狛犬ならぬ狛子(ネズミ)!

12月7日。前から京都に行って来年2020年の干支である子(ネ)の狛犬を探そうと私は考えていた。インターネットで探ったら永観堂の先にある哲学の道の途中の大豊神社に狛犬ならぬ狛子(ネズミ)がいることが分かった。

奥さんと一緒なので最初から狛ネズミのところに行くのは難しい。まず奥様の気に入ったところに行き、ついでに大豊神社に行くコースを考える。地下鉄の東西線の蹴上から水路閣を通って南禅寺の紅葉を見よう。これなら気に入るだろうと思っていたら、先日の台風で疎水の脇が崩れて通行禁止。しかたがないのでインクラインの線路を下って南禅寺へ。ここの紅葉はすばらしかったので、奥さん満足。

さらに足を延ばして永観堂に。こちらも今が紅葉真っ盛り。上の方にある多宝塔に昔登ったことがあるというので、昨日の三輪山ランニング登山の疲れが残っているが付き合う。これがまたよかった。永観堂の赤い葉っぱと京都の町が一望できた。

満足した奥さんに、「ちょっと先に面白い狛犬がいるんだけど、ちょっと行ってみる?」と誘ってみる。「哲学の道は久しぶり!」とうれしそうなので一気に寄り道して大豊神社に行く。入り口には珍しい狛犬がいるが目も向けず奥の大国社に向かう。

確かに右側に口を開けた阿のネズミが立ち上がって巻物を持ち、吽のネズミは水玉に乗っているように見える。この神社は12年に一回は初もうで長蛇の列になるそうだ。本日も七五三の親子や年賀状の写真にする人たちが順番待ちをしていた。中日新聞の記者にインタビューされた。東京から来たもの好き夫婦という記事になるのかも。おもしろい経験で奥様満足。

ここまで来たら、一挙に黒谷の真如堂に登ることにした。この登りはけっこうきつい。リュックを背負ったジイサンバアさんが上がって行くので負けるわけにはいかない。立派な五重塔をみる。ここも紅葉がすばらしいのだが、疲れていたのでどうでもよくなった。真如堂さん金戒光明寺さんごめんなさい。

朝から歩いていたので2万5千歩、お腹がすいて疲れた。狛ネズミの写真が撮れてよかったので、まあいいか。

金鑽神社、十月桜

  朝起きたらマイナス4℃、車はすっかり霜に覆われていました。今回は寒さ対策は十分にしてきたので大丈夫。昨日は大阪から来てくれた「清水武志トリオ」のジャズを子どもたちと一緒に楽しんだ。子どもたちをググっと引き込む語り、子どもたちに合わせた優しいジャズ、さすがプロはすごい。

そのあとせせらぎ荘でおいしい料理、温泉を堪能して、途中スカイブリッジ、金鑽神社とご神体山登山、十月桜を堪能して戻りました。誘っていただいたOTANIさん、NOJIさん、ありがとうございました。

1.金鑽神社の御嶽山の上から見た赤城、榛名、遠く谷川の峰々。
2.金鑽神社(かなさな神社・二宮)の紅葉と黄葉 3.スカイブリッジ、 4.霜柱 5.十月桜、鬼石(おにし)6. 鏡岩、断層で磨かれた結晶片岩

7.メタセコイヤ紅葉

酷暑のマラソン、まさか?札幌へ!

東京オリンピックは快適な気候の8月に行うということで招致が決まった。ブログでも何回か、こりゃ冗談だろうと思っていたが、外国の方は東京の8月は晴天も期待できいい気候なんだと思っていたようだ。しかし17日突然森委員長がIOCのバッハ会長がマラソン競技は札幌で行うと言っている。私もいいと思っていると発表した。今回は15日に伝えられたそうで、橋本オリンピック担当大臣に伝えられただけで、肝心の小池都知事には知らされていなかった。小池都知事は怒って、森さん安倍さんの仲間のプーチン大統領に頼んで北方領土でやったら!などと言い出した。

先日暑い東京での大会に備えて競歩やマラソンで選手選考をしたばかり。暑さに強い選手が選ばれた。選手コーチは大いに戸惑っているが、経団連会長は森元首相に忖度して「涼しい札幌の方がいい!」などと言いだした。地方の経済も潤うからだそうだが、オリンピックを経済的な面だけでしか見ていないようだ。選手ファーストと言うなら最初からそうすればいいのに。今さら困るよ! しかし東京都が30分繰り上げてスタートするといってももう耳を貸さない。

