赤羽付近は緑色!

東京の新型コロナ感染者が100名を超えたというニュースが流れた。昨日は感染者は新宿歌舞伎町を超えて池袋がトップになったと報じていた。私が池袋に歩いて行くときに通る道筋である。こりゃまずいのでコースを変えなくちゃ。私が歩くのは昼間、夜の町ではないから大丈夫だろうが。1月24日からのデータをグラフにしてみた。上昇カーブは赤色の線のようで、このまま一気に上昇したらこれは東京都はロックダウンだが、お金が無くなったのでもう自粛要請だけだろう。どうなるかシミュレーションしたくても専門家委員をクビにしたので政府に指針はないだろう。

散歩コースを変えて赤羽に行く。バスで来た奥さんと落ち合って「鯵や」でアジフライランチ。ここは人気のお店でいつも混雑していたが、ちょっと早かったせいかすぐに食べることができた。一応満足。

 

赤羽駅に出たら選挙演説で混雑。緑のスーツをきた女性が「本人」という旗を従えているので小池都知事かと思いきや、北区の都議会補欠選挙候補だった。北区は女性だけ5人が立候補している。大混戦。ポスターをみて驚いた。一人はホリエモン新党、白いのはアベノマスクだよ。こんなのいいのかな?ちょうど今神社では茅の輪くぐりが行われている。蘇民将来ととなえると疫病が退散する。私も8の字に回って疫病退散を祈願をした。我が家に戻る。
今月の散歩の歩数、前半は順当だったが、免許の認知症検査のショックでぎっくり腰になり、後半は腰折れした。年寄りは歩き過ぎてはいけないとの教訓。

わが家の花々

東京の新型コロナの感染者は50人超えた。第二波ではないかと心配されているが、町中はもう完全に元に戻ったという感じだ。感染者は成田空港などで多くなっているようだ。もう中東などから人が入っているそうだ。このまま外国との交流が続くと第二波は必死だろう。どこの国も鎖国状態をしばらく続けないといけないだろう。

ブラジル、アメリカなど南北アメリカ大陸ではまだまだ流行が続きそうだ。さらにアフリカはこれからだろう。オリンピックで人々が来ては、さらなる感染が広がるかも。もうオリンピックを引っ張るのはやめた方がいい。速く宣言をしてあげないと選手も役員も、チケットを持った人たちもかわいそうだ。

世界は大変だが、我が家は遊びに行けないだけで全く何の変化もなし。我が家の庭は花盛り、ご飯は毎日三食奥さんが作ってくれている。ありがたいことだ。

認知機能検査受験

75歳以上の後期高齢者の免許更新のためのには認知症機能検査を受けなければならない。その通知は4月にはついていた。「重要:速やかに開封してください」と書いてあったので急いで中を見て警視庁免許本部に電話した。もちろんこの当時はコロナで検査の申し込みは自粛除後になるとのことだった。6月1日から自粛解除になると聞いたので、1日朝一番に電話したら電話が混んでいるから後でかけ直してくれとのこと。それから毎日5回ぐらいかけたがまったく変化なし。仕方ないので板橋警察に電話したら、5万人ぐらいが待っていて電話をしているとのこと。なのにオペレーターは17人しかいないそうだ。

webで申し込めないの?と聞いたら、高齢者はスマホやパソコンは持っていないだろうからやっていないとのこと。ということで辛抱強くやるしかないようだ。時報と共にかけること数回で通じて22日月曜日に受験可能になった。家から歩いて行ける滝野川庁舎での受験だった。朝から雨、歩き始めて15分で突然ぎっくり腰、道が入り組んでいるのでバスもタクシーもない。下板橋駅に行き電車に一駅のり北池袋からまたよたよたと歩いて到着。入り口で30分前に集合ですよ。もう皆さん席についていますよ!と注意された。

