楽隠居のブログ→怪語碌 へ

我が友人の楽隠居(パソコンでは烙印居、落隠居などおもしろい字に変換する)。とても忙しい楽隠居が新しくブログを開始しました。これまで2001年から書いていたブログは4月末で閉鎖になってしまったので、仕方なく新しく始めたものです。今年80のおばあさんですから、自力で始めるのはむりです。

そこで私が助っ人! 新しく始めたブログは「快語碌」、これも介護録、とか悔悟録、下位語録 などいろいろ出てきますが、楽隠居がえらんだのは、ほかにないらしく、インターネット検索ですぐに出てきます。

まさか一回の指導でできるほど簡単ではないと思っていたのですが、もうすでに何日分かの記述があります。ぜひ閲覧して、コメントにいいねと、いれてあげてください。ブログなんて人に見せるために書いているんじゃないよ!と言っていますが、どんな人でも反応があればうれしいものです。

でも決して、トマト、ウナギの文字は入れないように。激怒されますから。

快語碌 で検索するか taguchi5022.blogspot.com   をクリックするかしてみてください。

西新井薬師 ボタン!

足立区に住むご隠居さんのパソコンの調子を見るために伺った。そのあとバスに乗って西新井薬師へいく。牡丹園が有名なのだが、もうちょっと遅かった。わが奥さんは先週下落合の薬王院に行ってきた。その時は真っ盛りだったらしい。ついでに行くのはうまくいかない。真っ盛りに行くためにはそれだけを目的に行かなければいけないなあ。写真を載せておきます。

日比谷で絵画鑑賞

我が家の奥様の友人が日比谷で水彩の絵画展をやっているというので出かけた。ちょうど作者もおられたので、奥様は一緒にお茶の時間。
許可を得て写真にとって見たが、ガラスに入っているのでうまく表現ができない。残念!

日比谷にはしばらく行ってなかったが、ミッドタウンとかですごいビルができていた。ビルにはゴジラもいた。ゴジラはビルを壊すんじゃなかったけ。ゴジラ映画の収益で立ったビルかな??

おどろいタコ!

秩父の友人宅にみなで行く予定だったが、天気は荒れ模様。朝から雨、風がつよくとても山中には行けそうもない。ということで今話題の大山銀座探索に変更した。我が家には若い女性が6人も集まった。事前に大山銀座で食材を準備し、台所を使って料理。そして大宴会になった。持ち寄ったワインが10本近く空になっていた。最近のお姉さんたちのパワーはすごい。
写真は日間賀島のお土産のタコ! 真空パックになっていてごく薄っぺらいものだったが、袋を開けてお鍋に入れて加熱したら、すっくと立ちあがった。まるでマジック。本日の一番のイベントだった。

四月になった! ちょっと遅い お花見!

  一日の日曜日、久々にエイプリルフールの話題があった。友人のTASHIROさんの「本日から富士山遠望鑑定を業務としてやります。鑑定料は377551円です。その記念セレモニーを開催します参加の準備がありますので希望される方は連絡ください。場所は富士山剣が峰です。」というのが一番おもしろかった。
  彼は富士山学者としてテレビや新聞でもひっぱりだこの人。一番遠くから富士山が見えた!と言うのを認定する権威として知られている。しかしそれはボランティアだった。有償にするのは当然かなと思っていたので、それはよかった。でも377551円はちょっと高いなと思った。
  記念セレモニーに私も当然出席の返事をした。FBには大勢の参加者があふれていた。しかし会場は富士山剣が峰。3775.51mの高さにある。まだまだ雪も深く、登山はとてもできない。私たちは富士さんの高さは3776mと習っていた。いまは3775.51mであることを知らせるためのお遊びだということをもちろん皆さん知っている。エイプリルフールと言うのはこう使うのがいいね。

  私は富士山には行かず、目黒川沿いで行われる花見会に行った。マンションの8階で目黒川はまったく見えないけど、お花見会。昔の教え子が久々に海外から戻ってきたので集まった。シリアの隣国ヨルダンに3年間駐在した商社員、ベトナムに住むYAMAMOTO君は娘が日本の高校に入るので付き添いに来た。そのほか東京勤務になった銀行員、鳥取から戻った官僚などの面々だった。今働き盛りの人たちはまぶしい。花は見なかったがみな美しく輝いていた。いいなあ!私も30年前には輝いていたかな??