他の競技は暑くてもいいのかな?? いっそのこと全部札幌に移したら?? でも札幌は困るだろうな。マラソンと競歩の会場を確保する、コース設定をするだけで大変な準備が必要だ。今東京で準備している人を全部札幌に持っていくしかないだろう。

しかししかし弱いところにすべてを押し付けて、強いものにはすべて屈するというのは、今の日本の状況をよく表している。貿易協定は二国間ではやらない、TPPですべてを決めるなんて言ったのに、トランプに脅されて日米貿易協定を締結してしまった。北朝鮮がミサイルをバンバン撃っても、「トランプがいいよ」と言ったので文句は言わない。拉致問題はどうするのか。まったく真剣ではないよな。

「ダメだよ!」と私が言っても声にはならない。理にかなわないことが多すぎるよ!

後期高齢者になったぞ!

しばらく更新していなかったので、さかのぼって投稿しておきます。この10月から後期高齢者、健康保険の診察代が1割になりました。ありがたいのですが、そんなに割り引かなくてもいいよ、と思っていました。しかし年金から差し引かれる保険料が倍になっていました。なんだなんだ!割り引かなくていいよと言う前言は取り消し!

ところで私が通っている病院の前庭にこんな銅像が立っています。こんど新1万円札の顔になる渋沢栄一さんです。この人の業績は経済界だけではありません。引退した後私費で養老院を作ったのです。この業績の方を評価したいですね。養老院を引き継ぐ東京都健康長寿医療センター、私は養老院の方がいいと思うのですが、です。病院内にその歴史を絵図で記してあります。分割して載せておきます。

あちこちで嫌がられて引っ越し引っ越しで、人気のない僻地に追いやられた。やっと板橋村に落ち着いた。それが我が家のすぐ前です。渋沢さんありがとう!

我が家のガーデン?のお花!

我が家には広大(?)なお庭がある。毎日奥様が手入れをしているおかげで、今も様々なお花が咲いている。路地を通る人たちも「きれいですね!」と足を止めて眺めてくれる。私の仕事は時々の水やりぐらい。実のなるものもありますが、今年はブルーベリーが豊作、ミカンは2つだけ、なす、ピーマンは食卓にも上ります。我が家の朝顔は今盛り、よそのはとっくに終わっているのに。ということでお花図鑑! 名前は後で入れます。

台風一過!暑い!

台風15号が東京湾を北上して茨城県方向から太平洋に抜けていった。8日の真夜中から9日の未明にかけて急速度で通り過ぎた。台風の反時計周りの風と急速度で進む方向が一致した千葉県では送電線や電柱が倒れるなどして大きな被害が出た。停電も続いているようだ。

 

我が家の周辺の被害は健康長寿医療センターのイチョウの木が数本倒れ、ギンナンが大量にばらまかれたこと。人々が踏んで歩くので臭い! これが唯一。

事前に予測が出ていたので交通機関は計画運休が行われた。これはなかなかいい。台風が来るときに無理に出勤したり学校に行ったりすることはない。今回は真夜中だということもあって大きな被害が出なかった。大げさに報道しすぎるという声はあるが、これぐらいでちょうどいい。もし20年前だったら大変な被害と混乱が起きていただろう。耐震基準が厳格になり、人々の意識も変わってきたので人的被害は少なかった。

我が家の小さな庭では機嫌よく花々が咲いている。でも暑い暑い。台風が今年最高温度を運んできた。8月よりも9月に最高温度が出たというのは何十年ぶりとか。異常気象だな。

100歳おばあさん!その後報告

今年の5月25日、老人ホームに入居中の我が母はベッドから落ちて 、骨折しました。その後入院していましたが、その間に認知症が進み、ほとんど何も分からなくなり、要介護5という状況になりました。その後紆余曲折を経て、昨日同じ老人ホームの特養に入所することができました。

高齢者を抱えた家なら必ず通る道ですが、直面するまでどう動いたらいいか考えたことがありませんでした。我が家の奥さん他多くの皆さんから沢山の情報をいただきました。何から始めたらいいか分からないことだらけでしたが、色々試行錯誤して、もっともいいところに落ち着きました。本人も驚くべき回復で、年配の介護士さんに「あなた若くて美人ね!」などお世辞を言って喜ばれています。私から見ると恥ずかしいようなお世辞を言うのもすばらしい処世術、すごい回復力です。

