暗がり峠、芭蕉も越えた!

 奈良と大阪の間には生駒山系がある。近鉄線は生駒トンネルでぬけているが、昔は暗(くらがり)峠という不気味な名前の峠を越えるのが最短距離だった。今は石畳の道になっているそうだが、車がやっと通れるような細くて急な道だと書いてある。それでも一応は国道・・号線になっている。チャリで挑戦する人もいるが、どうしても降りて押すしかないそうだ。141124kuragari02141124kuragari01

 今月の4日に来る予定だったが、おばあさんの入院で急きょ引き返したので、今回はリベンジ。かの松尾芭蕉は9月8日伊賀上野をたち9日に奈良で一泊し翌日この峠を越えて大阪の住吉神社に行った。壱日の行程は34キロもあった。
「菊の香に くらがり登る 節句かな」 はせを
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わざわざ重陽の節句を選んで、この峠越えをしたのだ。まさに風流の極だな。しかし51歳の身体にはほとんど余力は残っていなかったようだ。翌10月12日次の句を残して亡くなった。
「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」
 私はとても住吉神社まで行くことはできないので、暗がり峠を下って、河内一宮「牧岡(ひらおか)神社」(元春日)にお参りして、近鉄線で奈良に戻った。141124kuragari04141124hiraoka01

台風18号 京都散歩

台風が東海地方に上陸しそうだという。奥さまの舞囃子は毎年この時期に京都で行われる。ここ4年間に3回も台風に見舞われた。一昨年は京都駅に行ったが、新幹線はストップして、もう一日泊まることになった。今回は昼ごろには通過し、新幹線も動き出すだろうから、それまで京都の町をウロウロすることにした。お昼は進々堂で優雅にランチ。こんなにゆっくりしたことはなかった。
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 11時に動きだしたので、私たちは2時のひかりにのった。富士川の水が増えていたので徐行したが、8分遅れで東京に到着。指定席券を持っていた人たちは払い戻しの列に並んでいたが、我らは自由席。こういうときには自由席の方がいい。
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奥さまの舞囃子、私は町をウロウロ

奥さまの舞囃子「三輪」、本日が大江能楽堂での本番。先週は大阪の能楽堂で申し合わせがあり、最後の準備をしてきた。私はビデオ係りで、失敗のないように2台のカメラを使って撮影。舞囃子はよかったと、夕方から行われたパーティでもおほめの言葉をいただいた。ビデオ係りとしては20分もの舞いはちょっと長すぎる。ビデオに撮っても見る人はあきて退屈する。次回は10分以内にしてほしいと注文をつける。写真はビデオから切り取ったのでボケている。ごめん!

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午後からはビデオ撮影はないので、台風18号で強風の中、近場を散歩。護王神社に参拝。足腰平癒の神社だそうだ。今足腰背骨が調子悪いのでお賽銭をはずんだ。なぜだかここの狛犬はイノシシ。よくわからんが、昔のお札に社殿が印刷されていたそうだ。なかなか由緒ある神社かも。
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さらに御所の先の相国寺にも行ってみる。禅宗の京都五山の筆頭だそうだ。珍しく中には言ってお庭拝見。141005syoro1
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立派なお寺や神社がたくさんあるが、ここ下御霊神社などはかなり傷みがある。神社経営はそれぞれ大変なんだろうな!と思う。
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ぶらりばー 赤ちゃんも参加!

141001ogi9小雨だったが、ぶらリバークラブは開催。荻窪駅に集合して環八の荻窪橋から、善福寺川を下流に向かう。最初は「荻の窪」、」荻が生えているくぼ地だったことからこの名前が出たそうだ。荻はすすきに似た植物、写真でみると見分けるのは難しいかも。

忍川橋(おしかわばし)の脇に与謝野晶子の旧宅跡があった。関東大震災のあとにここに移ったのだそうだ。当時はど田舎で、電車の本数も少なく旦那の鉄幹さんはなかなか引越してこなかったそうだ。でも最晩年はここで過ごしたようだ。現在は荻窪と言えば高級住宅地。2丁目にはアカマツの巨木のある「お屋敷」が並んでいた。

141001burariver1本日は途中から生後6カ月の赤ちゃんも参加。哲太ちゃん。お母さんは前にぶらりばに参加していたマリナちゃん。おばあちゃんは現参加の容子さん。と親子三代の参加。哲太くんは砂利道を行く乳母車の中でぐっすりお昼寝でした。

また若手参加者の陽子さんは、お誕生日お祝いにケーキを焼いて来てくれました。じじばば連、みな御相伴にあずかってうれしそう。陽子さんありがとうございました。ちなみに哲太のお母さんと私は同じ誕生日。「40歳違い!」と言われたが、昨日書いたように、私は満年齢で古稀と言ったが、彼女は数えで言ったので、本当は41歳違いでした。

141001sakura1 大宮八幡宮近くで哲太くんと分かれ、八幡様へ。サクラが咲いていました。さらに多摩清水という名水がありました。蛇口がついているので、「本当の湧水??」と疑問がつくが、清水さんはペットボトルに詰めていました。

さらに歩いて方南町に出て、地下鉄で戻りました。この地下鉄は丸ノ内線。でも3両連結で3つの駅を往復しているだけのローカル地下鉄でした。みなさん「初め乗ったよ!」とのこと。

 

 

 

 

ぶらリバー 井草川探索 午後大雨!

