ヤマップ 石神井川

私のランニングコースは石神井川を中板橋から王子駅までの5キロコース。これまでは35分ぐらいで走っていたが、今は1時間かけて歩いている。往復するので10キロ。約2時間。昔は夕方や夜間に走っていたが、ヒマになった今は午前中に歩いている。今年になってほぼ毎日2万歩ぐらいになる。

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午前中に歩いたので大仏様に光が当たっていた。初めて写真が撮れた。日本三大大仏は奈良の大仏、鎌倉の大仏まではだれでも納得するが三番目はどれかあまりよくわからない。板橋には、植村直己の墓所がある乗蓮寺に大仏がある。これが三番目という人もいるが、北区のこの大仏も三番目といってもいいかも!これまで正確に距離や時間を測ったことはなかった。ヤマップを使うと実に簡単にできる。もっと早く知っていれば・・・、でも散歩に時間や距離はいらないな。もしこれを日常に使うと、これよりも時間を縮めようなど努力をしてしまうだろう。今の私には必要ないけど、一月末には八甲田に行くので、霧にまかれたりしたときには役立つだろうから、使い方を練習しておかなければいけないな。

敦煌:万里の長城の尽きるところ

1月の14日(月・祝日)に石神井公園の「ふるさと文化会館」でお話をすることになりました。練馬区地名研究会のホームページには以下のように載っています。今回は、高齢者が多いらしいので、パワーポイントを使って画像を見ながらお話ししようと思っています。 誰でも参加自由だそうです。もし、御用とお急ぎでないお方(ガマの油売りの口上)はおいでください。300円だそうです。今パワーポイントの画像を作っています。下にその一部をアップしておきます。ちなみに練馬区地名研究会は土屋正孝先生がやっておられるグループです。

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平成30年度講演会を下記の通り開催いたします。万障お繰り合わせの上ご主席下さい。会員以外の方は参加費300円をお納め下さい。  記
[1] 日時 平成31年(2019年) 1月14日(月)  [成人の日] 午後1時30分~午後4時頃
[2] 会場 練馬区立石神井公園ふるさと文化会館 会議室B
練馬区石神井町5-12-16 TEL:3996-4060
[3] 演題 「敦煌:万里の長城の尽きるところ」~旅の報告書をPCで作る方法~
[4] 講師 三輪主彦氏(大人のための科学塾「みわ塾」主宰)

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狛ブタがいる御岳神社

  今年は亥(いのしし)年だ。正月に中国に行った友人からの情報では、日本ではイノシシ年だが、中国ではブタ年だという。干支が伝えられたころ日本にはブタがいなかったそうだ。なのでブタに一番近いイノシシが十二支に選ばれたそうだ。

今年も初詣に行こうと思っていた武蔵御岳山には狛ブタがあった。前にも「なんで尊い天孫の社をブタがお守りしているのか不思議だ」と書いたことがある。天孫とはアマテラスオオカミの孫で、神武天皇の高祖父というニニギ命の社である。

  御岳山の狛ブタは本家の干支を忠実に描いたのだろう。今のようにブタ、ブタと蔑視する傾向はなかったのだろう。ブタ野郎なんて、ブタに失礼だよな。

近々、改めて狛ブタさんにお参りしてこよう。そして参道の「もみじ屋」さん(下島伸介さん推薦)でおそばを食べなけりゃ。クルミそばがおいしいですよ。2018年2月に来た時の写真。

ヤマップを使った!

スマホのアプリにヤマップというのがあった。無料で、2万5千分の一地図の上に歩いたルートが表示される。高低差や距離もかなり正確に表示されるので山登りには大変いい。どれぐらい電池の消耗があるのかテストしてみなければならないが、私には最適かなと思っている。

本日のコースを切り取ってみた。駅から動かそうと思っていたが、忘れていたので巾着田から高麗神社までのコースを記録した。1時間半ぐらい使った。データ使用量は30M  ほど、電池の消耗は20%程度だった。とりあえず地図を高低表をアップしておきます。