我が家の3ヶ月、これから介護に直面する人に参考になればと思い、また自分自身の記録としてここに記しておきます。

1: 家庭、あるいは老人ホームにいて骨折した場合

 老人ホームで転んだと連絡を受け、移送で救急車で帝京大学病院に運びました。レントゲンとCTの検査の結果、恥骨骨折とのこと。手術をしなくてもいいとの診断。家に連れて帰って静養させるようにとのことですが、寝たきりで安静という状況を自宅、ホームではできません。そこで我が家は老人ホームのショートステイをお願いしました。事前にケアマネジャーと懇意におかなければ話は進みません。我が母は要支援2で、ディサービスに通っていたおかげで、ケアマネさんに相談ができ翌日にはショートステイをお願いすることができました。

第1の教訓、日ごろからケアマネジャーと懇意にしておくこと。

2;高齢者は骨折すると認知症が進む
 
 ショートステイに入ったが、自分でトイレができないとことが大変なストレスになるようで、突然せん妄が起こるようになりました。ショートステイ一週間目に夜怯えて騒ぎ出して、ベッドから落ちてしまい、今度は関連病院に入院させました。寝たきりだったので介護タクシーで行きました。タクシーの運転手さんは親切でしたが、一人では無理で奥さんが大活躍してくれました。

 その病院では骨折は軽微だがせん妄が激しいので精神病院に移すといいます。埼玉にある精神病院を見に行ったのですが、いわゆる精神病院。そこに入ったらもう二度と出てこれないのではないかと思いました。今は妄想が激しいが落ち着いたら元に戻ると言われているのに、ここに入ったら本当に狂ってしまうと感じて、何か手立てをと考えました。
  いろいろ調べたら、なんと我が家のすぐ前にある健康長寿医療センターの精神科が一番進んでいると聞きました。急いで担当のソーシャルワーカー(社会福祉士)に相談したところ、自分の病院は実績がないのでできないとのこと。やってみなければ分からないじゃないかと、健康長寿医療センターに行き、状況を説明すると、どこからでも平等に受付はするとのこと。早速戻ってその旨を報告すると、やってみますとのこと。半分は無理と思っていたら、運良く空きがあって入院できるとの返事が来たという。

第2の教訓、ダメでもともと、やってみるものだ。頼るのは医者よりソーシャルワーカー!

3;精神科を経験するのも良いかも!

  精神科に入って一週間ぐらいはせん妄が激しく、夜は絶えず起きて、怯えていました。我が家では毎日食事をの世話をしに行きました。夜寝ていないので食事の時に寝てしまい、ほとんど食べません。無理にスプーンでおかゆを食べさせているうちに、だんだん眠らず食べるようになりました。しかし癖がついてしまい、誰かがいかないと食べないという状況が続きました。その間は誰かが昼夜2回づつ病院へ通いました。たぶん薬のおかげでしょうが、せん妄は次第に少なくなり、自分で食事ができるようになりました。

 毎日通っているうちに、皆さんと仲良くなりました。精神科にいる人はなかなか興味深い。
「昨日北海道から帰って来たばかりなのよ」
「西武デパートの食堂に明で行って来たのよ」
「安倍とは同級生で、あいつは頭がわるかったなあ」
「明日退院なので、家までついてきてくれる?」
などなどいろいろ語ってくれる。
「そうですか!」
と感心すれば喜んでくれる。明日退院の人は毎日同じことを言ってくる。

教訓3:精神科って人生の縮図のようななところ。一度経験してみると世の中を見る目が変わる。

4:病院は1か月迄

  入院するのは一か月迄と決まっている。それ以上は別のリハビリ病院に行くようにとのこと。そうなると先日紹介してくれた精神病院に行かなければならないので、私はkashidaさんからもらった情報にそって、老健に入れることを考えた。頼るのはケアマネさん。様々なケースを相談した。

教訓4:
●老健に入るためには介護度が3以上であること。
●療養の結果、帰宅できる可能性があるもの。
●3か月入ったら、次の人に譲らなければならない。
●預貯金が千万以上の人は介護限度額認定ができない。
 限度額認定ができないと月々の支払いが膨大になる。我が家は慌てて区役所に行き、貯金通帳を見せて認定してもらった。 

