ランニングの世界 集会

以下のような会があります。なんと私も話をすることになりました。もしおヒマな方、参加ください。

ランニングの世界・友の会の集いと自然流ランニング大学

「ランニングの世界」の走友が一堂に集まって、語り合い、走り、一緒に走る世界のつながりを深める集いです。今回は雑誌の執筆者もお呼びして、直にお話をお聞きすると共に意見や思いを交換したいと思います。

期日:平成27年2月11日(木)祝日 10:00開始
場所:東京海洋大学 越中島校舎(JR京葉線 越中島下車 徒歩3分)
主催:ランニングの世界 友の会
日程: 9時30分~ 受付
10時から13時 自然流ランニング大学開講
理論:2月をいかに走るか  山西哲郎
実技:LSD変化走・・・スローからスピードを探り走り

14時から ランニングの世界・友の会の集い
講話:「私の薦めるランニングコース」三輪主彦
小話:「トレイルはだれの道」 山西哲郎
グループ語り  私の走るコース
16時30分 懇親会

※ 10時からはランニング大学、14時からは友の会の集いですが、最初から、あるいは14時から参加していただくかは自由です。なお、会員以外の参加もできますので、ご友人をお誘いのうえご参加ください。

参加費:一律 1500円 友の会会員以外は2500円
懇親会:希望参加 2000円

申し込み:ランニングの世界。友の会事務局にe-mail で申し込みください。

■ このページをご覧の方で、参加したい方は 三輪に連絡ください。

津軽塗のお椀

昨日、今日と雨模様で、涼しい。ランニングをしてみようかという気持ちになる。暑いと走るどころか歩く気もしない体調が続いていた。

昨日も家から石神井川を下って帝京大学構内を通って王子駅まで行き、名主の滝から自衛隊の補給哨を回って再び石神井川にもどって東板橋体育館、区役所経由で家に戻る。ほぼ8キロ、昨日は1時間15分で行くことができた。不調の昨今ではいい記録なのだ。

本日もそんな感じで行くことができるかと思っていたが、愛誠病院近く6キロ地点で走る気がしなくて、歩きだした。野口研究所の前に古物商の店がある。ちょっと寄ってみたら、我が奥さまがいた。奥さまはなかなかの目利きで、古物商をめぐるのを趣味としている。

本日の成果は、写真の津軽塗のお椀、前に買ったお盆に載せるとなかなかはえる。たぶん一椀が数千円する。奥さまは三椀で・・・円。(3ケタ) 「掘り出しものでしょう」と満足そう。140705tugaru

 

地平線会議 四万十川集会

2003年4月3日(ブログ開始)

●3月27日夜8時半、川崎港発のフェリーに乗って高知に向かい、そこから走ったり列車に乗ったりして四万十川下流の土佐中村市に行ってきました。29日と30日に、地平線会議の仲間であり、四万十川に暮らす山田高司さんが委員長を務める「四万十川、黒潮エコライフフェア」に参加するのと、お遍路まねごとと、走り旅のためでした。

●四万十川の広い河川敷にサッカーボール型の巨大なテントを中心に、フリーマーケットや多国籍飲食店、葦船製作体験など多くの展示が並んでいました。私たちの地平線会議はドームテントの中で「地平線報告会 in 四万十」と称して山田高司のスライドand トーク、賀曽利隆、石川直樹、江本嘉伸の水談義、翌日は賀曽利隆、三輪主彦の水自慢、遠来の地平線会議メンバーの紹介、さらに廃校になった小学校を転用した四万十楽舎に移っての地平線のオークションなど2日間まるますのイベントでした。集まった地平線のメンバーは40人。地元の人たちは、何でまたこんな所まで、こんなに大勢の人が集まったのかと驚いていました。委員長の山田さんはきっと地元で再評価されるでしょう。simanto

