台風がまた来ている。世の中大変だ!

先週6日月曜日、台風18号で新幹線がストップした。私たちは京都にいたが、帰りは午後遅くになった。思い出すと1昨年も京都駅で台風の影響で新幹線が数時間遅れたのに遭遇したなあ。昔は9月の二百十日(にひゃくとうか)が台風シーズンだったが、最近は10月にずれた感じだ。まさに地球温暖化の影響だ。

下の図はアメリカ海軍の台風19号画像
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それから1週間もたたないうちに台風19号が追っかけてきて、あす月曜日(体育の日)にほぼ同じコースで日本列島を縦断しそうだという。前回江東区に住む弟の家の真上を台風の中心が通過したそうだ。今回の台風の方が大きいので、どうなることやら。

その影響で御嶽山の捜索も困難になりそうだ。火山灰や噴石に覆われてしまった人たちは雪崩に埋もれたのと同じで、探すのは難しそうだ。どこで打ち切るのか難しい判断になるだろうが、捜索の人たちの安全を考えなければならない。もうすぐ雪も積もるし。

午後1時、宮もと、川ぞえの両先輩と一緒に多摩センターに行った。山岳部でいっしょだった先輩の奥さんが亡くなったのでお焼香させてもらった。この先輩とは昨年8月北海道の幌尻岳に行った。その頃、奥さんには何の異常も見えなかったが、帰った翌日に病気が発見され、奥さんは1年足らずで亡くなった。「あっという間の1年だった」とのこと。憔悴のあまり10キロも痩せたそうだ。元気を出して欲しいと励ましたが、そう簡単に悲しみは癒えないだろう。でも早く元気になってほしい。

 

 

 

 

アラ古稀から本古希!高尾山ビアマウント

ここ数年、年賀状にはアラウンド古希と称していたが、いよいよ本古希になった。ものの本を読むと数えの70歳のこととある。あらそれなら昨年だった! でもだれも注意をしてくれなかったので、今年あっちこちで「古希」だと言って回った。

唐の詩人杜甫の詩 「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」からきている。(酒代のつけは普通行く所には、どこにでもある。しかし七十年生きる人は古くから稀である)と言うことらしい。でも前段の酒債と人生、何か関係があるのかな。

最近ランニングを一緒にやっているお姉さんたちが、高尾山のビアマウンテンに集合と言ってきたので本日4時に登って行った。走った後のビール、プファー! かと思っていたら、なんと走った後の古希のお祝い! ということだった。最近お友達も少なくなり、遊んでくれる人も少なくさびしい思いをしていたら、こんなにうれしことはない! ありがたいことだ。

141001kokiT 古希のお祝いの色は紫だそうで、紫色のTシャツをプレゼントにいただいた。こんな派手派手なのを着て歩けないが、ランニングの大会にはいいかな? 70本のローソクが立ったケーキ(写真がないや!)も美味しくいただきました。

DSC_0748Sこんなにお祝いをしてもらい御馳走になって、「酒債」がたまってしまった。そうか前述の杜甫の詩にある酒の債務、古希にもなるとあちこちにたまるということか。

幸せそうな写真をのせようと思ったが、同年代に嫉妬されると困るので、小さいのにしておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦車道 なに?御嶽山噴火だって!

先々週、海宝さんの体操教室の後に高尾山に向かって走り出した。多摩美大を過ぎ16号線を越えたところから高台に入るのだが、その道がまず見つからなかった。さらにその鉄塔の先で再び道に迷い、結局東京工科大額の脇に出てしまい、あきらめてバスに乗った。目的の高尾山とは方向がまったく違っていた。

140927jeradちょっと悔しいので再チャレンジした。今回は多摩美大の先で新しい道を見つけたが、最後は藪山の中で、さらに2メートルほどのフェンスがあった。それを乗り越えたら、足にはたくさんの引っ掻き傷ができた。汗をかくと傷に染みてけっこう痛いが、道があったからまあいいか。そのままジェラード屋さんに出て、シングルカップのアイスを食べる。

