スーパーブルーブラッドムーン

なんだかよくわからないネーミングだが、本日月蝕。もう望遠鏡はないのでデジカメで撮影。我が家の三階ベランダに三脚をおいて撮ってみた。一番赤いのは10時48分 2.5秒かけた。この時間かけると少しボケる。さらに我が家は線路に近いので電車が通ると揺れるので、ブレができた。でもまあデジカメでこれだけ撮れればいいかな。

池上本門寺

そろそろ梅が咲くかと思って、大田区の梅園に行ってみた。ほんの少ししか咲いていない。見ごろは2月に入ってからだろう。
知らなかったが、この梅園は池上本門寺の丘の下にあった。本門寺の名前だけは聞いていたが実は行ったことがなかった。裏手の大坊坂を登っていくと途中に立派な多宝塔があった。さらに登ると本堂裏手の道路に出た。この先は紅葉坂と書いてある。大坊坂を登って紅葉坂を下る、まさに峠だ。本門寺坂というのはちょっとお畏れ多いので、「大坊坂」がいいかなと思った。あとで峠楽会の方々と相談してみよう。

本門寺は実に立派なお寺だった。五重塔も立派だ。そのわきにある展望台からは大田区の多摩川低地の眺めがすばらしい。その先に見える高層ビル群は武蔵小杉駅付近だ。羽田から飛び立つヒコーキも見える。展望台を下りて本門寺の正面に向かう。

呑川にかかる霊山橋から見上げた丘の上にあがる石段が立派だった。本門寺の実力をちょっと見くびっていた。もっと早く来るべき寺院だった。再び石段をのぼって本殿に向かった。誰もいなかったのでお賽銭を入れた。大勢の人がいるときにお賽銭を入れるのはなにか気恥ずかしい。人知れずそっと入れた方が神さま仏さまには通じるような気がして。

東京タワーへ上った!

峠楽会の例会。足立支部長からの提案で、新年だから高いところへ登って、大所高所からものを考えようということになった。それには東京タワーがいい。スカイツリーは高いが値段も高い。こちらも3月から2900円になるそうだが、まだ今は900円。

しかし峠楽会なので、国道一号線にある飯倉峠にもう一度行き、その峠から東京タワーへ歩くことにした。集合場所は神谷町。今回は暮れにお餅をいただいたSさんも参加してくれた。

あまりいい天気ではなく、富士山方面は見えなかった。しかし眼下の増上寺などはよく見える。やはり高いところに登ると、気分は壮大になる。あとで六本木のNさん宅に伺うことにしていたので、道筋を確かめようとしたが、平地から見るのとは違い、なかなか見つからなかった。

峠道 国道一号線

2月の東京峠楽会の探索会は都内を出てみようということになっている。googlemapの凸凹ちずから、国道1号線(第二京浜国道)の鶴見と新子安の間には峠越えがありそうだと見当をつけて行ってみた。鶴見川を上がって1号線に出た。天然温泉が数軒ある。鶴見川の地中には、荒川低地と同じような厚い沖積層があって天然ガスや温水が含まれているのだろうと推定する。

温泉センターから正面には高台が続いている。この台地は都区内の武蔵野台地よりも一段高い下末吉台地だ。国道1号は徐々に登っている。聖ヨセフ学園の先に大きな陸橋が見える。国道は大きな切通し(峠)を越えている。陸橋の先は下り道と思っていたら、ほぼ水平な道になっている。

これじゃ「峠」とは言えないと思ったが、横浜方面に向かって右側に大きな谷が続いている。明らかに峠地形だが、国道は次の峠に上り下りをしないように山側を削って作られている。もともとの道路は2か所の峠越えをしていた。

私は最初の「響橋峠」をくだり、途中からまた国道に上がり新子安方面に下った。この付近には新しい道が作られておりトンネルを越えると生麦のICで首都高速とつながっている。高速道路は高架橋の上に作られているが、国道1号からのトンネルをでると下り道で合流する。ということは国道1号が通る下末吉台地はかなり高い。トンネル入り口には海抜30mとあった。下末吉台地は武蔵野台地よりもかなり高いことが分かった。
 カメラが不調だったので、写真はほとんどgoogleのストリートビューから。近々に入れ替えます。

駿河国一宮:富士山本宮浅間大社

駿河国一宮:富士山本宮浅間大社の記録ページを造りました。ほとんどの一宮は巡っているのですが、なかなか紀行のページが完成しません。今年中には何とか完成させますが、まだあと80ヵ所ぐらいありそうです。まあぼとぼちやります。明日は日光二荒山神社と宇都宮の二荒山神社に行ってくるつもりです。日光は寒そうです。

富士山浅間大社のページ

 

峠楽会 1月20日!

