カワセミ リベンジ!

昨日、狛江のちかくの野川でカワセミをみた。大砲のような望遠レンズをつけた人たちがバシャバシャとシャッターを切っていた。私も負けずにシャッターを切ってみたが、昨日ブログに入れた程度の写真しか撮れなかった。まあカメラの値段が1/50、いやもっとかな? なので仕方がない。

そこで本日、私にしては高級デジカメをもって同じ場所に行ってみた。なにせ毎日が日曜日の暇人なので・・・・。昨日大勢いたカメラマンは一人しかいない。「今日は下の方に行ったみたいだよ」とのことだったが、しばらく見ていたら昨日と同じところにいるじゃない。場所取りをする必要がないので好きなように撮ることができた。今回のカメラは昨日の4倍ぐらいの値段だから、以下のようにきれいに撮れた。

大砲レンズのおじさんは「カワセミは目が命!これじゃダメだね!」という。でも私はこれで十分。最近のデジカメはすごいよね。

鳥を見るのが楽しみに!

昨日鳥見の会に行った。鳥見が病みつきになった。といっても私の性格からいうと、すぐに飽きそうだが、本日も鳥を長時間眺めていたので、約束の時間に遅れてしまった。成城学園駅から野川に降りると、カワセミを見るために大勢が集まっていた。昨日持って行ったカメラがないので、9800円のポケットデジカメで撮ってみた。大砲のようなカメラを構えた人にはかなわないけど、カワセミ色は取れたかな??
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三番瀬で鳥見!

東京湾の三番瀬という干潟の名前は聞いていたが、一度も行ったことがなかった。昨日HARI替くんが、「鳥見に行くよ!」というのを聞いて「私も!」とつい手を挙げた。本年一番の寒波がやってきているので寒いよ!と脅かされていたのでスキーウエアーを着こんで行ってみた。久しぶりの遠足みたいで、朝5時に目が覚めてしまった。テルモスに温かいお茶を入れて準備した。以下は三番瀬の景色と、見た鳥たち。名前を教わったのだが、ほとんど忘れてしまった。「ミヤコドリ」=「ゆりかもめ」と思っていたが、違うんだって! くちばしがオレンジ色、羽が黒いのがミヤコドリ。ADSCN1784

梅は咲いたか桜はまだかいな?

江戸端唄の「梅は咲いたか、桜はまだかいな」の出だしの句で、年寄りの間ではよく聞く言葉だが、若い人も歌っているとは知らなかった。日本の女性のシンガーソングライターのMetisさんが「梅は咲いたか 桜はまだかいな」という題名の曲を歌っている。もちろん端唄小唄ではなく、現代調の歌だ。youtubeにあった。(https://www.youtube.com/watch?v=qXIyhRq4hrQ)

この曲を歌っている女性は菅原道真の子孫?だそうだ。菅原道真は「東風吹かば思い起こせよ梅の花・・・」で有名な人物で、後に天神さんになる人だ。その子孫が梅の歌を歌うなんて・・・・・。ウィキペディアを見ると歌詞の中にある「桜は咲くのさ!」が受験生に人気があるそうで「合格ソング」とされているのだそうだ。

本日は2月6日に行くぶらりバークラブの烏山川緑道を歩く。蘆花公園にはいると紅梅が咲いていた。花の下で結婚写真の撮影中だった。なかなかいい風景だ。でもまだ寒い。梅は咲いているが、桜はまだまだ先になりそうだな。ACIMG1278ACIMG1280

大雪の次の日は! 野川散歩!

大雪の次の日は、路が凍っているので、不要不急の外出しないようにと放送している。雪の日よりも、翌日の方がけが人が多いのだそうだ。昨日も不要不急ではない用事があったので出かけたのだが、本日も用事があって出かけた。老人が滑って転んだりすると皆さんに迷惑になるので、ビブラム底の靴を履いて、ストックを持って出かけた。

東久留米駅の上からは富士山がよく見えた。三脚を構えている人たちも多い。東久留米でHRRI替さんとあって用事を済ませ、花小金井に行く。お昼を食べてわかれる。私は武蔵小金井までバスで行く。そこから調布に行くのが次の用事だった。バスもあるのだが、先日この駅から野川を下ったのを思い出した。きっと雪道になっているだろうから、ザクザクと歩くのは楽しかろうと歩いてみた。HARI替さんは鳥の専門家、鳥の話をしたので野川の鳥が気になった。写真を撮ったが黒い鳥の名前が分からない。もしかすると鵜かな!
写真を並べておきます。