家政学院大のトンネルを越えて金毘羅神社参道のいい道を上る。城山ダムから草戸山(365m)に登り、南高尾の山稜を歩いて高尾山口にでる。ジェラード屋で15分ほど休んだが4時間ほどで到着。5時半に家に着いて、シャワーを浴びて宴会に参加。ビールとワインがおいしかった。

140926ASdegital本日の天気予報は秋晴れの快晴というので出かけたのだが、午後から雲が厚くなってきた。まるで台風が近づいたようだったが、これはどうも御嶽山の噴火の火山灰だったようだ。電車に乗ったらスマホを持った人が御嶽山の噴火の様子を見せてくれた。かなり大変なことになっているようだ。そういえば御嶽山は2007年にも噴火したなあ。あの続きなのだろうか。富士さんは大丈夫かな?? 日本列島の火山は活動期に入ったのかな。

 

 

海宝ロードランニング 夏物語 in 伊南川

夕方までに旧伊南村の民宿に到着。赤岩温泉と宴会に合流して夏物語の参加。途中参加というのはないのだろうが、私は前から尾瀬を通る沼田街道に興味があり、一度通ってみたかった。なにせ今の時代東京から檜枝岐や伊南村に行くには日光から山王峠をこえるか、高速道路からは塩原温泉経由、野岩鉄道尾瀬口から中山峠を越えて入るか、とおく新潟県魚沼から枝折峠を越え奥只見湖を通って御池にでるコースの二つしかない。

昔は沼山峠を越え尾瀬沼を経由して三平峠から片品村に出て、沼田に抜ける沼田街道があった。一時期この沼田街道を広げて車を通す計画があり、檜枝岐から御池、沼山峠まで舗装道路が通った。しかし平野長英さんをはじめとする自然保護の波が大きくなり、ついに環境庁は道路計画にストップをかけた。道路は沼山峠でストップしたままだ。しかし群馬県側の大清水付近では、三平峠の下まで自動車を通そうとしているのではという動きがみられる。我々ミーハーはつい「ラッキー」と言って載せてもらったが、これからどうなるか。

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それはさておき、夏物語2日目は田吾作のすぐ裏にある久川城跡の散策。田舎の城だがなかなかのもので、かの伊達正宗も落とせなかったという。もちろん大阪城や江戸城に比べようもないが八王子城などの山城に比べれば規模も大きく、よく計画されている。しかしまあ、ここを攻め落としたところでどうなるってものでもないので、蒲生氏が建てた後しばらくして廃城になり、この地から戦乱が消えた。今も昔も武器を持たなければ戦乱は起きないのだ。

そんな思いをしながら、青柳の集落におりてくる。昨日同様トマトハウスへ寄る。この辺りはトマトの名産地。新鮮なトマトはおいしいこと。今回訪れた農家はいろいろな品種を育てている。我が介護者は本来の仕事を忘れて、われoze-inagawa053 oze-inagawa052先のハウスに入りおいしそうなトマトを集めている。珍しいブラックトマトを見た。

満足満足。昼前に民宿に帰りシャワーを浴びてお昼をいただいて解散。我らは無視ヤリ主催者の車に便乗して東京まで運んでもらった。ありがと言うございました。

動画作りました。クリックして!

 

 

 

 

雨の尾瀬沼 でもいい感じだったよ!

東京は雨は降っていなかった。新幹線、上越線も大丈夫。尾瀬戸倉でバスを降りた時には青空が見えてきた。ラッキー。さらにラッキーは大清水から一ノ瀬休憩所まで電気自動車が試験運行をしている。歩くと1時かかるところを無料で送迎してくれる。よいよいの体にとっては最高にラッキー!

