また快語碌から 勝手に引用

年賀状について書こうと思っていたら、快語碌に面白い記事があった。また勝手に引用。80歳過ぎのばあさん。大したものだ。人には見られたくないというが、ちゃんと公開している。だれかコメントしてあげてくれませんか。たぶん読み方がわからないが。 元のブルグはこちら。 http://taguchi5022.blogspot.com/

____________________________________________________________________

1月1日、年賀状の束が届いた。一枚、一枚を読みながら、さあ、これから年賀状書きが始まる。それにしても、賀状の切手代、63円、なんともはんぱな値段。
毎年、年賀状にシールを張って出している。今年のシールの文章は、「この程度 知力体力 楽隠居」。シールのシリーズは、2004年から続いている。

2004年 「頑固に隠居 たまーに少しボランティア」
この年、銭湯66挑戦をしたので、結構忙しかった。
2005年 「頑固に隠居 過激に道楽これからも」
ハワイ、モンゴル、シンガポール、それからガーナーへも行った。
2006年 「隠居今年で9年め 過激に道楽」
奥の細道を歩きはじめた年。
2007年  隠居のベテラン 道楽の日々 これからも」
西国巡礼へ。
2008年 「粋な生き方これからも 道楽の日々まだ続く」
ヨーロッパ鉄道の旅、モンゴルの夏旅。
2009年 「隠居今年で12年 ゆっくり ゆったり これからも」
それほどゆったりでなかった、山陽道歩きはじめた。
2010年 「隠居今年で13年 じきに来るはず 時間切れ」
羽州街道、六十里街道など、街道歩き続く。
2011年 「今年も 日々是好日 楽隠居」
出羽三山で修行、スーダンへ行った。
2012年 「ありがたや 隠居今年で15年」
カザフスタン、ブータンへ。
2013年 「のこり世を 老足よろよろ旅の空 隠居今年で15年」
習近平登場、あまり関係ない。オリンピック東京決定。
2014年 「とめてとまらぬ隠居の旅路 やまぬはずだよ 先がない」
スペインサンチャゴ巡礼挙行、遂にやったあ。
2015年 「サンチャゴの巡礼終えて 道楽は これで打ち止め楽隠居」
のつもりだった。
2016年 「好き勝手 それでも生きてる楽隠居」
やることなくなり、大学入学。
2017年 「ありがたや 新年迎え もうちょっと」
路線バス乗り十津川線・日本最長達成。
2018年 「お正月 生きてるだけで めでたいな」
シベリア鉄道に乗った。
2019年 「めっけもん 八十すぎても 生きている」
船旅、鉄旅で韓国へ。
2020年 「この程度 知力 体力 楽隠居」

新年狛犬獅子がたくさん

杉並区の妙法寺に行ってきました。初詣の人が大勢来ていました。私は初めて来たお寺。本当は隣の成相寺の狛子(ねずみ)を見に来たのだが、そちらはお参りの人はゼロ。すぐとなりの寺は大変な人出。何がそんなに違うのか?お参りの人が多くて本堂に上がれなかったので、灯篭と水盤の周りをウロウロしていた。それぞれの周囲に獅子の彫り物があった。明らかに獅子であるが、通常は狛犬と言っているものだ。見上げたら山門にも獅子が吠えていた。これは狛犬とは言えないかな。まあいいか。豪華狛犬集合!

今年もよく歩いたかな??