 何とか頑張って老健に入れることが決まった。しかしその数日前の7月20日、無理に立ち上がろうとしたらしく、夜中にベットから落ちた。同じ病院の整形外科で診察したところ、大腿骨骨折。あちゃ~これは致命傷だと思った。手術はちょっと無理そうなので、保存的療法ということになった。通常手術をしない時には退院してリハビリということになるが、この病院で骨折したのだから、痛みがなくなるまでは面倒を見てくれることになった。あと一か月入院が伸びたのだが、その後は老健に移動する予約をとって待ってもらうことにした。しかし大腿骨骨折という事故があって、介護認定は最高度の5ということになった。要介護5だと老健は受け入れてくれないとの連絡が入った。。
 受け入れ先を考えなければならなくなった。もう特養しか受け入れ場所はない。これから再び受け入れ先を探す日々が始まった。

教訓4-2:入院したら退院後の行き先を考えなければ。その前に介護認定を申請しなければならない。

5:特養は100人待ち、でもよかった

  要介護5になったら行く場所は特別養護老人ホーム、特養しかない。しかし特養は待機児童ではなく待機老人がたくさんいる。調べてみるとそれは都会の特養で、地方に行けば空きはあるようだ。能登に移住したONOGUCHIさんから「おいでよ!」と言われたが、我が家はいろいろ事情があって能登には移住できない。
 ということでこれまでショートステイでお世話になっている老人施設に絞ってお願いすることにした。8月5日に退院して再びショートステイで特養にお願いすることにした。このあたりはケアマネさんの尽力が大きかった。

 8月23日、まもなく最初の骨折から3か月目のころ、特養に空きができることが分かった。ショートで入っている同じ部屋に入所できることになった。ということで本人はこれまで通りに過ごすことができ、環境変化によるストレスはほとんどなさそうで、機嫌よくご飯も食べている。私にとっては3か月ぶりの穏やかな日が戻った。
 本人は最初はなぜここにいるのかわからなかったようだが、記憶はごく短時間しか残らないので、私たちが帰るよと言っても後は追わなくなった。ご飯は一人で食べることができるのでおやつの時間行くようにしているが、「久しぶりだね!」と毎日言う。
 2日ぐらい開けても、同じように久しぶりという。我が家にとっては、ずいぶん楽になった。

教訓5:100人待ちでもやってみなければわからない。

 この間、我が奥さんはじめ弟夫婦、いとこのkamataさん、息子、娘一家、孫たちが変わり番こに訪問してくれた。おばあさんは一人一人の名前や関係も思い出せるようになった。皆が相まって活動してくれた結果、おばあさんはいままでのような平穏な日常を取り戻せたような感じだ。ありがたいことだ。

 さらにフェースブックや直接顔を合わせてアドバイスをしてくれた皆さんにも感謝感謝の日々です。
 

原爆の日、100歳の母のこと!

1944年8月6日、母親は1歳直前の私を背負って、裏の山で松根油(しょうこんゆ)を採集していた。日本軍は石油が入らなくなったので松の根から油をとって航空燃料を得ようという計画だった。作業にかかってすぐ、遠くに黒い雲が沸き上がったのが見えた。それをみんなで見ていたという。

最近松根油をとっていた里山から原爆投下の爆心地までの距離を調べてみたら直線で20㎞だった。今なら避難地域だったかもしれない。母たちは何も知らぬまま翌日も松の木の根っこから垂れる油を採集していた。9日に長崎で同じことが起き、大勢の人が犠牲になった。そして15日終戦。もう少し早く敗戦を認めていれば沖縄戦もなかったし、東京空襲も、広島、長崎の原爆被害もなかったろうに。国体護持に固まった指導者に導かれた悲劇だったことが、今になるとよくわかる。 続きを読む

舞囃子「氷室」

今年も奥様の恒例の水道橋能楽堂の「舞囃子」です。今回は「氷室」という舞囃子を舞いました。今回はお友達、お仲間が大勢来てくれ、一段と熱が入ったと思いました。外の暑さのせいだけではなく、神さまのご降臨があったかのようで、なかなかよかったです。写真をクリックしてください。動画になります。ここをクリックしてもOK