高麗の聖天様

西武線高麗駅から高麗神社に詣でたが、神社に行く前に聖天様にもお参りした。2000年に落慶法要がおこなわれた真新しい真言宗智山派の寺は遠くからでもよくわかる。もともとは高句麗から来た若光(じゃっこう)王の墓だったようだ。若光は大和政権から武蔵の高麗郡の王として厚遇されたという。現在もその廟があり、前を二頭の羊が守っている。高句麗の祖先は騎馬民族。彼らは羊とともに生活していた。その名残だろう。

真言宗の寺だがもとは朝鮮の方たちの墓地でもあった。現在は日本各地で無縁仏とされてきた方々の慰霊をする廟が作られている。広島の平和公園の原爆慰霊碑には日本人は祀られているが、朝鮮の人々は公園の外に祀られているそうだ。この住職さんや篤志家の方がそうした方々の慰霊をするために、この寺の一角に慰霊塔を作ったのだそうだ。

初詣をしている人たちはきっと韓国の方たちだろうと思っていた。初詣で賑わうほかの寺社に比べれば韓国人は多いのだろうが、私があったのは地元、近在の方々がほとんどであった。日韓関係の危うい時代だが、一般庶民はとりたてて問題にはせず共存している。私はちょっと安心した。 それよりも私が気になったのは聖天さまというのに、どこにも聖天さまがいないこと。お寺のご本尊は不動明王だった。

 聖天というのは歓喜天ともいわれ、浅草の待乳山聖天、生駒の聖天などが有名で、ちょっと怪しい感じのする秘仏だ。聖天さまがいないのに聖天とはこれ如何に?

左の写真は、この寺とは関係ない。歓喜仏というのはこういう仏さまだが、通常は秘されている。チベットでは皆さんがまじめに拝んでいる。

狛犬:高麗神社

西武線の飯能から2つ目の駅が高麗だ。巾着田があるので多くの観光客が集まるが、今の時期は高麗神社へのお参りの人でにぎわう。もっとも高麗駅から2.5キロあるので、ほとんどの人は車で行くようだ。

狛犬愛好家の私はここ数年は狛犬(高麗犬)のふるさとである各地の高麗神社にお参りしている。昨年は東海道の大磯にある高麗山のふもとの高来神社にいった。高来はこうらい神社らしいが、元は高麗だったのだろう。狛犬は高麗から来たというのは1つの言い伝えで本当かどうかはわからないが深くは詮索せずお参りをしている。

高麗の高麗神社には十数年前に来たことはあるが、その時には狛犬愛好家ではなかったのでどんなものがあるか確認をしていなかった。今回それを確認したくて埼玉県の高麗神社に行ってきた。さぞかし立派かと思ったが、昭和期に作られたもので、珍しい狛犬ではなかった。かなり残念。

しかしこの高麗神社、平成29年9月20日に天皇皇后両陛下がお参りになっていることを知った。
神社の案内にはご祭神は高句麗からの渡来人であると書かれている。
霊亀2年(716年)武蔵の国に東国7国より高句麗からの渡来人1799名を集めて高麗郡が置かれました。若光(じゃっこう)は高麗人の高い技術をつかってこの地を開拓しました。その遺徳を偲び作られた霊廟が高麗神社の始まりで、代々若光の子孫が宮司を務め、現在で60代目になります。

日韓関係がややこしいことになっている今、なぜ天皇皇后が高句麗の神社に行かれたのだろうか?産経新聞などは巾着田に行かれたことは報じたが、高来神社に行かれたことは一行も書かなかった。天皇皇后両陛下が慰霊の旅として最後まで心残りだったのが韓国だったという。退位前にせめて朝鮮の神社に参っておこうと考えられたのかもしれない。本当のところはわからないが、大変な反対があることを承知で決意されたことの意味を考えてみなければいけないだろう

広告に惑わされないぞ!

