大阪に行ってきました。

九月になりました。ここのところおばあさんの介護にかまけて、パソコンの前に座る気分にならず、ブログの更新もままなりませんでした。おばあさんは我が家から5分の特別養護老人ホーム(特養)に入ることができました。

7月の入院時に比べると格段に回復し、自分で箸をもって食事ができるようになりました。これは奇跡的ことです。しかし認知の方がかなり高まりました。もう100歳ですから、年相応かもしれません。ということで私は週に2,3回見舞いに行けばいいだけになりました。しかしまあ特養というのは大変なところです。我が家ではとてもこんな面倒は見ることができません。介護の方々には感謝の念しかありません。ありがたいことで頭が下がります。

ところで8月の終わり、大阪に行く用事があり、街をぶらぶらしてみました。私は大阪になじみがないので、どこがどこかわかりません。今回は午前中ちょっとひまがあったので、今宮という駅から通天閣、なんば、道頓堀など繁華街を歩いてみました。まだ朝早かったので、お客は外国人だけで、賑わいはありませんでしたが、その位置関係は少しわかりました。絵日記にしておきます。

ここから今宮戎神社。1月の10日は十日戎として100万人も訪れるという人気神社だ。しかし本日暑くて人はいない。


ここから木津市場、ここは築地市場みたいなところか? 場外市場はもう賑わっていた。

広大な「なんば」の駅をみて道頓堀へ。もう賑わっていたな。ツルハドラッグは我が家のそばにもあるが、こちらは中国人で大行列。

このあとは黒門市場。

さらに生國魂神社へ行った。この神社は大阪の低地と上町台地の境にある。けっこう大きな段差、坂道だ。

100歳おばあさん!その後報告

今年の5月25日、老人ホームに入居中の我が母はベッドから落ちて 、骨折しました。その後入院していましたが、その間に認知症が進み、ほとんど何も分からなくなり、要介護5という状況になりました。その後紆余曲折を経て、昨日同じ老人ホームの特養に入所することができました。

高齢者を抱えた家なら必ず通る道ですが、直面するまでどう動いたらいいか考えたことがありませんでした。我が家の奥さん他多くの皆さんから沢山の情報をいただきました。何から始めたらいいか分からないことだらけでしたが、色々試行錯誤して、もっともいいところに落ち着きました。本人も驚くべき回復で、年配の介護士さんに「あなた若くて美人ね!」などお世辞を言って喜ばれています。私から見ると恥ずかしいようなお世辞を言うのもすばらしい処世術、すごい回復力です。

我が家の3ヶ月、これから介護に直面する人に参考になればと思い、また自分自身の記録としてここに記しておきます。

1: 家庭、あるいは老人ホームにいて骨折した場合

 老人ホームで転んだと連絡を受け、移送で救急車で帝京大学病院に運びました。レントゲンとCTの検査の結果、恥骨骨折とのこと。手術をしなくてもいいとの診断。家に連れて帰って静養させるようにとのことですが、寝たきりで安静という状況を自宅、ホームではできません。そこで我が家は老人ホームのショートステイをお願いしました。事前にケアマネジャーと懇意におかなければ話は進みません。我が母は要支援2で、ディサービスに通っていたおかげで、ケアマネさんに相談ができ翌日にはショートステイをお願いすることができました。

第1の教訓、日ごろからケアマネジャーと懇意にしておくこと。

2;高齢者は骨折すると認知症が進む
 
 ショートステイに入ったが、自分でトイレができないとことが大変なストレスになるようで、突然せん妄が起こるようになりました。ショートステイ一週間目に夜怯えて騒ぎ出して、ベッドから落ちてしまい、今度は関連病院に入院させました。寝たきりだったので介護タクシーで行きました。タクシーの運転手さんは親切でしたが、一人では無理で奥さんが大活躍してくれました。

 その病院では骨折は軽微だがせん妄が激しいので精神病院に移すといいます。埼玉にある精神病院を見に行ったのですが、いわゆる精神病院。そこに入ったらもう二度と出てこれないのではないかと思いました。今は妄想が激しいが落ち着いたら元に戻ると言われているのに、ここに入ったら本当に狂ってしまうと感じて、何か手立てをと考えました。
  いろいろ調べたら、なんと我が家のすぐ前にある健康長寿医療センターの精神科が一番進んでいると聞きました。急いで担当のソーシャルワーカー(社会福祉士)に相談したところ、自分の病院は実績がないのでできないとのこと。やってみなければ分からないじゃないかと、健康長寿医療センターに行き、状況を説明すると、どこからでも平等に受付はするとのこと。早速戻ってその旨を報告すると、やってみますとのこと。半分は無理と思っていたら、運良く空きがあって入院できるとの返事が来たという。

第2の教訓、ダメでもともと、やってみるものだ。頼るのは医者よりソーシャルワーカー!

