志摩 大王崎から富士山が見えた!

本日は伊良湖岬から船に乗って鳥羽にきて、レンタカーを借りて志摩をまわってきました。大王崎には何回も来ているのですが、今日は快晴で渥美半島の伊良湖岬、神島がはっきり見えます。神島は三島由紀夫の「潮騒」で有名になった島。50年ぐらい前に行ったことがあります。

Casioのデジカメで写真を撮っていると、灯台の上で富士山が見えると言っていました。私は目を凝らしてみましたが、よくわかりません。田代先生のお話だと和歌山県の那智の滝の近くの山の上から見えるのが最遠とのこと。ならばここから(直線で200㎞)てもいいはず。帰ってからでデジカメの映像を加工していたら、なんと富士山が映っているではないか。こんなカメラでも肉眼よりも目がいいんだ!
そういえばなんとなく斜面が見えていたような・・・・とりあえずその写真を入れておきます。

忘れていた、大王崎に行ったのは山の上にある波切神社の狛犬を見に行くのが目的だったのだ。小さな狛犬は団体です。海風にさらされているので風化著しい。もう一対は最近作られたものでそれほど風化はしていない。

蒲郡:ガマゴリうどん

三河湾の蒲郡に「ガマゴリうどん」を食べに来ました。というのは本当の理由ではなく、我が家は結婚50周年、金婚式なので、その記念に蒲郡クラシックホテルにやってきたのです。このホテルは日光金谷ホテル、奈良の奈良ホテル、箱根の富士屋ホテルと並ぶ豪華クラシックホテルとのこと。

シーズンオフのこの時期、半額以下の値段で泊まることできるとの情報で、申し込んでおいた。東海道線の車窓からも高台にみえるお城のような建物はなかなかのものだ。昭和天皇が泊まったというホテルには普段ならとても泊まれるようなところではないが、金婚式だから、まあいいか。
高台のホテルから目の前の三河湾に浮かぶ竹島がみえる。400mの橋が弁天様の島とを繋げている。八百富神社という。やけに低い鳥居だと思っていたら、鳥居の下に橋をつけたからだ。石段の上にはいくつかの社殿が共存している。島の上からの眺めは素晴らしい。

島の上には八百富神社があり、なかなかの狛犬がいた。蒲郡の隣は岡崎市がある。岡崎は日本でも有数の御影石産地であり、狛犬の彫刻も盛んだった。この狛犬は岡崎型というそうだ。大正時代のもの。

秩父夜祭:知々夫神社

秩父神社に行ってきました。この神社は知々夫の国(律令制の前武蔵の国と並んでいた)の一宮だったという。2006年になって全国一宮会ではこの神社を新一宮とした。「新」というが、そここの一宮よりも歴史は古い。本殿の彫刻は日光東照宮を思わせる。それは江戸に近いために徳川幕府から様々な援助を受けたことによる。西国33か所、坂東33か所と合わせて100観音霊場になるように秩父34か所が置かれたのも、江戸に近いという地の利だった。今は一山超えなければ行くことができない盆地だが、徒歩の時代の人にとっては日光も箱根も秩父もそんなに変わりはなかったのではないだろうか。

12月3日は秩父神社の夜祭。日本の三大夜祭りだ。他は岐阜の高山祭、京都祇園祭だそうだ。300年の伝統を誇る豪壮なもので笠鉾、屋台は素晴らしい。屋台4基、笠鉾2基が御旅所にのぼる坂を引き上げる時がクライマックス。秩父鉄道の線路を渡るのだがこの日は、電車は欠航になり架線が外される。お祭りの方が先にあったのだから、電車が遠慮するのは当然。これはいいね。都内でもやってみたら。屋台と笠鉾、一部ですが写真に写しました。御旅所を上がる時間までいることができなかったので花火を少し見て戻りました。

忘れていた。狛犬、鳥居の下に一対あっただけ。ちょっと寂しい。狛犬を見るのだったが秩父の奥にある三峰神社に行かなければならない。近々行ってみよう。お祭りのお店は秩父ならではのこんな地味なもの。食べ物は中近東風が多かった。

敦煌山荘にいます!

