横浜でサッカー 暑かったが点を入れた!

140905soccor自分のチームの試合をまったく組めていないので、別の団体に入れてもらっている。8月は暑い中3試合した。9月も1週間に1回は芝の上を走り回ろうと思っている。

まだ咳は出るし、熱はちょっとある。でも今日のように暑い日だと、外が暑いのか、体の中が熱いのかは、私の脳みそは判断できない。グランドで走っていれば、体中暑くなり、試合が終わってシャワーを浴びれば、体は自分が暑かったことを忘れて、そのまま平熱になるはずだという理論のもとに、横浜マリノスの練習グランドよこの人工芝グランドに行った。

我が家から横浜駅まで1時間以内で行くことができるようになった。それもJR線、地下鉄の副都心線、ともに池袋から乗り換えなしで行くことができる。行きは湘南ライナー、帰りは東横線副都心線で戻った。JRは35分640円、副都心線は40分470円。

試合は暑くみんなほとんど歩いている。私は咳がぜいぜいしていたが、1歩先んじて、点をとることができた。久々かな。ところで咳も軽くなったし、熱は平熱にもどった。私の理論は正しかった。

60万歩 到達できなかった!

6月、7月、8月は携帯電話についた万歩計の記録をエクセルに移して、いろいろ遊んでいた。6月は月間30万歩で、1日に10,000歩、歩いた。7月初めに気がついて、「ちゃんと歩くとどれぐらいになるか?」を意識しだした。7月の結果は49万6千歩、一日換算16000歩、」あと4千歩で50万の大台だったのに。

8月はかなり意識して50万越えを目標に歩き始めた。朝8千歩、夕方1万2千歩という感じで、けっこう順調に来ていた。8月後半まではかなり暑かったが、熱中症をものともせず歩きまわった。24日までは「60万歩越えは見えたな!我が足は偉大だ!」とわが身をほめたたえていたのだが、「ジジイの分際で1日2万歩などおこがましい!」と神さまが判断されたようで、26日から突然全身倦怠、38.5℃の熱、咳と鼻水に見舞われた。

27日は300歩、28日は2000歩程度になった。とても2万歩にはいかないし、気力もない。健康があってこそ、万歩計を楽しむことができるのだということを改めて感じた。万歩計に歩かされるのは止めた。結局8月は50万歩越えは達成したものの60万にははるかに遠かった。私の限界は1日2万歩だということが分かった。1万5千歩程度に抑えていれば、たぶん故障をしないで、快適に行くだろう。9月はあんまり歩数計は持たないようにしよう。歩数計に歩かされるのは、気分が悪いから。

海宝ロードランニング 夏物語 in 伊南川

夕方までに旧伊南村の民宿に到着。赤岩温泉と宴会に合流して夏物語の参加。途中参加というのはないのだろうが、私は前から尾瀬を通る沼田街道に興味があり、一度通ってみたかった。なにせ今の時代東京から檜枝岐や伊南村に行くには日光から山王峠をこえるか、高速道路からは塩原温泉経由、野岩鉄道尾瀬口から中山峠を越えて入るか、とおく新潟県魚沼から枝折峠を越え奥只見湖を通って御池にでるコースの二つしかない。

昔は沼山峠を越え尾瀬沼を経由して三平峠から片品村に出て、沼田に抜ける沼田街道があった。一時期この沼田街道を広げて車を通す計画があり、檜枝岐から御池、沼山峠まで舗装道路が通った。しかし平野長英さんをはじめとする自然保護の波が大きくなり、ついに環境庁は道路計画にストップをかけた。道路は沼山峠でストップしたままだ。しかし群馬県側の大清水付近では、三平峠の下まで自動車を通そうとしているのではという動きがみられる。我々ミーハーはつい「ラッキー」と言って載せてもらったが、これからどうなるか。

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それはさておき、夏物語2日目は田吾作のすぐ裏にある久川城跡の散策。田舎の城だがなかなかのもので、かの伊達正宗も落とせなかったという。もちろん大阪城や江戸城に比べようもないが八王子城などの山城に比べれば規模も大きく、よく計画されている。しかしまあ、ここを攻め落としたところでどうなるってものでもないので、蒲生氏が建てた後しばらくして廃城になり、この地から戦乱が消えた。今も昔も武器を持たなければ戦乱は起きないのだ。

