蒲郡:ガマゴリうどん

三河湾の蒲郡に「ガマゴリうどん」を食べに来ました。というのは本当の理由ではなく、我が家は結婚50周年、金婚式なので、その記念に蒲郡クラシックホテルにやってきたのです。このホテルは日光金谷ホテル、奈良の奈良ホテル、箱根の富士屋ホテルと並ぶ豪華クラシックホテルとのこと。

シーズンオフのこの時期、半額以下の値段で泊まることできるとの情報で、申し込んでおいた。東海道線の車窓からも高台にみえるお城のような建物はなかなかのものだ。昭和天皇が泊まったというホテルには普段ならとても泊まれるようなところではないが、金婚式だから、まあいいか。
高台のホテルから目の前の三河湾に浮かぶ竹島がみえる。400mの橋が弁天様の島とを繋げている。八百富神社という。やけに低い鳥居だと思っていたら、鳥居の下に橋をつけたからだ。石段の上にはいくつかの社殿が共存している。島の上からの眺めは素晴らしい。

島の上には八百富神社があり、なかなかの狛犬がいた。蒲郡の隣は岡崎市がある。岡崎は日本でも有数の御影石産地であり、狛犬の彫刻も盛んだった。この狛犬は岡崎型というそうだ。大正時代のもの。

今年も大江能楽堂で仕舞

今年は11回目、大江能楽堂での発表会でした。奥さまは今年も無事にこの由緒ある能楽堂(今年で110年)の舞台で舞うことができました。70歳を過ぎてもまだ衰えはなく、進化している様子に安心しました。来年の大江能楽堂での舞台を目標に精進することを期待しています。ことしの仕舞は「笠の段」でした。

鎌倉に行ってきた

青春切符最後の一枚は鎌倉往復にした。往復しても1840円だから、青春切符1枚分2300円よりも安いのだが、トータルで考えると水郡線にのったり、諏訪まで行ったりしたので大いに得をしているので、オーケー。

由比ガ浜から若宮大路を歩いて鶴岡八幡宮に行ってきた。境内は歩けないぐらいの大混雑。大いに潤っているようなのでお賽銭は省略。でも中国人ばかりだったから、人数の割には収益は少ないかな?

とりあえず海から順に鳥居の写真を入れておきます。これは2の鳥居。
段葛(だんかずら)は新しくなっていました。第3の鳥居

八の字が分かりますか。鳩サブレはここから出たのだそうです。

さらにもう一段上がありました。八幡宮の前にあった宮なので一番上です。

熱海から箱根に行った!

青春18切符がまだ残っているので、池袋から湘南ライナーで熱海に行った。そこからバスで十国峠に上がり、さらに箱根関所に行き、強羅に行って、ケーブルにのり早雲山まで行き、歩いて降りてきて登山電車で箱根湯本へ。登山電車も冷房が入る最新式だった。  箱根湯本に下り小田原に出て、また湘南ライナーで池袋にもどった。JR線での往復料金は3500円ほどだった。青春18切符は2300円なので1000円ほど安く往復できたが、小田急ならもっと安いし、ジパングクラブなら3割引きなのでそれほど得ではなかった。でもまあ楽しく行けたからよかった。  朝方は雨模様で、十国峠のケーブルカーは私一人。景色はまったく見えなかった。しかし箱根の中に入ったら青空も見えてきた。写真は箱根登山鉄道、強羅駅。

 

今年も上高地から徳澤園へ

7月末に徳澤園に行くことにしていたが、台風の襲来で1か月延期した。やはりこの時期は天候が不安定で、結果としては雨に降られて、予定の山登りはできなかった。でもまあいい。いつまで孫たちについていけるか、と思っていたが、奥さんはもうそろそろ限界に近い。ふだんは仕舞のけいこで体を動かしてはいるので、ゆっくり歩けばまだまだ大丈夫なのだが、孫たちは速い。もう待ちくたびれた!と言われるので急ぐとまたまた疲れる。初日は新幹線で長野へいき、そこからバスで上高地へ直接入る。私は上高地へ行くのは松本からとしか考えていなかった。しかし松本からは松本電鉄で新島々へ行き、そこでシャトルバスに乗って上高地に入る。乗り換えに時間がかかるので、料金は高いが長野新幹線の方が時間短縮になる。知らなかった。