私たちが泊まっている「敦煌山荘」です。町から外れたところに広大な敷地を得て香港資本が作った観光用のホテルなので異国情緒たっぷりに作られています。値段は東京のビジネスホテル並み。それでも敦煌では最高級。私は並みのホテルでいいのですが奥様は洋式トイレのないところは嫌!しかし残念ながらウォッシュレットはありません。もっとも上海でもウォシュレットはなかったなあ。目の前にはこれまた驚くほど大きな寺があります。北周(隋の前)の時代の寺だと説明があります。しかし敦煌にはそんなに昔からの寺は残っていない。その時代にあったらしい寺を復活させたということらしい。なのでこの場所かどうかは全く不明。西域ちょっと時間がたてばすべて砂に埋まってしまうので、地上に遺跡はほとんど残らない。西域の遺跡発掘はほとんどが20世紀の探検家によってなされたものだ。私たちが敦煌に下りた前の日に雪が降った。敦煌山荘から見える砂丘は雪をかぶっている。すばらし景色だ。この砂丘の高さは200mもある。これは山ではなく砂が吹き上げられた砂丘であり、風の吹き方によって姿を変える。

見るからに寒そうな景色だ。本日の気温は最高が2℃、最低が零下10℃だ。かなり寒さ対策をしてきたが、それでもしんしんと冷える。食堂は景色のいいテラスに面しているのでいったん部屋から出ていかなければならない。中国は北京時間に統一されているので敦煌は日の出が8時30分、朝食は7時からなので深夜に食べている感じ。テラスからは雪で白く浮かんでいるような幻想的な砂丘が見える。月明かりがあると輝くだろうが本日は残念ながらなし。明けの明星の光では暗すぎる。とてつもなく寒い。これは道教の寺。砂漠の中にある月牙泉のわきにある。この塔の上からの砂丘と砂漠の眺めはいい。

 

岩代國一宮 伊佐須美神社

会津美里町に岩代国一宮の伊佐須美神社がある。古事記によれば、四道将軍として北陸道に派遣された建奴奈河別命と東海道を北上して来息子の大毘古命が合流した場所、すなわち相津( あいず)に作られた神社だそうだ。

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この神社は岩代國一宮と称せられている。しかし岩代國というのは明治時代にほんの一瞬存在しただけの国名なので、昔からの一宮ではない。全国一宮会では、新一宮として伊佐須美神社を認定している。しかし新一宮と言われると新しく作ったように聞こえる。実際には延喜式の(925年)の式内社なので古くから存在しており、奥州二宮として知られていた。

 一緒に行ったYOさんの解説では、本社のナンバー2だった副社長が新しい支店の社長になったようなものだ、と言う。なるほどよくわかる。律令時代、白河以北は大和政権の力は及んでおらず、東北地方はまとめてぜんぶを陸奥(奥州)とよんでいた。陸奥(奥州)の一宮は白河の関の近くの棚倉に置かれていた。立派な鳥居、隋神門(門の中にこの立派な木造狛犬がいる)、をくぐって境内に入るとアレレ、ちっちゃな拝殿があるだけ。後ろには土台の石はあるが建物はない。宮司さんに聞いたら、2008年に不審火で焼失したという。今は皆さんで元のように復活させると頑張っておられる。いつもよりちょっとだけ多くお賽銭を入れた。

本殿がないので、仲間のKOBAさんはご神木の前でご縁をお願いした。仮本殿前に戻ったところで、突然KOさんが驚いた顔を見せた。私とYOSHIさんは何事が起こったかと心配した。なんと息子さん一家とぱったり出会ったのだ。お孫さんは「なんでジイちゃんがここにいるの」と状況を理解できないふうだった。高崎在住のKOBAさんと埼玉在住の息子さん一家、なんの連絡もなかったのに会津の伊佐須美神社で出会うのは奇跡としか言いようがない。

大毘古命と建奴奈河別命の親子が会津で出会った、まさに同じことが、古事記以来1300年のちに起こったのだ!すばらしい「会津」に出会って感激した。

大人気喜多方ラーメン:2時間ぐらい待たなければムリ!

