外出禁止前に!まだお花見!

緊急事態宣言が出るとの噂だったが、安倍首相は二世帯住宅には4枚マスクを配るというだけ。まったく緊張感もない。大の大人が国会でいったい何を論議しているのか。私は羽鳥慎一モーニングショーに出ている岡田先生の言うことだけを信じて行動することにしている。都知事も大かたこの先生の意見通りに進んでいる。安倍はいったい誰の意見を聞いているのだろうか。医師会はなんとしてでも外出禁止を含む緊急事態を宣言するように勧告している。専門家の意見を聞かないで、200億円もかけてマスクを配る算段をしている。モーニングショーで長嶋一茂が「自分もバカだが政府は私よりも数段バカだ!」と言い切った。おバカにバカと言われるなんて、どんだけのバカだ。 もうあほらしくてやってられない! といっても何にもしないとぶくぶく太る。外出禁止になったら私はどうしたらいいのか? とりあえず大急ぎで散歩に出かけることにした。人とはしゃべらない、人込みにはいかない、布マスクはしない。電車には乗らない、外で飲食はしない。

本日は我が家から歩いて雑司ヶ谷墓地にむかう。墓地なら人は少ないだろう。まず我が家の前の健康長寿医療センター!渋沢栄一さんが作った養老院が母体の医療施設。若者も入れるが少数。新型コロナ感染者はいない。まずは我が家の庭の花の写真から。渋沢さんも桜を見ています。

池袋まで歩いて行き、都電の線路を渡って雑司ヶ谷墓地へ。ここには桜はありません。不忍通りを渡って護国寺へ行きました。ここにはたくさんの桜がありました。大仏さんもいました。富士塚もあります護国寺には大きな墓地があり、隣には皇族様の墓地もある。こんな時期墓地に来る人はいないかと思ていたら、お弁当をもって境内で離ればなれでお昼を食べている人が何人もいた。近くには寄らなかった。

お茶の水女子大学の前を通る。いつも休むいいカフェがあるのだが本日は横目で通り過ぎて、筑波大学の前から播磨坂に向かう。ここでは毎年仲間で集まってお花見をしていたが今年は中止にした。写真を撮って皆に送ろうかと思っている。あれれ、ワインで花見の人がいる。安倍首相は「レストランはいけないのか?」と言っていた。レストランはいいんだよ!

最後の写真は宗慶寺の前の極楽水の石碑。宗慶寺はわが恩師のお寺。先生の存命中はここでクラス会をやっていた。サッカー仲間の並木君の葬儀もここで行ったなあ。極楽水の石碑の根元には「几号水準点」の刻印がある。竹早の地理先生の細田さんと一緒に掘り出したことがあった。昔竹早高校の前身である府立第二高女は光圓寺というお寺の境内に作られた。そこの桜を見て、伝通院に向かった。
境内には浪越徳次郎の指塚がある。「押せば命の泉湧く!」で超人気の指圧師だった。となりには淑徳学園がある。校章の桜と並べて写真を撮ってみました。

伝通院の門はりっぱに復元されている。この寺は徳川家康の生母のである於大の方を葬っており、その戒名から名付けられた。美術の中原さんは秋になると生徒たちを集めて落ち葉で焼き芋をやっていた。今では夢のような話だろう。

伝通院のちょっと下に澤蔵司(たくぞうす)稲荷がある。ここには有名なパワースポット「お穴」がある。私たちはしばしばここで遊んだ。退職後も「みわ塾」の仲間とともに数回訪れている。稲荷なので狛犬はいないが眷属のキツネがたくさんいる。手水舎の屋根にも立派な彫り物の狛犬がいた。ついでにネコビルも健在だった。日本の「知の巨人」といわれる立花隆さん書斎である。


本日のお散歩はこれで終了。歩いて帰ろうかと思ったが、家を出て3時間。休まず歩いているので疲れた。都営地下鉄の春日駅から電車に乗ることにした。マスクをして2m以内に人がいない車両を選んで乗ったので、新型コロナのウイルスはいなかっただろう。しかし明日は電車に乗るのはやめよう。

戸隠神社、鏡池、隋神門

外遊びはコロナにかからないためには重要だ??

