復活した人で、自身も猿回しを昔ながらにやっていた。アトム(安登夢だったかなあ、ちょと忘れた)と組んでやっていたころ何回かみたことがある。テレビには出なかったので有名ではなかったが、昔ながら大道で演じている姿はみごとだった。お猿のアトムくんの毛並みがものすごくきれいだったことが印象的だった。太郎、ジローはテレビで有名だったので、アトムもテレビに出ないの?と聞いたら、猿でも(?)テレビに出るのは大変なストレスがかかり、毛が抜けたりするんですよと聞かせれ、なるほどと感心したものだ。

私は30年ほど前に宮本千晴さんに「お猿の学校」の東京PTAをやれと言われて、村崎さんとは何回も会ったことがある。3年前「宮本常一没20年記念 まつりはエエもんじゃ」佐渡芸能大学に誘われて、佐渡で道ゆく芸能を楽しんだ。
1ヶ月間佐渡の各地の神社、公民館などで大道芸を演じていた。大勢の芸能人を集め、演じた祭りだったが、昔のように神社いっぱいの人が集まるわけではなく、投げ銭もそんなにはないので、主催者は大変だったろうと心配だった。佐渡には米山俊直先生や高石ともやさんなどが応援に駆けつけていた。

その村崎さんが、昨年10月に安登夢の公演で倒れたという。長嶋監督と同じような病気だったようだ。今年は年賀状が来ないので、どうしたのかとは思っていたのだ。なんとかリハビリの結果回復をしてきているという便りをもらったが、心配事が残っているようだ。

投げ銭で生計を立てている「道ゆく芸能」家たちは倒れると直ちに生活に響くのでしょう。人伝てによると一昨年の佐渡芸能大学の芸能人の宿泊代などの残務が残っているのだそうだ。急いで些少のカンパをしたところ、筆書きのお礼状が来た。ちゃんと字が書けるのだと少々安心した。
実は今年から始める「旅するみわ塾」の名前は「道ゆく芸能大学」のパクリみたいなものだ。本家「道ゆく芸能」がふたたび活動できることを念じているところです。

右の写真は「人形劇団くぐつ」のホームページにのっていた写真で、今年の1月「安登夢の公演」とありました。今は回復して、活動を再開されているようで、安心しました。(この写真は大きくなりません))

みわ塾の今年度最終回

3月17日(水)
みわ塾の今年度最終回。来年も行うことにした。4月からは「旅する みわ塾」も開催することにした。 詳細はのちほど、みわ塾のところに書きます。お楽しみに!

今日はそのテキスト作りであわただしい。PDFにアップしようとしたがうまくいかない。少々困っている。後回しだ。

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※追加
午後は「みわ塾」最終回。榎町区民センターの会議室は飲食禁止なのだが、まあペットボトルの飲料程度はOKとのことなので、最終回はそれぞれの紹介と手作りのケーキ、天ぷら、おいなりさん等の差し入れでパーティー。一緒の教室にいたのに、お互いが知らないというのはよくないという、意見が出た。来年はその反省で、時々こんな会をやろう。

みなさんそれぞれの時間を背負ってきているので、個性豊かな方々ばかりだった。こんな人たちに、いろいろ「教える」などという大それたことをしていたのかと思うと冷や汗が出てきた。

夜の部は、関谷さん誕生日とあって大いに盛りあがった。しげさんが今日は夜の部で、修了証書授与。中原先生にも参加していただき、写真も撮ってもらった。夜は人数は少ないが、教養が高くてなかなか大変だ。

と言いながら、4月からも図々しく「みわ塾」ならびに「旅するみわ塾」を開催する予定だ。何人もの方が留年して来てくださるとのことだ。第3水曜日午後2時から4時と6時半から8時半、旅する方はその週の土曜日です。どうぞお越しを、お待ちしています。