その感激さめやらぬまま喜多方にいきラーメンを食べた。喜多方ラーメンの味は伊佐須美神社の感動に比べれば、それほどものではなかった。感動はそうめったやたらにあるものではないのでまあいいか。

亀岡八幡宮:市ヶ谷八幡町

先日鎌倉の鶴ケ岡八幡に行ってきた。鶴といえば亀、どうしても亀岡八幡宮に行かなければならない。市ヶ谷のJR駅からは一旦下ってお堀をわたって、再び急な石段を上る。もともとは鎌倉の鶴ケ岡八幡宮から神様を勧請したものだ。楽しい狛犬!

鎌倉の八幡宮の神さま
1.応神天皇 (おうじんてんのう) 第15代天皇
2.比売神 (ひめがみ)
3.神功皇后 (じんぐうこうごう) 第14代仲哀天皇の妃、応神天皇の母
市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮急な石段

市ヶ谷 神が岡八幡宮
1.誉田別命【ほんだわけのみこと】(第十五代應神天皇)
2.気長足姫尊【おきながのたらしひめのみこと】(神功皇后・應神天皇の母君)
3.與登比売神【よとひめのかみ】(應神天皇の姫神)
下は狛犬。こちらはふつうの狛犬。

天皇皇后の呼び方は、7世紀第38代天智天皇のころからで、応神天皇の頃はまだ大王だった。「誉田別命」が後に名付けられた応神天皇の本名である。天皇の母の神功皇后も気長足姫尊(おきながたらしひめ)が本名。比売(ひめ)神はもともとこの地にいた姫の名前ではないか。写真を並べておきます。下は江戸百景

鎌倉に行ってきた

青春切符最後の一枚は鎌倉往復にした。往復しても1840円だから、青春切符1枚分2300円よりも安いのだが、トータルで考えると水郡線にのったり、諏訪まで行ったりしたので大いに得をしているので、オーケー。

由比ガ浜から若宮大路を歩いて鶴岡八幡宮に行ってきた。境内は歩けないぐらいの大混雑。大いに潤っているようなのでお賽銭は省略。でも中国人ばかりだったから、人数の割には収益は少ないかな?

とりあえず海から順に鳥居の写真を入れておきます。これは2の鳥居。
段葛(だんかずら)は新しくなっていました。第3の鳥居

八の字が分かりますか。鳩サブレはここから出たのだそうです。

さらにもう一段上がありました。八幡宮の前にあった宮なので一番上です。

陸奥の国一の宮の訪問記

陸奥の国というのは大和の国からみたらはるかかなた。そんなところに人がいるはずはない!と中央政府は考えていたようだが、アイヌなど民族は沢山いた。彼らを蝦夷と呼んで戦いが繰り返されたが、相手はなかなか強く、支配権は長く及ばなかった。

大和民族は白河の関から先は陸の奥、すなわち陸奥国とした。大和政権が作られた時代、政権に組み込まれた神社は陸奥にはほとんどなかった。延喜式という書の「神明帳」に書かれた神社が公式の神社だ。陸奥の国、といっても白河の関の近くに延喜式内社があった。都都古和気神社が一宮と言われていたが、それがどこにあるかわからない。現在都都古和気神社と名乗っている神社が3社あるが、自己申告制ですべてが陸奥一之宮ということになっている。

現在の青森、秋田、山形、岩手、宮城、福島県には一宮は都都古和気神社しかなかった。現在新一宮とされているところもあるが、それは明治以降に作られたものだ。しかし現在でも秋田県には一宮はない。
福島県の都都古和気神社が一宮を名のるので、福島県には現在3つの一宮があることになる。