東京は大雪(?)です。

160118snow実況中継。我が家の付近は昨夜来の雪が5~6センチほど積もっている。しかし9時現在、雨になって雪は溶けだしてビジョビジョ道路になっている。電車は遅れが出て、道路も大混雑のようだが、まあ昼までには平常になりそうだ。160118snow2

 

 

テレビでは不要不急の外出を避けるように、特に高齢者は! と言われているが本日私は不要不急でない用事があるので調布まで行かなければならない。京王線が止まっていたら小田急で行って歩けばいい。スパイク付きの長靴を用意した。ジイサン、出かけてきます。

軽井沢 バスの事故

軽井沢のバイパスで大事故が起こった。運転手、乗客14人が亡くなった。バスの単独事故でこんなにたくさんの人たちが亡くなったなんて、いったいどんな事故だったのか。テレビで見る限り、そんなに深い谷でもない。よほどスピードを出して、大岩、大木などに激突しない限り、こんなにひどくなることはない。亡くなったのは若い大学生ばかり。ちょうどセンター試験で、大学はみなお休みだったので、いろんな大学生が乗っていた。

軽々に何とも言えないが、運転手は67歳とか言われている。ベテランだったとはいえ、もう「逆行ジイサン」の年齢。その年齢の運転手が、なんでまたあんなくねくねバイパスを通ったのか。せめて軽井沢の急坂だけでも高速道路を通ればいいのに。きっとバス代を減らすためにこっちを通らざるを得なかったのだろう。指示があったかどうかは不明だが、このツアーの代金は安すぎる。こんな金額では、安全は無視されるに決まっている。

大型の運転手は賃金のいい東北復興に行っているので、安い賃金で働くのは高齢運転手。これはまずい。どんどん安全を度外視した低賃金グループ、安全安心高賃金グループの差が大きくなっていく。昨年四国に行くのに高速バスを使った。全部個室、12人乗りで運転手は2人。格安ヒコーキ機運賃よりも高かった。こんな安心安全バスに乗っているジイさんが、「格安ツアーはよくない!」など勝手なことを言う。「高みの見物」みたいで申し訳ないが、もう少し若い人の安全を守れる社会にしなければいけないと思う。

大仏さんは阿弥陀さん?お釈迦さん?

160109daibut我がぶらリバークラブの面々、それぞれの分野に造詣が深い。昨日はSEKI根さんから「この大仏さんは阿弥陀さんか、それともお釈迦さんか?」というクイズを出された。私は「大仏さんてみな同じじゃないの?」と答えたが、宗旨によって大仏さんもそれぞれ違うのだそうだ。ちなみにここは妙法寺、日蓮宗の寺なのでお釈迦さんの大仏だ。

与謝野晶子の和歌に
「かまくらや みほとけなれど  釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」

鎌倉の大仏さんをたたえた歌だが、大仏さんのいる高徳院は浄土宗の寺だから、阿弥陀様でなければならない。釈迦牟尼とおもった与謝野晶子は間違っているそうだ。

インターネットで調べてみたら、次のようになっていた。大仏さんにもいろいろある。年寄りは知識の塊だから、やはり大事にしたほうがいいな。

鎌倉大仏:浄土宗・阿弥陀如来

奈良の大仏:東大寺・華厳宗 毘廬舎那仏

兵庫大仏:天台宗・毘廬舎那仏  元日本三大大仏

牛久大仏:浄土真宗・阿弥陀如来

東京(赤塚)大仏:浄土宗・阿弥陀如来

 

ゴジラと大仏

ぶらりバークラブの今年第1回の探索行。二子玉川駅集合で、仙川をさかのぼった。本日は13人のも方が来てくださった。親子二代で来てくれた人も。でもジジババの集まりだから、若者には物足りなかっただろう。ちょっと申し訳ない。

160109gozira1160109gozira2本日のメインはゴジラと大仏だった。ゴジラは東宝の撮影所入り口の壁に描かれた11mの大きさの壁画。前回は大きさを比較する対照がなかったが、今回は我れらがゴジラに前に立ってもらって写した。大きさがわかる。

もう一つは大仏さん。東宝の撮影所のすぐ近くにある。仙川の川岸の崖上にあるので遠くからもよく見える。この大仏さんは9時から5時に旋回すると書いてあった。9時と5時にぐるっと回るのかと思っていた。そのためには9時に大仏さんの前にで待っている必要があると思っていた。

本日お参りしてみてやっとわかった。この大仏さんは通常南を向いているが、石段を上がるとセンサーが働きお参りの人の方に向きを変えるのだ。要は参道が南北を向いていないので、そのままだと横顔を拝むことになるので、人が来るたびに正面を向くようにしてある。