今回はSONYの固定焦点のビデオカメラを使った。これは自撮り用カメラらしい。自撮り棒に着けたり、逆にまわして追かけながらとるようだ。最初なのでなかなかうまく取れなかったが、慣れれば面白いビデオがとれそうだ。次回はスキーの時に使ってみよう。

福島県棚倉町:都都古和気神社の狛犬 

朝6時半に我が家を出て、青春18切符で水戸経由、水郡線の磐城石川へ行ってきました。鈍行乗り継ぎなので石川に着いたのは11時40分。5時間以上の旅でした。石川には石都都古和気神社というのがあります。ここは陸奥の国の一之宮。小林和平という石工が作ったすばらしい狛犬がいます。子獅子が3匹。彼にも3人子がいたそうです。  この狛犬に迎えられて、高い石段を登るとその上に社殿拝殿があります。ここには石川城という城があったようです。奥州安倍一族と戦った(前九年の役)源のなんとかという人が代官となってここに住み着き、石川なにがしかと名乗ったそうだ。その石川が地名になっという。  もちろん石川城よりも前から神社はあった。といってもたぶん磐座だったろうが、そのうち特定の神さまを祀るようになった。味耜高彦根(あじすきたかひこね)神という名前だが、たぶん誰も知らない。そこに誉田神(八幡神)を石清水八幡宮から勧請したのでこの地は八幡山になった。昔は神さまをどんどん追加することができたのだ。
石段の途中に「磐座」がいくつもある。古代の原始的なお祀りの方が私は好みだ。たぶん一般の人も、磐や樹木に神さまが宿っている(なんらかのパワー)と考えているのではなかろうか。アジスキタカヒコネ神と言っても知る人はいないだろう。 12時半に石川駅に戻ってきたが、次の一之宮がある棚倉駅に向かう列車は2時40分までない。2駅なので歩いて行こうと思ったが、20キロ先というので諦め。コンビニで親を買って涼み、待合室で高校生と1時間も待った。
2時40分に乗って棚倉でおりて、もう一つの都都古和気神社に行く。さらにそこから4キロ先のさらにもう一つの都都古別神社に行く。暑い中4キロは歩くつもりだったら、千葉の神社巡りの方が、私も行くのでどうぞ!と言って載せてくれた。
陰で3つの都都古和気神社を一日で回ることができた。  近津駅に来たら5時3分まで列車はない。待合室もない。帰りも鈍行。水戸に7時15分。日暮里に着いたのは9時30分。家には10時ちょっと前。朝から15時間半の行動だった。歩数は2万歩。疲れた!年寄には青春切符はつらい!

上高地予定表:

上高地へ行く前に計画書を作りました。別に持ち物チェックリストもあります。
孫たちに役にたつかと思ったのですが、雨具を忘れてくる! どこへ行くのかわからない?
計画書をまったく見ていなかったようです。
まあそんなものでしょうか!

今年の夏は長野県の上高地(かみこうち)へ行きます。北アルプスの山の中にある有名な観光地です。
河童橋(かっぱばし)や大正池(たいしょういけ)にはおおぜいの人が集まります。変更後です。

8月27日(月)
ときわ台(5:58)→(6:07)池袋 (6:13→(6:47)大宮・新幹線はくたか(6:54)→(8:06)長野
◆はくたか551・8号車14番ABC:15番ABC  ◆バス・せせらぎ号1号車
長野駅バスターミナル(8:25)→(11:05)上高地バス停(お昼)
【歩き】河童橋(11:30)→観光センター(12:00)→明神(1:30)→徳本峠分岐(2:00) (分かれ道)→古池(2:30)→徳沢園(3:15) 到着(ソフトクリーム) 【徳沢園】 夕食6:00 それまでにお風呂 星空観測8:00から 就寝9:00

8月28日(火)
【横尾へ】 横尾から本谷にあがってみましょう!
・・・・横尾へ着いたら大雨になりました。急いで徳沢園に引き返しました。
新しい靴と、雨具だったので大丈夫でした。
【徳沢園】 夕食6:00 それまでにお風呂 星空観測8:00から 就寝9:00