一宮訪問記を作成したのでご覧ください。

福島県棚倉町:都都古和気神社の狛犬 

朝6時半に我が家を出て、青春18切符で水戸経由、水郡線の磐城石川へ行ってきました。鈍行乗り継ぎなので石川に着いたのは11時40分。5時間以上の旅でした。石川には石都都古和気神社というのがあります。ここは陸奥の国の一之宮。小林和平という石工が作ったすばらしい狛犬がいます。子獅子が3匹。彼にも3人子がいたそうです。  この狛犬に迎えられて、高い石段を登るとその上に社殿拝殿があります。ここには石川城という城があったようです。奥州安倍一族と戦った(前九年の役)源のなんとかという人が代官となってここに住み着き、石川なにがしかと名乗ったそうだ。その石川が地名になっという。  もちろん石川城よりも前から神社はあった。といってもたぶん磐座だったろうが、そのうち特定の神さまを祀るようになった。味耜高彦根(あじすきたかひこね)神という名前だが、たぶん誰も知らない。そこに誉田神(八幡神)を石清水八幡宮から勧請したのでこの地は八幡山になった。昔は神さまをどんどん追加することができたのだ。
石段の途中に「磐座」がいくつもある。古代の原始的なお祀りの方が私は好みだ。たぶん一般の人も、磐や樹木に神さまが宿っている(なんらかのパワー)と考えているのではなかろうか。アジスキタカヒコネ神と言っても知る人はいないだろう。 12時半に石川駅に戻ってきたが、次の一之宮がある棚倉駅に向かう列車は2時40分までない。2駅なので歩いて行こうと思ったが、20キロ先というので諦め。コンビニで親を買って涼み、待合室で高校生と1時間も待った。
2時40分に乗って棚倉でおりて、もう一つの都都古和気神社に行く。さらにそこから4キロ先のさらにもう一つの都都古別神社に行く。暑い中4キロは歩くつもりだったら、千葉の神社巡りの方が、私も行くのでどうぞ!と言って載せてくれた。
陰で3つの都都古和気神社を一日で回ることができた。  近津駅に来たら5時3分まで列車はない。待合室もない。帰りも鈍行。水戸に7時15分。日暮里に着いたのは9時30分。家には10時ちょっと前。朝から15時間半の行動だった。歩数は2万歩。疲れた!年寄には青春切符はつらい!

佐渡:五重塔・能舞台

順徳天皇(鎌倉時代)が承久の変で幕府に敗北して佐渡に流された。その後日蓮も佐渡に追放された。佐渡は政治犯の流刑地であった。彼ら教養人が長く暮らしたために、佐渡は文化程度も高くなった。その後金銀山で大いに栄え、多くの文化人も住んだために、神社仏閣も多くなった。

たいていの神社には能舞台も作られた。我が家の奥さんは舞囃子を稽古しており、能舞台には興味を示している。いくつかの能舞台を見たが、ほとんどが囲いがあって中を見ることはできなかった。雪深い地なので雪囲いは必要だろう。そのなかで大善神社だけは能舞台を見ることができた。なかなかすばらしい。

五重塔:妙宣寺
佐渡に唯一の五重塔という。日光東照宮の五重塔を模した立派な塔だ。妙がつくのは日蓮宗の寺だそうだ。あれれ写真が横になってしまった。どうしよう!まあいいか!・・・二枚併せて一枚にした。これでオーケーだが、一枚づつでは勝手に横になってしまう。

佐渡の神社巡り:狛犬三昧

真野湾を目指していると気比神社があった。気比神宮は越前一宮が一番有名だ。日本海側にはいくつかの気比神社があるが、ここ佐渡にもいくつかある。車で通り過ぎようと思ったら、気になる狛犬が見えたので引き返した。越前一宮に居るのと同じ狛犬がいた。ダースベーダー狛犬だな。

ダースベーダーってスターウォーズに出てくる悪役。狛犬分類には越前禿型などと書いていあるが、ダースベーダー型の方が現代的だなぁ。
佐渡村社気比神社佐渡:白山神社
名前を確認するのを忘れた

佐渡:蓮華峰寺・小比叡神社

佐渡へは直江津からフェリーで小木港に来た。メーンルートは新潟から両津港に来る方法だが、今回は佐渡一宮:度津神社に行くことが目的だったので、たらい船の港にやってきた。

港でレンタカーを借りた。路線バスもないのでしかたがない。久々の運転で緊張したが交通はほとんどないので、すぐに昔の感覚を取り戻した。しかし街中ではより緊張するだろう。これからは田舎道だけレンタカーを借りよう。ところでこの車のナビの使い方がちっともわからない。途中ガソリンスタンで聞いたが、わからない。おかげで道をぐるぐる回ることができたので結果はオーライ。