正月、孫たちがきていた。私がハズキメガネをかけているのを見て「ハズキメガネ、だーい好き!」というコマーシャルに合わせて、お尻の下にメガネを敷いた。コマーシャルでは大人のお尻の下に入っても大丈夫といううたい文句だが、私のメガネは小学生のお尻の下で「パキッ」という音がしてひびが入った。まあ中央部で見え方に影響はないが、うたい文句とはだいぶ違う。「コマーシャルを信じてはいけないよ!」という教訓を孫に教える。

メガネが壊れたって命にかかわることはないが、車の自動運転などはそうはいかない。自動的にブレーキがかかるとか人が出てきたら停車するとかいろいろ言うが、まだ全面的には広告を信用はしていない。しかし子どもや高齢者は簡単に広告を信用する。「あなたみたいに何にでも疑問を呈していたら社会は進歩しないよ!」と言われるが、どうも疑わしいことが多い。

昨年中国に行ってキャッシュレス社会を実体験した。物ごい(町中に乞食はまったくいない)や路上ライブの人までQRコードで決済をしているのを見て、「これりゃおかしい!」と思った。私はいつもニコニコ現金払いをモットーとしてきた。しかし日本でも急速にキャッシュレス、スマホ決済が進行している。我ら年寄りは取り残されるが、社会は変革しなければならないのだそうだ。政府肝いりで「お金」離れをさせようとしている。年より仲間の輝ちゃんはまだSUICAを持つことに抵抗している。

テレビ、ネットの情報に流されてはいけない。しかし流れに掉さすのは大変難しい。特にお金をちらつかされるとすぐになびきたくなる。カード決済をするとポイントで還元してくれるというが、このポイントというのが曲者。こんなことしなくて現金値下げしてくれればいいのに。でも誰かがどこかで儲けるためには現金値引きではうまくいかないらしい。世の中どうなっているのかわからん。わからない時には急がないで、ゆるゆるとポイントなしでいつもニコニコ現金払い方式を選びたい。

今年も駅伝三昧の正月

今年も正月三が日は駅伝テレビ観戦。1日の実業団駅伝はまれにみる大接戦。99.9㎞まで旭化成の大六野選手とMHPSの岩田選手の一騎打ち。最後の100mで旭化成が抜け出し4秒差の4時間51分27秒で優勝。3連覇を成し遂げた。

2日3日は関東大学駅伝。青山学院の5連覇はならなかった。往路は東洋大、復路は青山学院大、総合優勝は東海大という3強での分け合い。どこも選手層が厚くなったのだろう。しかし実業団に比べればタイムは復路山下り5時間23分49秒(107㎞)、100㎞に換算すると5時間2分ほどになる。人気は箱根駅伝だが、実力で見るとやはり実業団の方が面白い。

本日夕方池袋でT高校(大昔、韋駄天の金栗四三が地理の教師をしていた)の卒業生が集まっている場所に参入。嫌がらずに歓待してくれる。今の若者はまったく如才ないなあ。その中の一人は母校の応援に箱根まで行ってきたとか。残念ながら彼女の母校は必死の応援にも関わらずシード落ちになってしまった。

我が家は、ここ40年間駅伝を見ない正月はほとんどない。毎年の恒例行事がいつまで続くか? 昨年は一緒に走ったりサッカーをやっていた仲間が亡くなった。マンネリだが恒例行事を続けられるのは幸せというものだと、この年になると実感する。

今年はこまめにブログ!

昨年はFaceBookを始めたので、こちらのブログがおろそかになりました。さらに四国遍路のまとめ、全国一の宮のまとめ、昨年の敦煌旅行のまとめなど結構パソコンに向かうことが多かったので、古びた頭は全開で、ブログまで手が回りませんでした。

さらに旅行用にipadを導入し、敦煌旅行に持っていきましたが、写真の整理などがわからないので、ノートパソコンも持っていきました。しかし砂と寒さのせいでNECパソコンは動かなくなってしまいました。帰って修理代を聞いたら15万円とか。買ったよりも高い。結局ipad、PCともに使えず、ストレスがたまるばかりでした。

新年からグチを言っても始まりません。まずipadは年寄りにはムリ、孫にやることにします。PCも整理してカスタマイズしたものだけ使う。windows7は全部処分。カメラもCasioは修理がきかないのでヤメ! Nikonは重いのでヤメ! 手のひらサイズのCanonだけにします。ときどきスマホも使う。山ほどたまっているスライドは今月中に全部捨てる。実行できるかどうか!

