大仏さんは阿弥陀さん?お釈迦さん?

160109daibut我がぶらリバークラブの面々、それぞれの分野に造詣が深い。昨日はSEKI根さんから「この大仏さんは阿弥陀さんか、それともお釈迦さんか?」というクイズを出された。私は「大仏さんてみな同じじゃないの?」と答えたが、宗旨によって大仏さんもそれぞれ違うのだそうだ。ちなみにここは妙法寺、日蓮宗の寺なのでお釈迦さんの大仏だ。

与謝野晶子の和歌に
「かまくらや みほとけなれど  釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」

鎌倉の大仏さんをたたえた歌だが、大仏さんのいる高徳院は浄土宗の寺だから、阿弥陀様でなければならない。釈迦牟尼とおもった与謝野晶子は間違っているそうだ。

インターネットで調べてみたら、次のようになっていた。大仏さんにもいろいろある。年寄りは知識の塊だから、やはり大事にしたほうがいいな。

鎌倉大仏:浄土宗・阿弥陀如来

奈良の大仏:東大寺・華厳宗 毘廬舎那仏

兵庫大仏:天台宗・毘廬舎那仏  元日本三大大仏

牛久大仏:浄土真宗・阿弥陀如来

東京(赤塚)大仏:浄土宗・阿弥陀如来

 

ゴジラと大仏

ぶらりバークラブの今年第1回の探索行。二子玉川駅集合で、仙川をさかのぼった。本日は13人のも方が来てくださった。親子二代で来てくれた人も。でもジジババの集まりだから、若者には物足りなかっただろう。ちょっと申し訳ない。

160109gozira1160109gozira2本日のメインはゴジラと大仏だった。ゴジラは東宝の撮影所入り口の壁に描かれた11mの大きさの壁画。前回は大きさを比較する対照がなかったが、今回は我れらがゴジラに前に立ってもらって写した。大きさがわかる。

もう一つは大仏さん。東宝の撮影所のすぐ近くにある。仙川の川岸の崖上にあるので遠くからもよく見える。この大仏さんは9時から5時に旋回すると書いてあった。9時と5時にぐるっと回るのかと思っていた。そのためには9時に大仏さんの前にで待っている必要があると思っていた。

本日お参りしてみてやっとわかった。この大仏さんは通常南を向いているが、石段を上がるとセンサーが働きお参りの人の方に向きを変えるのだ。要は参道が南北を向いていないので、そのままだと横顔を拝むことになるので、人が来るたびに正面を向くようにしてある。

大変失礼だが、ついつい面白がって次ぎ次ぎにお参りしたので、大仏さんはそのたびにお顔をむけてくれたので、お疲れになったかもしれない。ごめんなさい。それはそうと、どうして最初に南向きに参拝所を作れば問題なかったのに、どうしてそうなったのか?ちょっと不思議。

水爆実験! 時代錯誤

北朝鮮が水爆実験を行ったという。気象庁の発表では北朝鮮の北西部を震源とする地震があり、その波形は通常の地震のS波が観測されないことから、爆発によるマグニチュード5.1の地震であるとしている。これを専門家が解釈すると核爆弾に違いないということらしい。北朝鮮の発表は水素爆弾というが、水素爆弾にしては規模は小さい。小型水爆ではなくて原爆だろうというのが韓国やアメリカの判断らしいとTVでは報じている。日本は情報を収集して判断するそうだが、独自の解釈はないようだ。

大騒ぎさせるのが北朝鮮のやり方だが、それに組するのは嫌だ。しかし政府やマスコミは北朝鮮を叩くのはいまだとばかり大騒ぎを始めた。北朝鮮の思うつぼだろうが、日本政府も思うつぼ。これで安保法案は安泰ということになりそうだ。拉致問題も水爆騒動でかすんでしまう。政府はこれでいいわけができる。どうにもやりきれない。

昨日「ゴジラがいた」というブログで、1954年(昭和29年)アメリカは マーシャル諸島のビキニ環礁での水爆実験で、ゴジラが出現したと書いたばかり。もう少し詳しく書いておく。