3;精神科を経験するのも良いかも!

  精神科に入って一週間ぐらいはせん妄が激しく、夜は絶えず起きて、怯えていました。我が家では毎日食事をの世話をしに行きました。夜寝ていないので食事の時に寝てしまい、ほとんど食べません。無理にスプーンでおかゆを食べさせているうちに、だんだん眠らず食べるようになりました。しかし癖がついてしまい、誰かがいかないと食べないという状況が続きました。その間は誰かが昼夜2回づつ病院へ通いました。たぶん薬のおかげでしょうが、せん妄は次第に少なくなり、自分で食事ができるようになりました。

 毎日通っているうちに、皆さんと仲良くなりました。精神科にいる人はなかなか興味深い。
「昨日北海道から帰って来たばかりなのよ」
「西武デパートの食堂に明で行って来たのよ」
「安倍とは同級生で、あいつは頭がわるかったなあ」
「明日退院なので、家までついてきてくれる?」
などなどいろいろ語ってくれる。
「そうですか!」
と感心すれば喜んでくれる。明日退院の人は毎日同じことを言ってくる。

教訓3:精神科って人生の縮図のようななところ。一度経験してみると世の中を見る目が変わる。

4:病院は1か月迄

  入院するのは一か月迄と決まっている。それ以上は別のリハビリ病院に行くようにとのこと。そうなると先日紹介してくれた精神病院に行かなければならないので、私はkashidaさんからもらった情報にそって、老健に入れることを考えた。頼るのはケアマネさん。様々なケースを相談した。

教訓4:
●老健に入るためには介護度が3以上であること。
●療養の結果、帰宅できる可能性があるもの。
●3か月入ったら、次の人に譲らなければならない。
●預貯金が千万以上の人は介護限度額認定ができない。
 限度額認定ができないと月々の支払いが膨大になる。我が家は慌てて区役所に行き、貯金通帳を見せて認定してもらった。 

 何とか頑張って老健に入れることが決まった。しかしその数日前の7月20日、無理に立ち上がろうとしたらしく、夜中にベットから落ちた。同じ病院の整形外科で診察したところ、大腿骨骨折。あちゃ~これは致命傷だと思った。手術はちょっと無理そうなので、保存的療法ということになった。通常手術をしない時には退院してリハビリということになるが、この病院で骨折したのだから、痛みがなくなるまでは面倒を見てくれることになった。あと一か月入院が伸びたのだが、その後は老健に移動する予約をとって待ってもらうことにした。しかし大腿骨骨折という事故があって、介護認定は最高度の5ということになった。要介護5だと老健は受け入れてくれないとの連絡が入った。。
 受け入れ先を考えなければならなくなった。もう特養しか受け入れ場所はない。これから再び受け入れ先を探す日々が始まった。

教訓4-2:入院したら退院後の行き先を考えなければ。その前に介護認定を申請しなければならない。

5:特養は100人待ち、でもよかった

  要介護5になったら行く場所は特別養護老人ホーム、特養しかない。しかし特養は待機児童ではなく待機老人がたくさんいる。調べてみるとそれは都会の特養で、地方に行けば空きはあるようだ。能登に移住したONOGUCHIさんから「おいでよ!」と言われたが、我が家はいろいろ事情があって能登には移住できない。
 ということでこれまでショートステイでお世話になっている老人施設に絞ってお願いすることにした。8月5日に退院して再びショートステイで特養にお願いすることにした。このあたりはケアマネさんの尽力が大きかった。

 8月23日、まもなく最初の骨折から3か月目のころ、特養に空きができることが分かった。ショートで入っている同じ部屋に入所できることになった。ということで本人はこれまで通りに過ごすことができ、環境変化によるストレスはほとんどなさそうで、機嫌よくご飯も食べている。私にとっては3か月ぶりの穏やかな日が戻った。
 本人は最初はなぜここにいるのかわからなかったようだが、記憶はごく短時間しか残らないので、私たちが帰るよと言っても後は追わなくなった。ご飯は一人で食べることができるのでおやつの時間行くようにしているが、「久しぶりだね!」と毎日言う。
 2日ぐらい開けても、同じように久しぶりという。我が家にとっては、ずいぶん楽になった。