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

新年早々、ダブルブッキングで「峠楽会」の日程変更です。

予定していた13日に、「大学女性協会」(向後紀代美委員長)の南極から中継を丸山さんと手伝うことになっていました。京王プラザホテルの大会場で行われる大々的な会です。手伝いなので気楽に考えていましたが、途中で失礼というわけにはいかないようです。

ということですみませんが峠楽会の探索会を1月20日に変更してください。集合場所は東京メトロ神谷町駅、時間は1:30です。飯倉峠へあがって、さらに東京タワーに上がろうかと思っています。詳細はのちほどお知らせします。

申し訳ありませんが、ご承知ください。

酉年にもっとも驚いたこと!

この石像は讃岐一宮の田村神社で見たものです。サル、キジ、イヌ です。この神社には桃太郎伝説があります。桃太郎というからには桃の産地の岡山県という印象がありますが、鬼退治に行くのは瀬戸内海の鬼ヶ島。なので桃太郎伝説は岡山県側と香川県側の両方にあるのです。近年は香川県にある鬼ヶ島のほうが桃太郎物語を盛り上げているようです。
桃太郎が引き連れたのは、サル、トリ、イヌ でした。この石像を見るまで桃太郎が連れていた動物が干支に由来するとは思っていませんでしたが、ハタと気が付きました。キジは干支にはないと思っていましたが、キジもトリの仲間。トリ年のうちに気が付いてよかった。

   ところで、この神社の桃太郎はまだ子どもで、実際にこれら動物を引き連れて鬼ヶ島に向かうよう指揮をしているのは桃太郎の姉の桃そ姫です。上の写真は田村神社に作られたレリーフです。姉が桃太郎を指揮しているのがわかるでしょ! この姉のモモソヒメは田村神社のご祭神なのです。
さらに歴史に詳しい人ならすぐに、「モモソヒメって三輪山のふもとの箸墓に祀られている姫なの?」と思うでしょう。まさにその人なのです。
さらに箸墓のヒメは卑弥呼であるということもご存知でしょう。ということはモモタロウの姉は卑弥呼なのです。桃太郎と桃そ姫、兄弟で鬼退治したのです。意外なところに卑弥呼が出てきて驚いたでしょう。

2017年、私が最も驚いたことの一つです。

金戒光明寺はすごい寺だった!

  詩仙堂を出て白川通りをひたすら下っていく。京都の町は碁盤の目のように縦横に区切られているので目的地に行くのは簡単だ。銀閣寺のまえに着いた。ここは昨日とおった今出川通り。吉田山の上にあった茂庵から下がったこの道を薄暗くなった中を同志社大学まで歩き、大学のレストランで夕食をとった。  今日は白川通りをさらに下り、白川に沿って下ると「真如堂」への道が見えた。次の目的地だったが登り路になっている。すでに15000も歩いているので真如堂は即座に却下。岡崎神社を通って金戒光明寺へ上がることにした。岡崎神社はなかなか立派な神社。とくにウサギの狛犬(?)がうれしかった。

東京峠楽会 西郷山を歩く

2月のぶらりバークラブは、東京峠楽会に変わることになった。その第一回の散歩コースはちょっと印象に残るような峠道にしなければいけないなと考えていた。東京地形図を見ると渋谷のあたりは細長い台地に小さな谷が切り込んでいる場所が多くあった。その中で一番典型的なのが、上の地図で矢印をしたトンネルの場所だった。両方から谷が入り混んでいる。前にも歩いたことがあるが、トンネルの上は昔の三田上水が通っていた。三田上水は目黒区の三田の高台を通る上水で、玉川上水から別れたものだった。とりあえず地図を作ってみた。