本日は植村直己冒険賞の発表

2月16日金曜日、豊岡市の植村直己冒険館主催の「冒険賞」の発表がある。毎年植村さんの誕生日である2月12日に行われていたが今年は休日となったので16日ということになった。ちょうど平昌オリンピックのフィギュアスケートの日なので、発表会に来る人が少ないのではないかと心配した冒険館の館長さんから、「お友達を誘ってぜひ来てよ!」との電話があった。もしお暇がありましたら2時からお茶の水の明治大学紫紺館に来てください。誰でも参加自由です。どなたが受賞するかはその時に発表になるので、まだわかりません。どなたになるのだろうとドキドキして待っているのは、羽生選手がどうなるのだろうか、ドキドキ待つのと似たような感じです。もしそんな気分を味わいたいならお茶の水に足を運んでください。・・・・とはいうものの私は羽生選手がどうかのほうが気になるのですが・・・。でも私はこれからお茶の水に行きます。
帰ったら結果の写真を入れます。

ホタテ・イカ・ハタハタ

今年はホタテが不漁でお正月の贈答用の販売ができないとテレビで報道していた。地元でも高値が続いているようだ。我が家には縁がないと思っていた。日本海のイカ漁は北朝鮮の木造船の乱獲で不良だそうだ。
貴乃花一色の報道の中で、そんなことがちょっとだけ話題になっていた。そのさなかに青森の脇の沢からホタテが4キロも送られてきた。ありがたいことだ。何軒かに配って本日はホタテの刺身。さらにイカの煮物。豪華な気分!
先日は青森の友人から大量のハタハタをいただいた。これも我が家では消費できないので友人宅に配った。二人で寂しく暮らしているだろうとみなさん配慮してくださっている。ありがたい事だ。 明日はつきたてのお餅をもらいに友人宅に行く。ここ数年年末の餅つきはなし。いただくばかりだ。まだホタテが何枚か残っているので、御礼に持っていこう。いよいよ貰い物、物々交換の生活。日本経済にはあまり貢献しないなあ。

18年の年賀状の隠し文字

Facebook でFUJI野さんが、年賀状の隠し文字のことを書いていた。私も真似をして写真を撮ってみた。とても小さな字なので拡大してもボケてしまうが、なんとか読める。どこに隠してあるか? 下の写真を見てください。2枚目の写真は 「あけまして」「おめでとうございます」です。わかりましたか? 3枚目の写真はFUJI野久美子さんの写真を勝手に加工してあります。なんと書いてあるか?写真をひっくり返すとわかります。「FUJI野」さんとローマ字にした意味がわかりましたか?FUJINOさん、勝手に名前と写真を借用してごめん!著作権法違反かな?

志摩猪子家・ウッドデザイン賞

志摩の竹内さんが復元作業をしていた古民家の猪子家がウッドデザイン賞を受賞し、登録文化財にも指定されるという。竹内さんは「志摩という国」というアーティストブックを作った方だ。その本は昨年の7月、伊勢志摩で行われたG7サミットで公式のお土産になり、オバマさんやメルケルさんに渡された。もちろん彼らが読むことはないだろうが、その著者は宮本常一先生と何を隠そう!、この私である。

その竹内さんは賢島に近い場所にあった旧財閥系の方の別荘を譲り受け、復元を始めた。当時は大変立派なものだったが、すでに朽ち果てており壊して新築した方がはるかに安上がりだったというが、竹内さんは旦那さんと一緒に復元に取り組んだ。私は一昨年復元途中の屋敷を見せていただいたが、今回は完全に復元されている。本日は旦那さんだけしかいなかったが、奥さんが9割、私が1割の作業だったと謙遜されていたが、すごいことだ。玄関前に立派な桜の大木がある。満開のときにまた来る約束をして別れた。

なつかしい人に出会う!