日本のマグロ漁船第5福竜丸が水爆実験の死の灰を受けて、乗り組員の久保山愛吉さんが亡くなった。当時世界中が大騒ぎになったことはよく覚えている。第5福竜丸は現在は夢の島に展示されている。ビキニ環礁は現在でも放射能汚染で帰島困難だ。原爆の数千倍の威力を持つ水爆の恐ろしさは世界中に知れ渡り、水爆については幻の兵器として封印されており、その後水爆実験は行われていない。しかし北朝鮮はその封印をかってにといてしまった。世界中が驚き怒っている。世界中の人々は断固たる処置を取らなければならない。この時代になってこんなことをするなんて!

よけいな話だが「ビキニ」という水着がある。ビキニ環礁には第二次世界大戦の後アメリカが核実験場を造って原爆実験をやっていた。その噴煙(キノコ雲)のすざましさをフランスのデザイナーが表現したことに由来する。その後さらに規模の大きい水爆実験でイメージが拡大し世界に広まったのだそうだ。ビキニといったら平和な世界の象徴みたいだが、私ら世代には、背後に核実験の影をみる。

ゴジラがいた!

Agozira今年の最初のぶらリバークラブは仙川探索行にした。本日下見のために二子玉川駅から歩いてみた。最初は前回歩いた丸子川との分流点に行った。多摩川低地では多くの水路が掘られていた。いわゆる六郷用水である。丸子川も六郷用水の一部である。

そこからさらに進むと旧の水路が残っているのを見つけた。これは地元の人もあまり知らない大発見。今年は最初から縁起がいい! 旧水路かどうかは「川の地図辞典」(之潮{Collegio})で調べる。この本は過去の地形図も載せられており、大変な資料になる本だ。世の中にはこんないい本がある。私の本などほとんど意味のない本だな!!

旧水路跡をたどって世田谷通りに出たら、大仏さんがあった。ぐるっと回って大仏を見て、再び世田谷通りに出たら、こんどは巨大ゴジラにであった。TOHOの撮影所の前の建物に描かれたものだ。これは目立つ。

ゴジラは海神『呉爾羅』の名からつけられた。私は子どもの頃、ゴリラとクジラを合わせた名前だと聞いていたのだが。 1954年米国はマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行った。そのことに影響されて映画がつくられた。水爆実験のせいで海底に潜んでいた古代生物が突然変異を起こしてゴジラが誕生した。体内被曝によって巨大化し、性格は獰猛になり、口から高温の放射能吐きだした。自分の住むところを奪った人間を憎んで、都市を激しく破壊した。こどもの頃この破壊は恐ろしいというよりも、痛快という感じがした記憶がある。

とてつもなく獰猛で、悪の権化のようだが、ムリヤリ人間の作った放射能によって異形にされ恐れられるようになった。しかし本当はかわいそうなゴジラ。人間を恨むのは当然だよな! という風な設定で描かれていたのだろう。核実験をやった人間、特にアメリカが悪いという感情は強かったように思う。そんなことを思い出しながら、仙川を歩いて成城学園駅まで行った。11日に仲間の連中と歩くのだが、ゴジラにどんな印象を持っているか、年代別に聞いてみたら面白いだろうな。

謹賀新年 年賀状

gazo5 信仰心は希薄なので、どこに初詣に行くかは決まっていない。本日は近くの熊野神社に行ったが、その後にもいくつか神社や寺をはしごした。上の写真は拝殿、狛犬、門松全部ばらばらのものを並べて作った初詣イメージです。

毎年1日は実業団駅伝、2日、3日は箱根駅伝で、三が日は終わるのだが、今年は孫たちの襲来と96歳のばあちゃんのお守で駅伝を見る暇がなかった。まあ駅伝なんか見てるよりも、孫と縄跳びの練習をしている方がはるかに楽しいことだ。みんな帰ったあと、老人家庭はさびしもんだ。年賀状を一枚ずつ、ていねいに眺めながら、みなさんの顔を思い出す。