高橋尚子 代表もれる

3月15日(月)
 T子さん(うちの奥さん)は街道歩きに出かけていった。地元の川越街道をばあちゃんたちと歩くのだそうだ。年をとるとお友達が少なくなる。誘われたらすぐに行かなければ。T子さんは前から地図やパンフレットを集め、下調べに街道を歩いている。何回かつきあわされたが、なかなかいい街道だ。こんど全部走ってみようと思っている。夕方から地平線通信の発送。最近は大勢の方が来てくれるので助かる。中原さんのところに、入院中のパソコンの様子を聞きに行くが、なかなか重傷のようで、まだ再起できない。中原さんに「みわ塾」の講師を引き受けてもらう。7月21日水曜日だ。

読売新聞の夕刊には「高橋尚子が代表に選ばれる」と書いてある。ニュースでは選ばれなかったと言っている。完全な失態だ。新聞記者の思いこみが、先走り記事になったのだろう。あすどうやってお詫びするのか?書かれたものは取り返しがつかないから大変だ。

しかし昨日の名古屋国際の土佐選手の走りをみていたら、「こりゃ高橋尚子の目はなくなった」と考えるのは当然だ。昨年の東京国際の高橋の走りを目の前でみた印象から言えば、もう高橋の時代は過ぎている。過剰な期待をかけるのはかわいそうだ。アテネに出ても、おそらく入賞はできまい。彼女にとってはこの結果をありがたく思うべきかもしれない

関根家は我が車の大家さん!

3月14日(日)
我が家の車を、新宿の関根さんお宅に停めさせて頂いている。関根さんは我が車の大家さんだ。そこに車を停めさせてもらっている「店子」が、大家さんに感謝のごあいさつという名目で、夕方集まった。

先日我が家に立派なウドが届いた。立川の下島さんからだ。立川はウドの産地。それを先週1本だけ大家さんに持っていったところ、「こりゃおいしい」ということで、下島さんも一緒にお招きした。関根さんはウドを期待していたのだが、そのとおり、沢山のウドを持ってきてくれた。我が家にもおすそわけしてもらった。

関根さんのお宅の窓からは新宿のビル群が間近に見える。こんな都会の中心地に、普通の人が住んでいるのだと、感心する。同じ店子のE本さんはさらに都心に住んでいるので、珍しくないかもしれないが、我らにとっては驚き。

ラオスお酒、(大家の奥さんが先日行って来た) ラベルも何にもない地酒だ。せっかく重たいのを持ってきてくれだのに申し訳ないがまあ珍しいというだけの味だった。北村さんのもってきたワインの方に傾いてしまった。

関根家には、とてつもないスピーカーと真空管のアンプがある。スピーカーにあわせて家を造ったと言うぐらいだから、まあ要はマニアックなのだ。その装置で、美空ひばりをきくのが最高なのだそうだ。ウンウン確かに、我が家で聞くのとはエライ違いだ。

 

ウィルスの発信元になった?

3月12日(金)
毎日なにをやっているのだろうと言うほど、ムダな(?)時間を費やしている。

一つはホームページを作っているパソコンが修理中なので、ノートパソコンにファイルを移して作成を始めたが、リンクしているはずの写真がはずれてしまい、それを復元するのに手間取っている。まあ、ホームページがどうやって作られているかを勉強する意味ではいいのだけで、ムダな時間が多い。おっと、時間はいくらでもあるくせにムダな時間とは・・・・・・

もう一つは私のAOLのメールに、ウイルスの添付されたメールが来たから削除したという苦情(?)が来た。しかしその人はまったく知らないひとで、どこか大学のアドレスだった。
心当たりはないのだが、こちらの名前で送信しているようなので、「ごめん」と言うしかない。私の名前で送信するにはパスワードが必要なはずだ。それがどこかで読みとられたのかもしれない。私は添付ファイルをつけることはない。もしみなさんのところに、添付つきのものが行ったら直ちに削除してください。

こんなホームページでも公開すると様々な反応がある。いままで疎遠だった人がと再び出会えるという楽しみもあるのだが、なにか悪用されることもありそうだ。返信用のBBSとかをつけていないのも、そのためなのです。便利なものはそれなりのリスクがあるんだろうと思います。

恐ろしい面もあるけど、もうしばらくはインターネット社会をうろついてみようと思っています。ご迷惑をかけた方がいらしたら、申し訳ありません! メールのパスワードはすぐに変更しましたが、いつ何時、読みとられるかもしれません。

血と汗と涙の国際貢献!