●地平線会議はおいといて、四万十川を走ったゾーの報告です。

▲高知新港は外洋に面した新しい港で、交通の便は全くない。しかしフェリーの客は車で来ているので問題ない。私も「足」という交通手段を持っているので、ただちに巨大な浦戸大橋を渡って、桂浜へ。坂本龍馬の銅像が有名だが、それより私は荒天号という潜水艦が目当てだった。この船は宿毛に住む竹内静夫さん(1915~1992)が独力で作り上げた日本で唯一の手作り潜水艦だ。ボイラー工場を経営していた竹内さんは、荒天日でも潜水して航行すれば、海難救助にも役立つと考え、昭和45年頃より設計開始、51年より制作に着手しコツコツと自分の工場で作りを続け、ついに約15年を経て同59年に完成した。制作費は当時の金で約4500万円、結局工場も売り払って資金を作った。荒天号の主要仕様は次の通り。
全長 12.5m 全幅 3m 重さ 13.5トン  エンジン 270馬力  10人乗り
完成した潜水艦は試運転では水深200mまで潜水可能だった。ところが日本のお役所は、個人が潜水艦を作った例はないという理由で、船舶の許可を出さなかった。車検証がない車が走ってはいけないのと同じで、この船は海を航行することはできなくなった。私が宿毛を訪れたのはそんな時だった。宿毛の港に荒天号は寂しく係留されていた。竹内さんのお宅におじゃまして話を聞いた。それは興味深いものだったが、それより奥さんの「この船のために家も工場もなくなったんですよ」という話の方が、胸に響いた。私の奥さんと竹内奥さんは意気投合して、お互いの亭主を非難しあった。その竹内さんは不遇のうちに亡くなった。しかし竹内さんの偉業をたたえる人もいて、荒天号は坂本龍馬と並ぶ、高知県のシンボルになっていた。

◆荒天号に再会し、十分満足し、四万十に向かう。龍馬像の下で短パンになって走り出した。黒潮ライン花街道と書かれた道は一直線に西に続いている。しばらく走ると、中村まで105kmと出ている。「こりゃ明日の2時までには着かないや」 とりあえず5時まで走ることにした。土佐宇佐町はジョン万次郎の船出した港だ。ここには宇佐八幡があると聞いた。だいぶ行きすぎたが、もどって詣でる。最近私は宇佐八幡が日本歴史に果たした役割について大いなる興味を持っている。「宇佐」と聞けば疲れた足もいとわず回り道をする気分になる。桜が満開の参道を本殿まで行く。なかなかの神社あdったので満足し、足取りも軽く、いい気分で浦の内湾岸を走る。3時間で20kmほど走った頃からエネルギー切れ。車に乗せてもらって須崎まで。ちょうど発車間際のJR線に飛び乗り、窪川へ。ここには札所37番の岩本寺がある。6時すぎたがまだ明るい。お遍路のまねごとをして巡礼宿に泊まる。4500円。

◆29日、1時までに中村に着かなければならないので、始発で大正駅までJRで行く。そこから四万十川沿いを走る。まだ寒いが、大正の先の昭和駅をめざして走る。桜が咲き始めた川辺の道は走る車も少なく快適。十川橋で車をひろって江川崎まで。そこから今晩の宿である四万十楽舎まで走る。目的地まではあと26kmあるのに、すでに11時、再びヒッチハイクで佐田まで乗せてもらい、さも全コース走ってきたかのような顔をして四万十川にかかる赤鉄橋の下の会場に到着した。8時頃までイベントは続き、車で宿舎まで送ってもらう。楽舎は廃校になった小学校を宿泊所に改造したもので、私は校長室に泊めてもらう。

◆明け方の5時まで飲んで騒いでいた賀曽利くんは6時きっかりにバイクで四万十川を取り囲む峠越えに出ていった。私は8時まで寝て、9時に昨日キセルした27キロを走って行くことにした。昨日よりも道は整備されていないので、走るのには快適。30分前に出発した神奈川の古山さんにはなかなか追いつけない。川にかかる沈下橋の写真を撮りながら進む。ちょっと広い段丘上には満開の桜と菜の花のジュウタン、気分は最高。フォレストガンプのおっさんのようにどこまでも走れそうな気分になる。川登集落でやっと古山さんに追いつく。彼は荷物を背負って歩いているんだが、私が走っているのとそれほど違わない速さだった。
3時間で27kmを走って会場に着く。午後は江本、賀曽利の両氏とバトルをする。4時に終了すると東京、関西に帰る人たちは大急ぎで中村駅へ。フリーターの私は、別に急ぐこともないので、中村の町を見物し、夕方は山田くんの実家でごちそうになり、再び四万十楽舎にもどる。夜はまだ四国の峠越えを続ける賀曽利君、古山さんと泊まる。翌日6時きっかり、バイクの音が大きくなり出発していった。

◆私は江川崎まで車で送ってもらい、JRの始発で宇和島にでる。ここから松山まで走ろうと思っていたが、雨の気配という言い訳を考えて、そのまま列車の旅になり、岡山からは新幹線に乗ってしまった。やっぱり軟弱な人間だ。「走ったゾー」とあんまり威張れたものではない。
当たり前のことだが東京は四月になっていた。これまで、新学期と考えるだけで緊張したものだが、もうその心地よい緊張感はない。今日からあこがれだった本格的フリーターだ!