高崎にちょっとした用事があった。こんな暑い中、行くのは嫌だったがまあ仕方がない。暑い中、用事は何ことはなく終わった。群馬に行くときには前橋のKOBAYASHIさんにアッシーをしてもらう。今回も社長専用車の黒塗りのクラウンで高崎駅まで迎えに来てもらった。とりあえず伊香保温泉。でもまだ朝早くて温泉には入れなかった。伊香保には昔は軽便鉄道が走り、急坂にはケーブルカーがあったそうだ。
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保存車両を見て、ハラ ミュージアム アークへ。この美術館は品川にある原美術館の別館みたいなものでグリーン牧場の一角にある。特別に本日の展示を見たかったわけではないが、友人のKAMATA社長が薦めてくれるので拝見させてもらった。そのあとすばらしいカフェで特別のケーキをいただいたのだが、KOBAYASHIさんと「わかった?」「あんまりよくわからないん」、二人とも現代アートに理解は及ばない。
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お昼は、藤岡まで走って高崎流通大学そばの蕎麦屋さん。KOBAYASHIさんの友人のお店で特別待遇。大変なごちそうになって我が家に戻る。あっそうだその前に、多胡の碑というのも見に行った。古代上野国にあらたな多胡郡が作られたがそれを記念する石碑だという。日本三古碑でユネスコの「世界の記憶」遺産だそうだ。































今は総理の座を狙っている石破さんがこの宮の代表になっている。大臣はお仕えする身、昔は天皇になることはできなかった。今は大臣が総理になるのは何の不思議もない。今変な総理いるが、何とか石破さんがんばって総理になって欲しいと、地元の人は期待しているようだ。





























坂出の東には300mを超す溶岩台地が広がっています。溶岩はカンカン石と言われる固い安山岩です。この溶岩は古い時代に噴出したもので、現在知られる火山由来ではない。溶岩は長い間に侵食され、谷がいくつも刻まれ、いくつかのブロックに分かれています。そのなかで目立つ峰に青峰、黄峰、赤峰、白峰、黒峰の五色の名前が付けられています。
■白峯寺の中には「頓証寺殿」という建物もある。後鳥羽天皇と戦った保元の乱で負けた崇徳上皇は讃岐に流され、都へ戻れないまま流刑地で没した。白峰山に陵墓が造られた。崇徳院と親しかった西行法師が詣で法楽を行った。その後慰霊のため陵墓近くに、崩御までの6年間を過ごした木の丸殿をここに移した。現在の頓証寺殿がそれである。四国88カ所霊場の白峯寺に詣でる人は多いが、実はこの崇徳天皇の御陵に詣でる人も多い。私が訪れた時も、駐車場にいたタクシーの運転手さんは「みなさん御陵にこられています」と教えてくれた。
お遍路さんは御陵を素通りして、遍路道に入っていく。お遍路さんは途中にある寺や神社、御陵にはあまり目を向けない。私は歩き旅であるから途中の興味深いところには寄り道をするので予定時間を過ぎることが多い。これもまあいいか! である。










とうとう80番まで来た。あと8札所を残すのみとなった。あと一回の歩き旅で「結願」ということになる。前に書いた通り願いが叶うというほどの願いを持っていないので完歩と言った方がいいかもしれない。





