昨日は錦織選手がテニスの全米オープンで準優勝だった。試合前は準決勝でランキング1位のジョコビッチ選手を破ったのだから、優勝間違いなしなどと言われていた。錦織は準決勝で4時間を越える接戦を戦った。しかし相手のチリッチ先週はフェデラーをストレートで破って決勝に進出した。勢いはチリッチの方にあった。残念だけど、冷静に見れば決勝の結果は予想できたろう。

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ところで本日は「ぶらリバー」の秋講座のはじまり。西荻窪駅に集合。本日は大人数だった。ハラさん宅に居候のフランス人のお兄さんも参加。前回の隅田川ではカナダ人の土壌学者さんが参加と、ぶらりばも国際的になってきた。ニコタマのかっちゃんやエビスさん、ちっちご夫妻も参加。うるさ型のTさんがスペインの巡礼に行って、いないことを知って集まってきたのかもしれない。さらにさんちゃんの旦那は会社をサボって井草八幡から走って追いかけてきた。終点の近くでやっと追い付いたけど、涼しいのに汗だくだった。

写真:上は井草八幡の灯篭(超巨大)と下は狛犬(なんとなくさびしそう)
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井荻の駅前の環八通りまで、旧井草川の流路を楽しくたどりながらやってきたが、杉並工業高校のところで、流路は途絶えた。学校の校庭がもとの川底だった。100mmを越すような大雨が降ったら、きっと校庭は水浸しになるだろうな。

井荻の駅前に近づいてきたところで、ビニール傘が植え込みの中に捨ててあった。もしかすると雨かもしれないので、私が拾った。オリーブさんが、恨めしそうに見ていたが、「私の方が先に見つけたもんね!」 ほんの5分もしないうちに雨がぽつんぽつんと降り出した。高架橋の下で解散。オリーブさんは大急ぎで荻窪行きのバスに駆け出して間にあった。私はさんちゃん旦那と荻窪まで歩こうか!と10歩ほど行ったが、どしゃ! という大雨が降ってきたので、井荻駅に戻る。高田馬場に行く途中は、まさに豪雨。東京にもいよいよ豪雨がやってきたか!

蔵王神社の狛犬は逆立ちしている

蔵王山の蔵王神社に、逆立ちした狛犬があった。私は昨年出雲大社に参ってから、出雲系の神社にはしばしば逆立ち狛犬があるのに気がついた。黄泉津比良坂の入り口にある揖屋神社の狛犬がなかなかよかったが、ここ蔵王神社のものもよかった。一緒にいった仲間は、「それがどうした!」との感じだが、私にとっては大発見。

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三遊亭円丈さんのブログに、日本全国の狛犬分類があるが、逆立ち狛犬は、出雲系に限ったことではなさそうだ。私の大発見と昨年から騒いでいたけど、世の中にはいろいろなことにエキスパートがいるものだと感心して、頭を下げるしかない。

左 出雲揖屋神社  下 蔵王神社

 

暑い日には涼しさを求めて歩く! 出雲系の「逆さ狛犬」発見!

台風8号の後、まだ梅雨は開けていないが、暑さは完全に夏模様。クーラーがないと過ごせない感じになってきた。午前中は94歳のおばあさんを練馬のセンターに送って行き、デイサービスが終わるまで、近くのファミレスでモーニング朝食を食べながら時間をつぶす。まあ涼しく過ごし、家に戻るが、これが結構暑い。

今週末から、孫と一緒に恒例の上高地に行く。今年は涸沢まで上がるというので、足慣らしをしている。目標は炎天下毎日15000歩以上歩くこと。年をとると、炎天下に歩くと暑さよりも眩しさで疲れが倍増する。池袋まで歩き、メガネ博物館というなんやら怪しいお店で、サングラスを買う。我が家にとってのひいきにお店。度付きのサングラスでも750円、メガネの上からかぶせるのは500円から。度の入っていないサングラスは250円と言うのもある。私が使っているメガネの上に引っかけるのはなんと80円だ。今回はもう少し高級なのをと言ったら、奥から超軽量のメガネにかぶせるのを出してくれた。1950円という超高級グラスなので、即購入。ギラギラ太陽を防ぐと涼しい感じ。