スマホを新しくしたので、歩数計がしっかり働いてくれる。
今年一年間でどれだけ歩いたか、計算が簡単にできる。1月は平均1.5万歩を越えたが2月はかすかす。これは6日間スキー行ったことが関係あり。スキーで滑っている間は歩数をカウントしない。4月は10日間上海旅行。スマホを置いて行った。6月7月は暑くて外に出る気がしなかったので平均で1万歩を切った。来年は1年平均で1.5万歩を超えるようにしよう。な~んてね。年寄りの冷や水。1万歩でいいよ。

2019年 月間歩数 1日平均
1月 487,351歩 15,721歩
2月 304,612歩 10,879歩
3月 421,946 13,611
4月 248,523 8,284
5月 359,432 11,595
6月 278,157 9,272
7月 338,568 10,922
8月 462,150 14,908
9月 452,057 15,069
10月 357,972 11,547
11月 436,198 14,540
12月 480,893 15,513
4,627,859 12,679

 

世界一大きい狛犬

世界一大きい狛犬

先日FB友人から「瑞浪市に世界一の狛犬がいます」との情報をもらった。写真を見るとちょっと不格好な狛犬が見える。いただいた写真をアップしようと思っていたが、20日に名古屋で日本の頭脳の一人であるHORI先生に会う予定になっていたので、一泊して多治見に行きレンタカーを借りて世界一の狛犬を見てきた。

瑞浪市陶に「ふるさと創生事業」の資金を利用して美濃焼の巨大狛犬を作ったという。阿吽の一対の狛犬は高さ3.3m、重さは15トンあるそうだ。総勢1000人がかかわったそうだ。この狛犬がすっぽり隠れる大きさの窯が作られ、そこで12日間、5000束の薪を燃やして狛犬を作った。これだけ大きさなので、別の場所に運ぶことはできない。窯のレンガを外している写真をみると、その大変さを実感できた。
隣に村社の八王子神社がある。この入り口にも美濃焼の狛犬がいるのだが、どう見ても不格好。まあそれでもいいか。ちなみに巨大狛犬は地元の文化財に指定されている大川窯4代目の美濃焼をモデルにしたものだそうだ。

瑞浪に戻って化石館に行った。今から40年前にこの博物館で化石を掘った覚えがある。ビカリアという化石を見つけた。同じ化石をエジプトの西部沙漠で見つけたなあ。さらにこの上に東濃地科学センターの超深地層研究所に行ってみた。原発で発生する高レベル放射性廃棄物の地層処分技術を得るための研究施設である。

500mの深さに穴を掘って様々な基礎研究をしている。このような研究があって初めて地層処分ができるのだ。しかしここの施設は20年で穴を埋め戻して市に返すそうだ。なんと無駄なことをするのだろう。地層の研究は100年単位でやらなければ意味はないのに

狛犬ならぬ狛子(ネズミ)!

12月7日。前から京都に行って来年2020年の干支である子(ネ)の狛犬を探そうと私は考えていた。インターネットで探ったら永観堂の先にある哲学の道の途中の大豊神社に狛犬ならぬ狛子(ネズミ)がいることが分かった。

奥さんと一緒なので最初から狛ネズミのところに行くのは難しい。まず奥様の気に入ったところに行き、ついでに大豊神社に行くコースを考える。地下鉄の東西線の蹴上から水路閣を通って南禅寺の紅葉を見よう。これなら気に入るだろうと思っていたら、先日の台風で疎水の脇が崩れて通行禁止。しかたがないのでインクラインの線路を下って南禅寺へ。ここの紅葉はすばらしかったので、奥さん満足。

さらに足を延ばして永観堂に。こちらも今が紅葉真っ盛り。上の方にある多宝塔に昔登ったことがあるというので、昨日の三輪山ランニング登山の疲れが残っているが付き合う。これがまたよかった。永観堂の赤い葉っぱと京都の町が一望できた。

満足した奥さんに、「ちょっと先に面白い狛犬がいるんだけど、ちょっと行ってみる?」と誘ってみる。「哲学の道は久しぶり!」とうれしそうなので一気に寄り道して大豊神社に行く。入り口には珍しい狛犬がいるが目も向けず奥の大国社に向かう。

確かに右側に口を開けた阿のネズミが立ち上がって巻物を持ち、吽のネズミは水玉に乗っているように見える。この神社は12年に一回は初もうで長蛇の列になるそうだ。本日も七五三の親子や年賀状の写真にする人たちが順番待ちをしていた。中日新聞の記者にインタビューされた。東京から来たもの好き夫婦という記事になるのかも。おもしろい経験で奥様満足。

