9月になった。涼しい! でも熱は下がらない!

oze-inagawa015 代々木公園で蚊に刺された人がデング熱になったと騒いでいる。デング熱ってのは、かなり重病だと思っていたが、今の報道では夏カゼとあまり変わりがないように思う。本当にデング熱なのかな? 1型とか2型があるそうだが、今回は軽症のデング熱なのだろう。

一昨日伊南川から戻ったが、私の調子はいまいち。熱は38℃ぐらいだが、咳がひどくて、デング熱より重症かも。先週の火曜日から熱が出たので、ほぼ1週間。私にしては珍しく長引いている。

午前中はおばあさんを練馬の私設ディサービスに送る。午前中のお遊びなので、2時間ほど近くのファミレスでパソコン作業をしながら待つ。この間に伊南川の画像を編集して動画を作る。雨がだったので古いカメラを持って行った。映りはいまいち。でも伊南川の添田さんがいいのを撮ってくれたので合成する。まあまあかな。youtube にも入れた(8月30日ブログ)が、以下の方がきれい。でも重たいかな?

できた動画は  http://kazmiwa.sakura.ne.jp/kaz-movie/140830oze-inagawa.wmv 

 

海宝ロードランニング 夏物語 in 伊南川

夕方までに旧伊南村の民宿に到着。赤岩温泉と宴会に合流して夏物語の参加。途中参加というのはないのだろうが、私は前から尾瀬を通る沼田街道に興味があり、一度通ってみたかった。なにせ今の時代東京から檜枝岐や伊南村に行くには日光から山王峠をこえるか、高速道路からは塩原温泉経由、野岩鉄道尾瀬口から中山峠を越えて入るか、とおく新潟県魚沼から枝折峠を越え奥只見湖を通って御池にでるコースの二つしかない。

昔は沼山峠を越え尾瀬沼を経由して三平峠から片品村に出て、沼田に抜ける沼田街道があった。一時期この沼田街道を広げて車を通す計画があり、檜枝岐から御池、沼山峠まで舗装道路が通った。しかし平野長英さんをはじめとする自然保護の波が大きくなり、ついに環境庁は道路計画にストップをかけた。道路は沼山峠でストップしたままだ。しかし群馬県側の大清水付近では、三平峠の下まで自動車を通そうとしているのではという動きがみられる。我々ミーハーはつい「ラッキー」と言って載せてもらったが、これからどうなるか。

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それはさておき、夏物語2日目は田吾作のすぐ裏にある久川城跡の散策。田舎の城だがなかなかのもので、かの伊達正宗も落とせなかったという。もちろん大阪城や江戸城に比べようもないが八王子城などの山城に比べれば規模も大きく、よく計画されている。しかしまあ、ここを攻め落としたところでどうなるってものでもないので、蒲生氏が建てた後しばらくして廃城になり、この地から戦乱が消えた。今も昔も武器を持たなければ戦乱は起きないのだ。

そんな思いをしながら、青柳の集落におりてくる。昨日同様トマトハウスへ寄る。この辺りはトマトの名産地。新鮮なトマトはおいしいこと。今回訪れた農家はいろいろな品種を育てている。我が介護者は本来の仕事を忘れて、われoze-inagawa053 oze-inagawa052先のハウスに入りおいしそうなトマトを集めている。珍しいブラックトマトを見た。

満足満足。昼前に民宿に帰りシャワーを浴びてお昼をいただいて解散。我らは無視ヤリ主催者の車に便乗して東京まで運んでもらった。ありがと言うございました。

動画作りました。クリックして!

 

 

 

 

雨の尾瀬沼 でもいい感じだったよ!

東京は雨は降っていなかった。新幹線、上越線も大丈夫。尾瀬戸倉でバスを降りた時には青空が見えてきた。ラッキー。さらにラッキーは大清水から一ノ瀬休憩所まで電気自動車が試験運行をしている。歩くと1時かかるところを無料で送迎してくれる。よいよいの体にとっては最高にラッキー!

