今日もお花見 播磨坂

毎年この時期には壱岐対馬とか能登とかでお花見をしていたが、今年は近場でお花見。播磨坂には一昨日来たばかり。その時も満開だったが、枝のてっぺんにはまだつぼみが残っていた。そこで奥さんを誘ってもういちど、満開状況を見に来た。予想通りてっぺんまで花丸になっていた。ソメイヨシノは満開になると枝の先の花が塊になっているように見える。160401sakura

そのあとは一昨日HOSO田さんに教わったイタリアンのレストランに行ってランチ。奥さまには満足していただいたかな??ここのところ奥さま孝行をしていることを強調しておかなければ。「自分だけ遊びに行ってるなんて!」とみなさんに非難されることが多々あったので。160401italian

サクラ サクラ

今日は20℃にもなったようで、一気にサクラは満開になった。花粉症で悩んでいる奥さんと孫と近くの石神井川を歩いた。保育園の子どもたちがお散歩中だ。この子たちを見ていると、我が家の孫のことが気にかかる。 160331syaku01 160331syaku02 160331syaku03 160331syaku04 160331syaku05 160331syaku06 160331syaku07

我が家の孫の一番下の子が明日から小学生。一緒に行った孫は明日から中学生。みな同じ保育園だったので、私たちジジババは11年間送り迎えの手伝いをした。なにせ我が家から100mほどのところにある保育園なので、親たちは「間にあわないから迎えに行って」とか、忙しいから朝早く連れてきて、「じいちゃん送って行って」とか。11年前は体力もあって毎日でも大丈夫だったが、ここ数年は、「またかよ!」という感じ。

その孫たちはすでに卒園式を終えて、入学式を待つばかり。無事に育ってくれてありがたいことだ。みなさんに感謝感謝だね。

 

 

いよいよ桜シーズン 几号高低標

昔勤めていたのは茗荷谷にある高校。通勤途中に播磨坂の桜並木があった。この時期は必ずサクラ並木の下を通って通っていた。その高校は私がいるころに100周年を迎えた。その時の実行委員の仲間が毎年集まって観桜会を行っている。今年は年度内の30日に集まることになった。半ボケなので、茗荷谷のひとつ前の新大塚で降りてしまい、集合時間に遅れてしまった。
集まった人は3人だけ。みなさん半病人で、本日は病気自慢?の会になってしまった。伝通院のサクラをみて昼食。なかなかしゃれたレストラン。私の勤務時期にはなかったなあ。
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忘れていた、地理の先生だったHOSO田さんが、明治期の水準点の記号(几号高低標:几号[きごう]とよむ)の着いた石柱が宗慶寺にあるので調べてみようということになった。宗慶寺は私の高校時代の担任のお寺。もう亡くなられたが、寺の方に事情を話して、極楽水の石柱の下を掘らせてもらった。確かに水準点の記号があった。インターネットで見ると、「極楽水の石柱が再建されたときに几号高低標が埋まって見えなくなった」と書いてあった。確かに15センチほど埋まっていた。寺の方に「文化財だから見えるようにして下さい」とお願いしておいた。

寒いけど、桜が咲き始めた!

東京は寒い。まだ手袋をして外出している。年寄りが寒がっているだけだよ!と言われそうだが、記録を見ると最低温度3℃、最高でも12℃だったようだ。これは桜の季節にしては寒い。しかし21日の開花宣言以降、徐々に都内でもソメイヨシノは咲き始めている。写真を2枚。
 上は昨日撮った芝公園内のさくら、寒いのにもうお花見宴会をやっている数団体があった。下は我が家の前のお世話になっている老人病院のさくら。古い病院の建物が取り壊されるので目隠しになっているが、キャンバスのような背景になった。でもソメイヨシノは白すぎてはえないので、ちょっと色をつけて加工してみた。
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スペイン語コンテストを聞きに!

160326hina01 港区の男女平等参画センター(リーブラ)でスペイン語のスピーチコンテストが開かれたので、私も聞きに行った。「スペイン語わかるの?」・・・まったくわからないが、知り合いの高校生が最終選考まで残っているというので応援(やじうま)で行ってみた。皇族さまも来られるので、いつもの格好では来ないようにと言われたのでいちおうまともな格好をしていった。

言葉はわからないが、態度表情などで、だれがすごいかはわかる。高校生も何人かでていたが、外語大学の学生よりも堂々としていてすばらしかった。大学生、社会人などもいるなかで高校生が優勝してスペイン留学の権利を得た。我が応援の高校生はおしくも優勝を逃したが、すばらしかった。去年の今頃はまったくスペイン語など知りもしなかったのに、あれだけ堂々としゃべれるようになったとは、若者の集中力はすごい。感動感動だった。将来楽しみだ。

寒い!さくらはまだ!