そんな思いをしながら、青柳の集落におりてくる。昨日同様トマトハウスへ寄る。この辺りはトマトの名産地。新鮮なトマトはおいしいこと。今回訪れた農家はいろいろな品種を育てている。我が介護者は本来の仕事を忘れて、われoze-inagawa053 oze-inagawa052先のハウスに入りおいしそうなトマトを集めている。珍しいブラックトマトを見た。

満足満足。昼前に民宿に帰りシャワーを浴びてお昼をいただいて解散。我らは無視ヤリ主催者の車に便乗して東京まで運んでもらった。ありがと言うございました。

動画作りました。クリックして!

 

 

 

 

雨の尾瀬沼 でもいい感じだったよ!

東京は雨は降っていなかった。新幹線、上越線も大丈夫。尾瀬戸倉でバスを降りた時には青空が見えてきた。ラッキー。さらにラッキーは大清水から一ノ瀬休憩所まで電気自動車が試験運行をしている。歩くと1時かかるところを無料で送迎してくれる。よいよいの体にとっては最高にラッキー!

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バス停の人に聞いたら、今は花もないし天気も悪いのでほとんど人はいませんよ! あんなに賑わう尾瀬も今は「静かな尾瀬・・・」になっている。3時間の登りは2時間に短縮。のんびりと登っていくと、予想通り雨が降ってきた。合羽を着て歩くが、涼しいので不快ではない。三平峠で休憩と思っていたが、雨がひどいので、木(もく)道をもくもくと歩く。予定通り2時間で長蔵小屋に着く。

尾瀬を開いた平野長蔵さんの小屋が原型で、いまは立派な建物だ。二代目平野長英・靖子さんが後を継ぎ、三代目の息子が継いだが、彼は36歳の冬に三平峠遭難して亡くなった。平野家三代が尾瀬の自然保護の原点と言われているが、その後は会社の経営となっている。会社経営になってから、ゴミの不法投棄で大問題になり。しばらく経営を自粛していたこともある。自然保護の神さまの平野さんはあの世で聞いて、きっと嘆いたことだろう。

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雨なので木道は滑りやすい。介護者は「滑らないように!」と後ろを向いて注意してくれたが、自身が踏み外してベチャと木道に抱きついていた。あんまり頼りにならない介護者だった・・・・そんなこと言ったらもう二度と付き合ってもらえない。「けがなかった?大丈夫?」と笑いをこらえながら、心配そうに問いかけた。「肩が痛い!」

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予定よりも早いバスに乗れそうなので、ちょっと急いで大江湿原を歩く。沼山峠に登り返して少し下ると、沼山峠の休憩所。14時10分発のバスに乗ることができた。乗ったとたんにバケツをひっくり返したような雨。朝のうちに電気自動車で1時間短縮したおかげで、大雨に会わずに済んだ。よかった。旧伊南村の民宿田吾作で、皆さんに合流。宴会!

風邪かな? 熱が出てきた! 無理は禁物

朝起きたら寒かった。急激に気温が下がったらしく、9月下旬の気候だとテレビでは言っている。私の気分はそんなものではなくガタガタ震えるぐらいの寒さだった。これはおかしい。体温計で計ると 38.5℃ もある。私の平熱は 35℃ だから、これはかなりの高熱だ。先週は孫が風邪をひいて、熱を出していた。きっとそれがうつったのだろ。

日曜、月曜の動きがかなりハードで、疲労が蓄積したところで、潜んでいた風邪の病原菌、ウィルスが発現したのだろう。もうこの年ではむりな動きはしてはいけない、と言うことを再確認。しかしどのくらいやると無理なのかは、ときどきは確かめなければいけない。今週の土日は南会津の伊南川での海宝さんのランニング講座に行くが、そこでちょっと確かめてみようか。と思ったが、この熱では行くことも無理かも!!

