どこも今は紅葉狩りでい混雑だろう。私は金曜日に通過したので渋滞はなかった。きっと休日割引がないので空(す)いているのだろう。予想通りここ伊南川周辺は紅葉まっさかり。
今回の伊南川10km、知り合いは「今年は行くと!」調子よく答えてくれたが、律儀なW辺哲君だけが、ちゃんと走ってくれた。ウルトラランナーは律儀だな。それに比べ・・・・・
先日行ったインドラダックの報告会が中央区の区民センターで開かれた。12人参加のうち10人が出席して報告がなされた。それ10分の持ち時間だったが、皆さんすばらしい映像、表現で、画像だけの私はちょっと恥ずかしかった。私は4000mの高度に慣れるために必死で、珍しい地形地質の写真を撮るのがやっとだったが、私よりも年配の方々でも、登るのは当然!写真やビデオ、絵を描いたり物語を作ったりしていました。世の中にはすごい人たちがいるものだ。
地平線会議で見かける人たちも何人か来ていた。「ミワさんも誰かに連れていってもらうのですか?」と言われたが、「老いてはこの従え!」です。連れて行ってくれたのは我が子と同年代の小林さんだ。彼の一番思い入れの強い梅里雪山(カワカブ)の名前をとってカワカブ会と称して、チベット文化圏の巡礼路におじさんおばさんを連れて行ってくれている。ありがたいことだ。上の写真はインド・スリナガールとラダックのレーを結ぶ国道1号線の最高の所の峠。4100mある。バイクが次々に越えて行った。国境ではないが、国境に近いところなので緊張する場所だった。
昨日の夕方から雨がひどく降ってきたが、まあ大丈夫だと思っていたら朝のテレビで高知県の四万十、須崎、春野に大雨洪水警報が出たという。あれれ私たちがいるところは春野町の総合スポーツセンターだ。フロントに聞いてみると,ここは高台だから大丈夫だというが、孤立するかもしれないという。
こりゃまずいと思い、急いで高知市内に戻ることにした。私たちと一緒に泊まっていた遍路おじさんは雨の中、出て行った。大丈夫かいな? 私たちはバス停まで500mほど雨の中高台から下って行ったが、道は川状態。午前中1本しかないバスで「はりまや橋」までもどってきた。
昼は「ひろめ市場」に行って屋台で食べた。みなさんカツオの藁焼きを並んで食べている。おいしそうだが、相当時間待たなければならないので、ウニの御寿司をたべる。はりまや橋のあたりの賑わいはなかなか。こんな大きなアーケードは東京にはないなあ。
ホテルの入ったら、携帯電話にエリアメールが入り、避難準備勧告が入った。今は高知駅前にいるのに、春野町の避難勧告。携帯電話の電波はまだ春野町になっていたのだろ。でもどういう仕組みになっているのだろうか。ホテルの周辺の人には来ていない感じだけど。
避難準備情報【高知市】
14時33分に高知市に大雨警報が発表されました。土砂災害の危険性が高くなっているため,15時35分に以下の小学校区に避難準備情報を発令しました。
春野東小学校区,春野西小学校区
急斜面付近にお住まいの方は,気象情報を注視し,危険な場合は避難してください。高齢者など避難に時間のかかる方は避難を始めてください。
なお,避難所として春野文化ホールピアステージを開設しています。
高知の市街は浦戸湾の奥にある。ちょうど東京湾と同じ形態だが、入り口はごく狭く浦戸大橋がかかっている。桂浜に行くにはこの橋を通るのだが、大型船が湾に入るために、橋げたはとてつもなく高くなっている。歩く人にとっては難所だ。そこで昔からの渡し船が活躍している。県道フェリーなので無料だそうだ。長浜渡し場では毎時10分に発着する。
第33番 雪蹊寺
種崎渡船場からまっすぐに15分ぐらいあるくとスーパーがある。みかんやブドウなど果物を買う。店の前で果糖を補給する。船で一緒だった富山県のご夫婦は「帰ったら三下り半だな」と言いながら先に行った。私はちゃんとご機嫌を取っているので、心配はないかな? 長いこと一緒に歩いていると、どのご夫婦にももめ事は出る。この写真は自撮り棒を使って新しいデジカメでとった。隣には三下り半ご夫婦がいたのだが、「撮って」とお願いできない感じだったので・・・。みかんあげたら2つとも旦那が持って行った。 人生即遍路・・・山頭火!