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 東京のソメイヨシノは21日に開花したが、その後は寒い日が続き、我が家の近くのソメイヨシノはほとんど咲いていない。写真を撮りに出かけたが、こっちの方がよかった。ツルニチニチ草だそうだ。ニチニチ草はピンク色だがこちらはツル・ニチニチ草で紫色。見ている方がはるかに紫色が濃い。
 ヨーロッパでは常緑で枯れないことから不死のシンボルで、身に着けると繁栄と幸福をもたらしてくれるという言い伝えがある。別名「大地の喜び」「魔法のすみれ」・・・だそうだ。

月と木星と並んでいる

160322moon  本日はほぼ満月。月のそばに木星が輝いている。木星は衝の位置にある。衝というのは地球を挟んで太陽と正反対の位置にその星が来た時のことを言う。満月と同じ関係。でも地球を回る月と違って、衝の時と反対側に来た時=合の距離関係は2:3ぐらいだから、衝の時の明るさの差は1.5の2乗=2.25倍。一等級(星)の明るさのちがいは2.5だからほぼ1等級の明るさのちがいがある。これってけっこう大きな違いだ。

我が家のベランダから写真を撮ってみた。もちろん合成だが、満月はこんな感じに見える。(実際よりも直径は1.5倍)

地平線会議で話します!

DSCN2701 「ちょっとそこまで走り旅」の出版と合わせて地平線会議でお話をさせていただくことになりました。私は1979年9月、第一回目の地平線会議の報告者です。もう37年前のことです。それ以来今回で443回目。私も30年間関わってきた。報告会の案内は、最初はKIYO瀬高校のガリ版を借りて印刷していた。そのあともいろんな高校の輪転機をひそかに借りていたが、私が退職して、現在は新宿区の区民センターの印刷機を借りている。MORI井さんという名人がE本さんの原稿をパソコンで編集して印刷している。継続こそ力。すごいもんだ。

最近ボケが進んでいるので、話す内容を忘れそうなので、いま画像編集をしている。今回は動画も入れようかと思っている。昔授業をするときにはみんな頭に入っており、ここで脱線などと予測できたのだが、いまはそのタイミングはまったくわからない。なんとかブーイングが起きないように頑張りたいのだが。ちょっと心配。

場所は新宿区コズミックセンター 東京メトロの西早稲田駅のすぐ前です。早稲田大学理工学部、戸山高校前。明治通りに面しています。時間は6時半から9時まで。2次会もあり。 アッ 日にちだけど 3月28日(月曜日)です。 入場料500円。

富岡 小浜海岸 ろうそく岩

160313candlerock がらくた整理を始めているが、その中でも一番大変なのがスライドの写真だ。四段のファイリングケース2本にぎっしりと入っている。一応整理をしてあると思っていたが、何かに使ったりしてかなり散逸している。大事そうなものだけ残し、全部捨ててしまおうと思っていた。

しかしこんな写真があった。こりゃとても捨てられない。どこの場所かと言えば、福島県の富岡の牛浜海岸だ。1980年代に常磐線富岡駅から小良浜(おらがはま)の港に向けて走った時に撮った写真だ。昨年常磐線の富岡駅の跡に行ったが、常磐線はまったく途切れたまま。それもそのはず、ここは福島第一原発と第二原発の間にある町で、とても帰還ができる場所ではない。

当時この岩は「ローソク岩」と呼ばれていたと思う。現在どうなっているか、福島在住の哲くんに聞いたが、「まだまだ行くことはできないのでどうなったかわからない」とのこと。風の噂では津波でローソク岩は崩壊したという。見てわかるとおりこの岩はかなり柔らかい砂岩、泥岩などが重なったもので、年々崩れてきていた。なくなるのは時間の問題だと思っていたが、大津波であっけなくなくなったようだ。

自然界にはカタストロフィ(不連続・大変化)ということが時々ある。大地震、大津波、大洪水、大噴火など。通常はちょろちょろ流れている川の水がとてもV字谷をつくるとは思えないが、長い歴史の中では大洪水がしばしばおこってとてつもなく大きい岩が谷底を削りながら流れてくる。V字谷はカタストロフィでできるもので、ふだんの連続的な浸食でできるわけではない。

ろうそく岩の対岸には遺跡がかなりあったが、半分ぐらいが削られていた。当時私は徐々に浸食が進んでいるのだと思っていたが、過去の大津波で一気に崩れ去ったのだといま思う。たぶん「ローソク岩」はなくなっているのだろうが、福島第一原発の放射能のために確かめることはできない。様々な意味で、この写真重要だ。写真を捨てる作業はしばらく中断しなけりゃ。