ここまで来たら、一挙に黒谷の真如堂に登ることにした。この登りはけっこうきつい。リュックを背負ったジイサンバアさんが上がって行くので負けるわけにはいかない。立派な五重塔をみる。ここも紅葉がすばらしいのだが、疲れていたのでどうでもよくなった。真如堂さん金戒光明寺さんごめんなさい。

朝から歩いていたので2万5千歩、お腹がすいて疲れた。狛ネズミの写真が撮れてよかったので、まあいいか。

金鑽神社、十月桜

  朝起きたらマイナス4℃、車はすっかり霜に覆われていました。今回は寒さ対策は十分にしてきたので大丈夫。昨日は大阪から来てくれた「清水武志トリオ」のジャズを子どもたちと一緒に楽しんだ。子どもたちをググっと引き込む語り、子どもたちに合わせた優しいジャズ、さすがプロはすごい。

そのあとせせらぎ荘でおいしい料理、温泉を堪能して、途中スカイブリッジ、金鑽神社とご神体山登山、十月桜を堪能して戻りました。誘っていただいたOTANIさん、NOJIさん、ありがとうございました。

1.金鑽神社の御嶽山の上から見た赤城、榛名、遠く谷川の峰々。
2.金鑽神社(かなさな神社・二宮)の紅葉と黄葉 3.スカイブリッジ、 4.霜柱 5.十月桜、鬼石(おにし)6. 鏡岩、断層で磨かれた結晶片岩

7.メタセコイヤ紅葉

酷暑のマラソン、まさか?札幌へ!

東京オリンピックは快適な気候の8月に行うということで招致が決まった。ブログでも何回か、こりゃ冗談だろうと思っていたが、外国の方は東京の8月は晴天も期待できいい気候なんだと思っていたようだ。しかし17日突然森委員長がIOCのバッハ会長がマラソン競技は札幌で行うと言っている。私もいいと思っていると発表した。今回は15日に伝えられたそうで、橋本オリンピック担当大臣に伝えられただけで、肝心の小池都知事には知らされていなかった。小池都知事は怒って、森さん安倍さんの仲間のプーチン大統領に頼んで北方領土でやったら!などと言い出した。

先日暑い東京での大会に備えて競歩やマラソンで選手選考をしたばかり。暑さに強い選手が選ばれた。選手コーチは大いに戸惑っているが、経団連会長は森元首相に忖度して「涼しい札幌の方がいい!」などと言いだした。地方の経済も潤うからだそうだが、オリンピックを経済的な面だけでしか見ていないようだ。選手ファーストと言うなら最初からそうすればいいのに。今さら困るよ! しかし東京都が30分繰り上げてスタートするといってももう耳を貸さない。

他の競技は暑くてもいいのかな?? いっそのこと全部札幌に移したら?? でも札幌は困るだろうな。マラソンと競歩の会場を確保する、コース設定をするだけで大変な準備が必要だ。今東京で準備している人を全部札幌に持っていくしかないだろう。

しかししかし弱いところにすべてを押し付けて、強いものにはすべて屈するというのは、今の日本の状況をよく表している。貿易協定は二国間ではやらない、TPPですべてを決めるなんて言ったのに、トランプに脅されて日米貿易協定を締結してしまった。北朝鮮がミサイルをバンバン撃っても、「トランプがいいよ」と言ったので文句は言わない。拉致問題はどうするのか。まったく真剣ではないよな。

「ダメだよ!」と私が言っても声にはならない。理にかなわないことが多すぎるよ!

後期高齢者になったぞ!

しばらく更新していなかったので、さかのぼって投稿しておきます。この10月から後期高齢者、健康保険の診察代が1割になりました。ありがたいのですが、そんなに割り引かなくてもいいよ、と思っていました。しかし年金から差し引かれる保険料が倍になっていました。なんだなんだ!割り引かなくていいよと言う前言は取り消し!

