30日に行った鎌倉ですが、前日のブログに写真を並べています。写真日記!石の名前は判るのですが、お花の名前は判らないのがたくさん。どなたか教えてください。
木レンゲツツジ
下は 萩 ホトトギスだよ!
カテゴリーアーカイブ: ぶらリバー
ご近所の病院、お花
ご近所の花
松本です。紅葉狩り!
子持山から猿ヶ京 紅葉見物
三国街道というのはほとんど国道18号線に沿っているが、渋川から猿ヶ京のあたりまでは、上越線が通る利根川沿いではなく、小野上と子持山の間の峠を越え中山宿(新田宿)にでて、さらに赤根峠を越えて沼田にでる。私は赤根峠のトンネルをくぐらないでさらに旧道を行くのが好きなので、くねくね道を行く。途中に塩原太助馬つなぎの松がある。それを見て、塩原太助の・・宿をこえて猿ヶ京に向かう。猿ヶ京には関所があった。いまは「関所の湯」があるあたりだ。
その辺りの紅葉を見て回った。最近はたいてい群馬天文台の入り口からちょっと中山宿の方へ下ったところにあるパエリヤ屋さんに寄ることが多い。ここでおいしいパエリアをいただいて、ゆっくりコーヒーを飲んで優雅なひと時。我が家に帰ってパエリヤとやらを作ってみたいのだが、奥さんは「やってみてよ!」と冷たく言うだけ。私が料理ができないことを承知している。でもやってみようと思っているのだが・・・・
坪井くんの本を読みながら!
京都にいます
四国遍路第4弾‐3 32番まで
本日で3日目終了。天気は連日快晴だが、夕方から少し怪しくなってきた。高知駅前のホテルに泊まった。連休中なので早めに予約しておいてよかった。満室のようだった。セルフサービスで無料の朝食をたべて、はりまや橋まで歩く。ここから奥さんは土佐電鉄の路面電車で「美術館前」まで行き、31番の竹林寺へ向かう。ここは五台山という中国の有名な名山の名前をとった山の上にある。途中あった人が「自転車ではいけない」と忠告してくれたが無視して登ってみたが、忠告に従うべきだった。押すだけでなく担がなければいけない場所もあった。自転車は重い。 第31番五台山 竹林寺
五台山(145m)の上には牧野植物園がある。牧野富太郎は土佐の出身。世界的には坂本龍馬よりも有名な学者さんだ。我が都立大学にも巻の標本館があった。自転車を押し上げて園内の遊歩道をしばらく行くと、登り口であったオランダ人にあう。彼はもう何年もお遍路のために日本に来ているとか。仏さんのことは私よりも詳しい。でもキャノンさんは…というのが分からなかったが、だいぶしてから観音さんだと分かった。ムムー! 31番竹林寺は日本三文殊の一つだそうだ。あと二つは・・・素晴らしい五重塔がある。また本堂に上る石段の周りはすばらしいモミジ。いまは緑だがあと少々で紅葉する。京都の神護寺に匹敵する美しさだろう。
下りの遍路道は自転車では無理なので、奥さまが自転車で車道を下りる。私は石段をオランダ人と一緒に下る。川沿いにでるとまだ奥さんは来ていない。坂が急すぎて、ブレーキを握っていると握力がなくなって、休み休み来たからだそうだ。自転車も楽ではない。下田川沿いには「浜口雄幸」の碑がある。土佐は明治維新に多くの人材を送った。
第32番 禅師峰寺(ぜんじぶじ)
下田川を3キロ下り、高速道路をくぐると左手に石下トンネルが見える。抜けると十市池、その向こうに八葉山があるが、たぶんその上に禅師峰寺がある。登り口で車道と遍路道に分かれる。自転車を置いて遍路道を15分ほど登ると、珍しい石の前に立つ不動明王に出会う。ここは石の寺で、境内は石だらけ。 境内は大変眺めがいい。遠くに浦戸大橋が見え、桂浜の丘が見える。昔潜水艦を個人でつくった竹内静夫さんに会いに宿毛まで行ったことがある。亡くなった後は彼の潜水艦荒天号は桂浜に飾られている。私にとっては坂本龍馬像よりも気になる記念物だ。同じ遍路道をくだり、桂浜に向かって長い道を歩き始めた。曽良はうす曇りだが、蒸し暑く奥さまは機嫌が悪くなってきた。
9月8日 岩の聖地へ(ゴンパランジョン)
今回の旅のメインである「岩の聖地」ゴンパランパジョンへ向かう。岩の聖地は4750mの高所にあるためにこの日まで高度順応をしてきた。昨日のテント地は4100m、今回の最高所の宿泊だった。前日からダイヤモックスを飲んで準備したが、2度目なので身体も慣れているらしく、夜中に1度しかトイレに起きなかった。
夜のテント場は素晴らしい星空。寝る前には頭の上に天の川を泳ぐ白鳥座が見え、南の天の川にはサソリが尻尾を浸していた。こんなに明るい天の川を見たのは何十年ぶりだ。夜明け前にトイレに起きた時にはオリオン座が上がっていた。昨晩はまだ28日月(三日月の反対)が出ていたが、今日は月明かりはなかった。>
朝は周りの水たまりは氷が張っている。しばらく行きとシモバシラの花(?)が咲いている。冬の寒い日高尾山で見るのと同じだ。シモバシラに見とれていたが、歩くのは一歩一歩がやっと。ダイヤモックスを飲んだからといって、呼吸が楽になるわけではない。年寄りにはかなりきつい旅だが、皆さん「岩の聖地」まで何としてでもたどり着くぞと意欲は高い。私と清水さんは「年寄りにはきついよ!」とテンションが上がらない。お花を見ながら上がる。この青色の花は何だろう。ブルーポピー??トリカブトと同じいろだけど・・・ これが球状花崗岩、「聖なる岩」である。拡大写真は下!<
このゴンパが高度4,600mほど。この先に聖なる岩はあるのだが、私と清水さんは「聖なる岩」のかけらを見たからもういいや! と暖かい日差しの下で昼寝。2時間ほど待つと、4750mの岩まで往復してきた皆さんが降りてきた。疲れたが満足した様子。60歳過ぎのおばさんたちが登れたのに、我々は登れなかったのは少々残念だった。
でも「聖なる岩」にタッチしたら「ハーイ ご苦労さま!」と言われて、すべてが終了してしまうのではないかと危惧したことも確かだ。我が尊敬するTA女史も「満願」というのは避けて、いつもあと一つを残しておくという。四国八十八ヵ所も八十七か所で終えて、あとひとつは残しておけば次につながる。全部達成したら、それで「ハイ終わり!」と神様に言われそうな気がする。まあいいわけだけど!