戸隠神社の狛犬は、我がFBに何度も登場させた。戸隠神社の中心である中社には石段下に一対、石段上(冬の間は上れないので迂回する)には二対の狛犬がいる。石段上の二対については急な崖上なのでいい写真が撮れない。それはまあどうでもいいが、全部で三対と思っていたら今日すぐ脇にある摂社諏訪神社にも一対あることに気がついた。友人の御岳山紅葉屋から「三輪さん、戸隠にいるなら極意さんに寄ってよ、知り合いだから」という電話をもらった。朝早かったがそば屋の「極意」を訪ねた。その真裏にあったのが諏訪神社だ。天照系の戸隠神社に出雲系の諏訪神社があるということはなかなかの発見である。狛犬発見よりも神社の混合の発見の方が、いとおかし!

今回は越水が原にある我がクラブの山荘で若手OBOGとの交流会への参加である。高齢のために家族から車をとりあげられたので、私は新幹線とバスで戸隠中社までくる。そこから3キロほどはいつも歩いている。この時期雪が深く難儀するが、今年は雪が少なく水路があちこちにできているので、さらに難儀した。せっかくすぐそばまで来ているのに、かなりの迂回をする。二時間ちかく森の中をウロウロした。通いなれた道なのに一人で雪の中を放浪するのは心細かった。次は車道を歩いて行こう。

午後から若者たちと歩くスキーを使って鏡池に行く。鏡池は例年全面結氷して上を歩くことができる。しかし今年は池畔の氷が解けて水面が出ているので、いつ真ん中の氷が割れるか心配で歩くことはできない。
天命稲荷神社の赤い鳥居はいつも上の笠木だけが出ているが、今年は潜り抜けることができた。ここからは夏道のボードウォークの上を歩くしかなかった。普段は好き勝手に行くことができるが、今回は水路が出ているので木道の上を歩く。

隋神門にでて杉並木を歩いて戻る。ここは人の通過が多いので氷になっており、ツルツルで歩くスキーではツルツル滑って転んでしまった。敷石の上に薄く氷があるだけなので痛い痛い! そのあと越水が原へ登り返す。朝方ズボズボ雪に潜って難儀した道はスキーでは快適に進んだ。本日は全部で12キロほど歩いたが、スキーで滑るのは歩数にならないらしく、歩数計は1万2千歩ほどだった。外遊びはコロナにかからないためには重要だ??

 

狛ヘビ 矢川弁財天

 12日は御岳山で紅葉屋開業90周年をやることになっていた。しかしコロナで中止。憂さ晴らしに立川で宴会をすることにした。その前に下島さんに「狛ヘビ」を案内してもらった。矢川という超短い川の源頭に小さな池があり、そこから川が流れているが、長さは1.2キロで多摩川に合流する。下島さんによれば矢のように早く水が流れるので「矢川」というのだそうだ。

南武線西国立駅から少し歩くと矢川緑地がある。立川聖苑の先から下りにかかる。この斜面は府中崖線である。光西寺という西本願寺系の前から緑地に入る。現在ボードウォークは工事中。すでに緋寒桜が満開! 新しいカメラは花をとるのが下手で、今回も失敗。 道路を渡って反対側に降りると矢川弁財天がある。弁財天は弁天さんで、七福神の中で唯一女性の神さま。いつも水辺にある。三大弁財天というのは安芸の厳島神社、琵琶湖の竹生島神社、江の島の弁財天、あるいは天河弁財天(奈良県天川村)と言われる。ここのは小さいがちゃんと池と祠がある。ついでに橋の欄干にもヘビが・・・。

 

 

 

有翼狛犬がいた! 築地本願寺

3月9日わが父の命日、6日は奥さんの母の命日、10日は東京大空襲、11日は東日本大震災。まず両国の東京都慰霊堂に行ってきた。もう桜が咲いていた。お弁当を食べている人がいたが、お参りの人は数人の外国人だけ。100歳になった我が母は隅田川の近くで1923年関東大震災にあった。1945年に私を背負って原爆(爆心地から20㎞)にあった。東京都慰霊堂は関東大震災と東京大空襲の被災者を祀っている。

