ソネラチア 一夜花 コウモリが受粉

2月18日(水)
マングローブというのは、塩水に育つ植物の総称だ。沖縄ではヤエヤマヒルギが有名で、長い胎生種子がぶら下がっている。私が通っているミャンマーのマングローブは種類が多く、花の美しいソネラチア(右の写真、真ん中が雌しべで周りが雄しべ、一夜で開花し、コウモリが受粉する。残念ながらまだその瞬間の写真を撮ったことがない)や板根をだすカナゾウなどさまざまなものがある。

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マングローブは塩水に育つのだから、強い植物なのだろうと想像していた。しかしマングローブだって本当は真水の方が好きなのだ。塩分のないふつうの土地で育てるとすくすく伸びて巨木になる。好きで塩水のところにいるわけではない。環境のよいところは競争が激しくて、他の植物に負けてしまうので競争相手のいないところにひっそりと暮らしているだけだ。実はマングローブは心やさしい植物なのだ。それを聞いてますます「いとおしい」感じを持つようになった。

ブログの順序 春節だ!・・・暦

1月23日(金)  今日から逆順にしました
◆他の人のホームページを見ていたら、今日の分は一番上にあり、古いのが順に下に行っていました。当然なのですが、私はなんとなく順番に下に向かって続けていました。今年はふつうに、読みやすいように変更します。これの方が書くのも楽です。なんでこんな事に気がつかなかったのだろう。地質学をやっていれば、下にある地層の方が上にあるものより古いというのはあたりまえだし、地質年表は必ず上が新しく、下が古くなっている。そんなことを教えていたのに、口先だけで、実体験が伴っていなかったのだ。

◆ところで、昨日は「春節」で、中国ではお正月。横浜や神戸の中華街は大にぎわいだった。日本でも旧正月を祝っているところもある。ベトナム在住の卒業生からも、21日から26日まではお休みで、奥さんの郷里に帰ります。というメールが入っていた。

◆1月7日に「今日はクリスマス」と書いた。ロシアではユリウス暦を使っているので、その日がクリスマス。クリスマスが12月25日に決まってなくてもいい。世界中にさまざまな暦があるのはいいことだ。みんなが一斉に同じ事をしているなんて不気味だ。それぞれに伝統的な時間や暦があることはよい。私が最近通っているミャンマーでは4月の最初の新月から1年が始まる。その前の1週間は6日間は年末のお休みだ。この国は太陰暦を使っているので、1年の長さは11日少ない。30数年たつと1年分多くなる勘定だ。イスラム暦もこれと同じだ。そんなさまざまな生活暦があることを知った上で、尊重し会うのがよい。

◆昔は「暦」をつくることが権力の象徴だった。ユリウス暦、グレゴリオ暦もみな権威の象徴なのだ。フランス革命の時にも革命暦が作られた。日本でも朝廷が権力をにぎると暦をつくる事業を一手に引き受けた。明治になったとき、政府が暦を変えた。日本では象徴天皇の権威で暦をかえる。日常は西暦を使う方が便利なのだが、それぞれの国や宗教、そのたもろもろの暦も捨てがたい。なにもすべて世界標準に統一する必要はないと思うのだが。

今日はクリスマス? ユリウス暦

1月7日(水)
◆テレビを見ていたら、なんと今日が「クリスマス」だ。これはロシアの話だが、セルビア、グルジア、それにエジプトのコプト人の間でもクリスマスを祝っている。その理由は彼らはまだユリウス暦を使っていることにある。ユリウス暦はローマ皇帝ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)がエジプト暦に習って作った暦だ。この暦は1500年間も使われたのだが、4年に1回閏年を入れたために、春分の日が10日間ずれた。これを直すために1582年にグレゴリオ13世は新しいグレゴリオ暦を作った。この年の10月4日が終わると、翌日は10月の15日になった。10日間が消えたのだ。これに従わず、ずっとユリウス暦を使っているのがロシア正教で、そのずれは13日間に広がっている。

◆私はこういうのが好きだ。みんななんでも一斉にやらなければいけないということはない。お正月だって1月1日とは限らない。中国では1月22日の旧暦元旦が「春節」で、新しい年を祝う。横浜や神戸の中華街では21日深夜に新年のカウントダウンを行っており、春節は大にぎわいになる。私の通っているミャンマーでは4月の新月の日から新しい年が始まる。

◆暦というのはなかなかおもしろいものです。このホームページの科学のページに「2000年問題と暦」という文が入っています。お暇な節にお読み下さい。

1月1日(木)
明けましておめでとうございます。
ことしもいろいろお助けをお願いいたします。

●暮れの3日間はほとんどパソコンの前に向かって、ホームページの引っ越し作業をしていました。これまでは、分からなくなればすぐに師匠に聞けば良かったのですが、フリーターになった今日、全部自分でやらなければなりません。どうしてパソコン用語はこんなにも分からないようにできているのか? 説明書を読んでもほとんど分かりません。今回特に困ったのは、このぺージに、アクセスカウンターをつけるところです。