蓮華峰寺と小比叡(こびえ)神社。

目的地に向かう前になかなかいい寺、神社を巡ることができた。その一番がこの二つ、というより一つの敷地内にある神仏混交の寺社だ。江戸時代には佐渡の寺を束ねるほどの力を持っていたようだ。
真言宗智山派の寺院。大同元年(806年)、真言宗の開祖、空海の開山という伝承をもつ。山号は小比叡山(こびえさん)。
金剛寺、室生寺とともに真言の三大聖地の一つとされる。佐渡四国八十八札所の第六番札所。

小比叡神社は元は蓮華峰寺の鎮守で、山王大権現と称されていた。明治の神仏分離により小比叡神社と改められた。
祭祀は大己貴命(おおなむちのみこと)で白山姫命、菅原道真を合祀しています。
大己貴命は日吉大社西本宮(大比叡)の祭祀で、また小比叡神社の紋所は二葉葵。これは日吉大社東本宮(小比叡)の紋所と同一であるので比叡山の山王権現を勧請したものと思われます。

本殿は1640年の建立で、拝殿後方の覆屋内に置かれています境内入口の鳥居は石造明神鳥居で、鳥居をくぐった先に茅葺の拝殿があります。

武蔵国一宮は小野神社!

武蔵国一宮は小野神社!

と書くと、「違うよ、大宮の氷川神社だよ!」と言われそうだ。
一宮は、何か権威をもった役所が決めたものではない。昔からそのように言われてきたが、ときどきで変化もしている。一国に複数の一宮があることは多い。
武蔵国の一宮は氷川神社以外に多摩市の小野神社もそうだ。多摩市は昔国府があった府中から見たら多摩川の対岸にある。聖蹟桜ヶ丘が最も近い駅で、その付近は一宮町という。昔からここが一宮と慕われていたのだろう。府中にある大国魂神社は六所宮と呼ばれる。ここには武蔵の国の有力な神社が支所を置いていた。国司が赴任すると有力な神社にあいさつ回りをしなければならなかった。しかし武蔵国は広いので、とても短期間にはまわれない。そこで有力神社から府中に集まってきたらしい。

六所宮にある神社は一宮から六宮まで順番が付けられているが、一宮は小野神社、三宮が氷川神社となっている。府中から近い順に一宮にしたのかもしれない。
社殿は新しくなっていたが、昔見たことがるような気がした。昔の写真を探してみたら2009年のお正月、大國魂神社と小野神社に初詣できていた。写真を並べておこう

波除(なみよけ)神社は健在!

築地の水神社が移転すると書いた、「エエーッあの神社が?」との電話があった。もう一つの神社と間違えていたようだ。築地にはむかしから波除(なみよけ)神社がある。勝鬨橋を望む場所にだった。この神社は築地市場の豊洲移転に際しても変更はない。本日(5日)大雨にも負けず、多くの参拝者が訪れていた。
  この神社は築地市場の入り口、すなわち場外にある。観光客で賑わっているのは場外市場。場外は豊洲には移転しないようだ。ほとんどがバラックだが、すでに立派なビルも完成しており移転の必要はない。豊洲に場外市場が移らなければ築地のように賑わうのはムリだろう。

波除神社は「獅子祭り」が有名で、今年は6月に100年ぶりの船渡御が行われた。この神社には狛犬はないが、立派な獅子像が左右にある。阿吽ではないがなかなかいいので、乗せておきます。

江古田富士の山開き(7月1日)

台風が九州に近づいているようで、風が強い水曜日。夏休みで孫たちが来ているので、我が家の人口密度は高い。うるさいし、手間もかかるのでめんどうだが、老人家庭には大変うれしいことだ。子どもたちの相手をしているとブログを書くのはおろそかになる。山の

先日7月1日は富士山の山開き! それに合わせて東京のお富士さん(富士塚)も山開きを行う。東京には国指定の重要文化財になっている富士塚が3つある。入谷の小野照崎神社の冨士塚はテレビでもよく取り上げあられる。江古田の富士塚も重文だ。ふだんは登ことはできないがこの日だけは扉が開く。私も登ってみた。その様子を写真で。高度は5mぐらいかな?