「雨だれ岩を穿つ」、小さな雨だれでも長年続けば岩に穴をあけることができるということわざかな。しかし岩に穴をあけるまでの間にカタストロフィーが起こることが今回わかった。コツコツ努力していても突然ひどいことが起こることはあるということ。「努力は実るとは限らない」という教訓もある。一生懸命コツコツ努力している人から見れば、なんと不謹慎と怒られそうだが、そんなことをローソク岩の写真から感じた。

ぶらりバークラブ 舎人公園

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BCIMG3379今年第3回目のぶらりバークラブのお散歩。今回はちょっと距離を短くして舎人ライナーの終点の見沼代親水公園駅から見沼代用水、毛長川の交差点から歩き、舎人公園へ出た。

公園のサクラが今は満開。修善寺寒桜という種類だそうだ。東京のサクラの開花は21日と予想されているが、それはソメイヨシノ。他のサクラはもう咲いている。

子のサクラが咲いている舎人公園は足立区で一番高いところ。江戸時代の前には舎人城があったそうだ。いまは地下に舎人ライナーの車庫があるので、盛り土でさらに高くなっている。なかなかの景色。

本日はたくさんの人が参加してくれた。13人かな。舎人公園では地酒のテント村ができていた。ノンベイは試飲していたが、私はまだ飲めないので先に戻り、熊野前で都電に乗り換え、三ノ輪へ行き、有名なさつま揚げを買って帰宅。本日16000歩も歩いた。体調は悪くない。

3.11 あれから5年

5年前も我が家にはこの椿が咲いていた。
5年前も我が家にはこの椿が咲いていた。

 あれから5年だ。私も含めてみなそれまでの生活を振り返って、謙虚な態度になった。復興がなるまではぜいたくはしません。電気がなくてもがまんします。原発なんか要りません。と言っていた。政府はものすごい予算をじゃぶじゃぶ出して、復興を進める意気込みを見せている。

もちろんそれはいいことだろうが、陸前高田の町などを見ていると、一体だれのための工事だろうかとおもう。町にはかさ上げ工事の車や重機、昨年までは山を崩して土砂を運ぶベルトコンベアがフル回転していた。町が出来上がるまでにあと何年もかかるだろう。それまでに人は完全にいなくなる。土地は復興したが、人はいない。
本当に住民のための復興なのか、かなり疑問が残る。昨年は福島にも行ったがこちらは原発事故のために立ち入りできない地区が多々あり、行方不明者の捜索もまだできない状況だ。何をおいても真っ先に遺体収集してあげて欲しい。13年だったか、高市早苗という自民党の偉い人が「事故によって死亡者が出ている状況ではない」と発言し、非難を浴びて撤回した。原発周辺では放射能濃度が高く津波被害にあった人を助けに行けなかった。宮城、岩手などでは津波後に孤立していた人たちが何日か後に助け出されている。福島県でも原発事故さえなければ助かった人もいたはずだ。犠牲者は事故によってでた使者であることは間違いない。高市さんは原発事故は何だったかわかっていない。

同じような言動は丸川環境大臣の発言にもあった。1ミリシーベルトまで下げることができないので、その数値は何の根拠もなく決められたと、環境大臣が言うのだ。これも撤回されたが、うわべだけなのは明明白白。環境大臣なのに、いかにして原発を再稼働させるかを画策しているにすぎない。一昨日だったか、再稼働した原発を差し止めるという判決が出た。現場をみたらだれでも「再稼働など10年早い!」と思うだろう。少なくとも放置されている遺体をきちんと葬ってあげれるようになってから、再稼働の話をすればいい。その時にはどの原発も耐久年数を過ぎているから再稼働はできない。それでも仕方がないじゃないか。再稼働を止められた高浜原発周辺のジイサンがインタビューで「突然止められちゃこまるよ!」と言っていた。5年前のことを忘れたのか!

5年前、政府も東電も謙虚な態度を示していた。たった五年で忘れてしまい、お金が一番とばかりじゃんじゃんお札を印刷し続けている。経済発展はもちろん大事だろう。しかし被災者、被災地域をほったらかしてつき進むのは止めてほしい。政治家というのは後ろを振り向き振り向き進むものだろうに。アメリカ大統領選ではトランプの陰に隠れているがサンダースという社会民主主義の候補が善戦している。アメリカにだってこんな政治家が支持されているのだ。日本ではどうなんだろうか。

牛丼パソコン復活

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我が家のがらくた整理をしているが、大量のビデオが出てきた。もう教材に使うこともないので3日間で全部捨てた。さらに自作のビデオカメラとカセットが100本ほど埋もれていた。孫たちのものを10本ほど残して後は捨てた。10本はCDに入れ替えよう。