外装工事・水道工事

我が家も新築からすでに30年たった。先日屋根の一部がはがれかかっているのを奥様が発見。外壁もそろそろ傷んで、水漏れしそうな気配。我が家を立ててくれた会社に連絡して見積もりを出してもらった。新宿の社屋で丁寧に応対してくれたが、こんなにかかわっている人がいるのだから、さぞ高いだろうという予想通りだった。ちょうど我が家の一軒隣の家が屋根工事、外装工事をやっている。人のよさそうな職人さんだったので相談してみた。出てきた見積もり金額は大手の1/3。あまりにも差がありすぎるので大手会社はキャンセルしてこの職人さんにお願いすることにした。

ちょうど同じころドアクローザーが壊れた。これは自力で直した。すると今度はトイレの水漏れ発見。ぽっつんぽっつんという音なのでそれほど漏水はしていないようだが、大変気になる。水道屋さんに頼もうと奥さんは言うがドアクローザーのこと外装工事のことがあるので知らないところに頼むのはいやだった。

講道館の近くにドイトがある。様々な部品が置いてある。水道部品もあるのでとりあえずフロートとボールタップを買い求めて付け替える。我が家には水道工事の道具はそろっておりこれまでも水栓など自分で取り換えてきた。今回もこれでオーケーと思ったが「直ってないよ!」とのこと。水漏れのもう一つの原因はフロートバルブが劣化により完全にしまっていないこと。暑い中もう一度講道館まで行ってバルブを買ってくる。2種類あったが大は小を兼ねるということで大を買った。これは正解。ぴたりと止まった。合計5500円。本当はバルブ交換(1200円?)だけでよかった。

仕事をした!

ここのところ毎日100歳の母親が入院中の病院へ行き、昼食を食べさせている。病院なので完全介護だが、認知症が進み自分ではなかなか食べようとしない。私が行くと機嫌のよい時にはよく食べる。看護師さんからも、家族の方の見守りが一番ですからよろしく、などと言われているので、行かなけりゃならない状態になっている。今日はどうかな?、機嫌が良ければいいなあ?そう思いながら毎日が忙しい。

本日は日曜日、弟夫婦に代わってもらている。奥さんの母が同じように施設に入院しているので彼らは毎週仙台に行っている。どこも老老介護で大変だ。

まあ本日休みができたので、気になっていたドアクローザーを取り換えた。ミサワホームに頼んでいたのだが何回電話しても来週!という。昨日連絡したら忘れていたという。本当にプロかよ!あきれ怒ってキャンセルしたので、VIVAHomeへいって取り換え器具を買って来て自分で取り付けた。 脚立に乗って取り付けるのがちょっと不安だったので、業者に頼んだが、断ったので自分で取り付けるしかなくなった。これぐらいは3年前までは難なくやっていたが、年寄ると脚立の上で上を向いて作業をするのは結構きつい。今は器具は進化しており取り扱いは簡単になっている。業者は26,000円と言っていたが、12,000円でできた。奥さんから手間賃8,000円をもらった。久しぶりに仕事をした感じだ。

元気で生きてます!

大勢の方から「ブログの更新がない!生きてるか?」の連絡をいただきました。大勢と言っても2人ですが・・・実は最近フェースブックというほうにはまって、そちらでは1週間に2回ぐらい、狛犬シリーズをやっています。

今評判の悪いGAFA(ガーファ)(GoogleAppleFacebookAmazon)のFacebook は使い方によってはブログよりも幅広く、面白いものです。本名で、顔写真を出さなければいけないので信頼性はありますが、抜け道はいくらでもあるようです。誹謗中傷はありますが、友達間だけで行き来する分には問題ありません。と言っても個人情報はさらされるので、どこまでゆだねるかは自己責任ですが。

我が奥さんは絶対やりたくないと嫌悪感をもっています。もしかするとその方が健全かもしれません。私の友人もかなり拒否反応を持っている人も多いようです。

 GAFAをめぐってはアメリカと中国の覇権争いが深刻になっています。トランプ大統領は中国のHuaweiを排除してGAFAを守ろうとしましたが、もうすでにHuaweiとGAFA は深い中になっており分離するのは難しいのが現状です。アメリカや日本はHuawei 技術を盗まれると言っています。しかしHuawei製品に日本アメリカの技術部品が詰め込まれているのですから、ブーメラン現象でアメリカ日本も深刻な影響を受けるのです。