昨年の年賀状で「70歳で年賀状はやめます」と宣言した人から、「やめると言ったんだから、出さないでよ!」というお叱りのメールを受けた。出さない宣言であって、受け取らない宣言ではないと思って出したが、申し訳ないことをした。来年は出しません。

でも私は返信がなくても送り続けている人が数人いる。時々会うと「もう出さなくてもいいよ」と言われるが、これまでの感謝をこめて出しているつもりだった。でも迷惑だったかなと思う。ちょっとさみしいが、そろそろ年賀状もやめようかな、と考え始めた。でも後期高齢者になるまでは、つづけようか・・

大みそか 下弦の月と木星!

2015年最後の日。今年はいろいろ大変な年だった。

私と同年の栃木のKAさん、今年の4月から四国遍路を始め5月、6月と札所を巡った。6月末に29番の高知県国分寺を巡ったとところで、暑くなりしばらく休んで10月から再開するつもりだった。私たちも同じ頃から遍路を初めて6月に27番の神峯寺で終了した。彼の方が少し速いなあ、などと思った。しかし彼はすでに病に侵されており、自分でも最後まではかなわないと覚悟していたそうだ。10月、再開することなく亡くなった。

今年の正月に会った時には元気そうだったが、すでに病のことは知っていた。私とは同年齢。重たい重たい気持ちで四国遍路をしていたのだろう。私たちは軽やかにハイキング気分でいたが、四国遍路で出会う人はそれぞれ重荷を負っているようだ。私たちは9月に再開したが、衰えが激しく36番の青龍寺(しょうりゅうじ)までしか行けなかった。かの朝青龍の母校がある場所だ。そのあと続けるつもりだが、私たちにも様々なことがあり、暖かくなるまで休眠中。しかしKAさんのことを聞いて、かなりのショック。なんとしてでも再開にこぎつけたい。

151231moon 紅白歌合戦はあまり見たくないので、王子のキツネの行列を見るために外出した。昨年はかなり寒かったが、今年はエルニーニョのせいか、それほどでもない。

空には月が出ており、その脇に木星がくっついていた。なかなか見れない光景なので急いで高級カメラを取りに戻って撮影。この形は「下弦の月」です。「エエーッ! 弦は上にあるじゃないか」実はこの月は東の空に昇ったばかり。下弦か上弦は西の空に沈む時に弦が上か下かということ。今12月31日だけど明日1月1日の日の出前には弦が下になっているはずだ。

月の左にゴミみたいに写っているのは木星です。両方がこんなに近くにあるのは珍しいのです。

ブログに表を入れる! 案外難しいのだ!

今年は腰が痛み、心臓が痛み、目の手術など 体調不良が続いた。この年になると1週間身体を動かさないと、筋肉があっという間に衰えてしまう。なんとかそれを防ぎたくて、ムリヤリ身体を動かそうとした。しかし体操や筋トレをするのは苦手なので、結局歩け歩けになった。歩くことが私の身体には一番あっているようだ。

ということで、携帯電話の歩数計を持って歩くことにした。一日1万歩を目標に歩いてみた結果、予想よりも歩数は多かった。これが現在の体調「やや戻し」につながる成果だったと思っている。忘れないようにここにメモしておく。40万歩を越えた月が3カ月もあった。なかなかエライ。

さらにこのブログに表を入れることができたこともエライ。

2015年1月 311321歩
2015年2月 259124歩
2015年3月 474407歩
2015年4月 363295歩
2015年5月 485602歩
2015年6月 324304歩
2015年7月 332624歩
2015年8月  323738歩
 2015年9月  303275歩
2015年10月 284581歩
2015年11月 399597歩
2015年12月 444547歩

スキー場に雪が降った!