3月11日(木)
今日はミャンマーでマラソンした話を書きました。夏に行ったときに下書きをしてあったのですが、少々手直し。題目は「血と汗と涙の国際貢献」です。

予期せぬことに出会ったときに、子どもたちの顔は一瞬凍りつく。しかし安全だと分かるとたいていはゲラゲラと笑い出す。子どもの頃をおもいだしても確かにそうだった。しかし近年日本で子どもたちが一緒になって大声でげらげら笑っている姿を見ることはなくなった。

私はいまミャンマーのイラワジ河口デルタでマングローブ植林事業の手伝いをしている。首都のヤンゴンから植林キャンプ基地までは百数十キロしか離れていないが、汽船で一日、さらに10人乗り程度のボートで半日かかる。河口デルタは両側にマングローブが繁った細い水路が入り組んでおり、ところどころに小さな村がある。村人は米作やニッパヤシの葉の加工、漁業などで細々と生計を立てている。首都の燃料不足のためにこの地のマングローブが大量に切り出されたために、森は荒れ林業や漁業に影響がでており、森林再生が求められている場所だ。村々をまわって森林を見に行く交通手段は手こぎの小舟だけである。

ジョギングだけが趣味の私は何日も水路の上を舟で行ききしていると無性に地面を踏みしめる感覚が恋しくなる。グチョと足がとられるマングローブの泥地は私の好みではない。ムリに用事を作って「道路」がある島に連れて行ってもらう。その島の中央部は昔の砂州で、ほぼ直線で20キロほどの白い砂の道が続いている。真っ白な砂の道を地元の人はハイウェーとよぶ。その地では唯一の動力車であるトラジが走る。耕耘機に荷台をつけお客を乗せるようにした奇妙な乗り物だ。私の仲間たちはトラジにのって15キロ先のアマという町に向かう。そこにはこの地で唯一電話があるのだ。

私はあとをついて走ることにした。トラジの時速は10キロ程度。私はせいぜい8キロだからどんどん離れる。軍政下のミャンマーではこの地に入る外国人は銃をもった警官に監視される。私の単独行動をとがめるように何度もトラジにのるように勧める。短パンTシャツ姿ではなにも悪いことはしないよ!と身振りで示すが、なかなか許可してくれない。トラジは何度も止まっては私が追いつくのを待っている。

8月はイラワジの雨季だ。突然バケツを三つも四つもひっくり返したような雨が降ってきた。私なんかにかまっていられなくなったトラジは先に行ってしまった。道路はアッという間に水浸しになっている。しかし二〇分もすると青空がもどってくる。グチャグチャになった靴と靴下を脱いで、手に持って走る。ガラスやプラスチック、石という野蛮なものはないので、ハダシでも危険はない。ジャマものがいなくなったので、ゆっくりのんびり走っていると、小学校に出た。学校の前で遊んでいた子どもたちは一斉に私の方を向いた。「なんじゃこいつは?」という感じであるが、驚いたらしく誰もなにも言わない。「ミンガラ」とあいさつをしたとたん、こいつは大丈夫だと分かったらしく、一斉に遠慮会釈もなくゲラゲラと笑い出した。こんなメチャクチャな笑い顔を見たのははじめてだ。

手をあげて走り出すとみんなが私を取り囲むようにしてついてくる。そばにいた大人たちも、大げさに言えば集落全員が一緒になって走っている。まるで映画の「フォレストガンプ」の主人公のようだ。大昔、私も村唯一のオート三輪の後ろをついて走った子どもの頃を思い出した。あのときの私はここにいる子どもたちと同じだったんだ。この子どもたちは大きくなったときに変なオヤジのあとをついて走ったなあと思いだすのだろうか。もうちょっとましな思い出にしてやりたいが、まあしかたがない。