教訓5:100人待ちでもやってみなければわからない。

 この間、我が奥さんはじめ弟夫婦、いとこのkamataさん、息子、娘一家、孫たちが変わり番こに訪問してくれた。おばあさんは一人一人の名前や関係も思い出せるようになった。皆が相まって活動してくれた結果、おばあさんはいままでのような平穏な日常を取り戻せたような感じだ。ありがたいことだ。

 さらにフェースブックや直接顔を合わせてアドバイスをしてくれた皆さんにも感謝感謝の日々です。
 

原爆の日、100歳の母のこと!

1944年8月6日、母親は1歳直前の私を背負って、裏の山で松根油(しょうこんゆ)を採集していた。日本軍は石油が入らなくなったので松の根から油をとって航空燃料を得ようという計画だった。作業にかかってすぐ、遠くに黒い雲が沸き上がったのが見えた。それをみんなで見ていたという。

最近松根油をとっていた里山から原爆投下の爆心地までの距離を調べてみたら直線で20㎞だった。今なら避難地域だったかもしれない。母たちは何も知らぬまま翌日も松の木の根っこから垂れる油を採集していた。9日に長崎で同じことが起き、大勢の人が犠牲になった。そして15日終戦。もう少し早く敗戦を認めていれば沖縄戦もなかったし、東京空襲も、広島、長崎の原爆被害もなかったろうに。国体護持に固まった指導者に導かれた悲劇だったことが、今になるとよくわかる。 続きを読む

舞囃子「氷室」

今年も奥様の恒例の水道橋能楽堂の「舞囃子」です。今回は「氷室」という舞囃子を舞いました。今回はお友達、お仲間が大勢来てくれ、一段と熱が入ったと思いました。外の暑さのせいだけではなく、神さまのご降臨があったかのようで、なかなかよかったです。写真をクリックしてください。動画になります。ここをクリックしてもOK

外装工事・水道工事

我が家も新築からすでに30年たった。先日屋根の一部がはがれかかっているのを奥様が発見。外壁もそろそろ傷んで、水漏れしそうな気配。我が家を立ててくれた会社に連絡して見積もりを出してもらった。新宿の社屋で丁寧に応対してくれたが、こんなにかかわっている人がいるのだから、さぞ高いだろうという予想通りだった。ちょうど我が家の一軒隣の家が屋根工事、外装工事をやっている。人のよさそうな職人さんだったので相談してみた。出てきた見積もり金額は大手の1/3。あまりにも差がありすぎるので大手会社はキャンセルしてこの職人さんにお願いすることにした。

ちょうど同じころドアクローザーが壊れた。これは自力で直した。すると今度はトイレの水漏れ発見。ぽっつんぽっつんという音なのでそれほど漏水はしていないようだが、大変気になる。水道屋さんに頼もうと奥さんは言うがドアクローザーのこと外装工事のことがあるので知らないところに頼むのはいやだった。

講道館の近くにドイトがある。様々な部品が置いてある。水道部品もあるのでとりあえずフロートとボールタップを買い求めて付け替える。我が家には水道工事の道具はそろっておりこれまでも水栓など自分で取り換えてきた。今回もこれでオーケーと思ったが「直ってないよ!」とのこと。水漏れのもう一つの原因はフロートバルブが劣化により完全にしまっていないこと。暑い中もう一度講道館まで行ってバルブを買ってくる。2種類あったが大は小を兼ねるということで大を買った。これは正解。ぴたりと止まった。合計5500円。本当はバルブ交換(1200円?)だけでよかった。

暑い中、伊香保、渋川、多胡の碑

高崎にちょっとした用事があった。こんな暑い中、行くのは嫌だったがまあ仕方がない。暑い中、用事は何ことはなく終わった。群馬に行くときには前橋のKOBAYASHIさんにアッシーをしてもらう。今回も社長専用車の黒塗りのクラウンで高崎駅まで迎えに来てもらった。とりあえず伊香保温泉。でもまだ朝早くて温泉には入れなかった。伊香保には昔は軽便鉄道が走り、急坂にはケーブルカーがあったそうだ。

保存車両を見て、ハラ ミュージアム アークへ。この美術館は品川にある原美術館の別館みたいなものでグリーン牧場の一角にある。特別に本日の展示を見たかったわけではないが、友人のKAMATA社長が薦めてくれるので拝見させてもらった。そのあとすばらしいカフェで特別のケーキをいただいたのだが、KOBAYASHIさんと「わかった?」「あんまりよくわからないん」、二人とも現代アートに理解は及ばない。

お昼は、藤岡まで走って高崎流通大学そばの蕎麦屋さん。KOBAYASHIさんの友人のお店で特別待遇。大変なごちそうになって我が家に戻る。あっそうだその前に、多胡の碑というのも見に行った。古代上野国にあらたな多胡郡が作られたがそれを記念する石碑だという。日本三古碑でユネスコの「世界の記憶」遺産だそうだ。

仕事をした!