試験は記憶力テストと認知テスト。一問目は今は何年何月何日何時かという問題。入り口で注意されたので時間はかなりきっかり答えることができた。試験前に時計は外すようにと言われた。2問目は16枚の絵を見て記憶する。答える前に数値遊びが何問かある。これは後で聞くと採点されないようだ。記憶を遠くするためにやるみたい。回答をするのだが16枚の絵を思い出すのは難しい。私は半分しか思い出せなかった。前の人も横の人も全部書いている。第3問目は時計板を描いて1時45分の針の位置を書けというものだった。これは私は問題なし。

しばらく待つと採点結果が配られる。「76点以上は記憶力判断力に心配はありません」結果は色別に印刷して配られるので、他人の結果は見える。私のまわりはみな青色で合格。前の人は98点。私は78点でまさにギリギリセーフ。腰痛はひどかったので成績が悪かったのだろうと慰める。家に戻ってインターネットで検索してみたら、なんと認知症検査の問題が載っている。奥さんは事前準備をしないで行くからよ!と言う。みなさんちゃんと準備しているのか。インターネットを見ることができる人も多いのだから、警視庁は高齢者はスマホは持っていないなど言わずにweb申し込みにすればいいのに。

この後さらに高齢者講習を受講しなければ更新手続きができない。また電話で申し込むがどの教習場も混雑で電話待ちだ。本日やっとつながった。8月23日㈰9:00開始。30分前に行くことだ。なんとか誕生日前に更新できそうだ。こんどは少し準備をしていこう。

 

下練馬富士は散歩コース

   わが家は「大山」町にある。大山街道が通っていたからその名がついた。大山というのは相州の大山のこと。日本橋から出ると反対方向みたいだが富士山に行く富士街道もみな川越街道に沿っていた。本日はこの大山道が散歩コース。練馬の環状8号線の交差点が昔の東工や東高野道との分岐だ。その石碑が移転して残されている。示す方向は反対になっている。

下練馬でお富士さん(富士塚)にであった。まもなく山開きなので、私も初登山。

入り口にはちゃんと役行者がいるし小御岳神社のまえには天狗がいる。合目の石もあり富士講の石碑もある。都内でもなかなかのお富士さんである。東武練馬駅で奥さんと待ち合わせてかなりしゃれたランチ。

 

 

午後からは東小金井のNさん宅へ。自宅でJさんの三回忌の個展。TAKAGIさんら珍しい人に出会った。その後下ジイさんと飲み会。ちょうど御岳山紅葉屋の紹介をYoutubeにアップしたので一緒に見る。企画者はシモジイである。https://www.youtube.com/watch?v=2kAuV_1JVEs

高尾山に行ってきました!

3か月ぶりの病院、心電図をとってからの診察なので、いつものように一日がかりだと思っていた。しかし新型コロナのせいなのか病院はガラガラで10時には全部終わってしまった。半年前と変化なしということでとりあえずオーケー。朝の天気予報で晴は本日迄と言っていたので、そのまま高尾山に行くことにした。高尾駅から小仏峠城山と空いているコースを考えていた。

11時40分、ちょうど陣馬高原下行のバスが出るところだったので急いで飛び乗った。12時15分に陣馬高原下から歩き始めた。陣馬山までは昔望遠鏡を担いで上がった。我が高校の天文部は別名天文山岳部だった。1時半陣馬山の白馬にでた。周囲の茶屋はほとんど休業、人は少ないのでちょっと寂しいが空は真っ青に晴れて美しい。コロナのおかげでヒコーキが飛ばず、車も少なくなったので空気はきれいになった。ここから高尾山までは、山岳耐久レールの練習で毎週来ていた。還暦のころは2時間で行くことができたが今は3時間はかかるだろう。しかしまだ1時半、遅くとも4時半には高尾山口駅に着くはずだ。

明王峠まで25分。先日FBで城定くんがこの辺りまで道路整備に来ているという記事を見た。コロナのせいで人が入らず土砂崩れ、倒木が相次いでいるのを見かねてボランティアで黙々と整備している。行政ができないなら自分でやるよ!この精神が山中先生のいうファクターXだろう。コロナが日本で爆発的に広がらなかったことはそれぞれ自分たちでできちことは率先してやっていく習慣が社会にあることだと私は思っている。城定君の行動、おせっかいだがこういう人がいるから非常時でも動いて行くのだろう。