151226iwappara1 26日に越後湯沢に来たが、雪がほとんどないので人影はまばら。聞いてみると、湯沢町のスキー場で開いているのはみつまたかぐらだけで、そこへ行く国道は大混雑だそうだ。スキー場の人たちは「正月までに降ってくれないかなあ!」とこぼしていた。151226iwappara2
気温は2時ごろ8℃だったから、冬型の気圧配置になっても雨になるかもしれない、と思っていた。
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ところが朝起きてみたら、大雪! 車の上には20㎝ほど積もっており、スキー場のゲレンデは真っ白になっている。これならなんとかスキーができそう。いまごろきっと従業員を集めているのだろうな。

私はスキーの支度をしていないので、交通が途絶する前に雪国を脱出して、国境の長いトンネルを抜けた。こちらはまったくの青空。国境の山々でこれだけの気候の差があることを実感した。

池袋 高層スラム街??

151224suramu01  池袋の東口、再開発地域に豊島区役所ができた。これまでかなりぼろっちい区役所だった、新しくしてあげたいなあ!と思っていた。立派な建物ができてよかった!

でも近くに行ってちょっと驚いた。としまエコミューゼとか名づけられているが、遠くから見たら、なんやらブラジルとかトルコで見たスラム街のような感じ。まあこれでいいというなら文句はないけど・・・・・

と思っていたら、この建物の設計者は国立競技場A案の人だそうだ。豊島区役所程度ならまあしょうがないが、これ国立競技場と言われたら、ちょっと何とかしてよ! と言いたくなる。森元首相の言うようにB案のほうがよかったのに。森さんが余計なことを言うから、おかしなほうが選ばれたことになった。

偉い人は余計なことを言ってはいけないことがわかっていないな。今からでも遅くはないから森元総理の言うように直したら。と言っても世の人は森さんに拒否感があるから無理だろうけど。

高尾山駅はきれいになった!

高尾山口駅と緑の京王線・・・隈研吾デザイン

高尾山口駅と緑の京王線・・・隈研吾デザイン

ダイヤモンド富士を高尾山のもみじ台から眺めようと、急に「若い女性」のパーティから誘われたので、いさんでとんで行った。しかし雲いきはあやしく、午前中はまあまあだったが午後になるとぽつぽつと降り始めた。私は6号路という滝のあるコースを上がって行った。途中、SEKI根家の金魚のお墓がある祠に詣でて、大山橋を通りもうすぐで稲荷山コースにたどりつくところで、雨がひどくなったので、下り始めた。

先発隊はもみじ台で場所取りをしてくれていたが、富士山などどこにあるかもわからない状態で、ケーブル駅に向けて下ると携帯電話で連絡してきた。私たちは稲荷山コースを下ることにする。我ら後発組は食料、コンロ、ワインを持っているので、心強い。ケーブル乗り場の近くまで降りて来たら、先発隊はお店に入ってもう宴会らしい。我らは雨が止んだので、お稲荷さんの広場で、Oさんが作ってくれた冬至かぼちゃを肴にワイン! と思ったが、なんとワインオープナーがない。アルゼンチンからのワイン! 残念ながら眺めるだけになった。

再び雨、出来上がったチームと合流して駅へ。10月末に高尾山駅に温泉ができたのでそちらに移動。一緒に入るわけにはいかないので私は一人さびしく!ここでお別れ! なかなか立派な温泉施設。オープンしたばかりなのと雨の休日なので、超満員!

 

 

 

お寺ごはん! お寺のカフェ

151222teracafe 151222teracafe2 不調克服のために1万5千歩の散歩を続けている。1万歩までなら、通常生活で何とかなるが、あと5千歩はかなり意識していなければなかなか達成できない。毎日目標を持つことは大事だが、かえってこれがストレスにもなる。そこでまあ1万5千歩程度に行くといいな!という感じで歩いている。

本日は池袋ちかくの谷端川緑道を山手通りの熊野町交差点から歩いてみた。ほぼ山手通りに沿っているので迷うことはない。池袋付近の地形がよくわかる道でうれしい。しばらく行くと西武池袋線で緑道は途切れる。近くの踏切を渡って確かめながらいくと、椎名町駅に出た。さらに川跡は続いているが、トイレを探して踏切を渡った。

ふだん通っている道だったが、金剛院というお寺の赤い門の脇に何やらしゃれたガラス張りのカフェがある。さっそく入ってメニューを見ると「お寺ご飯」というのがあり、それを注文。トイレにもはいる。すばらしくきれいなトイレで感激。

このカフェは「なゆた」という名前で、お寺の経営なのだそうだ。パンフレットを見ると2014年にオープンし、日経新聞などで紹介されたために今や椎名町の名所になっているそうだ。和尚さんのアイディアなかなかだ。私もひいきにしよう。火曜日定休日です。テラス席はお犬様も一緒に入れるようだ。

ちょっとそこまで行商中!