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バス停の人に聞いたら、今は花もないし天気も悪いのでほとんど人はいませんよ! あんなに賑わう尾瀬も今は「静かな尾瀬・・・」になっている。3時間の登りは2時間に短縮。のんびりと登っていくと、予想通り雨が降ってきた。合羽を着て歩くが、涼しいので不快ではない。三平峠で休憩と思っていたが、雨がひどいので、木(もく)道をもくもくと歩く。予定通り2時間で長蔵小屋に着く。

尾瀬を開いた平野長蔵さんの小屋が原型で、いまは立派な建物だ。二代目平野長英・靖子さんが後を継ぎ、三代目の息子が継いだが、彼は36歳の冬に三平峠遭難して亡くなった。平野家三代が尾瀬の自然保護の原点と言われているが、その後は会社の経営となっている。会社経営になってから、ゴミの不法投棄で大問題になり。しばらく経営を自粛していたこともある。自然保護の神さまの平野さんはあの世で聞いて、きっと嘆いたことだろう。

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雨なので木道は滑りやすい。介護者は「滑らないように!」と後ろを向いて注意してくれたが、自身が踏み外してベチャと木道に抱きついていた。あんまり頼りにならない介護者だった・・・・そんなこと言ったらもう二度と付き合ってもらえない。「けがなかった?大丈夫?」と笑いをこらえながら、心配そうに問いかけた。「肩が痛い!」

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予定よりも早いバスに乗れそうなので、ちょっと急いで大江湿原を歩く。沼山峠に登り返して少し下ると、沼山峠の休憩所。14時10分発のバスに乗ることができた。乗ったとたんにバケツをひっくり返したような雨。朝のうちに電気自動車で1時間短縮したおかげで、大雨に会わずに済んだ。よかった。旧伊南村の民宿田吾作で、皆さんに合流。宴会!

お盆、山は大荒れ、北アルプス遭難

岐阜県には大雨の警報が出ていた。大変な量の雨が降ったらしい。きっと遭難者が出るだろうと心配していたら、やはり増水した沢で、数人の人が流されたようだ。年齢を見ると予想通り60歳過ぎの年配の方々だ。

年寄りは山登りなんかするな! と言われそうだ。私自身も最近はひとつ間違えば遭難という経験をしているので、大きなことは言えないが、それでもあえて言えば、「もっとちゃんと情報を得ようよ!無理しちゃいけないよ」と言いたくなる。

先日私は飯士山という小さな山を、お水だけもって登って行った。午後からは雨が降るだろうという予報だったが、今は晴れているし、低山だからまあ大丈夫だろうと思っていた。スキー場のリフトの最終点から歩き始めたころから、遠くで雷の音が聞こえてきた。「これは来るな!」と思ったので、登頂を諦めて、ただちにスキー場を駆け下った。

しかし30分後、街に降りる寸前のところで、バケツをひっくり返したという表現そのもののような雨がバサッと落ちてきた。一瞬にしてパンツの中までびしょぬれ。それでもなんとか雨宿りできるところまで降りていたから大丈夫だったが、もしあのまま登頂をしていれば、頂上付近で雨と雷にやられていただろう。事前に天気予報を聞いていたから、即座に引き返しスことができたが、知らなかったら、「ヒコーキかな?」とのんびり山に上がったに違いない。

私の例で、判断してはいけないが、より高山に登るなら、それなりの準備が必要だ。飯士山でも、雨具は全く役に立たない雨と雷だった。亡くなった方には申し訳ないが、年寄りは運動能力も若者の半分以下だから、十分事前情報を仕入れ、無理はしないことだ。と人に語りかけているが、実は自分自身に言い聞かせている。

恐竜を見に行く!ドクタートミー

恐竜解説の世界では超有名人のドクタートミーが板橋区の教育科学館にやってくるというのを聞いて、孫を連れてお話を聞きに行く。私は数年前にエジプトの西部砂漠に一緒に行き、恐竜発掘の現場を見学させてもらい、さらに世界遺産になったクジラの谷にも行った。ロンドンの大英博物館にも一緒して、いろいろ解説もしてもらった。

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肉食爬虫類研究所の所長さんでもあり、本日陸イグアナを連れての登場だった。このイグアナが会場の手すりの隙間に入って、出てくなくなっていろいろ大騒ぎ。子どもたちはお話よりも、生きたイグアナの方に興味。

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徘徊老人になりそう、いやなっている!

台風11号が近づいており、東京地方も今日から雨がひどくなりそうと予報されている。雨の降る前に恒例の散歩を済ませておこうと、家を出た。王子駅まで石神井川沿いに歩いたが、まだ雨が来そうもない。隅田川沿いに向かうと、巨大な宇宙人基地みたいなビル。読売新聞の印刷所だ。

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そのビルの裏は隅田川テラスで、荒川遊園地につながっている。船の発着場のそばに写真のような何かがある。実はこれは鉄琴。左の方から順にたたくと、春のウララノ・・・・ 隅田川の曲が流れる。