皆さんのお世話で快適に歩きながら小仏峠まで1時間半で到着、スマホの充電をしてこなかったのでヤマップの記録をここでストップ。城山下のまき道は土砂崩れで通れないので山頂の茶屋に行くが、ここも休業中。

城山からは一丁平をとおり琵琶滝経由で降りてきた。高尾山頂から薬王院などを通ると人が多いだろうと思っていたが、ケーブル駅に着くとほとんど人はいない。高尾山観光は外国人観光客で持っていたのだということを実感。このままでいけば私の「好みの山」リストに復帰するなあ

黄色い花 初夏

我が家の周りに黄色い花が目立ちます。3種類違うのがあります。2つは名前がわかるのだが、もう一つわかりません。どなたか教えてください。

御岳山紅葉屋へ

  6月に入っても自主自粛を続けると言った舌の根も乾かないうちに、立川の下島さんから御岳山に行くよ!との誘いがあった。紅葉屋さんが再開するから山上でおそばを食べようとのこと。3月12日に紅葉屋創業90周年を祝うはずだったが、コロナで延期になっている。いつできるかの相談もかねてのことだ。

 そうだと言ってもいつ終息するかもわからない。集まったところで相談の内容はない。目的はおいしいおそば。その前に久しぶりの登山を楽しむことにした。平日の昼間なので電車はすいている。しかし御岳駅からバスが混むかのもしれないので、川井駅から歩いて行くことにした。山頂までほぼ9キロ、杉並木の急登がある。ゆっくりのんびり歩いて行くことにした。

 その様子は動画を作成中なのでそちらを近々アップします。途中でケーブルカーを見ると誰も乗っていない。帰りは雨も降っていたので義理でのって下った。久しぶりのケーブルカー、なかなか楽しかった。バスに乗ろうと思ったが30分後だったので歩いた。バスがつくのと同時に御嶽駅に着いた。久しぶりの遠出、ちょっと後ろめたかったが山の空気はよく、中央線は一人置きに座っているので、三密になっている場所はまったくなかった。

 

6月になり、自粛緩和のうごき

 5月26日に新型コロナの自粛が解除になった。東京は6月1日に解除の予定だったが、政府が速く解除するようにいろいろ操作をしたようだ。5月23日には感染者はたった2名になり、自粛解除の流れは一気に加速した。東京の町中は関西地区が解除になったころから一緒に解除になった気分らしい。

学校は予定通り6月1日から登校できるようになるらしい。我が家の孫は高校一年生、卒業式もそこそこに休校になり、そのまま高校に引き継がれることになったが、入学式もないまま2か月が過ぎた。やっと明日に入学式があるそうだ。ジジババも参加したかったが、親も入ることはできないので校門まで送っていくだけのようだ。

大人になってしまえば、思い出に変わるかもしれないが現在はそれどころではない。コロナのせいが一番大きいが、大人たちの都合でウロウロさせられたことはまったくかわいそうな状況だ。大人には何とか基金とかアベノマスクとかで補償ができるが、子どもたちにはどんな補償をしてくれるのだろうか。

 ジジババにとってはまだしばらくは外出、外食などできないだろう。皆はしゃいでいる。我が家のすぐそばまでパチンコ屋の入場券の配布の人たちが並んでいる。前よりももっと危険な状況になっているのであと1か月ぐらいは自主自粛の予定だ。膝が痛くなったので家中登山は出来なくなったが、朝早く散歩は続けている。

先月は45万歩になった。FBを見ていたら、町田市の同い年のFさんは60万歩と言っている。負けた! 昔は悔しい、なんとか追い越そうなどと考えたが、いまはすごいなあと感動する。コロナのおかげで人間ができてきたなぁ。

居場所なく、ベランダに机 「出社当番」が癒やし 

これまで私は朝9時ごろから近くの病院にある喫茶店に行ってモーニングを食べながら10時半までいました。暇そうな常連さんもいて、お互いになんとなく親近感がわいていたものです。時々は知り合いとの会合にも使っていました。1月末にはOnuki Teruちゃんと連続であったりする、私の書斎兼社交場でした。