 そこから築地本願寺に行く。我が家の檀家寺は西本願寺の末寺で50数年前に亡くなった父の骨は大谷本廟に分骨した。築地本願寺は西本願寺の東京別院だ。
この寺は古代インドの仏教建築の様式で1934年に本堂が落成した。築地の場外市場の隣にあるが、特別に目立つ建物だ。この境内にも寒緋桜が咲いていた。

それよりも感激したのが正面にある狛犬だが、下のものを見ると翼がついている。イラクの古代遺跡に有翼ライオンがあったが、あれと関連があるのか。ともかく有翼狛犬は初めて見た。本日の大収穫。

築地場外は半分ぐらいが閉まっており、閑散としている。株価は1000円以上下がったそうだ。政財界からそろそろ批判も出てくるだろう。年寄りは外に出ないで自粛しろと言われているが、寺参りぐらいはいいだろう。新しくしゃれたカフェができたので豪華ランチ。

「年寄りのために、みんなが自粛しているのに、何やっているんだ!」と怒られそうだ。でも家に閉じ込められると、腹立つことが多すぎてストレスがたまり本当の病気になりそうだ。お見逃し下され!

この記事はFacebookに載せたものだが、その記事にコメントをいくつかいただいた。その中にゴーカイルに似ているという投稿があった。妖怪型で、屋根にのっている雨どいらしい。湯島の聖堂の上に載っている写真を撮った覚えがあるので、載せておきます。

浦和:調(つき)神社の狛うさぎ

不要不急の会合は自粛だそうですが、我が狛犬楽会の探索会は必要緊急ですから、実行します。
集合場所:JR湘南新宿ライン・京浜東北線 浦和駅中央改札口
集合時間:2月22日(土) 13時30分
参加費:500円(資料代)
参加の方:ブログのコメント欄か三輪の携帯(090-9827-8340)にメールしてください。
行先はまだコロナウィルスが蔓延していない浦和です。
今年は干支の狛犬を探し、先月は狛ねずみを見てきましたが、今月は2011年の干支であった狛うさぎを探しに行きます。浦和の調神社は「つき」神社と読みます。この音から連想して「月」神社とし、境内各所に月で餅つきをしている「うさぎ」を配しました。それを見に行きましょう。
さらに門前の旧中山道を通り、浦和のもとになっている「浦」の跡である別所沼を見ましょう。昔は汽水の入り江にはウナギがいました。浦和の名物はウナギ、帰りに寄りましょうか!いやいや高価でちょっと無理かな?
そのまま中浦和に行き解散です。浦和と名がつく駅はJR線には7つあります。本日全部の駅に行って写真を撮って来ました。

戸隠神社 狛犬

2月7日から黒姫戸隠に行ってきました。そのうちの戸隠神社狛犬編をブログにしておきます。7日には黒姫のふふはり亭に行っていました。そのことはFBに書いてあります。https://www.facebook.com/profile.php?id=100023334211339
今年は雪が極端に少なくてスキー場は困っていましたが、8日から今年一番の積雪になりました。戸隠奥社にいた私は皆さんよりも一足先に帰ることにして歩いて戸隠中社に降りてきました。歩く距離は2キロぐらいでしたが、戸隠古道は雪が深くてちょっとだけ苦労しました。40分ほどで中社の上に出ました。バスにはちょっと時間があったので戸隠中社の狛犬の狛犬撮影。以下は写真絵日記です。

戸隠奥社はパワースポットとして人気があり、冬でも軽装な人も訪れますが杉並木を2キロ行かなければならず隋神門より奥は雪が深く大変です。若者たちはそちらに行きましたが、私はそのまま中社バス停へ歩き始めました。雪が少ないといってもやはり雪国!