12月2日(土)には高校時代の友人たちとあった。名古屋からわざわざ出てきてくれた。ラグビー部にいたいかつい体の男で、我が校のボス的存在だった。他校の悪童に睨みを効かしてくれていたので、私たちは他校に試合に行っても一目置かれていた。ありがたかった反面、テストの時には「オレは勉強してないから0点だ。お前も白紙で出せよ!」と威嚇されて、やっと解いた回答を消して0点になったこともあった。しかし彼はちゃっかり隣のを写して半分ぐらい得点していた。今から考えればとんでもないいじめだけど、当時は強いものには逆らってはいけないと思っていた。「そんなこともあったよな!わるかったなあ!」50数年ぶりの楽しい思い出だった。

数日後、これまた懐かしい人にあった。子どもたちが小学生だったころだからもう30数年前に英国のドーバー行った。彼女がドーバー海峡を水泳横断するのを応援に行ったのだ。日本人初の快挙の後のトライだったので結構気楽でわが娘も一緒に、冷たい海に入ったことを思い出した。私は手を入れただけでとても入る気はしなかった。ドーバーの水はとんでもなく冷たかった。その後、彼女に進められて書いたのがわが最初の著書である「水水水こぼれ話」(窓社)である。
彼女のダンナには数年前に2年続けて上高地から徳澤の間でであった。それも偶然も偶然! 今回彼女にあったのも我が家の近所で横断歩道にならんでいるときに目があったからだ。こんな偶然もあるものだ。我が家の奥さんを呼んでしばらく昔話に花を咲かせた。

もうひとり、こちらは今年の5月鳥海山のスキーでご一緒した方だ。大谷さんのドルポの会で半年ぶりの出会い。彼女は私よりも年上だが、とてつもない体力の持ち主。毎年夏は南アルプスの聖小屋(3000m)で3ヶ月間まかないをやっている。「暇なときには兎岳まで走っているよ!」とのこと。ここで会えるとは思っていなかったので写真を持って行かなかった。鳥海山の頂上からのテレマークスキーの勇姿です。私よりも数歳上の女性ですよ。すごいとしか言いようがない。

東京湾クルーズ

 4月12日(水)に新東京丸で東京湾クルーズをすることになりました。手配はすべてぶらりバークラブの尾方さんがやってくれました。この船を貸切にして東京湾のオリンピック競技場などを回ります。公の船なので、参加料は無料です。主催はぶらりバークラブですが、もともとぶらりバークラブはだれでも参加できますので、友人らを連れて参加ください。参加の方は早めに申し込んでください。

詳細は こちら へ。あるいはホームページのブラリバークラブのページから見てください

水仙忌 その前に快気祝い

 夕方から宮本常一先生の水仙忌(37回忌)が、西国分寺の東福寺で行われた。37年前の葬儀の日は寒い日だった。北海道で牧場をやっているT君たちが提灯を持って交差点で道案内をしていたことを思い出す。彼らも今年はもう定年になる年だ。今年は異常なくらい暖かい。世の中も異常なくらい変化していることを感じる2017年かな。
 先生がなくなったのは73歳、集まったかなりの人が先生の年齢を超えた。私もそろそろかな。お目にかかったころには年配の感じがしていたが、まだ今の私よりもずいぶん若かったのだ。逆に言えば、私もずいぶん年配の人と思われているのだろうな。
 島根県に住む曹洞宗の僧侶であるYAMASAKIさんが毎年上京しお経をあげ、ありがたいお説教をしてくださる。今回は人間はどうボケていくのか、体験を通して話してくださった。納得すること多々あり。