小台橋をわたると荒川商業高校。その先に友人がやっているカフェがある。こんな朝早くやっているはずはないので、横目に見て荒川にでる。土手をしばらく行くと、舎人ライナーの小台駅。さらに歩くと尾竹橋にでる。心配しているといけないので奥さんい電話する。「どこまで行ったの? 帰りのお金持っている?」 最近は散歩に出るときには必ずSUICAを持っている。

千住大橋駅の近くに「ポンテポルテ」という大きな商業施設がつい最近できた。このあたりは何もないところだったが、これで少しは人の流れが変わるかも。千住にしてはちょっとしゃれた感じ。田口さんが怒りそうだ。旧奥州街道を北千住の駅に行くと、雨が降り出した。3時間ほどの散歩。歩数は2万5千歩になっている。十分徘徊老人の資格ありだな。140808ponta

平標山 花の百名山!

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 朝思い立って平標山へ行ってきました。越後湯沢から苗場に上がる火打峠の脇に登山口があります。ここからは林道経由と松手山経由の2コースがあります。たいていは目の前に見えている送電線の鉄塔に上がる松手山コースから頂上に行き、平標山山の家を経て、林道に下る一周コースをとるようです。

 標準タイムは登り3時間、下り2時間程度です。私は9時半に駐車場から歩き始めました。持ち物はおにぎりとペットボトルの水とカメラ。ストックを一本。足元は先日買ったキャラバンシューズです。昨日は午後雷と大雨警報でした。本日も2時過ぎたら雷になりそうなので、11時には下山を開始する予定で行きました。

 送電線の鉄塔までの登りはただただ急登です。30分。そこから頂上らしきものが見えるので気分は良くなりますが、近づくとその背後に長い尾根が続いています。その先に本当の頂上があります。ちょっとがっくりですが、偽の頂上の付近の急こう配の斜面は一面のお花畑。シモツケのピンクの色が一番です。
 
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大山祇の石碑がある蛇紋岩の斜面で10時半。もう下ろうかと思ったら、一緒に歩いている人たちが、「ここまで来て引き返すのはもったいないよ!」という。でも11時までには頂上に着きそうもないし、雲も上がってきたので、決断のしどころ。でも人がたくさんいるので、何とかなるか。頂上に向かう。11時前にタッチして下りにかかる。平標山の家側から見ると、本当に平らな山だ。

 山の家のお兄さんはいい感じの人だ。400円のコーラを買う。このお兄さんが背負ってきたと思うと高くはない。2、3本買おうと思ったが数少ないかったので、おいしいお水を飲んで下りにかかる。こちらも階段だらけ。林道に降りてからけっこう長いが、頭の上に送電線が見えるとあと少し。12時半には火打峠につき、車に戻る。高速道路は大混雑で、赤城のSAで寝てから帰京。

動画を作りました。youtube https://www.youtube.com/watch?v=leizdRuNwAM

飯士山、雷で登れなかった!

飯士山(いいじさん)は越後湯沢の駅から見えるすっきりした形の山だ。岩原スキー場のメインゲレンデはこの山に続く斜面に広がっている。したがってこの山に登るにはスキー場のゲレンデから行くのが一般コースだ。私はいつも一番左のリフトの終点(700m)から山道に入る。

頂上は1111.8m、岩原橋が386mだから登りは726m。岩原橋から往復2時間というのが、元気な時のわたしのペースだ。しかし最近は登りだけで2時間かかる。下りは走ってくることができるので、1時間。往復3時間が今のペースだ。
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本日は700m地点まで1時間かかった。残り400mを1時間では行くことはできないかも、と思っていたら、段々雲行きが怪しくなり、雷も鳴りだした。逃げるが勝ち。リフト小屋の下でお父さんが子どもに「山の天気は急に変わる。雨合羽を持ってきて良かっただろ!」と話している。私はペットボトルしか持っていないので、大急ぎでかけ下る。岩原橋まで30分で下った。

とたんに土砂降り。駅まで10分ほどだが、目の前が見えないほどの雨。子どもたちはどうしたろう。雨合羽ではどうしようもない。お父さん、どう説明しただろうか。

蔵王神社の狛犬は逆立ちしている

蔵王山の蔵王神社に、逆立ちした狛犬があった。私は昨年出雲大社に参ってから、出雲系の神社にはしばしば逆立ち狛犬があるのに気がついた。黄泉津比良坂の入り口にある揖屋神社の狛犬がなかなかよかったが、ここ蔵王神社のものもよかった。一緒にいった仲間は、「それがどうした!」との感じだが、私にとっては大発見。

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三遊亭円丈さんのブログに、日本全国の狛犬分類があるが、逆立ち狛犬は、出雲系に限ったことではなさそうだ。私の大発見と昨年から騒いでいたけど、世の中にはいろいろなことにエキスパートがいるものだと感心して、頭を下げるしかない。

左 出雲揖屋神社  下 蔵王神社

 

島川記念館はすごい!