今月の歩行数は60万歩に達しそうだと、20日ごろには思っていたが、水曜日から1ケタずつ減っている。この分では50万ちょっとしか行かないだろう。これも無理しちゃいけない! の一連の動きだ。目標を立ててそれに向けて努力を積み重ねるということをしてはいけないということだろう。頑張らない、努力をしない、無理しない が今の3ない運動。

オートバイ三ない運動ってのが、私の清瀬時代にあったなあ! 「運転させない」「買わせない」「免許を取らせない」 かなり無理があったなあ。バイク王・賀曽利さんはすべてに違反していたから大成したのだ。そういえば私と付き合いのある清瀬時代の生徒はすべて三ない運動に違反していた連中だ。三ない運動なんか、よけいなお世話だな。

熱に浮かされてよけいなことをかいてしまった。

腰痛ぶり返し 神の手にお願い

日曜日のサッカーの後、腰が痛くなってきたが、それはクーリングダウンが足りなかったせいだろうと、昨日は城北公園でしばらく走った。近年は人間ができてきたので、だれに追い越されても、追いかけるようなことはしなくなった。ところが私よりも高齢そうなおばあさんがトコトコと同じペースで歩いてきた。並んだと思ったらあっという間に追い越された。

私は走っているつもり、向こうは歩いている。なのに追い越されるとは、かなりのショック。ついついスピードを上げて、追いつき、追い越した。これは今の私にとってはかなり無理があったらしく、5分ぐらいそのペースを持続したら、腰がさらに痛くなってきた。やはりまだ円熟の境地に達していない。無理したら、あとでしっぺ返しが来ることを頭で理解はしていたが、体はまだ理解していなかった。

本日朝起きたら腰痛がさらにひどくなっていた。腰痛などの救いの手は、私にとって「神の手」である文寿さま(要町の文寿整骨院)にお願いするしかない。いつもは特別治療で一回で直してもらうのだが、現在は高齢者なので保険でお願いする。これから何回か通わなければならないだろう。

本日はあとつぎの息子さんの治療だったので、神の手の威力は半分くらいだったが、腰痛はだいぶ回復。来るときにはガニマタだったが家に帰るときには、真っすぐサッサと歩けるようになった。さすが神の手一家だ。

久々のサッカー、得点チャンスを逃す!

わがチームは夏休みで、試合を組んでいない。しかしSOI というオーバー60歳の団体は、暑くても寒くても月に8回程度の試合を組んでいる。高校の大先輩の方が中心になっており、私も一員になっているので、毎月案内をもらっている。先日小平のFC東京のグランドに行ったのもこのクラブの試合に出るためだった。残念ながら雨で中止になったが。

本日は我が家に近い十条の高校のグランド。今年人工芝を全面貼り替えたので、年寄りにはたいへんやさしい。本日は連日の熱波はなく、涼しい。もちろん夏だから30度近くはあるだろうが、熱中症になるような気候ではない。9時集合だったが8時半にはもう20人ぐらいが集まっている。3時間も借りているので15分が9回、私は5回出場した。

連日2万歩ぐらいは歩いて足は鍛えているので、オーバー60歳の人に交じったら、多少は有利に動くことができる。しかし技術は連日やっている人には全く敵わないので、2度ほどほとんどフリーでゴール前まで上がったが、最後のシュートがちょろちょろと力がないのでみなキーパーに取られてしまった。もうちょっと技術があれば、3点は確実だったのに。・・・・逃した魚はみな大きい!

試合が終わってから、我が家まで4キロ。当然歩いて家に戻った。弟夫婦が来ていたので、中華料理屋でお昼からビール。ごごはお昼寝。

 

 

雨でサッカー中止 小平から東久留米

台風が過ぎたので、天気は良くなると思っていたら、予報は雨。しかし我が板橋区では薄日もさしている。小平でサッカーの試合がある予定なので、これなら大丈夫と出かけた。しかし小平駅に着いたら、小雨。それでも徒歩20分で錦城高校の前のFC東京のグランドに行くと、数人の人がいたが、本日は中止みたいということで、散会。

私は、小雨だったのでこの道を滝山団地の方に行き、そこから東久留米駅を目指した。大昔滝山団地にはよく来たので、土地勘はあると思っていたが、道路事情が大いに変わり、よくわからなくなっている。それでもおおよその見当をつけて、新小金井街道、所沢街道、小金井街道を経て、東久留米駅に出る。西武線の駅は、我が東上線の駅とは違って、立派な駅ビル、駅舎などがあり、住み心地もよさそうだ。

帰りは江古田の駅から歩いたので、本日の歩行距離は27000歩。サッカーをやったよりもはるかに歩数は多く、エネルギーも使った感じだ。今月の歩行数は、このままいくと本当に50万歩を越えそうだ。

石神井川には矢鴨の碑が!