8月29日(火)     徳澤園9:00→明神11:00 明神池散策 嘉門次小屋
河童橋へ 裏道 12:30
12:40 新島々行 松本 2:49→5:26  (あずさ)
参加メンバー     YAMADA 一家
MIWA 老夫婦

目的

夏休みを山の中で過ごす。自然を味わう。
家族の親睦(しんぼく)
上高地の自然観察をする、日記を書く。

 

■ 途中にこんな景色があります! ■ 写真の下に解答してください!
河童橋(かっぱばし) 梓川(あずさがわ)と焼岳(やけだけ)
徳澤園(とくさわえん) 穂高岳 岩壁
ホタルブクロ オダマキ クサボタン ゴゼンタチバナ センジュガンピ

 

徳澤園だよ!

 

地図を示しておきます。これは国土地理院という役所で作っている地形図です。地形図には等高線(同じ標高を結んだ線)が描いてあります。登山する人はみんなこの地図を使って、事前に行く場所を確認していました。

◆上は20万分の1 小縮尺の地図(分数の値が小さいのが小縮尺)

◆下は2.5万分の1 中縮尺の地図です。

28日の12時半ごろに明神池の入り口にある「嘉門次小屋」でお昼を食べます。

(上高地と明神では携帯電話使えます。)

▲上条嘉門次(1847~1917)は、日本近代登山の父、W・ウエストン夫妻の山案内人。上高地で猟師をしていた嘉門次は、14歳にしてはじめてカモシカを撃ちとり、生涯でクマ80頭、カモシカ500頭を仕止めました。32歳の時には明神池のそばに自分の小屋を持ち、上高地一帯の地形を熟知していました。

大山ケーブルカーが新しくなっていた!

東京は雨もようだったが、久しぶりに伊勢原の大山に行ってきた。調子がよければ頂上まで行こうと考えていたが、蒸し暑いのでゲンナリして、下社の拝殿に寄っただけで戻ってきた。大山の神社は阿夫利神社、頂上に本殿があるが、そこまで行くのキツイのでケーブルカーの終点にある拝殿にだけ行ってきた。ケーブルカーは2016年に最新式に変更になった。これはすばらしい。何回も大山登山に来ているがケーブルカーに乗ったことはなかった。今回初めて最新式にのった。ケーブルカーの原理はわかっているつもりだったが、中間点ですれちがうときに車輪はどうなるのか、不思議だった。写真を見ていただきたい。どう見てもふつうの線路の交差とは異なる。中間点に大山寺駅があるので車輪をじっくりと観察できるかと思って待ったが車体の下を見ることはできなかった。あとで調べてみたら外側の車輪は線路をつかむようになっており、内側の車輪は幅が広く表面が平になっており、ロープを跨いでいけるようになっている。さすが最初に考えた人はエライ。

佐渡:五重塔・能舞台

順徳天皇(鎌倉時代)が承久の変で幕府に敗北して佐渡に流された。その後日蓮も佐渡に追放された。佐渡は政治犯の流刑地であった。彼ら教養人が長く暮らしたために、佐渡は文化程度も高くなった。その後金銀山で大いに栄え、多くの文化人も住んだために、神社仏閣も多くなった。

たいていの神社には能舞台も作られた。我が家の奥さんは舞囃子を稽古しており、能舞台には興味を示している。いくつかの能舞台を見たが、ほとんどが囲いがあって中を見ることはできなかった。雪深い地なので雪囲いは必要だろう。そのなかで大善神社だけは能舞台を見ることができた。なかなかすばらしい。

五重塔:妙宣寺
佐渡に唯一の五重塔という。日光東照宮の五重塔を模した立派な塔だ。妙がつくのは日蓮宗の寺だそうだ。あれれ写真が横になってしまった。どうしよう!まあいいか!・・・二枚併せて一枚にした。これでオーケーだが、一枚づつでは勝手に横になってしまう。

熊谷で日本最高気温、奪還!