 水仙忌の前に、西国分寺に住むSHIMOJJIMAさんの快気祝いに呼ばれたので、そちらにも伺った。昨年暮れに胃や腸からの出血で倒れ、救急車で運ばれ入院した。もうほとんど黄泉津比良坂を下りきる寸前で奇跡的に回復したそうだ。マロワリ何とかという聞いたことがないような病気だったと、入院書類を見せながら説明してくれた。後の仲間もみなかなり重大な病気や手術を受けた人ばかり。2016年はみなにとって結構大変な年だった。今年は回復の年と祈念しながら分かれて、水仙忌に向かった。
 

東京峠楽会 西郷山を歩く

2月のぶらりバークラブは、東京峠楽会に変わることになった。その第一回の散歩コースはちょっと印象に残るような峠道にしなければいけないなと考えていた。東京地形図を見ると渋谷のあたりは細長い台地に小さな谷が切り込んでいる場所が多くあった。その中で一番典型的なのが、上の地図で矢印をしたトンネルの場所だった。両方から谷が入り混んでいる。前にも歩いたことがあるが、トンネルの上は昔の三田上水が通っていた。三田上水は目黒区の三田の高台を通る上水で、玉川上水から別れたものだった。とりあえず地図を作ってみた。

本日午前中にはZENさんの報告会を聞いてきた。先日ペルー大使館で行われた「マルチンチャンビ」の写真展を企画した人だ。この写真展が高く評価され、各地でお話をすろことになったようだ。本日はペルー大使館のすぐそばの会場で、お昼をいただきながらのお話だったが、ZENさん独壇場。他の報告者を寄せ付けない圧倒的知識を披露していた。会場にはZENってだれ?という人もいたが、我が知り合いの人だということで、KAWADAさんNAGAOKA夫妻と気分良くお昼を食べることができた。昔から虎の威を借りて威張るのが得意だったが、また威張ることができそうだ。

 

 

叢猫戯画(そうびょうぎが)

毎年集めている長野亮之介画伯のカレンダーの題名だ。今年は酉年だが、そんなことはお構いなく猫が主役。新年会の時にT君に頼んだつもりだったが、反ボケ状態なのでやはり「つもり」だったようだ。本日製作者のMさんに会って、手に入れることができた。さすがの力作だ。

この星の光の地図を写す

水戸市の芸術館現代美術ギャラリーで開催されている石川直樹さんの写真展「この星の光の地図を写す」を見に行ってきた。水戸芸術館はあのへんてこりんなタワー(Art Tower)がある建物だ。地震があるたびに揺れている姿が映されるので、私もしばしば見ていた。実際に訪れると立派さに驚く。磯崎新の設計、初代の館長は吉田秀和という豪華メンバーの水戸芸術の拠点だ。

石川君の写真は全部のギャラリーを使って展示されている。個人の写真展でこれだけの数を展示してあるのは見たことがない。ともかく写真の量に驚く。この写真はすべてフィルムで撮ったものだ。フィルムは貴重で重いので一枚ずつ丁寧に撮らなければならない。そのほうが気合が入ると述べている。確かにデジタルではめちゃくちゃにたくさん撮って、いいのを選ぶことができる。芸術家はその瞬間を切り取るのだから、一枚ずつ物語が作れる。

たぶん写真家からみたら、「なんじゃ!これは!」というような写真がある。もっと天気のいい時間を待てばいいのに! しかし彼の被写体はヒマラヤや極地、海中など命ギリギリのところでカメラを構えている。その時には天候など考慮している暇はない。その時その時を切り撮っているのだから、多少ピンボケになっても、そのほうがリアリティがある。まさに石川直樹がみた自然そのものを表現している。すばらしい写真展だった。できたらこのまま数年間、常設展にしてほしい。巨匠と言ってもいい。

水戸駅に着いたらちょうど梅大使の着物の女性たちが迎えてくれた。今日から偕楽園などの梅の名所をPRする人たちだ。10人集まるのは今日が初めてで最後なのだそうだ。今年初めての梅見のお客ということで、並んで写真を撮ってもらった。我が家にとっては重要な一枚の写真!170106mito02