いつもジョギングをしている石神井川には鴨がたくさん泳いでいるのだが、ボウガンでこの鳥を撃ってみようという不届きものがいた。矢が刺さったまま飛び続ける姿が、テレビ、新聞で伝えられ、大勢の人が矢鴨の去就を心配した。平成5年のことだった。

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その矢鴨を記念して、碑が建てられている。裏に次のような文言が書いてあった。

平成5年2月、石神井川のこの付近で、心ない人の放つ矢を背に受け、傷つきながらも生きているオナガガモが発見されました。板橋区ではこのカモの救出に努めましたが、幸いにも上野の不忍池で保護され、治療の後に、無事に旅立って行きました。板橋区ではこのような心ない行為が二度とくりかえされることなく、野性動物が豊かな自然環境の中で生息できる事を願ってこのモニュメントを作成しました。

徘徊老人になりそう、いやなっている!

台風11号が近づいており、東京地方も今日から雨がひどくなりそうと予報されている。雨の降る前に恒例の散歩を済ませておこうと、家を出た。王子駅まで石神井川沿いに歩いたが、まだ雨が来そうもない。隅田川沿いに向かうと、巨大な宇宙人基地みたいなビル。読売新聞の印刷所だ。

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そのビルの裏は隅田川テラスで、荒川遊園地につながっている。船の発着場のそばに写真のような何かがある。実はこれは鉄琴。左の方から順にたたくと、春のウララノ・・・・ 隅田川の曲が流れる。

小台橋をわたると荒川商業高校。その先に友人がやっているカフェがある。こんな朝早くやっているはずはないので、横目に見て荒川にでる。土手をしばらく行くと、舎人ライナーの小台駅。さらに歩くと尾竹橋にでる。心配しているといけないので奥さんい電話する。「どこまで行ったの? 帰りのお金持っている?」 最近は散歩に出るときには必ずSUICAを持っている。

千住大橋駅の近くに「ポンテポルテ」という大きな商業施設がつい最近できた。このあたりは何もないところだったが、これで少しは人の流れが変わるかも。千住にしてはちょっとしゃれた感じ。田口さんが怒りそうだ。旧奥州街道を北千住の駅に行くと、雨が降り出した。3時間ほどの散歩。歩数は2万5千歩になっている。十分徘徊老人の資格ありだな。140808ponta

月間歩数がほぼ50万歩に!

私の携帯電話には歩数計がついている。と威張ったら、だれのにもついているよ!とのこと。昨年から歩数をパソコンに入れて記録している。ときどきは月間40万歩を越えることがあるが、だいたいは35万歩程度だ。ほぼ万歩計の名前の通り1万歩程度だ。

でもカアンリ心配がある。私の性格からいうと、8月は50万歩を越えてやろうなどという目標を立ててしまうだろう。・・・人ごと見たいだが、もう十分意識している。でもこりゃまずい。医者に「歩いた方がいいですね」と勧められたが、月間50万歩も歩く心臓病者はいないだろう。やはり40万歩に落とさなきゃ。でも50万歩になるかもしれないな。・・・何言ってるんだ! 自分の事だろうに。

平標山 花の百名山!