ここのところ毎日100歳の母親が入院中の病院へ行き、昼食を食べさせている。病院なので完全介護だが、認知症が進み自分ではなかなか食べようとしない。私が行くと機嫌のよい時にはよく食べる。看護師さんからも、家族の方の見守りが一番ですからよろしく、などと言われているので、行かなけりゃならない状態になっている。今日はどうかな?、機嫌が良ければいいなあ?そう思いながら毎日が忙しい。

本日は日曜日、弟夫婦に代わってもらている。奥さんの母が同じように施設に入院しているので彼らは毎週仙台に行っている。どこも老老介護で大変だ。

まあ本日休みができたので、気になっていたドアクローザーを取り換えた。ミサワホームに頼んでいたのだが何回電話しても来週!という。昨日連絡したら忘れていたという。本当にプロかよ!あきれ怒ってキャンセルしたので、VIVAHomeへいって取り換え器具を買って来て自分で取り付けた。 脚立に乗って取り付けるのがちょっと不安だったので、業者に頼んだが、断ったので自分で取り付けるしかなくなった。これぐらいは3年前までは難なくやっていたが、年寄ると脚立の上で上を向いて作業をするのは結構きつい。今は器具は進化しており取り扱いは簡単になっている。業者は26,000円と言っていたが、12,000円でできた。奥さんから手間賃8,000円をもらった。久しぶりに仕事をした感じだ。

狛犬楽会 今年度第3回 赤坂氷川神社

赤坂駅集合で氷川神社まで歩いた。駅を出たところがTBS赤坂サカス。こんなところに来たことはなかった。本日は水着のお姉さんが並んでいる。早速輝ちゃんはカメラを構えたが、係の人に追い払われる。もとカメラマンのSEKINEさんから、もっと堂々と前に進めばだれも止めないから大丈夫。中途半端なのが排除されるんだよとアドバイス。改めて一番前に進もうとしたが時すでに遅かった。赤坂氷川神社には狛犬が7種類いると書いてあるが、6種類しか見つかっていない。今回のテーマは7対を全部見ること。しかしいくら探しても6対しか見られない。ということで今回も探索未了。その後は坂を上って桧町公園へいく。ここは昔は防衛庁があったところ。今は六本木ミッドタウンで、おしゃれな街。我らじじばばは長居は無用。乃木神社に行く。いい狛犬が2対いたが、5時に閉門。神社って門限があるの??

鳥居の前で「解散」と言った瞬間に、遅れて参加の宇井夫妻があらわれた。一緒に青山一丁目まで行って久々にちょっとビール!

三国志 国立博物館

  国立博物館で三国志展をやっている。孫がKINGDOMを愛読しているので、私たちもついて行った。でもKINGDOMは秦の始皇帝の話で、三国志は曹操、劉備、孫権らの時代。私は古代中国の歴史はよくわからないが、孫は漫画を読んでいるのでちゃんと理解している。ということで説明を受けながら満員の会場を回ってきた。平成館の入り口にある獅子像。狛犬コレクターの私にはこれが一番興味深かった。ちゃんと阿吽になっている。

この三人が三国のそれぞれの皇帝?だけど、三国志がおもしろいのはそのそれぞれの陣営にいた関羽、張飛らの武将、諸葛孔明(孫に諸葛亮というんだよ!と訂正された)らの活躍だ。その中で一番はポスターにもなっている関羽だ。この展示会では写真はオーケーなので、関羽像の写真を入れておきます。

元気で生きてます!

