会津美里町に岩代国一宮の伊佐須美神社がある。古事記によれば、四道将軍として北陸道に派遣された建奴奈河別命と東海道を北上して来息子の大毘古命が合流した場所、すなわち相津( あいず)に作られた神社だそうだ。
この神社は岩代國一宮と称せられている。しかし岩代國というのは明治時代にほんの一瞬存在しただけの国名なので、昔からの一宮ではない。全国一宮会では、新一宮として伊佐須美神社を認定している。しかし新一宮と言われると新しく作ったように聞こえる。実際には延喜式の(925年)の式内社なので古くから存在しており、奥州二宮として知られていた。
一緒に行ったYOさんの解説では、本社のナンバー2だった副社長が新しい支店の社長になったようなものだ、と言う。なるほどよくわかる。律令時代、白河以北は大和政権の力は及んでおらず、東北地方はまとめてぜんぶを陸奥(奥州)とよんでいた。陸奥(奥州)の一宮は白河の関の近くの棚倉に置かれていた。立派な鳥居、隋神門(門の中にこの立派な木造狛犬がいる)、をくぐって境内に入るとアレレ、ちっちゃな拝殿があるだけ。後ろには土台の石はあるが建物はない。宮司さんに聞いたら、2008年に不審火で焼失したという。今は皆さんで元のように復活させると頑張っておられる。いつもよりちょっとだけ多くお賽銭を入れた。
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仮本殿:本殿は放火で焼失
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ご縁を祈るKOBAさん
本殿がないので、仲間のKOBAさんはご神木の前でご縁をお願いした。仮本殿前に戻ったところで、突然KOさんが驚いた顔を見せた。私とYOSHIさんは何事が起こったかと心配した。なんと息子さん一家とぱったり出会ったのだ。お孫さんは「なんでジイちゃんがここにいるの」と状況を理解できないふうだった。高崎在住のKOBAさんと埼玉在住の息子さん一家、なんの連絡もなかったのに会津の伊佐須美神社で出会うのは奇跡としか言いようがない。
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回廊は焼けなかった
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奇跡の遭遇(会津)
大毘古命と建奴奈河別命の親子が会津で出会った、まさに同じことが、古事記以来1300年のちに起こったのだ!すばらしい「会津」に出会って感激した。
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太・・・どんな意味?
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ご神鳥かな?
大人気喜多方ラーメン:2時間ぐらい待たなければムリ!
その感激さめやらぬまま喜多方にいきラーメンを食べた。喜多方ラーメンの味は伊佐須美神社の感動に比べれば、それほどものではなかった。感動はそうめったやたらにあるものではないのでまあいいか。