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 朝思い立って平標山へ行ってきました。越後湯沢から苗場に上がる火打峠の脇に登山口があります。ここからは林道経由と松手山経由の2コースがあります。たいていは目の前に見えている送電線の鉄塔に上がる松手山コースから頂上に行き、平標山山の家を経て、林道に下る一周コースをとるようです。

 標準タイムは登り3時間、下り2時間程度です。私は9時半に駐車場から歩き始めました。持ち物はおにぎりとペットボトルの水とカメラ。ストックを一本。足元は先日買ったキャラバンシューズです。昨日は午後雷と大雨警報でした。本日も2時過ぎたら雷になりそうなので、11時には下山を開始する予定で行きました。

 送電線の鉄塔までの登りはただただ急登です。30分。そこから頂上らしきものが見えるので気分は良くなりますが、近づくとその背後に長い尾根が続いています。その先に本当の頂上があります。ちょっとがっくりですが、偽の頂上の付近の急こう配の斜面は一面のお花畑。シモツケのピンクの色が一番です。
 
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大山祇の石碑がある蛇紋岩の斜面で10時半。もう下ろうかと思ったら、一緒に歩いている人たちが、「ここまで来て引き返すのはもったいないよ!」という。でも11時までには頂上に着きそうもないし、雲も上がってきたので、決断のしどころ。でも人がたくさんいるので、何とかなるか。頂上に向かう。11時前にタッチして下りにかかる。平標山の家側から見ると、本当に平らな山だ。

 山の家のお兄さんはいい感じの人だ。400円のコーラを買う。このお兄さんが背負ってきたと思うと高くはない。2、3本買おうと思ったが数少ないかったので、おいしいお水を飲んで下りにかかる。こちらも階段だらけ。林道に降りてからけっこう長いが、頭の上に送電線が見えるとあと少し。12時半には火打峠につき、車に戻る。高速道路は大混雑で、赤城のSAで寝てから帰京。

動画を作りました。youtube https://www.youtube.com/watch?v=leizdRuNwAM

高尾山 第2弾 登り返し!

高尾山 後半 小仏城山から小仏峠へ、そこから下ってバス停へ。しかしバスに乗らずに道路を歩くが、暑い暑い。途中で日影沢に入り、高尾山に登り返した。つり橋からケーブル駅に出る。そこでもケーブルには乗らず駈け下る。頂上ケーブル駅のビヤマウントは2時間待ちだとか。長い行列ができていた。一日に二回高尾山に登ったのは久しぶり。

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一丁平から城山までは階段だが、人が多く歩くので路肩が崩れている。ここにボードウォークが造られている。4月に来たのだ、そん時にはなかったような感じなのだが。15分ほどで城山に着く。私は分岐から少し先まで歩き、下の中の写真のところから頂上に登る。こちらの方が近道だ。セルフタイマーで写真。

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昔は小仏峠にも茶屋があったが、今は何もなし。ここから下れば15分で車道に出る。ちょうど中央高速道路の小仏トンネルの上だ。

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バス停を通り越し、日影沢へ。そこからつり橋へ。

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津軽塗のお椀

昨日、今日と雨模様で、涼しい。ランニングをしてみようかという気持ちになる。暑いと走るどころか歩く気もしない体調が続いていた。

昨日も家から石神井川を下って帝京大学構内を通って王子駅まで行き、名主の滝から自衛隊の補給哨を回って再び石神井川にもどって東板橋体育館、区役所経由で家に戻る。ほぼ8キロ、昨日は1時間15分で行くことができた。不調の昨今ではいい記録なのだ。

本日もそんな感じで行くことができるかと思っていたが、愛誠病院近く6キロ地点で走る気がしなくて、歩きだした。野口研究所の前に古物商の店がある。ちょっと寄ってみたら、我が奥さまがいた。奥さまはなかなかの目利きで、古物商をめぐるのを趣味としている。

本日の成果は、写真の津軽塗のお椀、前に買ったお盆に載せるとなかなかはえる。たぶん一椀が数千円する。奥さまは三椀で・・・円。(3ケタ) 「掘り出しものでしょう」と満足そう。140705tugaru

 

尿前の関所から山刀伐峠を越えて

芭蕉と言えば俳聖。古池脇の陋屋に一人静かに座し、蛙がポチャンと飛び込むのを見守る老人、のイメージだ。しかし私にとっては日本のウルトラランナーの先達というイメージだ。「奥の細道」をたどってみて、それが確信に変わった。 奥州平泉を出て「尿前の関」から奥羽山脈を越え立石寺にでる峠越えが「奥の細道」の最大難所だった。芭蕉が通ったと同じ時期に私もその道をたどってみた。 map-sitomae1 私は東京を朝出て10時半に陸羽東線の鳴子温泉駅から尿前(しとまえ)の関に行った。芭蕉は岩出山をでて、午後になって到着したが、密偵と間違えられ夕刻近くまで取り調べを受けという。解放されたのはもう薄暗くなってやっと出発した。