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バス停の人に聞いたら、今は花もないし天気も悪いのでほとんど人はいませんよ! あんなに賑わう尾瀬も今は「静かな尾瀬・・・」になっている。3時間の登りは2時間に短縮。のんびりと登っていくと、予想通り雨が降ってきた。合羽を着て歩くが、涼しいので不快ではない。三平峠で休憩と思っていたが、雨がひどいので、木(もく)道をもくもくと歩く。予定通り2時間で長蔵小屋に着く。

尾瀬を開いた平野長蔵さんの小屋が原型で、いまは立派な建物だ。二代目平野長英・靖子さんが後を継ぎ、三代目の息子が継いだが、彼は36歳の冬に三平峠遭難して亡くなった。平野家三代が尾瀬の自然保護の原点と言われているが、その後は会社の経営となっている。会社経営になってから、ゴミの不法投棄で大問題になり。しばらく経営を自粛していたこともある。自然保護の神さまの平野さんはあの世で聞いて、きっと嘆いたことだろう。

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雨なので木道は滑りやすい。介護者は「滑らないように!」と後ろを向いて注意してくれたが、自身が踏み外してベチャと木道に抱きついていた。あんまり頼りにならない介護者だった・・・・そんなこと言ったらもう二度と付き合ってもらえない。「けがなかった?大丈夫?」と笑いをこらえながら、心配そうに問いかけた。「肩が痛い!」

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予定よりも早いバスに乗れそうなので、ちょっと急いで大江湿原を歩く。沼山峠に登り返して少し下ると、沼山峠の休憩所。14時10分発のバスに乗ることができた。乗ったとたんにバケツをひっくり返したような雨。朝のうちに電気自動車で1時間短縮したおかげで、大雨に会わずに済んだ。よかった。旧伊南村の民宿田吾作で、皆さんに合流。宴会!

御徒町でおそばにお酒!

三田さんのお誘いで御徒町でおそばの会。サンタは三人の田さんの略。田口、田村、田中の三人が言いだしっぺ。今回は中さんからのさそいで口さんがモンゴルで勲章をもらったから、そのお祝いをしようかとのこと。7個目か8個目の勲章だそうだ。すごいね。こんな偉い人と知り合いだったとは。少しは敬意を払わなければ・・・・

我が家の奥さんの旧姓は村さんと同じで、この会には必ず参加している。ふだんはお酒を飲むことはないが、三人の田さんの会の時だけは少しだけたしなんで、「ちょっとこっちの方が深い味だね」などとわかったようなことを言っている。時々は飲んでへろへろになるという経験をした方がいいのだが、古希のばあさんではもう遅いか。

ところで、私の方は、体調はだいぶ回復してきたので、明日朝早く出かけることにした。予定通り尾瀬越えで、新幹線高崎から上越線で沼田。バスで片品村へいき、大清水まで入って、三平峠経由尾瀬沼。さらに大江湿原を通って沼山峠に上がり、そこから七入りに下って、後はバスで檜枝岐集落、旧伊南村役場まで行こうというもの。

雨ならかなり大変だが、降らなければ歩くだけ。今回は介護者がついてくれるとになったので、安心している。遅くならないうちに失礼して明日に備えることにした。map21

 

 

お盆、山は大荒れ、北アルプス遭難

岐阜県には大雨の警報が出ていた。大変な量の雨が降ったらしい。きっと遭難者が出るだろうと心配していたら、やはり増水した沢で、数人の人が流されたようだ。年齢を見ると予想通り60歳過ぎの年配の方々だ。

年寄りは山登りなんかするな! と言われそうだ。私自身も最近はひとつ間違えば遭難という経験をしているので、大きなことは言えないが、それでもあえて言えば、「もっとちゃんと情報を得ようよ!無理しちゃいけないよ」と言いたくなる。

先日私は飯士山という小さな山を、お水だけもって登って行った。午後からは雨が降るだろうという予報だったが、今は晴れているし、低山だからまあ大丈夫だろうと思っていた。スキー場のリフトの最終点から歩き始めたころから、遠くで雷の音が聞こえてきた。「これは来るな!」と思ったので、登頂を諦めて、ただちにスキー場を駆け下った。