大勢の方から「ブログの更新がない!生きてるか?」の連絡をいただきました。大勢と言っても2人ですが・・・実は最近フェースブックというほうにはまって、そちらでは1週間に2回ぐらい、狛犬シリーズをやっています。

今評判の悪いGAFA(ガーファ)(GoogleAppleFacebookAmazon)のFacebook は使い方によってはブログよりも幅広く、面白いものです。本名で、顔写真を出さなければいけないので信頼性はありますが、抜け道はいくらでもあるようです。誹謗中傷はありますが、友達間だけで行き来する分には問題ありません。と言っても個人情報はさらされるので、どこまでゆだねるかは自己責任ですが。

我が奥さんは絶対やりたくないと嫌悪感をもっています。もしかするとその方が健全かもしれません。私の友人もかなり拒否反応を持っている人も多いようです。

 GAFAをめぐってはアメリカと中国の覇権争いが深刻になっています。トランプ大統領は中国のHuaweiを排除してGAFAを守ろうとしましたが、もうすでにHuaweiとGAFA は深い中になっており分離するのは難しいのが現状です。アメリカや日本はHuawei 技術を盗まれると言っています。しかしHuawei製品に日本アメリカの技術部品が詰め込まれているのですから、ブーメラン現象でアメリカ日本も深刻な影響を受けるのです。

企業の方が大統領や首相よりも頭がいいので、今後はHGAFAとなって共存を目指すと思います。これら巨大企業はすでにちょっとした国レベルの経済力影響力を持っています。私たちはどうしたらいいのか?? これら企業のサービスを拒否することができればいいのだが、もうムリだろう。

そんなことは百も承知の安倍政権は消費増税を期にマイナンバーカードを導入して一気にIT国家(GAFA優先の)になろうとしている。しかしIT大国の中国、韓国、アメリカの現状をみたほうがいい。ちょっと立ち止まっているとIT後進国になる。しかしその方が一般国民は幸せだと思う。

マイナンバーカードにすべての情報(預金口座、大学入試センターの成績、カード履歴、旅行履歴、など)を入れてビッグデータを作り、それで経済をコントロールするつもりだ。政権側にとってはこんな便利な方法はない。国民もこんな便利になって幸せ(上海での見聞)という。日常は便利で楽しいが情報はすべて国家(企業)管理(FacebookやGoogleは使えない)になっており好きなことも言えない。

我が家はマイナンバーカードを申請するつもりはない。どんな政権であっても国家統制(GAFA統制)下に入りたくない。……と強がっても、なし崩しにその方向に進むのだろうなぁ。若い連中は、「そんなこと言ったって時代の流れですよ!」という。「流れ」に逆らっても流されると100年前に夏目漱石が言っている。今は「空気を読む」ということらしい。

ご無沙汰でした!

しばらくぶりの投稿です。この前の投稿は横浜のシーサイドライン! この間に列車が逆走して大事故になりました。私が乗ると後にろくなことが起きない。前からおいしいと評判のお店に行くとその後つぶれちゃったということが何回もあった。疫病神か!

実は5月25日㈯前橋の小林さんのご招待(畜産振興の件で)でダービー前日の府中競馬場の馬主席?にネクタイを締めて列席していました。そろそろ豪華な宴会というときに家から電話がかかってきて、あばあさん(99.5歳)が転んだという。お料理に未練を残しながらネクタイを外して飛んで帰り、帝京大学病院に運んだ。

診断の結果は腰の骨の骨折、手術はしないので別の病院に入院するよう指示され、近くの大和病院で世話をしてもらうことにした。3日後診断をした医者は骨折は大丈夫だが、認知が進んでいるので専門の病院に転院させるとのこと。転ぶ前はごく普通で、パーマに行ったり、買い物もできた。暑い寒い、令和の時代になったねなど会話もできた。それが一挙に100歳の年齢になった感じ。まさに浦島太郎状態。

専門病院の案内を見ると窓に格子がはまっている。家からは遠い。ここに入れたらさらに認知度が悪化する。急いで我が家のすぐ前にある病院にしてくれと頼む。いろいろ紆余曲折があったが結果として、我が家から3分のところにある病院に入ることができた。完全介護だが、がんこなおばあさんなので食事に手間がかかる。昼夜食は家族が世話をしに行くことになった。どこにも遊びに行けなくなったが、まあ仕方がない。しばらくわがままばあさんと付き合おうかという毎日です。

八景島 小柴のどんぶり屋

京浜急行、金沢八景駅からシーサイドライン(リニア)にのって八景島駅に行きました。八景島は柴漁港の外にあります。その漁港の一角に漁協が経営する食堂があるのを友人に教わりました。名前は「小柴のどんぶりや」です。そこの穴子丼が名物と言います。名物に旨い物なしと言われますが、新鮮な魚のてんぷらは旨い。巨大な穴子てんぷらは一度試してみるといいですね。