アマの町の入り口にくると前方から自転車に乗った男が向かってきた。警官かと身構えたが、濡れネズミになっている私のために乾いたTシャツとロンジー(筒状のスカート、ミャンマー人は男女とも愛用している)を持ってきてくれたのだ。私の仲間が頼んだわけではない。笑い焦げながら私を追い越して行った男が、「濡れネズミになった変な日本人が来るから乾いた服をもっていってやれ」と伝えたのかもしれない。

みんなの笑いは、人をバカにした笑いではなく、安心して受け入れてくれた笑いだった。これまで何年も走ってきたが、こんなにも心地よく安寧の気分で走れたことはない。うれしくて涙が流れてきた。ついでに足首と足指の股から血が流れてきた。ハダシで蓮池に入ったのがいけなかったらしく、数匹のヒルが吸い付いていた。

警官にはにらまれたが、この地の人と仲良くなったのだから、仕事も円滑にすすむだろう。まあこれも立派な国際貢献だろう。汗と涙と血を流したわが国際貢献だった。

 

小林幸子ショー コマ劇場

3月11日(木)午後
パソコンに向かっていると、わが奥さんが行くわよ!と言う。「どこへ?」と訪ねると「小林幸子ショー」よ。そういえば昨年も1月には新宿コマ劇場で紅白歌合戦の豪華衣装を見に行った。我が家は新聞やさんがくれるクジによく当たる。奥さんは毎月のようにコマ劇場の北島三郎ショーや松平健ショーなどに行っている。

私が小林幸子のファンだってことを承知なので、小林幸子の時だけは誘ってくれる。昨年の大晦日は富岡八幡宮に行っていたので、紅白歌合戦は見ていない。話では、大晦日は電気が故障して、巨大なクジャクの羽根が開かなかったそうだ。NHKは恐縮し、2月にリベンジし、その時は見事に開いたといういきさつがあった。

新宿コマ劇場にいけば3月中は毎日見ることができる。一年の稼ぎをすべてつぎ込んでいると言うだけあって、そりゃ豪華だ。何ヶ月もかけて準備し、ほんの一瞬にのうち花が散る。まるで花火みたいなぜいたくだ。昔は紀伊国屋文左衛門みたいなお大尽がやったんだろうが、いまは女性の方が気っぷがいい。こういうバカバカしくもおもしろいことをやってくれなくちゃ。来年も是非見に行こう。

その衣装の写真を撮ろうと思ったが、劇場内は撮影禁止、パンフレットには写真が出ていない。インターネットで探したら、すべて転載不可。というわけで、豪華衣装の写真はない。もし見たい人は、新聞やさんにお願いしてみることですなあ。(新聞記者じゃなくて、新聞販売店です)

うれしい便り 高校合格!

3月10日(水)
昔からの地平線会議の仲間であるW辺京子さんからうれしい便りが届いた。先月あったとき、娘が高校受験なのだけど、あんまりできなかったと言っているので・・・・・と心配そうだった。「できた、できた」と言っているやつに限って受からないことがおおい。できなかったと言っている方が、自分成績を客観的に見ているので、受かっていることがおおいよ。と学校の先生のようにアドバイスをしておいた。私は最近会っていないのでよくはわからないが、このかあちゃんととうちゃんの子どもなら間違いないと確信していた。

無事、神奈川県立高校に受かったと聞いてほっとした。・・・・私立の25万円の入学金、公立の5650円、この違いは地平線会議的な生活をしている我が家にとってはありがたいものです。おまけに近所の方に制服をいただきサイズまでピッタリ。オー ビンボーにはビンボーのよき神がいるもので、ありがたや~の世界です。と書いてありました。

いまの世の中は民間へ民間へと向いています。早稲田の付属小学校では350万円の寄付を面接時に要請するとありました。非難されても、合法的だとうそぶいていますが、受験を目の前にした親の弱みにつけ込んで要請するのはあまりにも非教育的じゃないかな。私立へ私立へとみんなの目が向いているのですが、本当にそんなによいのでしょうか? 私が公立高校にいたからひいきするわけではないが(多少はあるけど)、公立もそんなに悪いところではないはずですよ。