しかし病院ということもあって3月半ばからはまったく近づいていません。家に閉じこもって奥さんに、三食作ってもらっています。それはありがたいのですが、2か月以上その状態が続くと飽きてくるのはしょうがない。
通常なら3日間一緒にいると気まずくなってくるのですが、今回は共通の敵アベのマスクがおり、不満はあちらに向けられるので巣ごもりは維持できていました。テレビを見ているとアベのマスクは次々と不祥事を起こしてくれるので、我が家にとってはありがたい存在でした。

いよいよ自粛解禁になると世の中はみなアベのマスクのことを忘れ、次のことに話題が移ってしまいました。我が家でも不満のぶつけどころが亡くなってきたので、私も居場所探しを始めました。上のつぶやきをみて私も新たな書斎を作り出しました。

今年一月台湾に行ったのですが、その時に訪ねた李さんからすばらしいマンゴーが届きました。ベランダに出したテーブルの上でそれを食べながら、新しい書斎を満喫中です。しかし雨が降ったらどうしよう。

81歳と18歳 快語碌から

まだーもう少しあるけど81歳の気持ち??。元気な81歳だろうな!!

道路を暴走するのが 18歳
逆走するのが 81歳

心がもろいのが 18歳
骨がもろいのが 81歳

恋におぼれるのが 18歳
風呂でおぼれるのが 81歳

ドキドキが止まらないのが 18歳
動悸が止まらないのが 81歳

恋で胸を詰まらさせるのが 18歳
餅で喉を詰まらせるのが 81歳

自分探しをしているのが 18歳
みんなが自分を探しているのが 81歳

東京オリンピックに出たいと思うのが 18歳
東京オリンピックまで生きたいと思うのが 81歳

社会に旅立つのが 18歳
あの世に旅立つのが 81歳

早く「20歳」になりたいと思うのが 18歳
できれば「20歳」に戻りたいと思うのが 81歳

「嵐」というと松本潤を思い出すのが 18歳
「嵐」というと嵐寛寿郎を思い出すのが 81歳

昨日、5月22日、82歳になりました。こんな戯れ言を
みつけました。

我が家の周辺の小さな花々

そろそろ公に外出していいことになりそうだ。これまでは散歩は奨励されていたのでマスクをして、人のいない時間に周辺をうろうろしていた。これからは少し立ち止まって写真を撮ったりしながら散歩しようと思う。

本日土曜日、久々に晴れてきた。奥さんは家でSKYPEで仕舞のレッスンをしている。邪魔にならないように近くの病院の庭に行って写真を撮ってきた。これまで大型のカメラを持っていたのだがスマホで十分、というよりスマホの方がきれいに取れることが分かった。いままで苦労してとっていたのだが、何にもしないで写すだけでこれだけの写真が撮れる。いままでの努力はなんだったんだ。かなり悔しい。

私は不調法で花の名前はほとんど知らないので入れてありません。少しは分かるのですが・・・上の4枚は我が家のお庭、それ以外はほとんど道端の花です。もう少し入れておきます。

蘇民将来 ファクターX

我が家の近くに氷川神社がある。さいたま市の氷川神社の末社で、板橋区には多くの氷川さまがある。氷川神社の祭神はスサノオ神である。いつも狛犬探訪を行っているが本日は氷川神社の「蘇民将来」についてである。我が家の近所にも玄関に蘇民将来の「符」が飾ってある家もある。この家は「蘇民将来」の子孫ですよという証明書みたいなものである。

蘇民将来というのはだれか?
スサノオ神があるとき旅をしていた。ある夕暮れ宿をとろうとした。蔵が100もある金持ちの「巨旦将来」に頼んだが泊めてはくれなかった。貧しい兄の「蘇民将来」は快く引き受け粟のご飯でもてなした。