蔵王山のふもとに遠刈田温泉がある。この近くに「島川記念館」という美術館がある。島川さんのコレクションを展示したものだと聞いていたので、それほど期待していなかった。しかし地元のおの寺君が「見た方がいいですよ!」というので行ってみた。1500円は高い? いやいや入ってすぐにもう驚いた。横山大観の絵から始まって、平山郁夫のシルクロード。シャガールやユトリロなどなんの脈絡もなく対策が並んでいる。数年前に奄美大島まで見に行った田中一村の絵も3点あった。

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パンフレットに書かれた名前だけを並べておく。
青木繁・上村松篁・梅原龍三郎・岡鹿之助・荻須高徳・片岡球子・加山又造・川合玉堂・岸田劉生・小磯良平・児島善三郎・小林古径・佐伯祐三・杉山寧・須田国太郎・高橋由一・田中一村・橋本関雪・林武・速水御舟・東山魁夷・平山郁夫・前田青邨・向井潤吉・棟方志功・村上華岳・森本草介・安井曽太郎・横山大観・カシニョール・マリーローランサン・モーリスユトリロ: 樂茶碗:板谷波山・加藤唐九郎・北大路魯山人・楠部彌弌・高村光雲・ガレ・ドームmain02

 

世の中には大金持ちが沢山いて、彼らがパトロンとなって美術、工芸、音楽などが発展してきたのだろう。そのお金の出所はいずれか分からないが、いまアサドラマで一番人気の白蓮さんの元夫、九州の石炭王も余ったお金を文芸に出資している。それに引き換え、現代の大企業、三菱や三井など大財閥はケチだな。テレビのスポンサーで自分の製品の宣伝をするだけでは社会貢献にはならないな。草川さんがどういう人か分からないが、この美術館だけで、後世に名が残るだろう。

尾浦港 いのちの石碑

2011年の7月に地平線会議の仲間、か曽利くんやシェルパくんたちと尾浦漁港へ手伝いに行った。津波の襲われた港には数十軒の家があったが、すべて壊され、がれきの山になっていた。何をしていいか分からず、とりあえず半壊状態の家の瓦をはがして、ちょっと上にある保福寺に運んだ。家々はその後重機で取り壊され、きれいに整地された。後になって考えると、我々のやったことは何にも意味はなかったが、その時にはなんとか体を動かさずにはいられなかった。

その後2回ほど訪れたが、沈下した港はかさ上げされ、漁船は多く戻ってきていた。ホタテの養殖も順調ということだが、港には一軒も家はなく、さびしい。漁民の方は仮設から車で通ってくるのだそうだ。今後この港がどうなるのだろうか。

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2011年に来た時の写真

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今年の写真 

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保福寺の前に建てられていた「女川いのちの石碑」
「ここは津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。
もし大きな地震が来たら、この石碑より上に逃げてください。
逃げない人がいても、無理やり連れ出してください。
家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引きとめてください。」

かさ上げ工事 いつ人が住めるようになるのか?

気仙沼の漁港のかさ上げ工事は完了して、もう水揚げが行われている。朝遅かったせいで、見学に行った時にはもうセリは終わっていたのだろう。静かな雰囲気だったが、完成した魚市場をみると「よかった」という気分になる。

しかし一歩外に出ると、広大な敷地はかさあげ工事の真っ最中。「三陸道工事」と書いたダンプカーが次々と土砂を運んでくる。陸前高田と違って、ベルトコンベアで運べるような山が近くにないので、土砂は三陸道の工事現場の廃棄土砂を持ってくるようだ。
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いくらダンプカーが大きくても、この広大な場所を4m近くかさ上げするのは大変だろう。今の調子だろ、人が住めるようになるのには、まだ数十年はかかりそうだ。土木工事屋さんは持続可能な工事が続くので潤うだろう。しかし三陸の各入り江でこんな工事がなされているが、完成はまだまだ先のことだ。

戻ってくるのは、昔のこの地域の生活を知らない人になってしまうだろう。100%安全ではないけど、例えば鉄筋で8階建てのビルなら、今回の津波にも対処できる。もうちょっと現実的な工事はできなかったのだろうか。・・・当事者にとってはよけいなたわごとだろうが、なんとなくそんな感じがして、心穏やかではなくなった。