W辺家のように、どうしても公立でなければならないと言う人も多い。全部が全部、私立に行きたいわけではないでしょう。公立はどれといって特色がないという特色があります。私立は生き残りをかけて特色を強く打ち出しているが、その色に染まりたくない親も子もいるはずです。特色がなければ自分でそれを作り出すという楽しみがあっていいのではないでしょうか。
最近は公立高校もさまざまな特色をもった学校を作りはじめています。国際高校とか総合高校、進学重点高校、6年生高校、単位制高校、などなど。それらもおもしろいのだが、しばらくすると流行は廃れて、また混乱してきます。そのときに小回りができるのだろうか心配です。

私は、あんまりいろいろ凝らなくてもいいのではないかと思っているが、教育委員会は何か仕事をしていなくてはいけないという強迫観念をもっているらしい。しかしそれはかなりよけいなお世話なのです。いままでやったアイディアで成功したことはほとんどない。学校群をやったらレベルは低下した。大学入試センター試験のおかげで高校3年生の3学期の授業はなくなった。土曜日を休みにしたけど、結局は全員で補修をやっている。
学校というのは社会の縮図だ。学校だけを改革してもうまくいくものではない。画一的に上からのお達しをするよりも、そこの学校で小手先の手直しをするほうがよい。これだけ分化したいまの時代、一斉の改革などうまくいくはずはないのに。

昨日、今日とグダグダと私の思いを書きました。家にいるとこんなことばかり思って、まだウジウジしそうなので、外へ出てみなさんのためになる仕事をしてこようと考えています。
でもよけいなことをしないでくれ! との声も聞こえるのですが。・・・

愛国心は人一倍ある!でも君が代はいやだ!

3月9日(火)
昨日はヨレヨレで一日寝たりになっていた。家を出たのはゴミ捨てだけ。いままではマラソンの翌日はムリしてもさっそうと勤めに出かけたのだが(勤め先で休んでいた?)、いまはいくじなし。そんなことではいけないと今日は早起きして84歳の母親が旅行に行くのを、待ち合わせ場所まで送っていった。向こうの方がさっそうと歩いていたが、私も早起きしてシャッキリしたら気分は良くなっていた。筋肉痛は残っているものの、体調は大変よい。ということは怠け心は身体まで怠けさせてしまうのだ。

ところで、そろそろ学校では卒業式のシーズンだ。ここ数年、東京の教育委員会はものすごい圧力で国旗掲揚と君が代斉唱を強要している。昔から卒業式に日の丸は掲げてあるのだが、それに向かって威儀を正して礼をしなければならないことはなかったし、君が代を声を出して歌っているかチェックするなどということはなかった。そばに来て歌っているかどうかをチェックするなんて漫画みたいなことをやるとは思っても見なかったが、それは甘かった。愛国心を植え付けるのは、まず教員に言うことを聞かせなけれなだめだ。君が代斉唱はその踏み絵なのだ。

今年はさらに生徒たちの方を向いて座っている教員は、国旗に対して失礼に当たるので全員まえを向くようにとのお達しがあった。私はこれまで歌を歌うかどうかチェックされるがイヤなので、会場には入らず外回りの警備を担当したりしていたが、それもかなわなくなったそうだ。それなら休暇をとって休んでしまえと思っても、卒業式当日は休暇の許可を出してはいけないというお達しも来ている。休んだら職場放棄で処罰される。君が代を声を出して歌わなかったら処罰される。石原慎太郎知事の意を借りて、教職員を徹底管理しようという小役人の考えそうなことだ。

前の同僚からのメールでは、「こんなバカなことをして、愛国心が養われるのでしょうか?おぞましいことだ。あんたは早く逃げ出してよかったが、辞められない僕らは大変だよ」とあった。私は早く辞めたことは申し訳けないことだと思っているのだが、私にとってみんなの前で声を出して「君が代」を歌うほど屈辱的なことはない。歌うようなふりをしていればいいじゃないかと言う人もおおいし、たぶんほとんどの先生は、この時間をじっと耐えているのだろうが、私ぐらいの年になると我慢ができなくなる。

僕には愛国心、愛郷心、愛校心は人一倍強くあると思っている。しかし軍隊を他国に派遣して、自国を守るという愛国心は持ち合わせていない。自衛隊はあくまでも自衛のための隊であって、外国を犯してはいけないのだ。イラクが戦後ならその復興は民間がやればよい。自衛隊を派遣したり、憲法9条をなくしてしまうことは、国を破滅に導くだけだ。本当に愛国心をもとうとするなら、自国と同じように他国も愛さなければならない。攻められてもいない国に、アメリカの言いなりになって自衛隊を派遣しなければならないのか?そんなことが愛国心につながるのか? 私はそんな愛国心に与したくない!