これまでのAOLでは、簡単にくっつけることが可能だったのですが、INFOSEEKでは「どうぞ勝手につけてください」となっています。そのためにCGIなるものを少し勉強しなければならない事態になりました。読んでもほとんど意味が不明で、どうしようもありません。簡単にできるところはないか、インターネットで、「分からない人はそのまま貼り付けてください」と言うのをみつけて、そのまま貼り付けてみましたが、どこに貼り付けるのか分かりません。

そんなことで丸一日、機嫌の悪い顔をして過ごしていたので、家ではひんしゅくを買っています。パソコンは家庭不和を助長するというのが、3日間の結論です。しかし何とかなるもので、カウンターは動いています。これまでよりも機能は強化され、2日間のアクセス数もカウントされます。動き出したのは31日の午後でした。sibajingu
芝大神宮 後は上弦の月と東京タワー

●大晦日の夜は、東京十社巡りをやってみました。十社というのは、なんとなく格式があるという神社が組んで連合を作ったもので、それほどの意味はありません。日本三景、四天王とか五色不動、六地蔵、七福神、八大竜王、三十三カ所めぐり、四国八十八カ所などと同じように、組になった方が多くの人が訪れやすいのでしょう。一応明治時代の準勅神社だそうです。

昼間明るいうちに歩いて◆白山神社、◆根津神社、◆神田明神、おまけの湯島天神を巡りました。まだ掃除をしている時間で、神田明神以外は人影はありません。神田明神の鳥居前の天野屋で「甘酒」を飲んで神さま巡りの準備をしました。一旦家に帰って夕食をすませ残りの七神社巡りに再出発。最初に赤坂の◆日枝山王神社、ここは国会議事堂のすぐ下です。すでに屋台が営業を開始していましたが、参拝客は若者グループが数人。

そこから赤坂の町をぬけて◆氷川神社へ。目の前にあの六本木ヒルズの明るい光があるのですが、ここだけは闇の中。あの華やかな町の一角にこんな静かな場所があるのは驚きです。一軒の屋台もないので、参詣人は少ないのだろうと想像しました。六本木の外人街をぬけて◆芝大神宮へ。ここは芝増上寺の大門の脇にあります。立派な石段と鳥居がたち、その背後に上弦の月と東京タワーが輝いています。増上寺はすでに多くの参拝客が集まっていますが、こちらはまだまだ。そこから◆品川神社に行きました。ここは私の推薦場所で、鳥居をくぐると大きな富士山があります。レインボーブリッジ方面の夜景は見事です。

勝鬨橋を渡って、◆富岡八幡宮に行きました。ここは相撲の発祥の地。横綱の奉納もあります。そろそろ十二時で、2004年へのカウントダウンが始まっていました。ものすごい人出で、富岡(深川)八幡宮 初詣入り口まで行くのに1時間ぐらいかかりそうです。12時ピッタリに阪神タイガースの応援のように風船が飛ばされました。どうもテレビ局のヤラセのようで、地元の人は「今まで見たことないよ」とのこと。八幡さまの隣には深川不動が並んでいます。こちらもすごい人出で、屋台で正しい初詣(飲み始め)の人で賑わっています。この時間は若い人が半分以上います。tomioka

◆亀戸天神の賑わいはさらに大きく、香取神社から人の波がつながっています。ここも若い人だらけ。天神さんの境内に入れないので、香取神社におまいりして、最後の◆王子神社にいく。ここは天神さんや八幡さまの人気はないが、それでもかなりの人出だった。
これまで夜中にでて初詣などしたことはなかったが、世の人々はこうやって大晦日から新年の時間を送っていたのだ。子どもたちにとっては大いばりで夜通し友達と連んでいられるのだ。こういう日があった方がいい。日常がダラダラとつづくのはよくない、時々はハレの日があり日常とは違った違った過ごし方をするのは、子どもたちにとって良いはずだ。

 

南蔵院 夜桜 

2003年4月11日(金)

●4月も11日だ。フリーターになり、毎日が日曜日なので、今日が何曜日かわからない。こんな優雅な生活がいつまで続くか、自分でも興味深い。
●夕方わが板橋区が誇る桜の名所、南蔵院に行った。巷のソメイヨシノはすでに散っているが、ここは枝垂れ桜の名所だ。我が家に滞在しているオーストラリアのご夫婦は初めて見た夜桜に感動していた。彼らは10年前の夏にも我が家に来てくれたのだが、
「次は桜の季節に来るよ」という約束を果たしてくれた。来年は我が家もオーストラリアに行かなければ。

yozakura
●今月末からは、長年の懸案だった「熊野詣で、奥駆け」を和歌山の小森さんを先達にして、やることになっている。そのトレーニングにもかからなければいけないなあ。世界では戦火を逃れて逃げまどっている人たちがいるのに、そんな呑気なことでいいのかと反省はしているのだが、実行が伴っていない。