しかし30分後、街に降りる寸前のところで、バケツをひっくり返したという表現そのもののような雨がバサッと落ちてきた。一瞬にしてパンツの中までびしょぬれ。それでもなんとか雨宿りできるところまで降りていたから大丈夫だったが、もしあのまま登頂をしていれば、頂上付近で雨と雷にやられていただろう。事前に天気予報を聞いていたから、即座に引き返しスことができたが、知らなかったら、「ヒコーキかな?」とのんびり山に上がったに違いない。

私の例で、判断してはいけないが、より高山に登るなら、それなりの準備が必要だ。飯士山でも、雨具は全く役に立たない雨と雷だった。亡くなった方には申し訳ないが、年寄りは運動能力も若者の半分以下だから、十分事前情報を仕入れ、無理はしないことだ。と人に語りかけているが、実は自分自身に言い聞かせている。

平標山 花の百名山!

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 朝思い立って平標山へ行ってきました。越後湯沢から苗場に上がる火打峠の脇に登山口があります。ここからは林道経由と松手山経由の2コースがあります。たいていは目の前に見えている送電線の鉄塔に上がる松手山コースから頂上に行き、平標山山の家を経て、林道に下る一周コースをとるようです。

 標準タイムは登り3時間、下り2時間程度です。私は9時半に駐車場から歩き始めました。持ち物はおにぎりとペットボトルの水とカメラ。ストックを一本。足元は先日買ったキャラバンシューズです。昨日は午後雷と大雨警報でした。本日も2時過ぎたら雷になりそうなので、11時には下山を開始する予定で行きました。

 送電線の鉄塔までの登りはただただ急登です。30分。そこから頂上らしきものが見えるので気分は良くなりますが、近づくとその背後に長い尾根が続いています。その先に本当の頂上があります。ちょっとがっくりですが、偽の頂上の付近の急こう配の斜面は一面のお花畑。シモツケのピンクの色が一番です。
 
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大山祇の石碑がある蛇紋岩の斜面で10時半。もう下ろうかと思ったら、一緒に歩いている人たちが、「ここまで来て引き返すのはもったいないよ!」という。でも11時までには頂上に着きそうもないし、雲も上がってきたので、決断のしどころ。でも人がたくさんいるので、何とかなるか。頂上に向かう。11時前にタッチして下りにかかる。平標山の家側から見ると、本当に平らな山だ。

 山の家のお兄さんはいい感じの人だ。400円のコーラを買う。このお兄さんが背負ってきたと思うと高くはない。2、3本買おうと思ったが数少ないかったので、おいしいお水を飲んで下りにかかる。こちらも階段だらけ。林道に降りてからけっこう長いが、頭の上に送電線が見えるとあと少し。12時半には火打峠につき、車に戻る。高速道路は大混雑で、赤城のSAで寝てから帰京。

動画を作りました。youtube https://www.youtube.com/watch?v=leizdRuNwAM

飯士山、雷で登れなかった!

飯士山(いいじさん)は越後湯沢の駅から見えるすっきりした形の山だ。岩原スキー場のメインゲレンデはこの山に続く斜面に広がっている。したがってこの山に登るにはスキー場のゲレンデから行くのが一般コースだ。私はいつも一番左のリフトの終点(700m)から山道に入る。

頂上は1111.8m、岩原橋が386mだから登りは726m。岩原橋から往復2時間というのが、元気な時のわたしのペースだ。しかし最近は登りだけで2時間かかる。下りは走ってくることができるので、1時間。往復3時間が今のペースだ。
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本日は700m地点まで1時間かかった。残り400mを1時間では行くことはできないかも、と思っていたら、段々雲行きが怪しくなり、雷も鳴りだした。逃げるが勝ち。リフト小屋の下でお父さんが子どもに「山の天気は急に変わる。雨合羽を持ってきて良かっただろ!」と話している。私はペットボトルしか持っていないので、大急ぎでかけ下る。岩原橋まで30分で下った。

とたんに土砂降り。駅まで10分ほどだが、目の前が見えないほどの雨。子どもたちはどうしたろう。雨合羽ではどうしようもない。お父さん、どう説明しただろうか。

梅雨が明けた。でも下山!