卒業式の日の丸、君が代はそれだけの問題ではない。先生たちをなんとしてでも自衛隊派兵容認に向かわせる一里塚である。私はいままでノラリクラリすごしてきたが、これからの先生は旗色をはっきりと石原色にしないとやっていけなくなりそうだ。みんなが一色になったら、それは大政翼賛会になる。へなちょこな分けのわからない人もいなければ、社会は成り立たないのだ。みんな一斉に元気よく一方方向にすすむことが一番怖いことなのだ。私はここでしばらく辻信一さんの提唱する「ナマケモノの勧め」をやろうと思っている。

お台場 24時間 ランウォーク

3月7日(日)
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実はいまは月曜日。日曜日中にお台場のマラソンの話を書いておこうと思ったのだが、くたびれ果てて風呂に入ってすぐに寝てしまった。私はせいぜい40数キロ走っただけだから、そんなに疲れるはずはないのだが、睡眠時間が少なかったのが原因かもしれない。それに土曜日の夜は例年になく寒くて、水たまりには氷が張っていたし、雪もチラチラと舞っていた。身体が冷えて固まると疲れはいっそう激しくなる。もう年なのかなあといいながら、いやまだまだ若い者には負けないとがんばっていると長嶋さんのようになるといけないので、そろそろ自重しなければ。・・・・・・

ウルトラランニングの神様である海宝道義さんが主催する「24時間チャリティラン・ウォーク」に今年もリレーチームで参加した。メンバーは昨年とほぼ同じ「山吹チーム」で、私は監督という名目だった。地平線会議チームもE本さんが監督で、1時間おきに交代し、何時間は寝袋で休むという緻密な計画を立てていた。我がチームは自主性を重んじて、好きなときに好きな時間だけ走るといういい加減な予定だった。しかしこれは失敗で、いつ走るか予定が立たないので、常にスタートゴール地点で待機することになり、身体を休めることができなくなった。この他に山吹の永井先生の家族チーム、田口さんの率いる埼玉のコーペルグループなどが参加した。

走るコースはお台場の船の科学館の外周道路1.5キロで、スタートゴール地点は「不審船」の展示のために場所がなくなってプールのレストランに移動した。1周回ると輪ゴム1本もらって、10本たまると黄色の輪ゴムにかわる。黄色が10本たまると、すなわち150km走ると赤色の輪ゴムになる。レース後半赤色の輪ゴムを持っているチームは「すごい」と尊敬される。

我々はリレー参加だが、本来は24時間個人の部がメインなのだ。この他にも12時間走、6時間走などもあるが、24時間走る人たちで、気合いがちがう。実際に国際大会で上位入賞をしているランナーも参加している。

しかし海宝さん主催の大会のいいところは、すごい人たちもいるが、我々チームのように1年に1回だけ走る人たちや、80歳を越えたおばあちゃんたちがとことこと24時間歩いてもいる。もうなにがなんだかわからないようなごちゃごちゃの大会なのだ。24時間の間、人間の最も根元的な歩く、走るという行為を通して、様々にものを考えることができる。本当は自分でもわからないが、忙しく動いていく世の中で、こんなにも優雅な時間はなかなかとれるものではない。

今年も私の教え子である、なめちゃんやよっちゃんが仲間を引き連れて来た。彼らはこんな経験はまったくないだろう。何かを求めているが、情報はものすごくたくさんあるのに、どれを選択していいのかわからいいまの若者にとって、なにかとてつもなく理不尽な世界に引き込まれた感じだろう。しかし彼らは自分たちでローテーションを作ってそれぞれ勝手に走っていた。そしてなんと200kmを越える距離を走った。最後は膝や腰の痛みでまったく走れなくなったのもいたが、自分たちの足跡をみて驚いたことだろう。個人の世界記録は24時間で240kmほどだろうから、5人とはいえそれに近い距離行ったのだから、自分でも驚きだろう。