本日午前中にはZENさんの報告会を聞いてきた。先日ペルー大使館で行われた「マルチンチャンビ」の写真展を企画した人だ。この写真展が高く評価され、各地でお話をすろことになったようだ。本日はペルー大使館のすぐそばの会場で、お昼をいただきながらのお話だったが、ZENさん独壇場。他の報告者を寄せ付けない圧倒的知識を披露していた。会場にはZENってだれ?という人もいたが、我が知り合いの人だということで、KAWADAさんNAGAOKA夫妻と気分良くお昼を食べることができた。昔から虎の威を借りて威張るのが得意だったが、また威張ることができそうだ。

 

 

サピエンス全史

池袋のジュンク堂へ行って、サピエンス全史を買ってきた。白内障の手術の後、遠くはよく見えるようになったものの、近くが見えないので本を読むことが少なくなった。こんな大著を読むのは久しぶりだ。

でも2ページぐらいまで読んだところで、もう疲れて(目と気分が)あとは目次だけを見た。ビルゲイツ、ザッカーバーグとか山際壽一と堀江貴文、池上彰らが推薦しているので、読まなけりゃというプレッシャーはあったが、どうにも進まない。

帯に書かれた推薦文は
「歴史と現代社会の最大の問題に取り組んだ書」
「進化と文明の歴史を幸福の視点から問い直す」
「妄想力こそが人類の礎、虚構の上築かれた人言の壮大な文明の歴史を描ききる」
「ホモサピエンスだけがなぜ生きき残り反映できたか?そんな疑問を丁寧に解説した一冊」(堀江)
「人類史の常識がいま覆る」

まあまあ、新聞各紙が大絶賛、NHKクローズアップ現代でも大反響。結局今日は5ページぐらいまでしか進まなかった。こりゃ推薦人の池上彰さんに解説してもらったほうが良さそうだ。半ボケの私の脳みそではむりだ!
ハラリさん、ごめん!

松戸のお富士さん

昨日常磐線の窓から見ていたら、線路際にお富士さんらしいものがあった。松戸に富士塚があることは知っていたので、あれに違いないと思っていた。しかし水戸まで行く予定だったので、途中下車はできなかった。

帰りに途中下車をして、寄ってみた。線路わきにあるのだが、線路沿いには道路がないので大回りしなければならない。金古神社とあり、線路を超す跨線橋が参道になっている珍しい神社だ。鳥居をくぐると金古神社の社殿があり、そのわきから石段を上るようになっている。神社の社殿から上は富士の溶岩が積み上げてあるので、富士塚の雰囲気だ。

途中には人穴もあり小御嶽神社もある。さらに昇っていくと頂上に浅間神社があった。頂上は都内の富士塚よりもかなり広く、数十人があるまることはできそうだ。その周りに清水講の登山記念の石碑がたくさん立っている。古いものは大正時代、新しいのは平成になってからのものもある。現在も続いている「講」のようだ。すばらしいお富士さんだ。

初詣は酉年なのに猿田彦!

170105sarutahiko すでに申年は終わってしまったが、どういうわけか猿田彦神社で初詣になってしまった。最初は杉並区にある大宮八幡宮に行こうと思って、阿佐ヶ谷駅から歩き始めた。杉並6小学校を過ぎて青梅街道に出る手前に猿田彦神社があった。最近伊勢神宮についていろいろ考えていることがある。伊勢神宮の外宮と内宮の間にこの猿田彦神社がある。なんでこんな重要なところに猿田彦と天鈿女ご夫妻の神社があるのか不思議だった。

私の知るところでは内宮の神様である天照大神の孫が天から下って来るとき道案内したのは天鈿女という神だった。地上で待っていて導きをしたのが猿田彦。この二人はのちに夫婦になる。日本神話では重要な役割を果たした神様だが、現在の世の中ではそれほど評価は高くない。しかし内宮外宮のバランスをとるような場所に位置していることは、その昔はなにか因縁があったことが想像される。

今年は三輪神社巡りに加えて猿田彦神社もめぐって、その神様の意味を考えてみたい。そう思っていた矢先に猿田彦神社に出会ったことは何かのめぐりあわせだ。大宮八幡宮に詣でるのはやめて青梅街道でバスに乗った。バス券を持っているので大いに利用させてもらった。

 

馬込は凸凹、坂だらけ!