裏表紙と続きで、家から走りだしているのです。

裏表紙と続きで、家から走りだしているのです。

「ちょっとそこまで走り旅」が出版されてそろそろ1カ月になるけど、アマゾンに申し込んだ本はまだ来ない。どうなっているのか?? 楽天で買ったよ! とか 本は地元の本屋で買う!という人、直接出版社に申し込んだという人など連絡が入る。時々、紙のムダだよ! とか 買わなくていいよ! とかの声も聞こえるが、私も表紙制作の長野さん丸山さんも、タイトルをつけてくれた田口さんも、みなさん自分のことのように協力してくれている。ありがたいことだ。

私も先日は群馬まで小林さん、鎌田さんに売りつけに行った。昨日は二子玉川まで8冊も担いで押し売りをしてきた。さらにあちこちに宣伝用にむりやり送りつけたりしている。まさに越中富山の薬売りみたいな気持。最初に50冊ほど仕入れ。それを売り歩いているが、売れた分だけまた買いに行っているので、ほぼ100冊は買い取った勘定になる。さらに今は池袋のジュンク堂にほぼ毎日買いに行っている。これでジュンク堂は少し見直して大量に仕入れてくれるのではないかという魂胆だ。

本を作るというのは簡単だが、本を売るというのはいかに大変か、身をもって感じている。私は商売をしたことがないので、分らなかったが、商売人のみなさんはいろいろ大変な思いをしているのだなあと感じる今日この頃。さあ今日もジュンク堂に行って買わなきゃ。・・・・でもこれって自分で自分の足を喰っているタコと変わりがないんじゃない??? どうにも計算ができないんだけど!!

上の大きな画像をクリックすると、創文企画につながります。そこから買ってもらえば、皆さんには一番いいのですが。・・・・

地下に四国霊場があった!

1512219tamagawadaisi 今年最後のぶらリバー探索! 二子玉川駅から丸子川をさかのぼった。田園都市線の線を脇、昔の玉電跡をのぼって線路を越えた。富士山がすばらしく見えた。246号線をくぐって、玉川大師を経て、治太夫橋を渡って、静嘉堂文庫には入らず、岡本民家園を見て、八幡様に詣でて、聖ドミニコ学園に下り、東名高速道路を越えて砧公園に入る。そこを悠々と流れている丸子川を行き来して、清掃工場わきからは暗渠になった川跡を探しながら、祖師谷大蔵までいった。

川の脇を通れるかどうか、本日は斥候役のUI君がいたのでス-ムーズに歩くことができた。ありがとう。以下のアドレスをクリックすると、本日歩いたコースが表示されます。UI君の作です。私もこういう地図を作りたいのですが、どんな器具を使うのか??

https://drive.google.com/file/d/0B-yGAWo942ahdjl2LWE2OUtUUW8/view?usp=drivesdk

  ところで本日のハイライトは国宝が展示されている静嘉堂文庫美術館ではなく、何やらあやしい玉川大師の地下霊場。大師様の名のとおり弘法大師をまつるお寺だ。ここには大師堂だけでなく、四国八十八か所の霊場がつくられている。それもお堂の地下に。
 その話は常連のOGATAさんがもたらしてくれたもので、ぜひお参りをしたいと思っていた。暗い所や狭いところは大嫌いという数人を除いてこわいもの見たさで100円を払って、本堂内から地下へ。神聖なところですから写真を撮ったり騒いだりしないようにという注意があった。地下へ下る道にはライトはなく、真っ暗。両側の壁を触りながら、足をそっと出すしかない。「お遍路の不安な気持ちを感じてもらうためにあえて真っ暗にしている」そうだ。
 暗闇は思ったよりもはるかに長く、深い。最奥には明かりがともり88体どころではない数多くの仏さまが並んでいる。真っ暗な中で突然数多くの仏さまに出会うとなにやらありがたい気持ちになる。なかなかよく考えられた演出だ。また再び暗闇をとおって、明るい本堂に出た時にはさらにありがたい気持ちになった。