3連休の最後の日。関西、東海あたりは梅雨が明けたらしい。関東は明日あたりかな。徳沢の天気は良好。しかし奥さんが昨日虫に刺されて顔が腫れてしまい、昨日の夜、徳沢園の隣にある日大の診療所で見てもらったが、今朝も注射してもらうことになっているので、出発は遅れた。

腫れはだいぶ引いて顔は本に戻ってきた。天気も晴れになり、奥又白谷や明神岳が輝いて見える。昔はあのあたりを歩きまわっていたが、今はあそこまで上がることもできないだろうな。

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しかしまだここでこの景色を再び眺めることができることの幸せ。昨年末に入院した時には、「もう山に行くことはできないなあ!」という気分だったが、今は「来年もこの景色を見に来るぞ!」という気になっている。自重して、来年は涸沢にいけるようにトレーニングしておこう。体力は孫たちにどんどん引き離されているが、来年まではなんとかついていきたいのだが。奥さんはあきらめているが、がんばらせなければ!!

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新村橋、徳沢の先にあり、奥又白谷などに行く

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涸沢へ向かうが本谷橋で引き返す

天気図はもう梅雨明けだが、予報は雨。しかし私の予想は雷雨はあっても、雨はひどくない。ということで予定通り涸沢(からさわ)に向かう。おばあちゃんたちはちょっと無理そうなので、途中で分かれて先に下ることにしていた。

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子どもたちは元気で、年寄りを置いて先に行ってしまう。私は昔登った屏風岩の岩壁を見ながら、ゆっくり歩く。どこを登ったかよくわからないけど、あんな急傾斜をよく登ったもんだ。

上から下りてきた登山ガイドさんが、一昨年も徳沢で出会った増島さんだった。昨年けがをしたが、無事復帰してガイドさんをしている。さすが鍛えてある人は違うなあ。先に降りているはずの奥さんたちに、私の方の状況を伝えてもらう。1時間ほど前に降りた奥さんにすぐに追いつく速さだ。後で聞いたら、私に会ってから15分ぐらいで奥さんに追い付きたようだ。

本谷橋で、天気が変わりそうなので、子ども連れではちょっと不安ので下ることにした。しばらく下ると、山ガールから声をかけられる。若い女性から声をかけられることはないのだ。米山さん。昔「沙原の会」でよく徹夜で奥武蔵の山々を歩きまわっていた若い仲間だ。一瞬にして思い出したが、今から数十年前の話だ。若い女性・・・・?? でも山にいる女性は若い。

 

上高地は今年も雨だった!

天気図を見ると、梅雨前線は北に上がっているので関東地方はもう梅雨明けの様相を呈しているが、長野県辺りはまだ雲が残っている感じ。朝6時に出発したが、忘れ物を取りにもどる15分の間に、中央高速はもう渋滞が始まった。三連休だから仕方がない。

そこで関越経由に変えた。30キロほど長くなるが、渋滞を待つ間に30キロ分ぐらい走ってしまう。関越渋滞もなく道の駅・風穴の里でスイカを食べる。沢渡でシャトルバスに乗り換える。上高地はマイカー規制でバスとタクシーしか入れない。大人四人で団体割引(7400円)になる。

釜トンネルを越えたころから雨になる。今年は徳沢園で泊まることになっているので、雨の中8キロほど歩かなければならない。と思っていたら、雨はやんだ。河童橋の前の河童食堂でお昼を食べて、歩き始めるが明神の手前で突然の大雨。合羽を着る暇もないぐらい。今年はみな雨の準備をしてきているので、あわてない。しかし明神ではもう晴れてきた。降ったりやんだりの雨で忙しい。早めに徳沢園に着いた。孫たちは成長しているので、全く疲れはないが、じいさんばあさんはその分衰えているので疲れた!