戸隠中社が戸隠神社の中心で、オモイカネという神さまが祀られている。高天原で天照大神が弟のスサノオと喧嘩して天岩戸に隠れてしまった。世の中が真っ暗になったので賢い神さまのオモイカネが考えた。岩戸の前でアメノウズメが裾をまくったりして踊った。それを見て(暗いのにどうやって?)大勢の神がやんやと騒いだ。岩戸の中の天照大神は何事か?とちょっとだけ岩戸をあけた。すかさず強力のタジカラオ神が岩戸を取り除いて放り投げた。その岩戸は信州に飛んできた。その場所を戸隠と呼ぶようになった。戸隠奥社にはタジカラオ神が祀られている。この策略を考え付いた賢い神が中社に祀られているオモイカネ神で、下の火の御子神社には怪しい踊り(神楽の起源)をしたアメノウズメが祀られている。戸隠神社が高天原(宮崎県高千穂??)と繋がっているのだ。

バスが来たので乗ってみると誰もいない。スキー場から来たのに?? 近年は車で来るのでバスのスキー客は外国人だけだという。その外国人はコロナウィルス騒ぎで誰もいない。戸隠高原だけでなく冬の観光は大打撃だろう。長野オリンピックの時に作られた浅川の道路を回って降りていく。


狛蛙? 水子貝塚

年賀状で狛カエルがあるという情報をもらった。早速行ってみた。東上線のみずほ台駅から1.5キロほどの水宮神社にあると聞いた。行ってみるとそこは水子貝塚の隣だった。画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外画像に含まれている可能性があるもの:座ってる(複数の人)、植物、屋外
狛カエルもまあまあだったが、水子貝塚の出土品に驚いた。こんなにすばらしい土器、土師器などなど、そうだ勾玉もあった、立派な博物館ができそうだ。もう一度ゆっくり見にこようと思った。
画像に含まれている可能性があるもの:室内

 画像に含まれている可能性があるもの:食べ物ということで狛カエルと縄文土器の一部の写真です。

新年おめでとうございます!

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。(京都:大豊神社) 私も後期高齢者歴2年目、もうそう先は長くないので、目いっぱい遊びまわろうと思っています。と言いながら、足腰が弱り、目はカスミ、半分ボケの感じで、なかなか思うような遊びはできません。年取ってからはお友達が大事なのですが、過激な友人が多く、ついて行くのはなかなか難しくなっています。マイペースでじわじわ行こうかと思っています。

もう一つは、四国遍路のまとめ(ほぼ完成しているのですが)、一宮巡りのまとめ、すでに全部歩いているのですがレポートが未完成なのが8か所ぐらいあります。3月までにはなんとか。東京富士塚巡り、ぶらりバーも10年を過ぎたのでまとめが必要。狛犬はまだ2,3年かかりそうです。

今年の干支の狛犬写真を撮ろうと京都まで行って哲学の道のそばにある大豊神社に行きました。そこで撮ったのを年賀状の写真にしましたが、卒業生から「高円寺にもあるよ」と聞いたので、ニューイヤー駅伝も見ずに高円寺成相寺に行ってきました。こんないいのがありました。京都まで行かなくてもよかったのに。

来年は丑年、狛ウシはないのですが、天神社には牛がいます。大宰府の天満宮にしようか、防府の天満宮にしようか、今から悩んでいます。

三輪山に登ってきた!

