古事記には天皇が日向から東征するとき、瀬戸内海を通って行ったと記されている。どこを通ったかの詳細な記述ないが、日向を出て宇佐神宮に行き、筑紫の岡田の宮に1年、安芸の多ケ理宮に7年、吉備の高嶋宮に8年滞在したと書かれている。宇佐と岡田宮は現在もあるが、安芸と吉備の宮はどこだかわからないままだった。明治になって急激に宮探しが始まり、高嶋宮は宮浦の前に浮かぶ高嶋であると文部省は決定した。
しかしこれは怪しいとの意見は多々あったが、まあ神話だから目くじらを立てることはないか!ということで、高嶋と名乗っているところはいくつかある。私は一応は見ておこう思って、地元にお住いの考古学者のITOさんと、友人のKITAGAWAさんにお願いして、案内してもらった。KITAGAWAさんはJRの高島と言う駅の近くにお住まいで、すぐに案内してもらった。
以下はその時の写真。家に戻って写真を見ながら、いろいろ考えて見たい。とりあえず、中区の高島宮、宮浦の高嶋にあるお宮、それに瀬戸内海の白砂青松です。