大変失礼だが、ついつい面白がって次ぎ次ぎにお参りしたので、大仏さんはそのたびにお顔をむけてくれたので、お疲れになったかもしれない。ごめんなさい。それはそうと、どうして最初に南向きに参拝所を作れば問題なかったのに、どうしてそうなったのか?ちょっと不思議。

新春初蹴り

東大農学部のグランド近くにある忠犬ハチ公の像

東大農学部のグランド近くにある忠犬ハチ公の像

我がチームは毎年東大農学部の芝グランドで新春初の試合をしてもらっている。我がチームはグランドを持たないので、いつもグランドを確保できるチームにお世話になるほかはない。東大OB会にはここ数年間お世話になっている。

私は昨年このグランドで一点入れて以来、不調でグランドから遠ざかっていたが、そろそろ復帰しないともう二度とサッカーはできないかもしれないと思い、本日はユニフォームに着替えてから家を出た。老人組に入れてもらい20分間走った。当然のことだが、昨年のスピードはない。もともと技術が下手で、スピードだけでサッカーをやっていたのだから、とても得点に絡むことはできなく、ウロウロするだけだった。

見ていたFURUYAさんは「ぜんぜん違う方向に走っていたじゃない!」と厳しい。でも「いつでも交代します!」と言ってくれたKOYASU君の期待を裏切って、20分間走れることができたことは大満足。今年は1ケ月に1回ぐらいはグランドに立てるようにしたい。試合後は近くのソバ屋で新年会。久々にビール、お酒。

水爆実験! 時代錯誤

北朝鮮が水爆実験を行ったという。気象庁の発表では北朝鮮の北西部を震源とする地震があり、その波形は通常の地震のS波が観測されないことから、爆発によるマグニチュード5.1の地震であるとしている。これを専門家が解釈すると核爆弾に違いないということらしい。北朝鮮の発表は水素爆弾というが、水素爆弾にしては規模は小さい。小型水爆ではなくて原爆だろうというのが韓国やアメリカの判断らしいとTVでは報じている。日本は情報を収集して判断するそうだが、独自の解釈はないようだ。

大騒ぎさせるのが北朝鮮のやり方だが、それに組するのは嫌だ。しかし政府やマスコミは北朝鮮を叩くのはいまだとばかり大騒ぎを始めた。北朝鮮の思うつぼだろうが、日本政府も思うつぼ。これで安保法案は安泰ということになりそうだ。拉致問題も水爆騒動でかすんでしまう。政府はこれでいいわけができる。どうにもやりきれない。

昨日「ゴジラがいた」というブログで、1954年(昭和29年)アメリカは マーシャル諸島のビキニ環礁での水爆実験で、ゴジラが出現したと書いたばかり。もう少し詳しく書いておく。

日本のマグロ漁船第5福竜丸が水爆実験の死の灰を受けて、乗り組員の久保山愛吉さんが亡くなった。当時世界中が大騒ぎになったことはよく覚えている。第5福竜丸は現在は夢の島に展示されている。ビキニ環礁は現在でも放射能汚染で帰島困難だ。原爆の数千倍の威力を持つ水爆の恐ろしさは世界中に知れ渡り、水爆については幻の兵器として封印されており、その後水爆実験は行われていない。しかし北朝鮮はその封印をかってにといてしまった。世界中が驚き怒っている。世界中の人々は断固たる処置を取らなければならない。この時代になってこんなことをするなんて!

よけいな話だが「ビキニ」という水着がある。ビキニ環礁には第二次世界大戦の後アメリカが核実験場を造って原爆実験をやっていた。その噴煙(キノコ雲)のすざましさをフランスのデザイナーが表現したことに由来する。その後さらに規模の大きい水爆実験でイメージが拡大し世界に広まったのだそうだ。ビキニといったら平和な世界の象徴みたいだが、私ら世代には、背後に核実験の影をみる。

ゴジラがいた!

Agozira今年の最初のぶらリバークラブは仙川探索行にした。本日下見のために二子玉川駅から歩いてみた。最初は前回歩いた丸子川との分流点に行った。多摩川低地では多くの水路が掘られていた。いわゆる六郷用水である。丸子川も六郷用水の一部である。

そこからさらに進むと旧の水路が残っているのを見つけた。これは地元の人もあまり知らない大発見。今年は最初から縁起がいい! 旧水路かどうかは「川の地図辞典」(之潮{Collegio})で調べる。この本は過去の地形図も載せられており、大変な資料になる本だ。世の中にはこんないい本がある。私の本などほとんど意味のない本だな!!