我が家の守り神である三輪明神にいってきた。ご神体山なので写真は禁止、もちろん飲食も。神社は大神神社と書いて「おおみわ」神社と読む。近くに大和神社があるがこちらも「おおやまと」神社である。すなわち「神」は「みわ」、「和」は「やまと」である。大神神社の神さまは背後にある三輪山の磐座(いわくら)に降臨されるという。三輪山の神さまは大物主命ということになっている。 さて、お能の「三輪」(世阿弥作)の中で「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事今更何と磐座や」と謡われる。伊勢と三輪の神はもとは同じ神だが分身している。そんなこと誰でも知っている。今さら何を言ってるの? という意味である。伊勢の神は誰でも知っている天照大神(日の巫女)である。大物主命は大国主神と同じで出雲を代表する神である。なんでその神が同じ神なのだろう? 天照大神は大国主命の豊葦原瑞穂の国を強奪した(国譲り神話)敵対関係である。なのになんで同じ神と世阿弥は言ったのだろうか。後の時代に書かれた「倭姫命世記」によれば天照大神は倭姫を御杖代(みつえしろ)として大神神社から26の神社を巡行して伊勢神宮に落ち着いた。と書かれている。‥・読んでいないのだが。
 私の解釈は、三輪山には天照大神と大物主神が一緒に祀られていた。しかし二神は仲が悪く、しばしば世間に災いを起こした。そのために三輪山の麓で磯城瑞籬宮を営んでいた崇神天皇(初代神武天皇と同一)が二神を分けた。天照大神は新しい地を求めて倭姫にひかれて伊勢に落ち着いた。倭姫はその後斎王として斉宮の地から天照大神をお守りしたそうだ。 大物主神はまだ三輪山の上におられるという。私は何回も三輪山の磐座に詣でていたが、ここ数年体調がすぐれず登れなかったが、今回ぎっくり腰をものともせず登ってみた。奥さんは途中の滝まで。捨て置いて頂上まで行き磐座を確かめた後引き返した。すぐ下にお宮がある。小さく書かれた名前を見て驚いた。「日の巫女」社とある。なんとここに日の巫女である天照大神がおられたのだ。ここから巡行をされたのだ。 走り下って途中で奥さんを拾って狭井神社に下り、二の鳥居前の「森正」に行って三輪ソーメンを食べる。我が家の奥さんが仕舞のお友達の家で、三輪山に来る時には寄っている。再び鳥居前に来て何か忘れた気がした。そうだ狛犬! 大神神社本体にはどこにもいなかった。しかし若宮とちょっと離れた恵比須神社にはいた。載せておきます。本日狛犬はおまけ。

金鑽神社、十月桜

  朝起きたらマイナス4℃、車はすっかり霜に覆われていました。今回は寒さ対策は十分にしてきたので大丈夫。昨日は大阪から来てくれた「清水武志トリオ」のジャズを子どもたちと一緒に楽しんだ。子どもたちをググっと引き込む語り、子どもたちに合わせた優しいジャズ、さすがプロはすごい。

そのあとせせらぎ荘でおいしい料理、温泉を堪能して、途中スカイブリッジ、金鑽神社とご神体山登山、十月桜を堪能して戻りました。誘っていただいたOTANIさん、NOJIさん、ありがとうございました。

1.金鑽神社の御嶽山の上から見た赤城、榛名、遠く谷川の峰々。
2.金鑽神社(かなさな神社・二宮)の紅葉と黄葉 3.スカイブリッジ、 4.霜柱 5.十月桜、鬼石(おにし)6. 鏡岩、断層で磨かれた結晶片岩

7.メタセコイヤ紅葉

王子神社 新たな狛犬

先日「狛犬楽会」の月例会で王子神社周辺に行った。その時に「王子神社にはあまりおもしろい狛犬はないので王子稲荷神社に行きましょう!」と言って、王子神社には寄らないで済ましてしまった。しかしかなり気にかかっていたので、本日反省のためにもう一度行ってみた。

王子神社そのものにも立派な昭和の狛犬がいるが、さらにとんでもなく面白い狛犬がいることを発見しました。先日は飛鳥山公園のアスカルゴに乗りましたが、あの乗り場の下の崖面の葉っぱの下に狛犬が何頭もいるのです。あの時には全く気がつきませんでした。本日音無橋の上から2頭だけ見えましたが、遠いのでいい写真はとれなかった。2頭とも同じような形、大谷石で作られた狛犬です。おそらく飛鳥山を取り巻くように作られた石積みの一部だろうと思う。

まさかこんなところに狛犬がいるとは誰も気がつかないでしょう。望遠レンズでアスカルゴの写真を撮ろうとして発見しました。「おもしろくない!」などと先入観をもって言ってしまい、申し訳ありません。下見をしたつもりだったが、見落としてしまい狛犬愛好家としては恥ずかしい限りです。

さらに王子神社の鳥居の先に金輪寺阿弥陀堂があります。その方向から傾いた太陽光線が王子神社の拝殿にあたっており、ライトアップされたような感じでした。なかなかすばらしい。その阿弥陀堂には狛犬ならぬ獅子がいました。文殊菩薩がのっています。となりには象にのった普賢菩薩がありました。仏教ではこのような仏像がありますが、空想の動物、獅子です。これが日本に入ってからは狛犬になったのです。なかなかおもしろい!