走行時間 走行距離
高島 5:01 37.5
三輪 3:33 37.5
中澤 5:20 43.5
大幡 4:45 37.5
池田 3:25 31.5
大金 1:24 13.5
みんな 0:28 3.0
23:56 204.0

ここでの経験を糧にして、彼らはきっと立派に成長していくだろう。と行けばまさにテレビドラマである。これまで私は何人もの生徒をマラソン連れて来ている。そのときには一様に「いい経験をした」と言うのだが、その後生活に大きな変化をもたらしたという例はそれほどあるわけではない。学校の先生は、おもしろそうなものを見せてやることはできても、そのあとは自分次第である。きっとここで「努力したからって格別いいことがあるわけではないな」と感じた子もいるはずだ。
でも懸命に役に立たないことをやっている人もたくさんいるのだと思ったかもしれない。先生を辞めたが、相変わらず先生的立場で若者をみる意識が抜けていないので、少々困る。教育的効果を考えて彼らを連れてきたわけではないのだから。

24時間ランウォークの写真を入れておきます。この写真はほとんどが今回のスタッフの城定さんが撮影したものです。本人の許可を得て、ここに載せさせてもらいました。

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電子機器がぜんぶおかしくなった

3月5日(金)
我が家の電子機器がみんなおかしくなった。パソコンは中原さんのところにお願いした。ビデオは露がつきましたという表示が出たままとれないので田端にあるsharpの工場にもっていき、紙送りができなくなったレーザープリンターは日野にあるEPSONの工場まで直接もっていった。勤めているときだったら、ビッグカメラに頼んだだろうが、いまはヒマなので直接もっていって悪いところを説明して直してもらう。

高速道路を使わないで甲州街道を行ったので日野まではかなり遠い。帰りには国分寺のカフェスローにいってみたら、本日はライブがあるので閉店だった。残念。長野亮之介さんの書いたネームプレートがある。東八道路と国分寺への道路の交差点のそばに京王ストアがある。その隣がカフェスローだ。近くの人はどうぞ一度いってみてください。

ビデオは買ったばかりなので、無料で直りそうだ。EPSONはもう7年近く使っているので、かなりかかりそうだ。このLP8200というのはもともとは10数万円だったが、いつものように中原さん経由で買ったので2,3万円だったと思う。それぐらい直し代がかかりそうだ。でもB4版が印刷できるレーザープリンターは貴重なので仕方がない。

夜は榎町地域センターの交流会に江本さん、関根さんと一緒に行って来た。最近使用後にかならず新宿区民が何人?他区の人が何人?という質問がされる。「これは他区の人が使うのはまずい」という意味なのかどうかを質問したところ、区議会で新宿区民を優遇するようにという意見が出たので、それに従っている。別に登録団体に入っている人を排除しているわけではないので、どうぞ他区の方も使ってくださいという言質をもらった。「地平線会議」、「みわ塾」が 榎町センターから排除されることはないはずだ。

ところで、あすはお台場で24時間マラソン。昨年は山吹チームで200kmほど走った。その後に「退職を祝う会」をやってもらった。今年は山吹チームが2組、地平線が1組、田口一族が1組が参加する。いかなることか、明日は報告できないので、日曜日夜の報告します。

サクラ皇居東御苑

3月4日(木)
これまで使っていた牛丼パソコンが壊れた。おそらくフロッピーの回転軸が壊れたらしくガリガリ言うのをそのままにしていた。それをはずしてついでにWindowsの入れ替えをしようとしてフォーマットをし直したところ、windowsのCDROMがないことに気づいた。しかしもう遅い。どうしようもなくて夜遅く中原さんのところにもっていって直してもらうことにした。すみませんね。