これだけ暑い日が続くのに、まだ日本の最高気温には達していない。と思っていたら、23日(月)、埼玉県熊谷市で41.1℃まで気温が上昇。日本歴代最高を5年ぶりに更新した。

熊谷では13時前に40℃を突破、その後も気温の上昇は止まらずに、14時16分、41.1℃を観測して、2013年8月12日に記録した高知県江川崎の41.0℃を越て日本歴代最高気温となった。

長いこと日本歴代最高気温は山形県で記録された40.8℃でした。1933年7月25日の記録です。以降1994年に静岡県天竜や和歌山県かつらぎで40.6℃、2004年に甲府で40.4℃など、40℃を突破しても山形の記録はながいこと更新されなかった。

2007年8月16日、群馬県熊谷と岐阜県の多治見で40.9℃を観測し、74年ぶりに日本歴代最高気温を上回った。しかし6年後の2013年、これまで一度も40℃を記録したことがなかった高知県江川崎で8月10日に40.7℃、11日に40.4℃と連続の40℃超を記録。そして8月12日に41.0℃に上昇。日本最高気温を更新した。

そして再び埼玉県の熊谷市が最高気温を取り戻した。最高の栄誉?? こんなので一番になってもうれしくはないかな?

 

春秋航空、格安航空

我が家は四国、九州へ行くときなどにJETSTARとかソラシド航空などを使っている。格安航空= LCC(carrier)というそうだ。成田空港では第3ターミナルがその発着場だったが、鉄道バスの終点からかなり離れている。前回のお遍路で松山に行くことにしたが、5分差で乗り遅れた。便数はないので夕方7時間待つことになった。

新しくチケットは買いなおし。事前に買った値段よりもだいぶ高い。早期割引はないのだから仕方がない。遅れた便の払い戻しは一切なし。正規の代金よりだいぶ高くなった。年寄はケチらないで、ふつうにしていた方が、かえって安くつく。格安にはリスクがついていることを知った。

本日春秋航空で中国に行く人を見送りに行った。茨城空港から出るというので物珍しかったし、東京駅から500円で空港バスがあるという。しかし東京駅に行ったら、高速の三郷で事故があったのでバスはまだ到着していない。到着しても時間に間に合う保証はないので鉄道で行ってくれ!とのこと。

東京駅から常磐線の特急で石岡まで、そこから空港バスで40分もかかる。時間がなければタクシーで行かなければならない。500円だというので見送りに行こうかと思ったが、こりゃ無理だ。ということで東京駅で特急を見送って別れた。

LCCにはリスクがつきもの。今回も航空機の問題ではないが、そこに行くまでが大変。乗り遅れたら次はない。などなど、やはりLCCは若者の旅人が利用するものだと思った。

隠岐島 焼火山

峠楽会の仲間であるHARAさんが、「おみやげ」といって写真の粟おこしをくれた。この文字は、私が一押しした隠岐の島の「焼火山」の山頂の神社にあったものだ。「あそこまで行ったの?」「行きましたよ!」と誇らしげに答えてくれた。私はあそこまではたぶん行けないだろうと思っていたのだが・・・この山は隠岐の島の島前にある古い火山の中央火口丘である。地図で見ると丸い島の中央部が一時期陥没してカルデラができ、その中央部に火山が噴出し火口丘を作ったことが見てとれる。

その山頂に神社がある。半分岩の中にめり込んだような形だが、これは火山活動がおわってからはるかに時間がたってから作られたものだから、押しつぶされる心配はない。しかし焼火と書くと、さも火山活動の火があるように見えるが、実はこれは「のろし台」の火だったのではないかと推察される。

まあともかく私が面白がったところに行って同じように面白がってくれたことは、私としては大変うれしい。これからもおもしろそうなところを紹介しますから、遊び歩いてください。以下は焼火神社の社殿、入り口の狛犬。

伯耆の国一宮:倭文(しとり)神社

  朝7時の山陰線で倉吉に向かった。ローカル線だが高校生の通学で満員。倉吉手前の松崎で降りる。倭文神社まではほぼ4キロ、まだ暑くないので歩けるだろうと判断した。駅前は東郷湖、ここは温泉地で湯気の立つ小さな池があった。手を入れるとやけどしそうな暑さ。

湖の周りをあるき、山に入る道しるべがあった。梨の畑に向かう軽トラ用の舗装道があるが、大変な急坂。小さな峠を越えると集落が出てくる。さらに上るとやっと表示がでてきた。夫婦岩があるが大きなの石と下に敷かれた小さな石。今の時代なら大きいのが奥さん、しかれて小さくなっているのがダンナということになるかな?