蚊喰踏切! 房総ワンダーハイキング 

151215kakui02 朝日カルチャーセンター千葉の「ワンダーハイキング」講座に行ってきました。自然を中心に「ワンダー」(ふしぎとか驚異)を見つけるハイキングです。コースは外房線の長田駅から九十九里崖線を歩き、さらに東金崖線を登って昭和の森公園に上がって九十九里浜を眺めようというものです。さらに今回は芸術に詳しいHANASAKIさんがおられるので、ホキ美術館にもいこうという計画で出発ししました。ホキ美術館は休館日! 残念!

151215kakui01 ハイキングコースについては11月の下見の時に書いたので、今回は別のワンダー!発見。それについて書いておきます。

永田駅付近時々しか列車は来ないので踏切待ちをすることはないが、本日はちょうど引っかかった。待っている間に踏切脇を眺めると「蚊喰踏切」とある。「何て読むのかな?」とつぶやくと脇にいたおじさんが「かぐい」だよと教えてくれた。「蚊が多かったのかな?」「この辺りは広い湿地で、蚊はいっぱいいた。よく食われたもんだ!」という。「なるほどそうだったんだ!」

しかしそれなら「蚊が喰う」のではなく、「蚊に喰われる」という意味にしないとおかしい。帰ってからいろいろ調べてみると、蚊喰鳥かじつはコウモリのことで、俳句の夏の季語になっているのだとか。コウモリが蚊をこのんで食べることは昔から知られている。蚊を食べる=かわほり と言い、「かわほり」がコウモリに変化したのだと書いてある。

さすが昔の鉄道マンは教養が深かった。奇をてらって「蚊喰踏切」としたわけではない。「変な名前」などと思ったのは私の教養のなさの表れ!

我宿に 一夜たのむぞ 蚊喰鳥     一茶

かわほりの かくれ住けり 破れ傘     蕪村

正一位 山中稲荷大明神 の由来は?

151212yamanaka 東上線の中板橋駅の踏切の脇に写真のようなお稲荷さんがある。「正一位 山中稲荷大明神 」とある。正一位というのは聖徳太子が作った冠位十二階が起源で、人物や神様の位を正一位から従一位、正二位とか順序をつけた。平安時代には藤原家というだけで、高い位についたが、その後は正一位というのはなかなかなれなかったし、正一位は亡くなった後に贈られる称号になったそうだ。豊臣秀吉は正一位だが織田信長は正二位だったので、大正時代になって初めて正一位になったというエピソードがある。現在では生きている人が正一位になることはない。

 一方神様は時代が下がると段々出世するので最後にはみな正一位になる。普通の神社ではわざわざ正一位というのは野暮なので、しないそうだが、伏見稲荷だけは正一位伏見稲荷大社だそうだ。さらに分祀された稲荷神社もみな正一位と名乗ることにしている。それで、我が家の近くの山中稲荷も正一位ということだ。
 
 それで話は終わりではなく、「山中」の意味である。大ではないがかなり都会的な我が板橋区で、なんで山中なの?
 注意してみていると我が家の近くには「山中交番」「山中トンネル」(線路の下のガード)など「山中」がいくつもある。実はこれらは東上線の大山駅と中板橋駅のあいだにある。それで「山中」なのだそうだ。なんだそんな単純なこと・・・・でも地名の起源はけっこうそんなものがあるんだ。
 ちなみに我が大山は大山街道沿いにある集落。板橋は板の橋があった(いまでもある)宿場から来たものだ。