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昼間は東京見物をしていた。皇居東御苑にはいるともう桜が満開だった。桜といってもツバキカン桜と沖縄の赤色が見事な寒緋桜だ。ソメイヨシノはまだつぼみが膨らんでいない。ソメイヨシノの開花はまだ先のことだろう。

地下街の柱の陰に坐す人の白髪伸びて厳冬に入る

3月3日(水)
もう一日休んでしまった。昨日は午前中テニス。退職後のおっさんとその奥様が集まって優雅な「おテニス」をやっている。私は着ているものもテニスらしくないし、ボールをけっ飛ばしたりするので、マナーに問題があると思われているようだ。どうも優雅なスポーツというのは性にあわないのだが、フリーターになるとつき合いは大事だ。

最近、とびきり元気オジサンが入ってきた。なんでもかんでもボールを力一杯ひっぱたくので、周囲にいる人は危険なのだ。力があるのでボールがラケットの芯にあたるとすごいスピードになる。こんなボールは奥様方はとても受けられない。私の役割は前にたって、そのスピードボールを防ぐことになる。なかなか緊張感があってよい。スピードボールを受けて相手のコートに入れるのはストレス解消になってよい気分だ。ラケットに力が入りすぎたせいか、テニス肘、腱鞘炎になってしまった。パソコンのキーボードを打つにも痛みが走る。やはり走っている方が性に合っているのだろう。

知り合いの女性から「歌集」を送っていただいた。何で私のような文学に疎い人間に下さったのかといぶかった。中の歌を読んでみてわかった。

「地下街のはしらのかげに坐すひとの白髪伸びて厳冬に入る」

この歌を詠んだときに、おそらく私のことを思いだしたのだろうと思った。時々柱の陰に座って、・・・・・・でも、最近はそんなことはあまりないのですが。私のイメージはきっとそんなんだろうな!

 

ゴミ箱は空にしない!教訓1

3月1日(月)
毎日日誌を書こうとおもっていても、ちょっと怠けるとすぐに2,3日立ってしまいます。今日はもう3月、昨日の日曜日は1日、今日浦和のコーペルという消費者団体で「水の惑星・地球」というテーマで話をすることになっていたので、そのレジメと映像作りに追われた。

自前の画像の他に何かいいのがないかとインターネットを探したら、なんと首相官邸のホームページに「水の惑星・地球」というのがあった。子どもたちに水の大切さを教えるコーナーである。なかなかよくできてはいるが、はたと思った。

シャワーを浴びるときには時々蛇口を止めよう、お皿を洗うときには貯め洗いをしよう、歯を磨くときには水を出しっぱなしにしない、など正しいことが書いてあるのだが、これって首相官邸のやること?って。 こんな話は家庭で学校でやることだ。テレビでもマスコミでもいい。首相官邸はもっと拉致問題とかイラクへの自衛隊派兵問題とか鳥のインフルエンザとか国家的問題をきちんと国民に知らせることの方が大事だ。当たり障りのない「水を大事に」なんてことをやっている時か! などとブツブツ言っているうちに夕方になってしまった。それでもやっとパワーポイントの画像が完成。ビールを飲みながら、

下書き用の画像を削除した。

昼に家を出ると小雪が降っていた。2月は春のようだったのに3月に入ったとたん冬に逆戻りした。早めについてパソコンのテストをする。

ない!ない! 

昨日作ったパワーポイントの画像がないのだ。1時間半のあいだ画像がなければ聞く人は退屈する。ただ話だけでその時間を持たせるほどの力量はない。「どうしたらいいのだ」と少々あわてる。
そのとき「ハッ」と思いついた。昨日ビールを飲んだときに、いらないない画像と一緒に削除したのではないかと。 パソコンの中のゴミ箱を開けてみた。

あった、あった! 

ゴミ箱を空にしないでよかった。予定の画像が出てきたのは5分前! 雪のなか、汗がでるほどの緊張だった。しかし何事もなかったように予定の時間を終えた。事前に時間をかけて努力したので、皆さんに喜んでもらえた。

●教訓! 気楽にゴミ箱に捨ててはいけない。ゴミ箱は空にしない方がよい