ところで私が通っている病院の前庭にこんな銅像が立っています。こんど新1万円札の顔になる渋沢栄一さんです。この人の業績は経済界だけではありません。引退した後私費で養老院を作ったのです。この業績の方を評価したいですね。養老院を引き継ぐ東京都健康長寿医療センター、私は養老院の方がいいと思うのですが、です。病院内にその歴史を絵図で記してあります。分割して載せておきます。

あちこちで嫌がられて引っ越し引っ越しで、人気のない僻地に追いやられた。やっと板橋村に落ち着いた。それが我が家のすぐ前です。渋沢さんありがとう!

我が家のガーデン?のお花!

我が家には広大(?)なお庭がある。毎日奥様が手入れをしているおかげで、今も様々なお花が咲いている。路地を通る人たちも「きれいですね!」と足を止めて眺めてくれる。私の仕事は時々の水やりぐらい。実のなるものもありますが、今年はブルーベリーが豊作、ミカンは2つだけ、なす、ピーマンは食卓にも上ります。我が家の朝顔は今盛り、よそのはとっくに終わっているのに。ということでお花図鑑! 名前は後で入れます。

台風一過!暑い!

台風15号が東京湾を北上して茨城県方向から太平洋に抜けていった。8日の真夜中から9日の未明にかけて急速度で通り過ぎた。台風の反時計周りの風と急速度で進む方向が一致した千葉県では送電線や電柱が倒れるなどして大きな被害が出た。停電も続いているようだ。

 

我が家の周辺の被害は健康長寿医療センターのイチョウの木が数本倒れ、ギンナンが大量にばらまかれたこと。人々が踏んで歩くので臭い! これが唯一。

事前に予測が出ていたので交通機関は計画運休が行われた。これはなかなかいい。台風が来るときに無理に出勤したり学校に行ったりすることはない。今回は真夜中だということもあって大きな被害が出なかった。大げさに報道しすぎるという声はあるが、これぐらいでちょうどいい。もし20年前だったら大変な被害と混乱が起きていただろう。耐震基準が厳格になり、人々の意識も変わってきたので人的被害は少なかった。

我が家の小さな庭では機嫌よく花々が咲いている。でも暑い暑い。台風が今年最高温度を運んできた。8月よりも9月に最高温度が出たというのは何十年ぶりとか。異常気象だな。

100歳おばあさん!その後報告

今年の5月25日、老人ホームに入居中の我が母はベッドから落ちて 、骨折しました。その後入院していましたが、その間に認知症が進み、ほとんど何も分からなくなり、要介護5という状況になりました。その後紆余曲折を経て、昨日同じ老人ホームの特養に入所することができました。

高齢者を抱えた家なら必ず通る道ですが、直面するまでどう動いたらいいか考えたことがありませんでした。我が家の奥さん他多くの皆さんから沢山の情報をいただきました。何から始めたらいいか分からないことだらけでしたが、色々試行錯誤して、もっともいいところに落ち着きました。本人も驚くべき回復で、年配の介護士さんに「あなた若くて美人ね!」などお世辞を言って喜ばれています。私から見ると恥ずかしいようなお世辞を言うのもすばらしい処世術、すごい回復力です。

我が家の3ヶ月、これから介護に直面する人に参考になればと思い、また自分自身の記録としてここに記しておきます。

1: 家庭、あるいは老人ホームにいて骨折した場合

 老人ホームで転んだと連絡を受け、移送で救急車で帝京大学病院に運びました。レントゲンとCTの検査の結果、恥骨骨折とのこと。手術をしなくてもいいとの診断。家に連れて帰って静養させるようにとのことですが、寝たきりで安静という状況を自宅、ホームではできません。そこで我が家は老人ホームのショートステイをお願いしました。事前にケアマネジャーと懇意におかなければ話は進みません。我が母は要支援2で、ディサービスに通っていたおかげで、ケアマネさんに相談ができ翌日にはショートステイをお願いすることができました。