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明日から上高地、雨が降りそう!

恒例になった孫たちとの上高地行。今年で5回目になる。子どもたちが大きくなる分、じいさんたちはよれよれになる。昨年は上高地から横尾山荘往復だったが、今年はさらに涸沢まで行こうということになっている。子どもたちは大丈夫だろうが、ばあさんは無理だろう。

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上はクサボタン、センジュガンビ です。今年も見ることができるかな?

gozentatibana2ゴゼンタチバナ、キツリフネ

21日には戻ります。その日ごろに梅雨が明けそうです。お父さんたちがサラリーマンなので、日延べができず、大変です。

高尾山 第2弾 登り返し!

高尾山 後半 小仏城山から小仏峠へ、そこから下ってバス停へ。しかしバスに乗らずに道路を歩くが、暑い暑い。途中で日影沢に入り、高尾山に登り返した。つり橋からケーブル駅に出る。そこでもケーブルには乗らず駈け下る。頂上ケーブル駅のビヤマウントは2時間待ちだとか。長い行列ができていた。一日に二回高尾山に登ったのは久しぶり。

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一丁平から城山までは階段だが、人が多く歩くので路肩が崩れている。ここにボードウォークが造られている。4月に来たのだ、そん時にはなかったような感じなのだが。15分ほどで城山に着く。私は分岐から少し先まで歩き、下の中の写真のところから頂上に登る。こちらの方が近道だ。セルフタイマーで写真。

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昔は小仏峠にも茶屋があったが、今は何もなし。ここから下れば15分で車道に出る。ちょうど中央高速道路の小仏トンネルの上だ。

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バス停を通り越し、日影沢へ。そこからつり橋へ。

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雨が岳 おじさんたちの登山

3月20日(土)
昨日の夕方から、久々に山登りに出かけた。場所は本栖湖のさきにある毛無山から雨が岳へ。一行は都立大学山岳部OBの6人組。ほとんどがリタイヤ組だ。今から20年近く前、私はこの付近をとおる東海自然歩道を走ったことがある。そのときに本栖湖、上九一色村、割石峠をとおりA沢貯水池などをとおった記憶がある。

その時は、富士吉田からずーと走ってきたが、今回は車2台で、登山口と下山口においた。麓という集落は昔は千軒の家があったという。武田信玄の発掘した金山があったのだ。近世まで掘られていたそうで、鉄製の機械がまだ放置されている。竹川家という庄屋さんがこの地を仕切っていたらしい。この前来たときにも立派な門構えの家があった。今回再見。昔のままだった。

朝6時45分からから登山開始。最初は不動の滝を見学する余裕もあったが、だんだんと雪が舞いだして、冷え込んできた。天気が悪そうだとは思っていたが、まさか雪とは!おじさんたちは装備は完璧。ゴアテックスの雨具を取り出す。私は短パンで駆け抜けるぐらいのつもりでいたが、そうも行かない。三ピッチで1900mほどの頂上へ。吹雪いており、寒い。コンロでお湯を沸かし、卵スープとおにぎりおじやの昼食。

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アイゼンをつけて下りにかかる。私はアイゼンなど持ってこなかったのでW部さんの四本爪を借りる。これはなかなか快適。他の人たちは6本爪か8本爪。このくらいの雪では4本爪の方が威力がある。雪まみれになりながら、雨が岳へ。そこでアイゼンをはずしたのが失敗だった。雨が岳の下りは急坂でおまけに雪の下が凍っている。滑る滑る。もう一度つけるのは面倒なので尻で滑り落ちる。久々の尻セードだ。他の人たちは面倒がらずに、アイゼンをつけ直す。

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私はそのまま転がり滑りしながら下ったので、渡部さんと最初に車のところに到着。2人で登山口においた車をとりにいく。ちょうど他の人たちが下山してきた時間に車が到着。私と北島さんはそのまま東京へ。他の人は温泉へ。私は明21日に荒川マラソンだ。