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そのめがねやの傍に法明寺(鬼子母神はこの寺の境内)の裏側になんとか稲荷があった。この赤い鳥居の奥の方は何やら怪しい。昼間でも入るのにはちゅうちょする。でも入ってみると、冷たい風が・・・・。かなり涼しくなる。都心のミステリースポットだ。さらに東京音楽大学の脇からちょっとした森に出ると大鳥神社。ここもさびし場所だったが、副都心線の雑司ヶ谷駅が近くにでき、都電脇の道路が整備されたので明るくなった。狛犬も新しくなってとび跳ねている感じだ。逆さ狛犬は出雲系の神社に多いのだが、ここは日本武尊(やまとたける)を祭る神社で、出雲系ではないのだが。

家に戻って調べてみると、すぐ近くに出雲藩の下屋敷があったそうで、その嫡男が疱瘡にかかった時に、この神社に参ったら治ったので、疱瘡封じの神様として有名になり、出雲藩松平氏が庇護したという。やはり出雲と関係があったのだ。氏子は出雲の狛犬を祭ったのだ。さすがよくわかっている。それがわかる私もなかなか出雲通になったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

みわ塾1年。ミャンマーの神、日本の神

3月31日(水)
今日で3月も終わり。明日からフリーター生活2年目だ。
この一年はなかなかおもしろい年だった。半分本気で、半分冗談ではじめた「みわ塾」は、やってみると緊張感もあり、古い友人がまた集まってきてくれたりしてなかなかおもしろかった。
今年はさらにパワーアップして月一回の授業のほかに、「旅するみわ塾」と称して、月に一回都内の地形と暮らしの見学、とか城ヶ島地層見学、丹那断層地形見学、モンゴルの草原で地平線を見る、ミャンマーかベトナムでマングローブの復元とクリークを手こぎの小舟でツーリングをするなどをしようと考えている。

向後さんのおかげで、ミャンマーでマングローブ植林作業にも3回も参加させてもらった。なかなか行くことはできない場所だった。何回か行き来している間に、多くのミャンマーの人々とも仲良くなった。私のモットーは「できるだけ余計なお世話はしない」なのだが、なにかこの地の人の役に立つことができないかと考えるようになっている。といっても物資の援助というのではなく、ここでも「みわ塾」ミャンマー版をやれないかと思っている。ミャンマーの村の学校の先生に集まってもらって、論議を交わすのはなかなかいい。

ミャンマーという国は仏教徒が大部分なのだが、村々には多くの「ナッ」という土着の神がまつられている。日本の「八百万の神」のような精霊信仰だ。お寺の中にさえ「ナッ」がまつられている。キリスト教やイスラムの国では、こういう訳のわからない信仰は許されないだろう。しかし私たち日本人にはよくわかる。ミャンマーは世界最貧国の一つだが、人々の心はゆったりと豊かだ。これからの日本人はこの国から学ぶことが多いのではないかと思っている。

日本の「一宮」は千年以上も続く文化だ。ほかの世界に現在まで伝統を千年以上も保っているいうものはあるか? と言うのは賀曽利くんだ。彼は全国の一宮をすべて、何回も巡っている。

昨日夜は雨が降って寒い日だったが、秋葉原で久々に懐かしい人々とあい、あつい会話を交わした。賀曽利くん、神埼さん、観文研の仲間だ。3人で賤ヶ岳を駆け下り競争をしたのは30年も前のことだったが、つい最近のことのように感じたのは、我々が年をとったせいなのだろうか。

結婚式 亀岡八幡宮

3月27日(土)
久しぶりに抜けるような青空だった。市ヶ谷の亀岡八幡宮の石段はすごい急坂だ。しかし目を上にあげると満開の桜が白い雲のように広がっていた。
本日は宇井くんと三大寺さんの結婚式だ。最近にはめずらしく、古式にのっとった式で、披露宴も新郎新婦は和服で、座敷で行われた。この二人を結びつけたのは、私だと言うことになっている。司会者の紹介では、教育実習に来ているときに、地学準備室で二人を引き合わせたとのことだったが、私は面倒なので「あとは頼むな!」と言って先に帰ったので、二人が残されただけのことだ。

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披露宴で主賓の方が「宿命」と言われていたように、私は何もしていないのだ。でも義理堅い二人は、わざわざ招待状をもって我が家に来た。今どきは直接招待状を送ってきたり、メールだったりする。この二人は、なんか十数年前に戻ったようなカップルだ。いい感じの結婚式、披露宴だった。義理ではない挨拶が多く寄せられた。気分良く一日を終えた。

宇井くんのお父上は、我らが青春時代に目を覚まさせてくれた論客だった。記憶は定かではないが、公害原論の自主講座を聞きにいった覚えがある。病気をされたようだが、現在はお元気だった。