第1の教訓、日ごろからケアマネジャーと懇意にしておくこと。

2;高齢者は骨折すると認知症が進む
 
 ショートステイに入ったが、自分でトイレができないとことが大変なストレスになるようで、突然せん妄が起こるようになりました。ショートステイ一週間目に夜怯えて騒ぎ出して、ベッドから落ちてしまい、今度は関連病院に入院させました。寝たきりだったので介護タクシーで行きました。タクシーの運転手さんは親切でしたが、一人では無理で奥さんが大活躍してくれました。

 その病院では骨折は軽微だがせん妄が激しいので精神病院に移すといいます。埼玉にある精神病院を見に行ったのですが、いわゆる精神病院。そこに入ったらもう二度と出てこれないのではないかと思いました。今は妄想が激しいが落ち着いたら元に戻ると言われているのに、ここに入ったら本当に狂ってしまうと感じて、何か手立てをと考えました。
  いろいろ調べたら、なんと我が家のすぐ前にある健康長寿医療センターの精神科が一番進んでいると聞きました。急いで担当のソーシャルワーカー(社会福祉士)に相談したところ、自分の病院は実績がないのでできないとのこと。やってみなければ分からないじゃないかと、健康長寿医療センターに行き、状況を説明すると、どこからでも平等に受付はするとのこと。早速戻ってその旨を報告すると、やってみますとのこと。半分は無理と思っていたら、運良く空きがあって入院できるとの返事が来たという。

第2の教訓、ダメでもともと、やってみるものだ。頼るのは医者よりソーシャルワーカー!

3;精神科を経験するのも良いかも!

  精神科に入って一週間ぐらいはせん妄が激しく、夜は絶えず起きて、怯えていました。我が家では毎日食事をの世話をしに行きました。夜寝ていないので食事の時に寝てしまい、ほとんど食べません。無理にスプーンでおかゆを食べさせているうちに、だんだん眠らず食べるようになりました。しかし癖がついてしまい、誰かがいかないと食べないという状況が続きました。その間は誰かが昼夜2回づつ病院へ通いました。たぶん薬のおかげでしょうが、せん妄は次第に少なくなり、自分で食事ができるようになりました。

 毎日通っているうちに、皆さんと仲良くなりました。精神科にいる人はなかなか興味深い。
「昨日北海道から帰って来たばかりなのよ」
「西武デパートの食堂に明で行って来たのよ」
「安倍とは同級生で、あいつは頭がわるかったなあ」
「明日退院なので、家までついてきてくれる?」
などなどいろいろ語ってくれる。
「そうですか!」
と感心すれば喜んでくれる。明日退院の人は毎日同じことを言ってくる。

教訓3:精神科って人生の縮図のようななところ。一度経験してみると世の中を見る目が変わる。

4:病院は1か月迄

  入院するのは一か月迄と決まっている。それ以上は別のリハビリ病院に行くようにとのこと。そうなると先日紹介してくれた精神病院に行かなければならないので、私はkashidaさんからもらった情報にそって、老健に入れることを考えた。頼るのはケアマネさん。様々なケースを相談した。

教訓4:
●老健に入るためには介護度が3以上であること。
●療養の結果、帰宅できる可能性があるもの。
●3か月入ったら、次の人に譲らなければならない。
●預貯金が千万以上の人は介護限度額認定ができない。
 限度額認定ができないと月々の支払いが膨大になる。我が家は慌てて区役所に行き、貯金通帳を見せて認定してもらった。 