161209map-deko1馬込駅から西馬込に歩いてみた。予想以上にデコボコの街だった。幼稚園児のお母さんたちは全員電動の自転車だった。ママチャリではこの地域を行き来できない。高校生は立ちこぎで坂をのぼていた。坂はたくさんあるのだが、峠となるとあまりない。馬込図書館前と大田区郷土館のまえあたりが一番峠的地形だが、この次の本番でもっといい峠が見つかるかも知れない。161209magome1これはすばらしい。何がって!上から新幹線、国道一号線、環七、その下に都営三田線が走っている。4段がさね。161209dendo-cycle大田区郷土館には先日までKITAMURAくんが勤めていた。毎日この坂を上っていたそうだ。お母さんたちは全員電動自転車だった。

戸越銀座は谷間だった!

161201%e6%88%b8%e8%b6%8a%e9%8a%80%e5%ba%a7 戸越銀座という駅で降りた。国道1号線(第二京浜)の下を通る都営地下鉄浅草線の駅だ。改札を出て階段を上がると広い国道に出るが、それに直交して戸越銀座が伸びている。この辺りは小池都知事が推奨している電柱がない道路だ。電線バリバリの道に慣れた身には、ちょっとすっきりしすぎの感じだ。昔は荏原区だったのに品川区に乗っ取られた161201%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0というジイサンに出会った。

雨が降ると水浸しになる道路だったと言う。確かに両側は上り坂になっており、戸越銀座通りが昔は谷間だったことが分かる。ちょうど地質のボーリング工事をやっていたので1時間ほど眺めていた。鉄パイプを10mつないで土を採集している。私も昔は簡易ボーリングをやっていたことがあるが、本格的な仕事はすばらしい。10mもの地下の土を30分ほどで引き揚げてくる。その資料を見ると10mでけっこう硬いシルト層になるようだ。戸越銀座通りは武蔵野台地に刻まれた谷を埋め立てたものだから、ヘドロの層はそれほど厚くないので、10mほどの杭を打てば商店の土台になるようだ。もちろん高層ビルはこんな土台ではムリだろうが。161201%e5%85%ab%e5%b9%a1%e5%ae%ae

通りにミシンを並べた店があった。いまどきミシンを修理してくれる店は少ない。我が家の古いミシンを引き取ってもらおうかな。その店の横の道を上ってみる。途中に「八幡坂」と書いてあった。坂の上に戸越八幡宮があった。由緒正しい感じの宮だ。そこに「江戸を越え・・・」という古歌が書いてあった。戸越しと161201%e6%96%87%e5%ba%ab%e3%81%ae%e6%9d%9c言うのは江戸越から出た名前だそうだ。

八幡宮の前の「宮前」商店街を抜けて、「文書の杜」「戸越公園」を見る。三井家、細川家の屋敷跡だそうだ。昔の殿さまや豪商は江戸のいい場所を占領していたんだな。
161201%e5%a4%a7%e5%b4%8e%e9%ab%98%e3%83%88%e3%83%b3%e3%83%8d%e3%83%ab公園を抜けると大原通り。

大崎高校が空中に浮かんでいる。道路を通すためにコンクリートで敷地を造って盛り上げたようだ。歩道トンネルだけが完成しているので通ってみたが、大井町線をくぐったり大変な工事がなされている。補助何号線とかだが、我が家付近は何年たっても計画だけ。ここはオリンピック用地に関連しているようで、かなり工事は進んでいる。

しかし工事とは関係もなさそうなおじさんが、「小池知事になって工事が止まっているんだよ」と心配していた。小池さんの影響は大変なものだなあ。

松本で舞囃子

昨日、大きな地震があり、津波もおこったという一大事にも関わらず、我らは松本にいて、優雅に松本の能楽の会に参加しています。もちろん奥さんだけで私はいつものようにビデオ係です。今回は能楽堂ではなく、旅館の舞台を借りての会ですが、70人もの人があつまる大盛況でした。
松本はお能はあまり盛んではないようで、能楽堂もなく指導の方もほとんどおられないのだそうだ。そこへ澤風会の先生が乗り込んで、能楽の風を吹き込みたいそうだ。昨年は少人数だったが、今年は倍増する感じだった。なかなか素晴らしい。どの世界でも開拓者はエライ。我が奥さまもほんのちょっとだけど貢献しているかな!
今回の出し物は「羽衣」、短い練習期間だったが、なかなかうまく舞えたようだ。でも照明が悪いので、カメラマンとしてはちょっと不満足だった。161123hagoromo1