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取り調べを受ける芭蕉と曽良(与謝蕪村の画)

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封人の家

今はトンネルで抜けているが尿前坂、薬師坂を上り、小深沢、大深沢を越え、雨の中3里の道を芭蕉と曽良は歩いた。 7月3日だったが、途中でほとんど暗くなって、やっと堺田の「封人の家」に到着した。封人の家は、芭蕉が泊まった宿では唯一残っている家屋で、重要文化財という。 芭蕉は暗い道で難儀したが、今は復元が進みなかなかいいハイキングコースになっている。しかし奥羽山脈の深い山中なので、今だって夕方薄暗い中歩くのは恐ろしい。そうならないように私は明るいうちに鳴子温泉駅からそのコースを走ってみた。小深沢、大深沢はちょっとした上り下りがあるが中山越えは快適そのもの。ほとんど平坦でふかふかの道を気持ちよく走ることができる。日曜日だったがだれ一人出逢わない。熊の幻影におびえながら12キロ、3時間で到着。ランニングコースとしてはこれ以上ない道だが、芭蕉の時代にはこうはいかなかっただろう。

いくらでも走れそうないい道だ。

いくらでも走れそうないい道だ。

熊が出そう!

熊が出そう!

案内版は整備されている!

案内版は整備されている!

橋がないぞ! どうしよう!

橋がないぞ! どうしよう!

ある案内書には、橋がないので荷物を対岸に投げ、四つん這いになって滑りやすい石をたどって渡ったと大げさに書いてあった。どんなもんかと思っていたら、こんなもんだった。 封人の家(庄屋さんの家)を見学し、日本海と太平洋に水が分かれる「堺田」駅から赤倉温泉に向かい、私はそこで一泊した。芭蕉は堺田で雨に降りこめられ三泊する。ここでつくった俳句が「蚤虱 馬の尿する 枕もと」

ここが東北日本の大分水嶺

ここが東北日本の大分水嶺

  赤倉温泉から尾花沢へは山刀伐(なたぎり)峠がそそり立っている。堺田から尾花沢までは峠越えで31キロある。 芭蕉さまは朝早く堺田を発って昼過ぎには尾花沢に着き、地元の方々と俳諧の会を開いてma-natagiriいる。時速4キロで行っても8時間かかる。峠越えでは時速1キロがやっとだから、尾花沢への下り道は時速6キロ以上で行かなければならない。これは「歩き」ではなく完全な「走り」である。最初の写真は与謝蕪村が描いた芭蕉の旅スタイルである。この姿で峠越え30キロの山道を行ったのだからものすごい脚力だ。尿前の関で密偵(忍者)と間違えられたのは当然のことかも知れない。

峠には3つの道がある。

峠には3つの道がある。

私は赤倉温泉から山刀伐峠越えて尾花沢に向かった。山刀伐峠は新しいトンネル、旧道、古道の三つがある。古道はブナ林の中、歴史の道として整備されているので歩きやすいが、急坂でつらい。それでも高低差は150mなので30分で登れる。尾花沢への下りは杉林で暗く、ながい。おまけに倒木はあり、草ぼうぼう、靴は露でぐじゃぐじゃになる。

cropped-140623natagiri.jpg  本日もだれ一人逢わなかった。国道に出たとたん軽トラのおじさんが「乗りなよ」と言ってくれる。迷わず乗って高橋まで行き、そこから10キロほど走り、尾花沢の芭蕉清風記念館で、芭蕉像と対面した。

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走行距離は芭蕉の半分にも満たない13キロだが、芭蕉のように俳句をつくる体力知力も残っていない。やはり芭蕉は忍者にちがいない。

芭蕉の署名は「はせを」となっている。私の勝手なイメージだが、芭蕉さまは「馳男」=ランナーと自覚していたのではないか。

「芭蕉こそ日本のウルトラランナーの先達」説の証明になるかな?