 何とか頑張って老健に入れることが決まった。しかしその数日前の7月20日、無理に立ち上がろうとしたらしく、夜中にベットから落ちた。同じ病院の整形外科で診察したところ、大腿骨骨折。あちゃ~これは致命傷だと思った。手術はちょっと無理そうなので、保存的療法ということになった。通常手術をしない時には退院してリハビリということになるが、この病院で骨折したのだから、痛みがなくなるまでは面倒を見てくれることになった。あと一か月入院が伸びたのだが、その後は老健に移動する予約をとって待ってもらうことにした。しかし大腿骨骨折という事故があって、介護認定は最高度の5ということになった。要介護5だと老健は受け入れてくれないとの連絡が入った。。
 受け入れ先を考えなければならなくなった。もう特養しか受け入れ場所はない。これから再び受け入れ先を探す日々が始まった。

教訓4-2:入院したら退院後の行き先を考えなければ。その前に介護認定を申請しなければならない。

5:特養は100人待ち、でもよかった

  要介護5になったら行く場所は特別養護老人ホーム、特養しかない。しかし特養は待機児童ではなく待機老人がたくさんいる。調べてみるとそれは都会の特養で、地方に行けば空きはあるようだ。能登に移住したONOGUCHIさんから「おいでよ!」と言われたが、我が家はいろいろ事情があって能登には移住できない。
 ということでこれまでショートステイでお世話になっている老人施設に絞ってお願いすることにした。8月5日に退院して再びショートステイで特養にお願いすることにした。このあたりはケアマネさんの尽力が大きかった。

 8月23日、まもなく最初の骨折から3か月目のころ、特養に空きができることが分かった。ショートで入っている同じ部屋に入所できることになった。ということで本人はこれまで通りに過ごすことができ、環境変化によるストレスはほとんどなさそうで、機嫌よくご飯も食べている。私にとっては3か月ぶりの穏やかな日が戻った。
 本人は最初はなぜここにいるのかわからなかったようだが、記憶はごく短時間しか残らないので、私たちが帰るよと言っても後は追わなくなった。ご飯は一人で食べることができるのでおやつの時間行くようにしているが、「久しぶりだね!」と毎日言う。
 2日ぐらい開けても、同じように久しぶりという。我が家にとっては、ずいぶん楽になった。

教訓5:100人待ちでもやってみなければわからない。

 この間、我が奥さんはじめ弟夫婦、いとこのkamataさん、息子、娘一家、孫たちが変わり番こに訪問してくれた。おばあさんは一人一人の名前や関係も思い出せるようになった。皆が相まって活動してくれた結果、おばあさんはいままでのような平穏な日常を取り戻せたような感じだ。ありがたいことだ。

 さらにフェースブックや直接顔を合わせてアドバイスをしてくれた皆さんにも感謝感謝の日々です。
 

原爆の日、100歳の母のこと!

1944年8月6日、母親は1歳直前の私を背負って、裏の山で松根油(しょうこんゆ)を採集していた。日本軍は石油が入らなくなったので松の根から油をとって航空燃料を得ようという計画だった。作業にかかってすぐ、遠くに黒い雲が沸き上がったのが見えた。それをみんなで見ていたという。

最近松根油をとっていた里山から原爆投下の爆心地までの距離を調べてみたら直線で20㎞だった。今なら避難地域だったかもしれない。母たちは何も知らぬまま翌日も松の木の根っこから垂れる油を採集していた。9日に長崎で同じことが起き、大勢の人が犠牲になった。そして15日終戦。もう少し早く敗戦を認めていれば沖縄戦もなかったし、東京空襲も、広島、長崎の原爆被害もなかったろうに。国体護持に固まった指導者に導かれた悲劇だったことが、今になるとよくわかる。 続きを読む

舞囃子「氷室」

今年も奥様の恒例の水道橋能楽堂の「舞囃子」です。今回は「氷室」という舞囃子を舞いました。今回はお友達、お仲間が大勢来てくれ、一段と熱が入ったと思いました。外の暑さのせいだけではなく、神さまのご降臨があったかのようで、なかなかよかったです。写真をクリックしてください。動画になります。ここをクリックしてもOK