企業の方が大統領や首相よりも頭がいいので、今後はHGAFAとなって共存を目指すと思います。これら巨大企業はすでにちょっとした国レベルの経済力影響力を持っています。私たちはどうしたらいいのか?? これら企業のサービスを拒否することができればいいのだが、もうムリだろう。

そんなことは百も承知の安倍政権は消費増税を期にマイナンバーカードを導入して一気にIT国家(GAFA優先の)になろうとしている。しかしIT大国の中国、韓国、アメリカの現状をみたほうがいい。ちょっと立ち止まっているとIT後進国になる。しかしその方が一般国民は幸せだと思う。

マイナンバーカードにすべての情報(預金口座、大学入試センターの成績、カード履歴、旅行履歴、など)を入れてビッグデータを作り、それで経済をコントロールするつもりだ。政権側にとってはこんな便利な方法はない。国民もこんな便利になって幸せ(上海での見聞)という。日常は便利で楽しいが情報はすべて国家(企業)管理(FacebookやGoogleは使えない)になっており好きなことも言えない。

我が家はマイナンバーカードを申請するつもりはない。どんな政権であっても国家統制(GAFA統制)下に入りたくない。……と強がっても、なし崩しにその方向に進むのだろうなぁ。若い連中は、「そんなこと言ったって時代の流れですよ!」という。「流れ」に逆らっても流されると100年前に夏目漱石が言っている。今は「空気を読む」ということらしい。

ご無沙汰でした!

しばらくぶりの投稿です。この前の投稿は横浜のシーサイドライン! この間に列車が逆走して大事故になりました。私が乗ると後にろくなことが起きない。前からおいしいと評判のお店に行くとその後つぶれちゃったということが何回もあった。疫病神か!

実は5月25日㈯前橋の小林さんのご招待(畜産振興の件で)でダービー前日の府中競馬場の馬主席?にネクタイを締めて列席していました。そろそろ豪華な宴会というときに家から電話がかかってきて、あばあさん(99.5歳)が転んだという。お料理に未練を残しながらネクタイを外して飛んで帰り、帝京大学病院に運んだ。

診断の結果は腰の骨の骨折、手術はしないので別の病院に入院するよう指示され、近くの大和病院で世話をしてもらうことにした。3日後診断をした医者は骨折は大丈夫だが、認知が進んでいるので専門の病院に転院させるとのこと。転ぶ前はごく普通で、パーマに行ったり、買い物もできた。暑い寒い、令和の時代になったねなど会話もできた。それが一挙に100歳の年齢になった感じ。まさに浦島太郎状態。

専門病院の案内を見ると窓に格子がはまっている。家からは遠い。ここに入れたらさらに認知度が悪化する。急いで我が家のすぐ前にある病院にしてくれと頼む。いろいろ紆余曲折があったが結果として、我が家から3分のところにある病院に入ることができた。完全介護だが、がんこなおばあさんなので食事に手間がかかる。昼夜食は家族が世話をしに行くことになった。どこにも遊びに行けなくなったが、まあ仕方がない。しばらくわがままばあさんと付き合おうかという毎日です。

八景島 小柴のどんぶり屋

京浜急行、金沢八景駅からシーサイドライン(リニア)にのって八景島駅に行きました。八景島は柴漁港の外にあります。その漁港の一角に漁協が経営する食堂があるのを友人に教わりました。名前は「小柴のどんぶりや」です。そこの穴子丼が名物と言います。名物に旨い物なしと言われますが、新鮮な魚のてんぷらは旨い。巨大な穴子てんぷらは一度試してみるといいですね。

煮穴子はお持ち帰りにしました。それをぶら下げて、暑い日差しの中称名寺まで歩きました。金沢北条氏の氏寺として栄えたようで、境内には金沢文庫もありました。現在は一帯が横浜市営の公園になっています。寺の庭園はいま黄色のキショウブが真っ盛り。多くの人が散策していました。巨木、名木がいくつかありました。楷樹、別名孔子木というもの。孔子廟などにある超珍しい木だとか。 もう一つは奥様の探していた謡曲「六浦」に出てくる「青葉楓」、付近の山々が紅葉してもこの楓だけは紅葉せず青葉のままなのだそうだ。なぜそうなるかは「六浦」を聞けばわかるそうだが、私は聞いたことはない。日差しは強かったがさわやかな風、金沢文庫もシニア200円で大変良かった。年寄りのディサービスとしては大変良い一日でした。金沢文庫は写真禁止。