卒業式 君が代 教育

3月24日(水)
昨日は新宿山吹高校の卒業式だった。学校とはもう縁がなくなったはずだったが、まだ私が教えたり、遊んだりしていた生徒が何人かいる。彼らがみんな卒業するまでは、卒業式に出席しよう。
先生たちは指定席に座らされており、最後列には「先生一人一人起立しているか、君が代を声を出して歌っているか」を監視する教育委員会の、まさに小役人が2名陣取っている。先生たちには職務命令がでているので、それに逆らったら、命令違反で処分される。本来なら私もそこにいるはずだったのだが、一年前逃げだしてしまった。みんなには申し訳ない。どうにも重たい気持ちになる。

なにがなんでも、命令には従わせるというのがお上の態度だ。しかし学校でそんな方法をとっていいのだろうか。何が何でも命令をして従わせるという教育は、学校ではもっともまずい方法だ。先生に対しても同じことだ。先生たちのやる気はどんどん失われている。「もういいや!命令されたことだけしかやらないから!」 そんな気になるのも仕方がない。このさき日本の教育はどうなるのだろうか?

今日は雨が降っていたが、荒川の土手へヨモギ摘みに行った。スーパーのレジ袋にいっぱいなるほど摘んだ。枯れ草が混じっているのでよく洗って、ゆでて、刻み、すり鉢でよく擦ってペースト状にする。蒸した上新粉の団子とペーストヨモギを混ぜて、餅つきのようについて草餅にした。草のいい香りが、と思ったが匂いはほとんどなかったが、緑の草餅は春の到来を感じさせてくれた。

修理中のパソコンがなおった。さらに新しく買ったDELLの高級機がやってきた。どのパソコンをどこにおいて、どれをメイン機にするか思案中。この日記は新しいDELLのパソコンから発信している。また2,3日パソコンと格闘する日々が続くだろう。

雪が重たい 君が代も重たい!

3月22日(月)
雪が降りそうだというので、先日手入れをした植木の様子を見に行く。この時期の雪は重たいので、すぐに枝が折れる。枝に雪がついたらほうきで払ってやろうと手ぐすねを引いていたのだが。
しばらく待っていたがなかなか雪にははならない。近所のロジャースに行って、雪見酒の用意をしたのだが、まだ雨が降り続いている。しょうがないからまずビールを飲んでしまった。雪になったら熱燗をと思っていたが夜になっても雪にならない。

こんな一日を送ってしまったので、昨日の疲れはすっかりとれた。「さあ明日からがんばって働こう」と思ったが、行き先はないのだ。
あすは新宿山吹高校の卒業式だ。最後に担任をした子が一人だけ卒業する。本当は5人ぐらいは卒業してもおかしくないのだが、みんなのんびりしているというか・・・・・来年も私が出席できるように配慮してくれているのかもしれないなあ。でも、・・・・・君が代が終わってから(別に私が歌っているかどうかチェックされるわけではないが)参加するつもりだ。

愛国心は人一倍ある!でも君が代はいやだ!

3月9日(火)
昨日はヨレヨレで一日寝たりになっていた。家を出たのはゴミ捨てだけ。いままではマラソンの翌日はムリしてもさっそうと勤めに出かけたのだが(勤め先で休んでいた?)、いまはいくじなし。そんなことではいけないと今日は早起きして84歳の母親が旅行に行くのを、待ち合わせ場所まで送っていった。向こうの方がさっそうと歩いていたが、私も早起きしてシャッキリしたら気分は良くなっていた。筋肉痛は残っているものの、体調は大変よい。ということは怠け心は身体まで怠けさせてしまうのだ。

ところで、そろそろ学校では卒業式のシーズンだ。ここ数年、東京の教育委員会はものすごい圧力で国旗掲揚と君が代斉唱を強要している。昔から卒業式に日の丸は掲げてあるのだが、それに向かって威儀を正して礼をしなければならないことはなかったし、君が代を声を出して歌っているかチェックするなどということはなかった。そばに来て歌っているかどうかをチェックするなんて漫画みたいなことをやるとは思っても見なかったが、それは甘かった。愛国心を植え付けるのは、まず教員に言うことを聞かせなけれなだめだ。君が代斉唱はその踏み絵なのだ。

今年はさらに生徒たちの方を向いて座っている教員は、国旗に対して失礼に当たるので全員まえを向くようにとのお達しがあった。私はこれまで歌を歌うかどうかチェックされるがイヤなので、会場には入らず外回りの警備を担当したりしていたが、それもかなわなくなったそうだ。それなら休暇をとって休んでしまえと思っても、卒業式当日は休暇の許可を出してはいけないというお達しも来ている。休んだら職場放棄で処罰される。君が代を声を出して歌わなかったら処罰される。石原慎太郎知事の意を借りて、教職員を徹底管理しようという小役人の考えそうなことだ。

前の同僚からのメールでは、「こんなバカなことをして、愛国心が養われるのでしょうか?おぞましいことだ。あんたは早く逃げ出してよかったが、辞められない僕らは大変だよ」とあった。私は早く辞めたことは申し訳けないことだと思っているのだが、私にとってみんなの前で声を出して「君が代」を歌うほど屈辱的なことはない。歌うようなふりをしていればいいじゃないかと言う人もおおいし、たぶんほとんどの先生は、この時間をじっと耐えているのだろうが、私ぐらいの年になると我慢ができなくなる。

僕には愛国心、愛郷心、愛校心は人一倍強くあると思っている。しかし軍隊を他国に派遣して、自国を守るという愛国心は持ち合わせていない。自衛隊はあくまでも自衛のための隊であって、外国を犯してはいけないのだ。イラクが戦後ならその復興は民間がやればよい。自衛隊を派遣したり、憲法9条をなくしてしまうことは、国を破滅に導くだけだ。本当に愛国心をもとうとするなら、自国と同じように他国も愛さなければならない。攻められてもいない国に、アメリカの言いなりになって自衛隊を派遣しなければならないのか?そんなことが愛国心につながるのか? 私はそんな愛国心に与したくない!

卒業式の日の丸、君が代はそれだけの問題ではない。先生たちをなんとしてでも自衛隊派兵容認に向かわせる一里塚である。私はいままでノラリクラリすごしてきたが、これからの先生は旗色をはっきりと石原色にしないとやっていけなくなりそうだ。みんなが一色になったら、それは大政翼賛会になる。へなちょこな分けのわからない人もいなければ、社会は成り立たないのだ。みんな一斉に元気よく一方方向にすすむことが一番怖いことなのだ。私はここでしばらく辻信一さんの提唱する「ナマケモノの勧め」をやろうと思っている。