また富士山に行ってきました!
富士山に行ってきました
毎年9月の最初に富士山に登っていましたが、今年は皆さんと一緒に行けそうもないので急きょ1人で行ってきました。朝5時に家を出て高速で富士吉田の浅間神社に行きました。世界遺産は富士山の参詣道ですから、一度は吉田口の登山口を見ておきたかったので中の茶屋から馬返しまで車で入りました。
いまは馬返しまでマイクロバスが入っています。そこから先に一合目があります。日帰りなので一合目から歩くのはちょっときつい。そこから車で滝沢林道を五合目に向かいました。前に来た時には佐藤小屋の下まで行くことができたのですが、いまは3合目あたりにゲートがあって車はここまで。15台ぐらい車が止まっているので私もそこに車を置いて、舗装道路を歩き始めました。1時間半でやっと上の五合目のゲートに出ました。
佐藤小屋からバス停からの合流点までけっこう登りがある。トイレの脇に黄色いジャンパーを着たおじさんたちがいる。富士山協力金の1000円を徴収している。一応協力して1000円払った。外国人たちは「何?」という感じで通り過ぎて行く。まあしょうがないか。夏休みなので大勢の人がいるかと思ったが予想外に少ない。どうしたんだろう。
各小屋で休みながらゆっくり歩くが、どこも人がおらず従業員は手持無沙汰の感じ。8時から歩き始めて12時まで歩き、3100mの太子館で天気も悪くなってきたので下山開始。二時間ほどで3合目まで戻る。車に入ったとたんに雷、土砂降り。すばらしい読みだった。途中で雷にやられたら、悲惨な目にあうところだった。6時には我が家に戻った。東京はとんでもない暑さ。富士山は20℃だった。
そうとう暑い!
毎日暑い! こんな暑さの中でオリンピックをやるのだろうか。最初は屋根がつくので冷房ができるんだと思っていたが、観客席だけ屋根ということはグランドはそのままなんだ。昨日テレビで気象予報士の南さんが、コンクリートの上は62.5℃になっていると言っていた。
芝生にしたって45℃ぐらいになっているのだろう。やってられないな。 7月29日水曜日はスイカの収穫。綾瀬駅まで行き、枝豆と物々交換。 8月1日土曜日は長坂まで、中山さんと一緒に倉田さんの宴会に乱入。甲州は雷大雨。そんな生活をしていましたが、以下のような生活に一変。
ランニングの世界という季刊誌に連載していた記事が単行本になることになりました。すでに原稿があるのですが、手直し写真の入れ替えなどをしています。表紙は亮之介さんに頼みました。どんなものになるか楽しみです。題名はまだ決めていません。
暑いので近くの喫茶店に午前午後入り浸っています。我が家は夏休みの孫たちで保育園状態です。孫たちも暑いので外に出られません。クーラーフル回転で東京電力と地球温暖化に貢献しています。これまで温暖化を阻止するためにけっこう働いてきたつもりですが、もうダメ。クーラーがないと本当に死んじゃう!
北千住 北干住
上高地に行ってきました。涼しい!
恒例の上高地旅行へ行ってきました。最初の年は大正池から河童橋まででしたが、だんだん孫の年齢が上がってくるようになり、徳沢を基地にして涸沢を目指すことにした。昨年は本谷橋で終了したが、今年は天気も良く涸沢まで行けそうだった。しかし我が家はすでに70歳、孫が大きくなるにつれて体力は低下。孫たちと一緒ではとてもついていけそうもないので、我々は5時に出発。しかし本谷橋で追いこされた。でも何とか涸沢に到着。大変だったが年に何回しかないような晴天で、すばらしい景色を楽しむことができた。もうここまで来ることはできないだろうから、十分に堪能するまで目に焼き付けた。満足。でも帰りが大変だった。こんなすごいところを登ったのか?? 行きはよいよい、帰りは怖いのとおおり。孫たちい遅れること2時間半。合計12時間の労働だったが、それだけの満足はあった。