旧水路跡をたどって世田谷通りに出たら、大仏さんがあった。ぐるっと回って大仏を見て、再び世田谷通りに出たら、こんどは巨大ゴジラにであった。TOHOの撮影所の前の建物に描かれたものだ。これは目立つ。

ゴジラは海神『呉爾羅』の名からつけられた。私は子どもの頃、ゴリラとクジラを合わせた名前だと聞いていたのだが。 1954年米国はマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行った。そのことに影響されて映画がつくられた。水爆実験のせいで海底に潜んでいた古代生物が突然変異を起こしてゴジラが誕生した。体内被曝によって巨大化し、性格は獰猛になり、口から高温の放射能吐きだした。自分の住むところを奪った人間を憎んで、都市を激しく破壊した。こどもの頃この破壊は恐ろしいというよりも、痛快という感じがした記憶がある。

とてつもなく獰猛で、悪の権化のようだが、ムリヤリ人間の作った放射能によって異形にされ恐れられるようになった。しかし本当はかわいそうなゴジラ。人間を恨むのは当然だよな! という風な設定で描かれていたのだろう。核実験をやった人間、特にアメリカが悪いという感情は強かったように思う。そんなことを思い出しながら、仙川を歩いて成城学園駅まで行った。11日に仲間の連中と歩くのだが、ゴジラにどんな印象を持っているか、年代別に聞いてみたら面白いだろうな。

熊野古道とサンチャゴ巡礼道

昨日送ってもらったJACC(日本アドベンチャーサイクリスト協会)の機関紙に、下のような記事が出ていた。昨年の11月の和歌山県の新聞の記事を転載したものだ。小森さんは我らの仲間、というよりも先達だ。私も熊野古道の奥駈け道、小辺路、伊勢路、雲取り越えのコースを歩いたが、全部小森さんの案内だった。サンチャゴも熊野古道も四国巡礼も全部歩いた田口さんでも、小森さんだけには頭が上がらない。我らのヒーローだったが、新聞に載っていたとは知らなかった。私のように、新聞に載ったぞー!などとひけらかすような人ではないので、知らせもしてくれなかったのだろう。

小森さんが住む田辺市で二つの巡礼道を歩いた人を顕彰するという企画が始まったそうで、その最初の顕彰者ということになったようだ。一昨年とその前年、スペインのサンチャゴデコンポステーラ巡礼800kmを歩き、さらにポルトガルからの620kmを歩いたという話は聞いていた。それが評価されたのだろう。実は私も誘われていたのだが・・・・・ちょっと惜しいことをしたなあ。でも、サンチャゴの前に、私はなんとか今年と来年で四国遍路を歩きたいのだが。

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謹賀新年 年賀状

gazo5 信仰心は希薄なので、どこに初詣に行くかは決まっていない。本日は近くの熊野神社に行ったが、その後にもいくつか神社や寺をはしごした。上の写真は拝殿、狛犬、門松全部ばらばらのものを並べて作った初詣イメージです。

毎年1日は実業団駅伝、2日、3日は箱根駅伝で、三が日は終わるのだが、今年は孫たちの襲来と96歳のばあちゃんのお守で駅伝を見る暇がなかった。まあ駅伝なんか見てるよりも、孫と縄跳びの練習をしている方がはるかに楽しいことだ。みんな帰ったあと、老人家庭はさびしもんだ。年賀状を一枚ずつ、ていねいに眺めながら、みなさんの顔を思い出す。

昨年の年賀状で「70歳で年賀状はやめます」と宣言した人から、「やめると言ったんだから、出さないでよ!」というお叱りのメールを受けた。出さない宣言であって、受け取らない宣言ではないと思って出したが、申し訳ないことをした。来年は出しません。

でも私は返信がなくても送り続けている人が数人いる。時々会うと「もう出さなくてもいいよ」と言われるが、これまでの感謝をこめて出しているつもりだった。でも迷惑だったかなと思う。ちょっとさみしいが、そろそろ年賀状もやめようかな、と考え始めた。でも後期高齢者になるまでは、つづけようか・・

キツネの行列で新年カウントダウン!

160101kitune02160101kitune01 下弦の月を見てから王子稲荷神社にむかいました。昨年はキツネの行列の最後しか見なかったので、今年はスタート地点に行った。10秒前からカウントダウンが始まり、0時きっかりに行列がスタートした。年々見物の人が増えており、外国人も多い。

みなさんそれぞれキツネのメイクをして楽しんでいる。いい年明けになりそうだ。
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