パソコンの用の記憶媒体のMOとZIP、フロッピーが大量に出てきた。フロッピーは1000枚以上あったが、一部は前にハードディスクに残したが、ワープロで作ったものはもう読むことができなくてあきらめた。残しておきたかったのは「ぼくのトルコ語修行」の原稿だが、もう本に残してたからいいか。東芝ルポで作ったものだ。MO・ZIPは一部はHDに入れてあるはずだが、こんど出てきたのは入れ替えをしていなかった。2002年ごろのもので、学校関係の写真や成績などだった。残しておいたら、面倒なので大部分をトンカチで壊して捨てた。

さらに懐かしい牛丼パソコンが出てきた。当時牛丼が398円だったが、このパソコンが39800円だったのでその名がついた。山梨の中山さんと一緒に買った覚えがある。このパソコンにはMOとZIPの読み取り器機がSCSI接続でついている。でもケーブルを先日捨てたばかりなので、秋葉原まで行って2本見つけてきた。無事動くようになったので、MO・ZIPの写真をHDに入れ替えた。日本縦断などの文書はすべてページメーカーで作ってある。今のパソコンにはPMは入っていないので、牛丼パソコンで読むしかない。それをPDFに変換して保存することにした。今のパソコンでPDFからワードに戻すことはできるようだ。暇ができたらやってみよう。

ということでここ数日は牛丼パソコンに張り付いている。でも牛丼パソコンからはインターネットができないので、時々はこちらのパソコンを見ている。いまのパソコン能力はすごいね。「遅い!」とか怒るが、牛丼パソコンに比べれば超特急。牛丼はしょっちゅうフリーズする。ファイル移動も20分とかかかる。のんびりしていたなあ。

部分日食

160309日食 本日は新月、久々の日食だった。毎年年初にはその年の天文ショーのチェックをしているのだが、今年はいろいろ大変だったので、何もしていなかった。余裕がなかったなあ。反省。以下にここ数年の日食日取りを入れておきます。来年の8月までは皆既、金環日食が見られるが、それ以降しばらくは部分日食しか見えないようだ。来年の2・26は金環日食。南半球か! 行けるかな??  中継でもいいから見たいものだ。

写真はテレビ画面から。

2016年03月09日 皆既日食 (中心食)インドネシア、太平洋など
2016年09月01日 金環日食 (中心食)南大西洋、アフリカ、インド洋など
2017年02月26日 金環日食 (中心食)南太平洋、南米、南大西洋、アフリカなど
2017年08月22日 皆既日食 (中心食)北太平洋、アメリカ、北大西洋など
2018年02月16日 部分日食 (部分日食)南米南部、南極など
2018年07月13日 部分日食 (部分日食)オーストラリア南部、南極など

桜が咲いている!

160308kawazu 160308yamazakura久々に散歩に出た。我が家の近くの石神井川沿いに歩いてみた。本日の歩数は7042歩。昨日が3400歩だからかなりの進歩。体調はだんだん元に戻りつつある感じ。もう少しおとなしくしていよう。

石神井川は桜の名所。でもまだソメイヨシノは咲いていない。代わりに河津桜が咲いている。(上写真)

(下写真)こんな桜も咲いている。葉っぱと一緒に花が咲いているのは山桜の特徴だが、山桜はもっと遅く咲くのだが、平地ではこんな時期に咲くのかな??

 

今年のサクラをは見ることはないかも!、と思った瞬間もあったが、幸せなことに早くもお花見をすることができた。あと一週間もすればソメイヨシノも咲くだろう。よかった!よかった!来年もお花見をするぞー!

奥さまの舞囃子「敦盛」 

160306atumori 水道橋の宝生能楽堂で、澤風会の10周年記念の大会が行われた。二日にわたって、お能が4番もでるすごい会だった。我が奥さまも舞囃子の「敦盛」を舞うことで参加させていただいた。澤風会の会員は京都や松本など各地にいるので、皆さん1日の申し合わせで上京し、さらに金曜日から2泊3日で参加されている。すばらしく立派な会だった。       写真をクリックしてみてください。

我が奥さまは11月から1月末まで体調不良で、なかなか稽古もできなかったが、2月になって体力回復とともに仕上がりも順調で、本日「敦盛」という舞を披露できた。友人、親戚、SEKI根ご夫妻も来てくれて、「すばらしい!」とのおほめの言葉も頂いた。私はいつものようにビデオ係なので画面を眺めながらの観賞だったが、先日の申し合わせの時よりもだいぶリズムがよくなったことが分かる。衣装も若々しく、とても古希とは思えなかった。

ちょっと身びいきで、のろけに聞こえるかもしれないが、無事に退院できて奥さまの華麗な舞を見ることができたのはうれしい。ありがたい。終了後、SEKI根ご夫妻に、東京ドームホテルでごちそうになった。感謝感激。

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