遊び歩けるのももう2、3年と言って遊び歩いてきましたが、その2,3年も終わり、後期高齢者になります。しかしまだもう1,2年は遊び歩ける感じがしています。もうちょっと駆け回ろうかと考えていますが、神さま仏様はご猶予下さるかどうか?

でも昨年は四国88か所を全部回り、さらに空海のふるさと中国西安まで行ってきたし、全国の一宮も全部お参りしてきたから少しは忖度していただけるかなと思っているのですが・・・・

伸し餅をもらった!

今年も中学時代の友人のS君から、「餅ができたぞ!」との電話をもらった。いつもはできたての餅をふうふう言いながら食べさせてもらっていたが、今年は作業が早くて、「午前中でなくなったよ!」とのこと。

S君は精米機屋さん、餅やは年末だけ行っている。杵と臼での餅つきではとても対応できないので機械になっている。製造過程を写真に撮らせてもらった。早くもらって帰って食べたかったので、伸し餅にする場面を映していない。まあいいか。

 

白根全さんの、アンデス写真展

勝手に全文引用 三五康司さんのコメントです。
許可もなく勝手にFBの文章を載せました。全さんの写真展には大変感動しました。同じ時に同じものを見たのですが、文章力のない私には書けないので、三五さんのを借用しました。

「地平線会議の大先輩であらせられる白根 全さん渾身の写真企画、
「写真家たちのクスコ―マルティン・チャンビと20世紀前半のアンデス写真―」
ーーを先週観てきた。以前も紹介したけれど、この企画は、
“ラテンアメリカ写真の豊穣な世界の中でも、とりわけ卓越した表現で知られたのがインカ帝国の首都だった古都クスコを拠点に活躍したペルー先住民出身の巨匠マルティン・チャンビと、同時代の写真家たち”
の作品展であり、
“今まではインカ帝国とマチュピチュ、つまり考古学の分野でしか語られることのなかったペルーですが、その大地に開花したアートの存在”
を知らしめる、
“日本では初めて紹介される20世紀前半のアンデス写真展”・・・とのことだ。(以上“”内、紹介テキストより部分引用)

 展示スペースに並ぶ65点の作品を順に観ていく。
家族・一族の記念写真あり、遺跡やクスコの街角の風景描写があり、当時の人々の生活感溢れる風俗が、見事な作品として結実している。1910~30年代の作品が多く、滅多にない≪撮影≫という機会のため被写体の人々の表情には緊張と硬さが伺える。カメラの前で長い露光時間の間姿勢を崩せないのだから当然のことだろう。
そんなことを思いつつ作品を観ていくうちに、写真がとても絵画的に撮られている事に気付いた。構図・ライティング・光と影の配分・・・ 当時のカメラには(貴重な)写真湿板が6枚しか実装できなかったそうだ。それゆえカメラマンが“如何に、どのような作品にするか”という意思が強烈に盛り込まれているように感じられた。連写した中から最高の1点を抽出する現代の創作スタイルとは根本的なスタンスが異なっているのが如実に理解できる。

個人的に最も感銘を受けたのが、「光の詩人」と呼ばれたマルティン・チャンビの作品群だった。
浅学のため作家については無知もいいところだったのだけれど、巧みに配置された人物のポーズと画面全体のダイナミックな構図、光線と陰影の強い対比で構成された劇的な効果、画面上の緊張と弛緩が生む動感、画像の彼方に至るまで綿密に計算されたパースペクティブ・・・・・・ そこに確かな“ストーリー”が秘められていることは一見しただけで理解できた。そしてチャンビの想いを具現化している精緻な現像技術は、光と影の明暗で巧緻な作品を描いたレンブラントの絵筆を想起させた。


一通り観たところで白根さんのギャラリートークが始まった。各作品に関する含蓄深い解説とともに鑑賞すると、より理解が深まる。
まず、展示されている作品群における肝要なポイントは“先住民族(インディオ)”の生活や風俗、文化、歴史的背景などが、“先住民族のカメラマン”によって描き出されていることだという。かようなケースは歴史上他にほとんど無く、あえて類例とするなら“日本人による明治以降の近代日本の写真作品”が挙げられるとのことだ。つまり先住民族によって描き出された、同時代の同胞たちの歴史的「リアル」がここにある。