そこから石神井川をさかのぼり紅葉橋へ、まだ紅葉には少し早いのですがいくつかの桜の葉が紅葉していました。そのうちまた来てみよう!

清水寺の狛犬は八坂神社から?

ホテルの図書スペースに京都の古い絵葉書があった。八坂神社の写真がいくつかあった。昨日同じ角度から写真を撮ってみた。場所と狛犬は変わらないが、歩いている人はいまは外国人だらけ、というより外国人だけ。

もう一枚境内の狛犬の写真を見た。巨大にそっくり返った狛犬だ。どっかで見たことがあると思ったら、清水寺の仁王門の前の狛犬と同じだ。八坂神社の境内をこの威張り狛犬を探し回ったが、どこにもいない。

そこで考えた! 我が仮説は次の通り。
「古い絵葉書に写った威張り狛犬は、清水寺に移築した」
ネットで検索すると、清水寺の狛犬はもともとはブロンズ製だったが、戦争中(昭和17年)に供出させられ台座だけになっていたそうだ。

清水寺の貫主大西良慶の法話に、次のような言葉があるそうだ。
「前の戦争で、仁王門の前の狛犬も持っていかれた…。金の物みんな持っていかれた。それで、まあ今度、石にしといたらね、なんぼ戦がおこったかて石を持っていくちゅうことがあらへんので、今度は石に建ててもろてね。」

1944年に現在の石の狛犬が寄進されたと台座には書いてある。1944年はまだ戦争の最中、こんな大きな石造をつくることなどできなかったはずだ。ネットで調べても誰が作ったか、どこにも書いていない。

そこでやはり私の仮説。八坂神社の金属製の狛犬も供出させられたが、そこには数多くの石造の狛犬がある。清水寺の信者たちは八坂神社に掛け合って一対の狛犬を譲ってもらったのではないか。それをエイやコラさと産寧坂を引っ張り上げて、仁王門の前に残る台座の上に設置した。 我が仮説に満足して、もう一度詳細に写真を調べてみたら、ちょっと違うかな??? 仁王門の威張り狛犬は結構新しい。八坂神社の清水寺に持ってきてをちょっと手直しをして据え付けた。
なかなかいい仮説だが、ちょっと無理があるかな?

おまけ  仁王門から清水の舞台の下に移動して気がついた。おもしろい石碑を発見。
なんと蝦夷の英雄、阿弖流為の顕彰碑だ。中国人の団体の解説者が教えてくれた。阿弖流為をだまし討ちにしたのは坂上田村麻呂。田村麻呂は本心は蝦夷と和睦をするつもりで都に連れてきたのだが朝廷の裏切りで処刑をすることになった。それをずっと後悔していた。その思いを汲んで、篤志家がここに顕彰碑を立てたそうだ。清水寺は坂上田村麻呂が音羽山に建てた寺院なのだ。

白山神社と根津神社

日時 9月14日(土)1:30
場所 都営三田線 白山駅(春日側改札口)
第五回目の狛犬楽会です。白山神社と根津神社です。
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白山神社は加賀の白山から神さまを勧請してきた神社です。本家の白山(2,702m)は日本三霊山のひとつです。ふもとに白山神社があるのですが、文京区にある白山神社は白山比咩神社(加賀一宮)から菊理媛神(くくりひめ)に来ていただいた神社で、縁結びの神として知られています。CIMG0024.JPG

なんと中国革命の父「孫文」と日本の同志を結び付けた神社でもあります。孫文がどんな人であったかは、座石に詳しく書いてあります。hakusan-koma2.jpg

白山神社が台地のふちにあることは高い石段からもわかります。神社境内には富士塚もあります。ついでですが富士講の創始者である食行身禄行者の墓が根津神社へ行く途中にあることを知っている人は少ないようです。