気仙沼 港付近 ウミユリ

 前回2012年に来た時には、気仙沼の町には大きな船が打ち上げられ、火事で焼けた跡が各所に残り、がれきが積み上げられていた。これをどうやって処理するのか、と心配したのだが、打ち上げられた船は撤去され、がれきはどこかへ運ばれており、町はすっきりしている。

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 しかし津波に襲われた地域の建造物は撤去され、広大な平野になっている。気仙沼大島の発着する港に、船はたくさんいるのだが待合室ターミナルは撤去され、岸壁から直接乗り込むようになっている。雨の日など大変だろうに。3階建の男山酒造のビルは1,2階が流されて、3階だけが残っていたが、保存されることになったそうだ。

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 私たちは港のすぐ上にある、エレベーター付きのホテルに宿泊した。岩盤の上にあるので地震津波の被害はほとんどなかったが、目の下では大惨事が来ていたばしょだ。周辺のホテルはかなり復活し、多くの宿泊者がいる。このホテルは観光客が多いが、他のホテルは復興工事の人たちが長期滞在しており、繁盛している。

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 手前の岩がごろごろしているところは、昔「一景島」と言われたところ。このホテルがある場所は明治の時代には入り江だったことが分かる。大昔からの陸地ではなく、埋め立てによってできた場所だったのだ。地震が沈んだのは、自然の摂理から言えば、不思議なことではなかったのだろう。
この岩は石灰岩で、近隣の地区は同じ地質だ。先日天皇さまが視察された岩井崎(横綱秀の山の像が立っている)も同じ石灰岩で、ウミユリの化石がたくさん見られる。
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奇跡の一本松 陸前高田

猊鼻渓からは今泉街道を通り、笹の田峠の難所を越える。峠からは室根山がみえる。室根山は気仙沼湾にながれる大川の水源。気仙沼のカキ養殖業の畠山さんは、海と森はつながっている、森がだめになったら海もダメになるとの主張で、水源の室根山に植林を始めた。『森は海の恋人』文春文庫

我が一行は気仙沼ではなく陸前高田に降りて行く。途中の八木澤商店でお醤油、たれ汁を買う。この醤油屋さんは陸前高田で200年以上も醤油屋さんをやってきた。しかし津波はこの店工場を完全に破壊した。しかし社長は1人も解雇せず、再建することを決意した。現在は海から離れた辺鄙な場所だが、そこに本店を移して商売をしている。ここまでお客はやってくるそうだ。我々も醤油を買い求める。140725yagisawa

今泉街道(陸前高田の中心は今泉だった)を陸前高田に降りて行く。大平原のような景色に、近くの山を崩した土砂がベルトコンベアで運ばれている。この大平原をぜんぶかさ上げするようだ。とてつもなく大工事。他の町と違って、ダンプカーではなくコンベアで土砂を何キロも運んでいる。この方式の方が早いし、確実だ。

 前に来た時には、昔の高田松原にただ一本残った奇跡の一本松があった。それも枯れて、現在は金属や樹脂で作ったレプリカが立っているが、ベルトコンベヤの巨大な装置の中にうずもれている感じ。
 それにしても、ものすごい工事だ。ここまでやる必要があるのか・・・よそ者はついよけいなお世話をする。日本列島改造! なんてもんじゃなく、日本列島新設という感じ。山を崩したところにも平地ができる。平地はかさ上げして新しい街ができる。現在は1人もいない。数年後には町が復活しているのだろうか。地元のお人には申し訳ないが、つい心ないことを言ってしまった。
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三陸旅行 猊鼻渓

本日から3日間、大昔の山岳部の仲間と、三陸旅行です。気仙沼のおの寺君の案内で、三陸を回ってみようというものです。今回は2回目で、前回は地震津波の後の2012年でした。

復興の様子を見て、応援しようというのが趣旨ですが、おの寺君は、「東北の歴史遺産も見た方がいいよ」と言ってくれる。そこで高速道路の一関ICで降りるが、「中尊寺や毛越寺はいいよ、まず三陸に行こう!」の意見の方がが大勢で、せっかくの歴史探訪は中止。それでも途中の「猊鼻渓ぐらいは寄って行ってよ!」、という説得で船遊びで、涼をとることになった。
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思っていたよりもはるかに立派な観光地。石灰岩の岩壁とみどりの水面がすばらしい。船頭さんもなかなかでした。

そのあと一路陸前高田に向かう。前回来た時には奇跡の一本松はまだ残っていたが、今回は・・・!