「先住民の視線によって描かれたクスコの光と影の実相ーー
例えば『ホセ・アベル・ランティスの恋人』(1929年)という作品は、結婚式の前に“白人の”花嫁の撮影を依頼されたチャンビが、撮影後にカメラをグッと引いて画角をとり、花嫁がポーズを取っている豪邸の階段脇の隅に彼女の乳母である“先住民”の老婆を立たせ、陰影の中に埋もれるように撮影している。そうして白人同士の華やかな祝宴には決して招かれることのない先住民の老いた乳母の存在と表情を作品として残しているのだ。
チャンビの他の作品も同様だ。

『スタジオのファン・デ・ラ・クルス・シウアナとヴィクトル・メンディヴィル』(1925年)は、民族衣装をまとった210cmの先住民男性をスタジオ正面に立たせ、その隣に配した正装の白人男性が30cm以上も背の高いの彼を見上げている作品で、当時の状況を雄弁に、そしてシニカル且つクールに風刺しているだけでなく、アート作品としても秀でている。
『コソ泥を捕まえた警官 クスコ・レゴシホ広場』(1924年)では、居丈高な制服の白人警官に捕らえられ、怯えた表情を見せるインディオの子供を、わざわざ現場の広場に機材を持ち出して撮影することで、時代の空気感と風潮を言葉には置換できないリアリズムで描き出している。
つまり作品のモチーフを生み出すベースとなっている先住民族としてのプライドとキエチーフが、ひしひしと伝わってくるのだ。チャンビの作品のみならず、同時代の写真家のグループ“Escuela Cusque a de fotografia”(直訳は「クスコ写真学校」だが、“作家集団”“サロン”の意)の作品群が映し出した、当時の文化や時代性が鮮明な写真作品としてアーカイブされていること自体が、奇跡的な史的遺産なのだと実感できた。

開催に尽力された白根さんは、それこそ何年もクスコに通いつめ、これらの作品を収蔵してきた「フォトテカ・アンディーノ」という写真アーカイブとの信頼関係を構築し、個人的にも作品をコレクションして本展開催に至ったそうだ。

その価値ある行動の恩恵を受けられたことに、心からの感謝の意を表したい。

長岡竜介ケーナコンサート

芸術にはまったく疎いのでコンサートなど行くことはめったにないのだが、長岡君のケーナのコンサートは心地よく、何度か聞きに行っている。12月10日久しぶりだが市ヶ谷のセンターホールに行った。

数種類のケーナを使い分け素晴らしい音を奏ででくれた。今回はチャランゴ、ギター、太鼓、アルパとのセッションだったが、そのなかでアルパと呼ばれるラテンハープがまた素晴らしかった。いままで聞いたことがなかったいい音リズムだった。チャランゴの演奏もいいし、パーカッションもよかった。

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志摩 大王崎から富士山が見えた!

本日は伊良湖岬から船に乗って鳥羽にきて、レンタカーを借りて志摩をまわってきました。大王崎には何回も来ているのですが、今日は快晴で渥美半島の伊良湖岬、神島がはっきり見えます。神島は三島由紀夫の「潮騒」で有名になった島。50年ぐらい前に行ったことがあります。

Casioのデジカメで写真を撮っていると、灯台の上で富士山が見えると言っていました。私は目を凝らしてみましたが、よくわかりません。田代先生のお話だと和歌山県の那智の滝の近くの山の上から見えるのが最遠とのこと。ならばここから(直線で200㎞)てもいいはず。帰ってからでデジカメの映像を加工していたら、なんと富士山が映っているではないか。こんなカメラでも肉眼よりも目がいいんだ!
そういえばなんとなく斜面が見えていたような・・・・とりあえずその写真を入れておきます。

忘れていた、大王崎に行ったのは山の上にある波切神社の狛犬を見に行くのが目的だったのだ。小さな狛犬は団体です。海風にさらされているので風化著しい。もう一対は最近作られたものでそれほど風化はしていない。