その前に白山下から上る道の途中には八百屋お七の墓がありました。最近見えないなと思っていたら立派なビルのお寺の前に引っ越していました。それも見学してから行きましょう。CIMG0104.JPG

根津神社は台地の崖を下ったところにあります。白山神社に比べるととても華やかです。徳川綱吉が寄進をした建物がたくさんあります。つつじ祭りでにぎわう寺ですが、建物自体も見ものです。ここの狛犬がいいのです。お犬様の綱吉と何らかの関連があるのか?nedu-koma9.jpg

■ 孫文のこと

明治43年(1910年)孫文は当時、白山神社の近くの宮崎滔天宅にかくまわれていた。2人はこの座石に腰掛け語り合った。その時、夜空にはハレー彗星が夜空いっぱいに輝いていたという。孫文はこの奇跡的天体を見て「革命が成功する兆しだよ」と語ったという。宮崎滔天の次男龍介は、「花子とアン」にでてきた柳原白蓮(本名・宮崎燁子)と駆け落ちした革命家の帝大生だそうだ。

孫文は祖国の革命を心に誓い、翌年の明治44年(1911年)10月10日清朝を倒した辛亥革命の最高指導者となり、中国国民党の創設者になった。孫文は東京で26歳年下で英文秘書をだった宋慶齢と結婚した。国民党は清朝を倒したが中国国内は混迷を極めた。1925年孫文は「革命いまだならず」の言葉を残し没した。南京市の「中山陵」がお墓。

後継者蒋介石(妻は宋美齡〔慶齢の姉〕は中国国土を制圧するも毛沢東の共産党に敗れ、1949年に台湾に逃れた。宋慶齢は姉とたもとを分かち中国大陸に残った。中華人民共和国成立後は中央人民政府副主席を務めた。1981年没。中華人民共和国名誉主席の称号あたえられた。

孫文の革命は妻の宋慶齢を通して中華人民共和国として成し遂げられたというののだろうか??中国の歴史というのは三国志の時代からなかなか理解しがたい。
おまけの情報。孫文はロンドンに亡命中に大英博物館にいた南方熊楠と友人になっている。日本亡命中にはわざわざ和歌山に熊楠に会うためだけに訪れている。お互いに尊敬する間柄だった。

大阪に行ってきました。

九月になりました。ここのところおばあさんの介護にかまけて、パソコンの前に座る気分にならず、ブログの更新もままなりませんでした。おばあさんは我が家から5分の特別養護老人ホーム(特養)に入ることができました。

7月の入院時に比べると格段に回復し、自分で箸をもって食事ができるようになりました。これは奇跡的ことです。しかし認知の方がかなり高まりました。もう100歳ですから、年相応かもしれません。ということで私は週に2,3回見舞いに行けばいいだけになりました。しかしまあ特養というのは大変なところです。我が家ではとてもこんな面倒は見ることができません。介護の方々には感謝の念しかありません。ありがたいことで頭が下がります。

ところで8月の終わり、大阪に行く用事があり、街をぶらぶらしてみました。私は大阪になじみがないので、どこがどこかわかりません。今回は午前中ちょっとひまがあったので、今宮という駅から通天閣、なんば、道頓堀など繁華街を歩いてみました。まだ朝早かったので、お客は外国人だけで、賑わいはありませんでしたが、その位置関係は少しわかりました。絵日記にしておきます。

ここから今宮戎神社。1月の10日は十日戎として100万人も訪れるという人気神社だ。しかし本日暑くて人はいない。


ここから木津市場、ここは築地市場みたいなところか? 場外市場はもう賑わっていた。

広大な「なんば」の駅をみて道頓堀へ。もう賑わっていたな。ツルハドラッグは我が家のそばにもあるが、こちらは中国人で大行列。

このあとは黒門市場。

さらに生國魂神社へ行った。この神社は大阪の低地と上町台地の境にある。けっこう大きな段差、坂道だ。