煮穴子はお持ち帰りにしました。それをぶら下げて、暑い日差しの中称名寺まで歩きました。金沢北条氏の氏寺として栄えたようで、境内には金沢文庫もありました。現在は一帯が横浜市営の公園になっています。寺の庭園はいま黄色のキショウブが真っ盛り。多くの人が散策していました。巨木、名木がいくつかありました。楷樹、別名孔子木というもの。孔子廟などにある超珍しい木だとか。 もう一つは奥様の探していた謡曲「六浦」に出てくる「青葉楓」、付近の山々が紅葉してもこの楓だけは紅葉せず青葉のままなのだそうだ。なぜそうなるかは「六浦」を聞けばわかるそうだが、私は聞いたことはない。日差しは強かったがさわやかな風、金沢文庫もシニア200円で大変良かった。年寄りのディサービスとしては大変良い一日でした。金沢文庫は写真禁止。

 

越後湯沢 いい季節です!

越後湯沢に来ています。雪が解けて新緑が輝くこの時期が一番好きな季節です。里にはもう桜はないと思っていたら、枝垂れ桜がちょうど満開でした。なんかすごく得したような気分です。 電動自転車で岩原の上にある超人気のイタリアンのお店に行きました。電動はすごい。リフト1本分を軽く乗り越えてしまうのだから。珍しくナントカパスタを食べ、コーヒーを飲んでゆっくりしました。

目の下に関越高速道路が見えます。店を出て駐車場へ。ここから遠くに神楽峰のスキー場が見えます。まだまだ雪がいっぱい。目の下には関越高速道が谷川岳に向かって伸びています 。

この写真の中の矢印が我がマンション。平成の前から我が家はスキー用ハウスとして持っていました。スキーができない時期には「おやじの隠れ家」として利用しています。大浴場とサウナ、トレーニングルームも完備しているので、ごろごろするには最適です。

来年も隠れ家にしばしば隠遁しようと思っていたところ、奥様、子どもから「終活をするように」との厳命が下った。第1弾として車の処分が終わり、第2弾として我が唯一の不動産の処分に取り掛かることにした。

4月に地元の不動産「ひまわり」に売り出しを頼んだ。

来年のスキーはここではできそうもないし桜も見られなくなる。残念なことだがもう年なので仕方がない。 ということで本日はセンチメンタルジャーニー!
だれか、引き継いでくれないかな・・・!!

陸奥国一宮 鹽竈神社

  鳥海山の帰り、USHIDA君の車に乗せてもらい塩釜の鹽竈神社に行ってきました。矢島から院内、鬼首、鳴子温泉を経由し多賀城から塩釜に行った。平成最後の日は涙雨? 車がなければ行くことができなかった。ありがたかった。

この神社には多数の狛犬がいた。それの全部、種類が異なっており、実に面白い。雨の中走り回ってすべて見たつもりだったが、まだ裏参道の下、七曲坂の下にも居そうだった。とりあえず9対の狛犬を載せておきます。

この神社は陸奥の国の一宮一宮巡りのページも作りましたので見てください。

恒例になった高齢者のスキー、ことしも連休は鳥海山に来ています。最高齢のKawazoe さんは80歳、傘寿のお祝いを2200mの頂上で行おうということでやってきました。

しかし初日は雨で登山はできなかった。翌日は高気圧の縁だったので風が強くて、さらに気温は登山口でマイナス2℃、体感温度はマイナス10℃ぐらいだった。標高が上がるに連れて斜面は氷になり、シールの上にアイゼンを付けての登りになった。

強風の時には 身体を屈めて身構えないと飛ばされてしまう。そんなことを繰り返しているうちに疲労困ぱいしてしまった。9号目ふきんでついにリタイヤ。それから下りにかかるが、強風の中でシールを外してスキーを履くのは大変な作業。

私はスキーで下るが2人はスキーをザックにつけて、スキー口にアイゼンを付けて下る。すきーはアッというまに避難小屋まで下るが歩きは時間がかかる。八号目の小屋に集合して、あとは皆スキーに履き替えて下る。

天気は良かったが、登れなかったことにはちょっと悔しかったが、まあ年を考えればしょうがない。ムリして行って怪我でもしたら大非難を浴びる。若い頃なら少々危険でも突っ込んだが、今はしない。私も大人になったものだ。