国立で「シルクロードの子どもたち」という写真展をみたあとに国立の大通りを通って谷保天満宮に行った。昔「国立」の一橋大学があるので「国立」というのかと思っていた。しかし読み方は「こくりつ」ではなく「くにたち」だ。国分寺と立川の間にできた駅だから国立なのだそうだ。今は都内で最高級の住宅地。立派な家が碁盤の目のように並んでいる。
谷保天満宮は甲州街道に面して鳥居が立っている。鳥居の先は石段だが、急な下り階段。ちょうどここに府中崖線が通っているので、8mほどの段差になっている。私が思うに、昔は石段を上って本殿に行ったのではないかと思う。甲州街道が拡張されて敷地が狭まったので、本殿は崖下の広い場所に移ったのではないか。
鳥居の脇に2対の狛犬あり。まあ昭和のものだからそれほど面白くもない。拝殿前には天神様だから牛がいる。その奥にいる狛犬がなかなかいい。両方とも子犬をあやしている。口の形も阿吽ではなさそう。雌雄がないのか、あるいはご夫婦で子育てをするというのかよくわからないが、なかなかいい。
牛は、なでなでするとご利益がある。ということでピカピカだが、もう一体石作りの牛(よくわからないがたぶん牛)はまだ新しいらしく、なでる人も少ない。あと数十年すればなでなでしてピカピカになるかも。
さらにここには神のお使いの立派なニワトリが境内を飛び跳ねている。これもいいね。でもきっと最初は近所のニワトリが逃げてきたんじゃないかな??

































































この狛犬に迎えられて、高い石段を登るとその上に社殿拝殿があります。ここには石川城という城があったようです。奥州安倍一族と戦った(前九年の役)源のなんとかという人が代官となってここに住み着き、石川なにがしかと名乗ったそうだ。その石川が地名になっという。
もちろん石川城よりも前から神社はあった。といってもたぶん磐座だったろうが、そのうち特定の神さまを祀るようになった。味耜高彦根(あじすきたかひこね)神という名前だが、たぶん誰も知らない。そこに誉田神(八幡神)を石清水八幡宮から勧請したのでこの地は八幡山になった。昔は神さまをどんどん追加することができたのだ。
12時半に石川駅に戻ってきたが、次の一之宮がある棚倉駅に向かう列車は2時40分までない。2駅なので歩いて行こうと思ったが、20キロ先というので諦め。コンビニで親を買って涼み、待合室で高校生と1時間も待った。
近津駅に来たら5時3分まで列車はない。待合室もない。帰りも鈍行。水戸に7時15分。日暮里に着いたのは9時30分。家には10時ちょっと前。朝から15時間半の行動だった。歩数は2万歩。疲れた!年寄には青春切符はつらい!


佐渡:白山神社
名前を確認するのを忘れた















この神社は築地市場の入り口、すなわち場外にある。観光客で賑わっているのは場外市場。場外は豊洲には移転しないようだ。ほとんどがバラックだが、すでに立派なビルも完成しており移転の必要はない。豊洲に場外市場が移らなければ築地のように賑わうのはムリだろう。
毎夜テレビでワールドカップを見ている。先日のスペイン、ポルトガル戦はすごかった。さすがワールドカップ。しかしそれ以降アルゼンチン、ブラジル、ドイツなど優勝候補のだらしない戦い! 何やってるんだ!