数年後スサノオ神は再び兄の蘇民将来の家を訪た。
「かつてのお礼をしたい」
「茅がやで、輪をつくって腰につけなさい。」
と伝えた。

その夜弟の巨旦将来の家人は疫病でみな死に絶えた。
しかし蘇民将来の子孫は茅の輪をつけていたので無事であった。
以後、蘇民将来の家は疫病もまぬがれ、繁栄し幸せに暮らしましたとさ。

ということから「蘇民将来の子孫」符を玄関に貼っておくと疫病から免れると信仰が生まれた。夏前にスサノオ系の神社で行われる「茅の輪くぐり」も蘇民将来信仰のひとつである。蘇民将来というのは朝鮮系らしい。日本人や韓国人が新型コロナにかからないのは蘇民将来の子孫だからではないだろうか。

山中伸弥先生は、
「日本の対策は世界の中でも緩い方に分類されます。しかし感染者の広がりは世界の中でも遅いと思います。何故でしょうか。私は、何か理由があるはずと仮説し、それをファクターXと呼んでいます。ファクターXを明らかにできれば、今後の対策戦略に活かすことが出来るはずです。」

ムムッ! ファクターXは蘇民将来の茅の輪ではないか???

干支の狛犬おまけ

干支の狛犬に入っていない動物の代表はネコかな? 狛ネコは京都の峰山というところにあると聞いた。京都といっても天橋立から北近畿タンゴ鉄道というのにのって峰山に行かなければならない。峰山といっても今の人はわからないだろうが、私の時代の人はあの野村監督が出たのが峰山高校、ということはみんな知っていた。その峰山から歩いて1時間くらいのところに狛ネコがあった。その神社の人に聞いたら、狛ネコは全国でもここだけだよ、とのこと。狛カエルは埼玉県のみずほ台駅から3キロほどのところにある水子貝塚のすぐ脇にある神社(名前を忘れた)にある。最近交通安全のために、無事カエルをもじったもののようだ。あまりおもしろくない。水子貝塚博物館の方が興味深かった。狛ゾウ 仏教の発祥はインドだからお寺に狛ゾウがあってもいいだろう。四国お遍路に行った時に第62番だったかにも門前い狛ゾウがいた。これは文京区の白山の交差点の近くにあるお寺(これも名前を忘れた)の門柱の上にある小さなゾウの像。私はここをよく通るので気になって写真を撮りました。もうだいぶ前の話ですけど。

干支の狛犬その4

酉年=にわとり ニワトリの神社もあまり見つからなかった。これは青森県黒石市の神社にあるものを借りた。奈良の石上神社神社には尻尾の長い鳥がいたが、狛酉はなかった。黒石市にも行かなくては!戌年=狛犬 世界一大きな狛犬、岐阜県の美濃焼の狛犬。世界一というが、狛犬のルーツといわれるのはエジプトのスフインクスなので日本一といって置く方が無難だと思う。岐阜県美濃の八王子神社。岐阜県の瑞浪にある東濃地科学センターの友人から教えてもらって昨年暮れに行ってきました。 でかい、よく作ったものだ!亥年=いのしし、京都御所の近くの護王神社はイノシシ神社で有名。さらに建仁寺の隣にある摩利支天にも同じ形のイノシシがある。一昨年歩きまわって探したものです。

干支の狛犬?その3

午(ウマ)駒=馬 だから狛駒となるかもしれないが、あまりおもしろくない。狛犬風の馬というのがいいかも。大阪八尾市の田中神社は競馬の神様がいる神社だそうだ。先日京都淀競馬場のそばを通ったが、この神社は知らなかった。ということでこの写真は借り物。近々行って写真を撮ってこよう。

 

未年=羊年 羊が門番になっている神社はあまりない。埼玉県の高麗神社に行ったら、隣にある高麗聖天の末社の前にこの石造があった。高句麗は騎馬民族の国だったから「羊」はシンボルだ。

 

申年=猿 狛犬は神社の鳥居の両脇に置かれていることが多い。それは尊い社殿を守護するための門番だからだ。前に出てきた牛やここにある猿などは神さまのお使いで、本来は秘書役である。庶民信仰では牛も猿も狛犬と同列にしている。赤坂の日枝神社である。日枝神社のもとは比叡山のふもとにある日吉神社である。