朝早かったのでまだ扉が開いておらず、社務所の朱印もないので待っている人が数人いた。私は朱印の趣味はないので、立派な逆立狛犬の写真を撮ってから、経塚まで上った。ここにあったお経は国宝になって博物館に納められているそうだ。ほかにもお宝があるので、夜間は社殿は閉められているのだろう。

神仏混淆の神社なので鳥居の後ろに神門(寺なら仁王門)がある。ここの彫刻もおもしろい。インドの象の神さまかもしれない。仁王門の前の狛犬は新しいので面白くないが拝殿前の逆立狛犬はいい。こんな巨大なものは今まで見たことがない。私の中では日本最大逆立狛犬だ。 ■本殿は何造りかわからないが千木は立削ぎ、鰹木は3本。出雲大社と同じだ。倭文(しずおり)氏が織物の神である建葉槌(たけはづち)命を祀っていたが、大正時代までは下照姫(したてるひめ)命も主祭神であると考えられていた。いまは女神ということから安産の神となっている。

経塚から降りてきたら、9時前だが社務所の方々も来られて拝殿の扉があけられた。建葉槌命よりも下照姫命の方が人気のようだ。下照姫は大国主命の娘と言われている。

帰りは山道は避けて湖のほとりを下った。東郷温泉の向こうに昨日山開きをした大山が見えた。

この辺りは神話の郷、なかなか楽しい一之宮めぐりになった。一緒にお参りした人は、出雲に行くぞ!と去っていった。私はすでに参拝済みだ。

 

但馬から因幡へ、「たもや」で食事

鳥取にいます。因幡の白兎神社、因幡一之宮の宇倍神社にお参りするためです。地元にいるKUSA野さん御案内でぐるっと回れたので楽ちんでした。いつもなら地図を頼りに歩け歩けなのですが、本日は乗っていればいいので楽でした。写真は合流場所の餘部鉄橋。

鳥取砂丘・砂の美術館:白兎神社

「たもや」で食事KUSA野さんおすすめ。猛者エビは今この時期にしか食べられない。

 

因幡の国一の宮:宇倍神社

鳥取県鳥取市国府町宮下651・・・・に鎮座する因幡の国一の宮。因幡と言えば白兎であるが、この神社はまったく関係なし。
■ ご祭神は、 武内宿禰(たけのうちのすくね)命である。この方は第十二代景行天皇より、成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5朝にお仕えされ、まことをつくして天皇の信任篤く、わが身を投げうって東奔西走、日本の統一に尽力されました。 わが国で最初に「大臣」の称を賜わり、日本の国造りに功績のあった神さまです。(神社のHP)

武内宿根は360歳でこの地で亡くなった。終焉の地という石碑もあった。神武天皇でも寿命は137歳ということになっている。神話とはいえその3倍近い寿命というのはどう考えてもおかしい。昔の人も「お話だよ!」と了解していたかもしれない。しかし明治政府は、日本の大臣の理想像として教科書に載せ、お札に肖像を載せた。明治大正昭和にかけ5回もお札に登場したのは他にはあまりない。神話を歴史にしてはいけないというのが私の感想。似顔絵もないのによく描けた、想像力というのはたくましいものだ。   今は総理の座を狙っている石破さんがこの宮の代表になっている。大臣はお仕えする身、昔は天皇になることはできなかった。今は大臣が総理になるのは何の不思議もない。今変な総理いるが、何とか石破さんがんばって総理になって欲しいと、地元の人は期待しているようだ。

社殿はなかなか立派だ。流れ造だが、屋根の上の千木は縦削ぎ、鰹木は3本と出雲大社風である。

本殿の背後の高台に「磐座」(いわくら)がある。武内宿祢は神功皇后の子どもを育てて、無事天皇の位につかせる。第15代応神天皇である。なので応神天皇を祀る八幡神社には伴神として武内神社や高良神社がある。子育ての神さまとしてお人気があるという。そういえば一昨日訪れた気比神宮にも武内宿祢を祀る高良社があった。

境内の奥に国府神社がある。因幡の国府跡は鳥取市の国府町にある。現在は「すなば珈琲」のお店がある。スタバはないがスナバはあるとの名言を吐いた知事はなかなかいい。

スナバは鳥取砂丘であり「砂の博物館」これもすばらしい。

白兎海岸には因幡の白兎の神社がある。こっちの方が本家かも!