本日はこれにて終了。春野町の総合運動場にあるホテルに泊まる。西武ライオンズが春季キャンプを張るホテルなので立派かと思っていたが、いまは二軍しか使っていないそうだ。エレベーターもない。食事は二軍選手用か、カツオなどおいしいのだが、量が多すぎて食べきれない。ごめん。天気が怪しくなってきた。
本日で3日目終了。天気は連日快晴だが、夕方から少し怪しくなってきた。高知駅前のホテルに泊まった。連休中なので早めに予約しておいてよかった。満室のようだった。セルフサービスで無料の朝食をたべて、はりまや橋まで歩く。ここから奥さんは土佐電鉄の路面電車で「美術館前」まで行き、31番の竹林寺へ向かう。ここは五台山という中国の有名な名山の名前をとった山の上にある。途中あった人が「自転車ではいけない」と忠告してくれたが無視して登ってみたが、忠告に従うべきだった。押すだけでなく担がなければいけない場所もあった。自転車は重い。 第31番五台山 竹林寺
五台山(145m)の上には牧野植物園がある。牧野富太郎は土佐の出身。世界的には坂本龍馬よりも有名な学者さんだ。我が都立大学にも巻の標本館があった。自転車を押し上げて園内の遊歩道をしばらく行くと、登り口であったオランダ人にあう。彼はもう何年もお遍路のために日本に来ているとか。仏さんのことは私よりも詳しい。でもキャノンさんは…というのが分からなかったが、だいぶしてから観音さんだと分かった。ムムー! 31番竹林寺は日本三文殊の一つだそうだ。あと二つは・・・素晴らしい五重塔がある。また本堂に上る石段の周りはすばらしいモミジ。いまは緑だがあと少々で紅葉する。京都の神護寺に匹敵する美しさだろう。
下りの遍路道は自転車では無理なので、奥さまが自転車で車道を下りる。私は石段をオランダ人と一緒に下る。川沿いにでるとまだ奥さんは来ていない。坂が急すぎて、ブレーキを握っていると握力がなくなって、休み休み来たからだそうだ。自転車も楽ではない。下田川沿いには「浜口雄幸」の碑がある。土佐は明治維新に多くの人材を送った。
第32番 禅師峰寺(ぜんじぶじ)
下田川を3キロ下り、高速道路をくぐると左手に石下トンネルが見える。抜けると十市池、その向こうに八葉山があるが、たぶんその上に禅師峰寺がある。登り口で車道と遍路道に分かれる。自転車を置いて遍路道を15分ほど登ると、珍しい石の前に立つ不動明王に出会う。ここは石の寺で、境内は石だらけ。 境内は大変眺めがいい。遠くに浦戸大橋が見え、桂浜の丘が見える。昔潜水艦を個人でつくった竹内静夫さんに会いに宿毛まで行ったことがある。亡くなった後は彼の潜水艦荒天号は桂浜に飾られている。私にとっては坂本龍馬像よりも気になる記念物だ。同じ遍路道をくだり、桂浜に向かって長い道を歩き始めた。曽良はうす曇りだが、蒸し暑く奥さまは機嫌が悪くなってきた。
12日に無事戻ってきました。ラダックの首都のレーの街は高度3500mにあり、その後4100mのドムカル村で5泊のテント生活でした。心臓には悪い環境でしたが、ダイヤモックスという高山病の薬のおかげで快適(?)な生活でした。4700mの聖なる石のある巡礼地には登れませんでしたが、聖地巡礼の気分は味わえました。
11日間の行動日誌を以下に入れておきます。ブログは時間順ですが、読みやすいように日時とは逆に連続させておきます。13日本日ラダクではマラソン大会が開かれています。4000mの高地を走るなんて・・・・ 地元民にはなんてことないのかな??
インド北部のラダク地方はインダス川の最上流辺りで、すぐそばに世界第二位のK2峰、ナンガパルバット山など8000mの山々が点在している。私は1968年にパキスタンのギルギットからフンザ王国に入ったことがある。そのすぐ先がラダク地方だったが当然国境を越えることなどできなかった。
私の友人の成田君や森崎君はインド側のマナリやレーという町に住んだことがあるそうで、いろいろ話を聞いていた。そこはチベット仏教のはずれの地で、今はイスラム教世界との最前線でもある。チベットが中国化している現在、チベット文化がもっともよく残っているのがラダクだとも言われているそうだ。
地平線会議でも話をしてくれた小林尚礼さんが率いるツアーに山岳部時代の仲間の清水さんと一緒に入れてもらうことにした。9月2日から12日までの11日間。半分以上は3500m以上の地でのテント生活になるそうだ。もちろんシャワーなどなし。10℃以下の地なので川で水浴びもできそうもない。久々に山の匂いのするたびになりそうだ。
以下に西遊旅行のHPにある写真を借りました。帰ってきたらすぐに取り換えます。なかなかすばらしいところです。高山病にならないように気をつけて行ってきます。